第9話 老人ふたり

 むかし、むかし。

 あるところに、若いおさむらいがおりました。

 お侍はめっぽう刀の腕が立ち、皆から尊敬されていました。


 お侍の屋敷の庭には、それは立派なミカンの木がありました。

 この木はお侍のご先祖様が山の神様からもらった種を植えたもので、実は金色に光る、それは立派なものです。食べると、とても甘くてみずみずしいうえに、みるみる力が湧いてきます。

 お侍は、いくさの前には必ずそのミカンを食べました。そうすると、いつまでも疲れず、何人と戦っても必ず勝つのです。


 ミカンのふしぎな力もあり、お侍はお殿様にたいへん重用されました。

 あるとき、お殿様はお侍に、「いくさの大将をお前に任せる」と言いました。「もし勝てば、わしの娘をお前の妻としてめとるがよい」

 これをきいたお侍は「これは、よほど大事ないくさに違いない」と考えました。

 そこで、お侍はいくさの前に自分の家来にもミカンを食べさせました。

 ミカンの力を得た家来たちは、お侍に負けじと戦い、見事にいくさに勝つことができました。


「お前はこの国でいちばんの武者じゃ。ワシの後を継ぐのにふさわしい」

 お殿様は大喜び。すぐにお侍はお姫様をお嫁にもらいました。


 それから時間がたち、お侍はお殿様の後を継ぎました。

 今度は、大きないくさが起こりました。お侍も、またいくさに出なければなりません。

 すると、家来たちがこう言いました。

「お殿様、もう一度あのミカンを分けてください。そうすれば、きっといくさに勝つことができます」


 お侍はこう思いました。

「ワシがこうして殿様になったのも、あのミカンのおかげ。同じことをすれば、同じように報いなければならない」

 そう思うと、急にミカンを分けるのが惜しく思えてきます。

「こやつらは、ワシのミカンを奪い、ワシの娘と、殿様の地位も奪おうとしているのではないか?」


 お侍はその日のうちにミカンの木に生っている実をすべてもぎ取り、一人で食べてしまいました。

 すると、なんということでしょう。いままでに感じたことのないほどの力が湧き上がります。

 お侍はいくさが始まるやいなや敵の陣に飛び込み、刀を振るってばったばったと兵を切り倒しました。刀が折れると、こんどは素手で兵の首を折り、兵の体をつかんだまま振り回して武器にしてしまいました。

 その戦いぶりに恐れをなした敵は、一目散に逃げ出します。


「なんと見事な戦いぶりでしょう」

 お侍の家来たちは、口々に叫びました。

 しかし、お侍の心は、今やでいっぱいです。

「おぬしらに、ワシのミカンも、ワシの娘も、ワシの城もやらん」

 なんと、お侍はこんどは家来たちに襲いかかりました。

 家来の半分はお侍に殺され、半分はどこかに逃げ出してしまいました。


「この先、どんないくさがあっても、ワシがミカンの力で戦えばいい」

 そう思って、お侍が家に帰ると、なんとミカンの木は枯れ果てていました。実が生るどころか、葉も一本残らず落ちてしまっています。

 そのうえ、血まみれのお侍が、まさに鬼の形相を浮かべているのを見ると、家族も逃げ出してしまいました。

 こうして、お侍は家来を疑ったばかりに、神様から頂いた木も、家族も失ってしまいました。

 やがて城からも家来がいなくなると、お侍は鬼となってどこかへ消えたそうです。


 疑心暗鬼を生ずるとは、よく言ったものですね。



   🍎



 おじいさんに夜にあったことを話すと、しわだらけの顔が引きつり、恐怖とも、覚悟ともつかない色が目の奥に浮かんだ。

「そいつは、たしかに枯と言ったんじゃな?」

 俺がうなずくと、おじいさんは大きく息を吐き出し、しばし黙り込んだ。

「これも縁か……いや、さだめというべきか……」

「あいつのこと、知ってるの?」

「うむ……」

 大きくうなずくおじいさん。それから、おじいさんは板張りの床の一部に手をつき、そこに隠された落とし戸を開いた。


「そ、そこ、地下室があったの?」

「うむ、シロの宝はここに隠してある。檎太郎、松明を取っておくれ」

 俺が土間から松明を取って渡すと、おじいさんはかまどで火をつけて、縄梯子を降りていく。

 そのあとを追いかけて降りていくと、地面を掘って作られた狭い地下室に大判小判が積み上げられていた。松明の小さな火だけでも、ぎらぎらと明かりを照り返し、まぶしいくらいだ。

 だけど、そこにあるのは財宝だけじゃなかった。奥まった場所に、ひっそりと、一揃いの具足が置かれていた。


「こ、これって……」

「ワシが昔使っていたものじゃ」

「おじいさん、侍だったの?」

「立派ではなかったがのう」

 今でも、手入れされているのだろう。ツヤを残した甲冑を懐かしげに眺めるおじいさん。

 深いしわの間に、俺の知らない過去が浮かんでは消えていた。


「もう、これを着て走り回るような体力はないが……」

 そういって、おじいさんはかがみこんだ。具足の足元に置かれた一振りの刀を拾い上げる。

「ワシにも、あの時授かった力が残っているはずじゃ」

 ぐっと刀を握り、おじいさんがつぶやく。その目つきは、俺の知っている優しいおじいさんのものではなく、悲壮な覚悟がにじんでいた。


「あいつと……枯と戦うつもり?」

「それも、ワシの役目じゃろう。何十年も平和に暮らしてきたツケが回ってきたんじゃ」

「何言ってるか、わかんないよ」

「子供には、わからんでええ」

 すうっと目をとじて、おじいさんは俺の頭を撫でた。

「檎太郎、お前はあかねちゃんと一緒に、ここに隠れておれ。やつは、ワシが差し違えてでも倒す」

「い、いやだ。俺も一緒に……」

「お前はまだ小さい。すぐに大きくなるかもしれんが、やつと戦うのはムリじゃ。なあ、ワシにはワシの人生がある。ここで枯と再び合いまみえることになったのは、きっと神様が采配してくれたことじゃ。ワシは老い先短い。自分の人生にをつけねばならん」


「でも、きっとおれも戦える」

 優しく俺の髪をなでる手をつかんで、必死に訴える。

「ええんじゃ。お前が大人になるまで守るのが、ワシの使命に違いない」

「でも……」

「檎太郎。ワシはお前を拾っただけで、親らしいことは何もしてやれとらん。ちょっとくらい、親らしいことをさせてくれ」

 おじいさんの口調は、静かで、穏やかだった。

 かそけしの君が俺に与えた力がわかってれば、もっとまともなことが言えるのに。


「……わかった」

 頷いた。頷くしかなかった。



   🍎



 夜が来た。

 俺は息を殺して、おじいさんの家の地下室にこもっていた。

「きんちゃん、大丈夫だよ。あたしがついてるから」

 ぎゅ、っと、俺の裾を握って、あかねちゃんがささやく。

 今の俺の体は、12歳ぐらいまで成長している。もうすでに、あかねちゃんよりも背が高い。

 それなのに、彼女にとってはまだ俺は「弟」らしい。まあ、赤ん坊のころから知っている相手を年上として扱え、という方が無理があるけど。


「やつの狙いは宝だけじゃ。村の他の者にまで手は出すまいが……」

 そう、おじいさんは言っていた。でも、村で一番幼いあかねちゃんを俺と一緒に避難させたのは、万が一のことを考えたからだろう。

「あたしが、きんちゃんを守ってあげるからね」

 ……あかねちゃんは、まったく逆に考えてるみたいだけど。

 地下室には明かりがないから暗い。俺は縄梯子につかまって、板の隙間から外をのぞいてみた。


 おじいさんは襤褸ぼろを着たまま、立派な鍔の刀を横に置いて目をとじている。

 痩せた体であぐらをかいた姿は、時代劇に出てくる剣豪そのままだ。

 ふと、風が止んだ。

 ほかの家は皆明かりを落としているが、おじいさんの家だけは表で火を焚いている。それを目印にして、恐ろしいものが近づいてくるのが肌でわかった。

「きんちゃん……」

 あかねちゃんも、何かを感じたのだろう。俺の裾をつかむ彼女に、俺は指をたてて口元にあてた。

「静かに」


 月明かりが注ぐ入口に、不意に影が落ちた。

「ふむ」

 羽毛で覆った着物。ひび割れだらけの仮面。背中の曲がった老人……枯が、満月を背に立っていた。

「誰かと思えば。すっかり年を取ったのう」

「お互い様じゃ」

 刀を手に、おじいさんが立ちあがる。ぴりりとした空気。耳鳴りがしそうだ。


「宝はどこだ?」

「あれはワシの大事な愛犬の形見でな。おいそれと渡すわけにはいかん」

「あのとき、無様に逃げたおぬしがわしにかなうと思うてか?」

「だからこそじゃ。やり残したことをやり遂げねば、死んでも死にきれん」

 おじいさんが刀を鞘から抜き、その鞘をそのまま枯へと投げつける。

 が、枯は小枝のように細い腕で、その鞘を受け止めた。


「後悔することになるぞ」

「もう十分にしたわい」

 ふたりの老人がにらみ合う。

 夜闇の中、二人だけのいくさが始まった。

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