第18話 朝にスズメがちゅんと鳴く

 紅白がふすまを開けた瞬間から、宿のなかは不気味に静まり返っていた。

 あれほど騒がしかったスズメたちの声はやみ、夜の闇が落ちている。うっすらとした月明かりが葉の間から差し込み、ムンクの絵画のように複雑にうねった影を作り出していた。

「おじいさんたちを探さないと……」

 さっきまでとは、明らかに空気が違う。俺たちが状況を察したことを、「敵」も気づいたのだろう。


「紅白、おじいさんたちのにおいをたどれるか?」

 10歳の犬耳少女にもどった紅白の頭に手を置いて、聞いてみる。

 警察犬と同じことが彼女にできるのかどうかはわからないけど、むやみに歩き回るのは、どう考えても危険だ。

 俺たちは宿がどれだけ広いのかもわかっていないし、見取り図があるわけでもない。

 何の手掛かりもなく捜索するのは無謀である。頼れるものなら、なんでも頼りたい。


「できる……と、思う。きんちゃん、ついてきて」

 小さな鼻を前に突きだし、身をかがめながら紅白が歩き出す。細い脚でそろそろと草の絨毯を踏みながら、前へと進んでいく。

 そのあとを進む俺は、紅白が追跡に集中しているぶん、警戒を強めなければならない。

 この宿は、人間の手によって作られたものではない。おそらく、魔法とか、神通力じんつうりきとか、そういうチカラによってできている。

 どんな罠が仕掛けれているかもわからない。俺たちはお菓子の家に迷い込んだヘンゼルとグレーテルと同じだ。


「もしかしたら、自分からパン釜の中に入ろうとしてるのかも……」

「ぱんがま?」

「なんでもない」

 聞き覚えのない言葉に耳をぴくぴく動かす紅白。俺は思わず苦笑して首をふった。

 当たり前だ。グリム童話なんて、彼女が知るわけがない。

(今度、話して聞かせるのもいいかもな)

 と、そんなことを考えている時だ。


「きんちゃん、待って。だれかくる……」

 紅白が片手をわずかにあげて、「待て」のサイン。

「紅白、後ろに」

 犬から「待て」される日が来るとは思ってなかったけど、場所を入れ替えて俺が前に立つ。

 せめて何か武器になりそうなものを持ってくるんだった。素手でいることが急に頼りなく思えてくる。

 色の濃い絵の具を混ぜて作ったような暗闇に支配された通路の奥から、ぼうと浮かび上がるように人影が現れた。


「檎太郎さん、どちらへ?」

 茶色の髪にきっちり着こまれた着物。宿の女将だ。

 黒めがちな瞳がじいっと俺を見つめる。大きな目もとは、どこか人間離れして見えた。

「もう暗いですから、お部屋でのんびりなさってください。そうだ、按摩あんまをいたしましょうか? お湯につかってらっしゃらないから、お疲れでしょう?」

「お気づかい、ありがとう。でも、そこまで疲れてないから平気だよ」


 狭い通路だ。すれ違うのがやっとである。立ちふさがるつもりなら、どかして進まなければならない。

「退屈させてしまったら、宿の沽券に関わります。そうだ、お話はいかが? 最近、山城のお殿様が山賊狩りを考えてらっしゃるそうで……」

「うわさ話は好きじゃないんだよ」

 襲いかかってくるつもりか。俺は腰の裏でこぶしを握り、いつでも反撃できるように力を込める。

 背中で、紅白がごくりと息をのむのがわかった。


「まあまあ、そういわずに。お姫様のお話をお聞きになりまして? お琴がたいそう上手なんだそうですけど、最近誰もいないはずのお部屋から、お琴に合わせて笛の音が聞こえるとか……」

「いや、あの……」

 しかし、女将が襲い掛かってくる様子はない。むしろ、話をしたくってたまらない、というように饒舌になっていく。


「心配したお殿様が覗いてみても、お部屋の中には誰もいないらしいんですよぉ! それなのに、お姫様は誰もいないところに楽しそうにお話されているそうで……もしかして、恋の未練を残した男の人の魂がお城の中をさまよってらっしゃるのかしら!? それとも、誰かが忍び込んで、床の裏から笛をきかせているのかも。ねえ、顔を見れないのに逢引きだなんて、情緒があると思いませんか!?」

 ますます白熱する女将の噂話。

(……スズメっていっつもちゅんちゅん鳴いてるけど、こうやって噂ばっかり話してるのかもな)

 あらためて、スズメ色の髪の女将を眺めながら思った。


 俺は黙ったまま紅白に合図して、そっと身をかがめた。

 紅白もうなずいて、音をたてずに歩きはじめる。

「お姫様は一人でいるときに、『松様、松様』と男のひとの名前を寂しそうに呼んでいるらしくて、ああん、悲恋の予感がすると思いませんか? あっそうだ、松といえば、こんなお話が……」

 熱を込めて話をする女将の横を俺たちはすり抜けて、そろそろと先へ進む。

「……二本のうち一方をると、もう一方も夜のうちに枯れてしまったそうで、きっと恋人たちの魂が宿って……」

 話に熱中している女将は、聞く相手がいなくなっても構わずしゃべり続けていた。



   🍎



 じりじりと、俺たちは道を進んでいく。狭い通路はどれだけ歩いても変わり映えしない。

「ちゃんと進んでるんだよな?」

「そ、そうだと思うけど……」

 においを追いかけている紅白も、不安そうだ。


 その不安をおいはらうように、雪のように白い髪を撫でてやる。

「紅白の鼻を信じるよ」

「うん……」

 そうっと目を細めて俺の掌にじゃれるように首をふる少女。少し硬い毛が指をこするのを、逆立ててから整えるように撫でる。

「んんっ……♪」

 気持ちよさそうに身震いして、尻尾の先までふるんとゆすってから、紅白は通路の奥を再び見つめる。


「だんだん、近づいてきてる。急ごう」

「ああ、女将にきづかれる前に行かないと」

 あの調子だと、一晩中でもひとりでしゃべってそうだけど。

 元が動物だと、変化しても人間とまったく同じ、というわけにはいかないのかもしれない。

 紅白も犬のしぐさをすることがあるし、きっとスズメが変化した乙女も同じように、動物的な特性を持っているに違いない。


(別にスズメがみんなうわさ好きってことじゃないと思うけど)

 たぶん、あれは元からの性格ってやつだろう。

 俺がそんなことをぼんやり考えているうちに、紅白が足を止めた。大きなしっぽに後ろから腰をぶつけそうになって、つんのめりながら俺も立ち止まる。

「ここ……だと思う」

 一枚のふすまを前に、ごくり、と俺の喉が鳴った。

「よし。行くぞ」

 ふすまに手をかけ、俺はゆっくりとそれを開く。そこには……


「う、っ……」

 まぶしい。最初に光が目に入った。

 俺たちが通されたのとよく似た客間。木々が絡み合って作られた壁から、明かりがさしこんできている。

(……また、か)

 時間間隔がくるっている。さっきまで夜だと思ったのに、今降り注いでいる光は間違いなく朝日だ。

 廊下を歩いている間に……あるいは、女将のあの長話をきいている間に、それだけの時間が経っていたのだろう。


 光に目が慣れてくると、だんだんと部屋の様子がわかってきた。

 俺たちの客間とは違い、壁や天井には花が咲き、その甘いにおいが空間に広がっている。

「きんちゃん、あそこ……」

 紅白が俺の裾を引き、部屋の一角を指し示す。そこには……

「んん!?」

 予想外。もしかしたら、二人が縛られていたり、牢につながれていたり……と、思っていたのだけど、このパターンは想定していなかった。


 部屋の奥には、大きな布団。枕が二つ。

 おじいさんと……そして、若い女が一緒にその中で眠っていた。

 しかも、乱れた布団からは二人の体がところどころ見える。少なくとも見える範囲では、二人は何も着けていないようだった。

 つまり、たぶん、おそらく、想像の範囲内では、全裸だ。


「……えぇ?」

「ど、どうしよう?」

 微妙にリアクションに困っている俺の裾をくいくいと引いて、紅白がこまったように眉を寄せる。

 どこかでスズメが、平和そうにちゅんちゅんと鳴いていた。

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