第19話 お節介
朝日の中、布団で身を寄せ合って眠る男女。
ちゅんちゅんと、スズメが鳴いている。
「も、もしかして、何か危険があるかも」
緊迫感が思いっきり薄れる状況で、俺はなんとか気を取り直した。そうだ、もしかしたら、この女に襲われておじいさんの命に危機が迫っているのかもしれない。
音をたてないよう、ゆっくりと近づいていく。
女は黒々とした髪を乱れさせたままおじいさんに身を寄せて眠っている。
真っ赤な唇が、厚い肩に触れるか触れないかの位置で呼吸のたびにわずかに動いていた。
「……なに見てるの?」
じと、と横から俺の顔をのぞきこんで、紅白がつぶやく。
「な、なんでもない。用心してただけ」
あわてて目をそらす。さすが、女子は10歳でもこういうことに敏感なのかもしれない。
気を取り直して、おじいさんの様子を確かめる。
「元気そうだね」
「うん」
おじいさんはぐっすり深い眠りについているらしい。寝息が女の髪を揺らしているから、生きているのは間違いない。
しかも、栄養満点の食事と、じっくりお風呂に入ったおかげか、それともほかに理由があるのか。いつもよりも肌のツヤが良いように見えた。
健康面はまったく問題なさそう。どころか、絶好調に見える。
「……起こすぅ?」
今までの緊張感が吹っ飛んだみたいに紅白がうめく。
「ま、まあ、念のため……」
もちろん、これが鬼の罠なのかもしれない。
俺はじりじりと近づいて行って、おじいさんの肩をつかんで揺さぶる。
「あ、朝だよー……」
「うう、ん……」
もぞもぞと、おじいさんの大きな体が震える。それにつられて、隣にいる若い女も、うっすらと目を開けた。
「なんじゃ、もう朝……」
ふたりが、明るい部屋の中を見回す。しばしの間があった。互いの顔を見て、それから、体に目を落とす。
「ぎゃあっ! な、なんで……!」
女の方が飛び上がり、布団で体を隠しながら後ずさりする。
予想外の反応だ。ちなみに布団を引っぺがされたおじいさんは、正真正銘何も着けていなかった。
「お、おぬしは……」
おじいさんは、自分が裸であることよりも、目のまえの女の姿に驚いているようだ。まるで、昔から知ってる顔を思わぬところで見つけたとでもいうような表情である。
「な、なんであんたが裸でワシと寝とるんじゃ!」
女は顔を真っ赤に染めて、おじいさんに向かって叫ぶ。
「ま、待て待て、ワシも何がなんだか……」
周りを見回し、混乱の色を浮かべるおじいさん。
「とりあえず、これ、着たほうがいいんじゃない?」
何が何やらわからないのは俺も同じだ。でも、とりあえず布団のそばにおじいさんが来ていた服が畳まれていた。それを拾って、差し出しておく。
「そ、そうじゃな……」
「紅白は、あっち向いてような」
「あたしの方がお姉ちゃんなんだけど」
「俺も、いっしょにやるから」
どうやら、本当に危険はなさそうな雰囲気である。いったい、何がどうなってるんだ?
🍎
「で、ここで何があったんだ?」
改めて……服を着直したおじいさんと、布団にくるまって体を隠したままの女に向き合った。……正確には、彼女の方をあまり見ると紅白が腿をつねってくるので、あまり見ないようにしている。
「う、む。わしも、あまり覚えておらんのじゃが……」
おじいさんが頭にかかったもやを払おうとするように手で空中をかく。
「風呂に入っておったところまでは覚えてるんじゃが……上がろうと思ったときには、もうこの部屋におってな」
幻術の仕業だろう。俺が女将に気をとられている間に、引き離したに違いない。
「それで、それから……」
おじいさんの視線が宙をさまよい、布団で体を隠した女の方を向いた。
「……あー、その、なんだ、紅白もいることだし、ムリには……」
「ち、違うぞ、檎太郎。おぬしが考えるようなことはしておらん」
言い訳がましく手を振るおじいさん。そう言われても、状況的に無理がある。
「そ、それより、おばあさんを探さないと。危険な目に遭ってるかも」
「ここにおるじゃろうが」
気を取り直そうとしたところで、横合いから声。
「ここって……」
その主を見る。布団にくるまった若い女が、黒い髪をなんとか整えながら主張していた。
「おばあさんを探してるんだって言っただろ」
「わしだって、生まれたときから
「そんなの、誰が信じるんだよ」
腕を組んで徹底否定。こうなった以上は、枯と同じように、鬼が何かを企んでいるのかも知れないのだ。敵の言葉をみだりに信じるわけにはいかない。
「いや……たしかに見覚えがある。間違いなく、若い頃の姿と同じじゃ」
が、おじいさんがそう言って、彼女を見つめる。
「……ほんとに?」
「こんな美人を忘れるわけないじゃろう」
「あ、あんたは! すぐにそうやって!」
顔を真っ赤にして叫ぶ女。だが、さすがに裸に布団だけの格好では、それ以上のことはできない。
確かに、そういった仕草はおばあさんにそっくりだ。
「あたしも、この人がおばあさんだと思う」
シロが眉を寄せて、そう呟いた。
「においが、おんなじだもん」
「……そうか」
紅白がそう言うのなら、おばあさんが若返った、というのも本当なのだろう。
「じゃあ……なんで、こんなことに?」
「わ、わしが知るわけ、ないじゃろうが!」
顔を赤くして叫ぶ女、もといおばあさん。若い姿の彼女をこう呼ぶのもなんだか妙な感じだが、とにかくそう呼ばせてもらう。
「心当たりがありそうだな」
「ない、ないない!」
ぶんぶん首を振って否定するおばあさん。しかし、このまま宿の中に閉じ込められるかもしれない状況なのだ。手がかりはなんでも欲しい。
「では、私が代わりにお話しましょう」
す、っと、音もなくふすまが開き、人影が現れた。スズメ色の髪の女。宿の女将……正体は、たぶん、おばあさんに舌を切られたスズメだ。
「全部、おまえがやったことなのか?」
俺はみんなの前に立って振り返る。いざとなったら、俺がみんなを守らなきゃ。
「そう。でも、とってもいいところだったのに。どうして邪魔をするんです?」
「ふたりは俺を育ててくれた恩人だ。おばあさんがおまえにひどいことをしたからって、それを黙って見ているわけにはいかない」
「……仕返し?」
これまた意外な反応が返ってきた。きょとんと瞬きする女将が、やおらクスクスと笑い出す。
「やだなあ、違いますよぉ。これは仕返しじゃなくて、お詫びです」
「い、一体何を考えとるんじゃ!」
怒りを含んだ声で、おばあさんが叫ぶ。若返ったって言っても、もてあそばれてるのは同じだ。
「だって、女の幸せといえば、若くて美しい体と、それに……好いた殿方と添い遂げること、でしょう?」
赤らむ頬を押さえて、女将が呟く。
「た、た、たわけ! わ、わしがいつ、こんな……!」
おばあさんがおじいさんを指さしながら叫ぶ。布団がめくれてしまいそうで、なかなか危うい。
「見てればわかりますよぉ。文句を言いながらいつも一緒にいるし、なんだかんだで世話を焼いちゃって」
「そ、それは、こやつがこの歳になっても自分のふんどしも洗えんようなやつだから……」
「やぁん、他の人にはそんなこと、してあげないくせに♪」
「う、うるさいうるさい!」
顔を真っ赤にするおばあさん。対して、女将は楽しそうだ。
「私、おばあさんがせっかく作ったのりをなめてしまったから、そのお詫びと思って。あ、そう言われてもわからないですよね。私、あのときのスズメです。舌を切られて、自分はなんてことをしたんだろうって骨身に沁みて。そうしたら、夢の中に
相変わらずの早口でまくし立てる女将。
(ん? 今、イヤな名前が聞こえたような……)
でも、彼女の言うことが本当なら、鬼から力をもらっても、いいことに使えるってことか?
「た、たわけたことを。め、
明らかに狼狽した様子のおばあさん。ふたりの事情はわからないけど、まったく考えたこともない、というわけではなさそうだ。
「いやん、素直になれないなんて、人間ってかわいらしいわ♪」
楽しそうに腰を左右に振って、女将は微笑む。
「でも、大丈夫ですよぉ。みんなが素直になれるまで、宿にいてもらいますから」
その微笑みが、どこか凶悪なものに見えたのは気のせいだろうか。
「いいや、帰してもらうぜ。ふたりにはふたりの事情があるんだ。勝手にその間に入って取りなそうなんて、お節介もいいところだ」
「そ、そうじゃ。わしは……わしはこんなこと、望んでおらんわ!」
おばあさんの拒絶が引き金を引いたかのように、女将の笑みが凍り付く。
「やれやれ、本当に人間は素直になれないんですね。檎太郎さん、人の恋路を邪魔したら、スズメに踏まれてケガしますよ?」
ぴき、ぴき、と音を立てて、女将の顔にひびが入る。張り付いた笑顔が文字通り剥がれ落ちると、その下から凶悪に尖ったくちばしが現れる。
それだけじゃない。着物が分厚い羽毛に替わり、両腕が筋張った翼へと変わっていく。
「こんな頑固なお節介焼きは初めて見たぜ」
鬼へと化していく女将を見つめ、俺は小さく呟いた。
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