第20話 雀女将

 世話は、支配に他ならぬ。

 親が我が子にそうするように、人が家畜にそうするように。

 他者の心に墨を垂らして、染めて描くは自らの名よ。


 小鳥のさえずり侮るなかれ。

 毎朝の歌が汝の心を、制していないとなぜ言えよう?

 名は、牛耳裂鬼ぎゅうじれっき雀女将すずめおかみ



   🍎



 女将の体は鬼の姿に変わっていた。

 人間サイズに膨らんだスズメ、と呼ぶには、余計なモノがいくつもあった。たとえば、凶悪すぎるくちばし、巨大すぎるかぎ爪、そして何より、口元からいくつも伸びた、真っ赤な触手。

「舌を切られたんじゃねえのかよ!」

「露悪様がつなげて増やしてくださったの。見なさい、私の八枚舌!」

 雀女将が大きくくちばしを開く。八つに分かれた舌がうねって立ち上がる。


「下がって!」

 反射的に、おじいさんと、若返ったおばあさんの前に立ちはだかる。

「ほーっほっほっほ!」

 うねる触手が長く伸びる。かわしきれず、俺の片腕に2本が絡みついた。

「く、離せ!」

「なりません! ほおら、縛り付けてあげます!」

 ギリギリと、触手が締め付けを強める。腕を振りほどこうとしているうちに、今度は左足にも絡みついてくる。振りほどこうとしても、2本ずつ逆向きに絡んだ触手は複雑にうごめき、ますます絡みついてくる。


「きんちゃん!」

 叫び声に振り向くと、女将の触手は紅白の手足にも絡みついていた。

「おお、これは……!」

 思わず、歓声を上げそうになって喉を押さえた。犬耳少女に絡みつく触手! 粘液に濡れた真っ赤なそれが、白い肌に絡みついて、細い手足を締め付けている。

 ……もうちょっと扇情的になると思ったのだけど、こうして実物を見ていると、紅白の手足が細すぎて、すぐに折れてしまいそうで不安だ。俺は鬼畜キャラにはなれそうにない。


「紅白、アダルトモードだ!」

 小さな体ではムリでも、大人の体なら脱出できるかもしれない。マスター気分で、俺は叫んだ……のだけど。

「あだ……なに?」

 そうだね。通じるわけないね。

 きょとんとした顔の紅白を見て、自分の言葉のチョイスを思いっきり後悔していた。


「紅白、変身だ。変化だ。大人の体で戦うんだ!」

 どれが通じるかわからないので、とりあえずいろいろ言ってみた。

「……わかった!」

 俺の伝達力が功を奏して、犬耳少女が大きく頷く。

「んんっ……!」

 力を込めるように手足を曲げて、顔が赤らむ。直後、ぱっと光の粒子を散らしながら、紅白の体が一回り大きく膨らんだ。

 ぶかぶかだった着物をぐっと押し上げて胸元が立ち上がり、膝まであった裾が腿の付け根まで。


「そんな!?」

「ええい!」

 紅白が大きく体をひねって、驚きの表情を浮かべる女将の舌へ、腕を振り下ろす。

 ただ殴るだけじゃない。犬の鋭い爪が、触手と化した舌を切り裂いた。

「ああっ!」

 苦痛の声を上げる女将。力が抜けた隙に、紅白がその戒めから脱出する。


「紅白!」

「うん!」

 半人半獣の戦闘本能をたぎらせて、紅白は助走をつけて飛び上がる。俺に絡みつく触手にも爪を振り下ろし、輝く軌跡を残す爪でそれに切りつける。

「私の舌が……!」

 血は出ていない。妖力とやらで作ったまがい物の体だからか。それでも、雀女将は怒りに瞳を燃やしている。


「檎太郎!」

 背後からの声に振り返った直後、俺の胸元に何かが投げ渡された。

 思わず両手で受け取る。ずっしりした棒状の何か……というより、それは棒そのものだ。

「使え!」

 おじいさんから渡されたのは、木の枝だろう。小枝を取って、棒にしてある。宿のどこかで手に入れたのかもしれない……なるほど、芝刈りの要領で、武器になるものを準備していたのだろう。


「よし……!」

 俺が握りしめると、その棒はわずかに光をまとう。聖なる力、のようなものか。俺の体から棒に伝わり、それが「鬼」に対する武器と化したことを、はっきりと感じた。

「きんちゃん!」

「こぉのぉ……!」

 怒りに震える雀女将が、くちばしを突き出して突撃してきていた。触手舌を失って、破れかぶれの攻撃だ。


「任せろ!」

 俺は両手でその棒を振り上げる。

「お節介の、焼きすぎは……」

 鍬を振り下ろすのと同じ体勢……剣術でいう、大上段だ。

「ありがた迷惑って言うんだよ!」

 突撃してくる巨大雀の、くちばしが俺に届く寸前。

 振り下ろされた輝きが、見事にその脳天を打ち付けた。



   🍎



 衝撃が強すぎたせいか。棒は半ばからボッキリと折れている。

「きゅう……」

 雀女将は突撃の勢いそのまま、あらぬ方向に突っ込んで倒れている。

 その体が、ぱっと輝いたかと思うと、ずっと小さな……ごく普通の雀の姿に戻っていた。

 と、同時。ふと気づいたときには、俺たちの周りにあったはずの宿も消え失せ、いつの間にか山道の真ん中にいる。


「鬼の力が解けた……のか」

 視線を巡らせる。何もかも元どおり……つまり、せっかく若返ったおばあさんも、元の深い皺の老婆に戻っている。

 ……ついでに言えば、布団も消えていたから、まったくの裸だ。

「わわっ、見ちゃだめっ!」

 ぽゆん。

 俺の視界をさえぎるように紅白が、目の前に飛びついてきたのだ。


「う、っぷ、むうううう!」

 これはこれで嬉しいような気もするが、暴力的なまでのサイズの柔らかいものに鼻が塞がれて呼吸ができない。死んでしまう!

「ほれ。これでも着ておれ」

「あ、あんたの着るものがなくなってしまうじゃろうが……」

「ワシは、平気じゃ。檎太郎に野良仕事をさせたおかげで、体力も有り余っておるからな」

「まったく、あんたは……」


 俺の視界が塞がれている間に、老人たちが何やらいい雰囲気を発しているのだが、俺は未だに呼吸を取り戻していない。

「んー、んむむー!」

 ばしばし、と肩を叩いても、タップの意味など紅白に通じるはずもない。

「だめ! きんちゃん、暴れないで!」

 ますます強く抱きしめられるから、ますます呼吸が塞がる。こ、こいつ、本気で俺の命を狙っているのか!?


「……ぶはっ! もういいだろ、着たんだから!」

「あ。そっか。えへへ」

 ようやく抗議の声を上げる。おばあさんはさっきまでおじいさんが着ていた着物に袖を通し、ばつが悪そうに顔を伏せていた。

「しかし、こいつは……」

 草の上に気絶している小さなスズメ。こいつがこんな大事件を起こしたとはとても思えないが、さっきまで鬼になって俺に襲いかかっていたのだ。


「責めてやらんでくれ。元はといえば、わしのせいじゃ」

 おばあさんが、両手でスズメを抱き上げる。

「わしのためを思うてしたことじゃ。間違っておったが、もう懲らしめられたじゃろう」

「ん……そう、だね」

 俺の一撃を受けて、鬼の力を失ったんだ。もうこれ以上、咎めを受ける必要はない。


「まあ、元はといえばこやつがスズメにエサなんかやっておったせいじゃが……」

「つ、ついな。かわいくて」

「まったく、いつもそうじゃ。寄ってくるもんにはええ顔をして……」

「す、ストップストップ。そうやってケンカしてるから、スズメも勘違いしたんだろうし。あんまりもめるのはやめようよ」

 俺が手を振ってふたりの間に割り込むと、さすがのおばあさんもそれ以上続けはしない。


「か、勘違いというわけでは……ま、まあ、ええわい」

 こほん、と咳払いして、手の中のスズメを見下ろす。

 ちょうど、スズメが気を取り戻したらしい。おばあさんを見上げて、「ちゅん」と鳴いた。

「あんたのおかげで、一晩だけじゃが、ええ夢を見させてもろうた。じゃが、もうこんなことはしてはいかんぞ」

 そう言って、おばあさんが両手を掲げる。

 スズメはそのまま、どこかへ飛び立っていった。


 とにかく、みんなが無事でなんだ。それに、今度こそ、鬼と戦って勝ったんだ。

「帰ろう。今度こそ」

 一件落着、というやつだ。



   🍎



 こうして、檎太郎は鬼が作り出した宿を見事に突破し、そしてはじめて鬼を倒しました。

 おばあさんの胸中はともかく、スズメがしたことはふたりの気持ちを考えていませんでした。

 あまり他人にお節介を焼きすぎると、あなたも鬼になってしまうかもしれません。

 ところで、スズメがあのあと、どうなったかというと……



   🍎



「檎太郎さん、聞いて聞いて!」

 朝一、窓辺から聞こえてくるたいそうやかましい声が俺の目をムリヤリに覚まさせる。

「川下の村のにそれはもうたいそうきれいなお嬢様がいるんですけど、そのお嬢様が今度、お殿様のご側室に召し上げられる事になったそうで……」

「ってぇ、なんでまだいるんだよ!」

 窓にとまったスズメに向かって、思わず怒りの声を上げる。安眠妨害は重罪だ!


「そりゃあ、私は鬼になった心を檎太郎さんに助けていただいたんですから、檎太郎さんにご恩返しをしないと! さあ、私を家来だと思って、存分にお使いください!」

「スズメに助けてもらうことなんか、ないよ」

「いいえ! 私は空も飛べますし、それにこの情報収集能力! きっとお役に立ちます!」

 ふっくらした胸……といっても羽毛がついているだけだが……を大きく張って、スズメがちゅんちゅんと鳴いている。

「情報収集って、ウワサが好きなだけだろ……」


「ええじゃないか、恩返しなんて、いじらしいのう」

 おじいさんが、のんびりと体を起こしながら呟いている。どうやら、スズメは鬼になったせいか、それとも俺に懲らしめられたおかげなのか、人間と普通に話せるようだ。

「はぁ……。もう、わかったから、あんまり騒がしくしないでくれ」

「わっかりました! それで、お嬢様はなんでかそれを嫌がってるらしくて、もしかして同じ村に好いた男でもいらっしゃるんじゃないかしらって私は思ってて……」

(思い込みが激しいとこと、しゃべり好きは治ってないんだな……)

 一向に静かにするつもりがなさそうなスズメの鳴き声を聞きながら、俺はため息をついた。

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