第7話 枯

 夜。

 俺はおじいさんの家の軒先で、小さな木箱に座っていた。

 月が大きい。あと何日かで満月だろう。

 それに、たくさんの星が出ていた。星座の名前をおぼえておけばよかった。せいぜい、「あれが春の大三角かな?」くらいしかわからない。

 俺の体は、いまは小学校低学年くらい。生まれて二日目の夜。何もかも現実離れしていて、どう受け止めていいかよくわからない。


「まだ、浮かない顔ですね」

 俺のそばにどっしりと座ったシロが、鼻をフンフン鳴らしながら覗き込んでくる。

「うん……シロ、見張り、するの?」

「去年はできませんでしたから」

 シロは、夜のあいだ畑を見張るのが使命だと信じているようだ。

 山から獣が降りてきて畑を荒らすのをおいはらうのだ。確かに、体の大きなシロなら野生の獣が怖がるだろう。


「何かあったら、俺も連れて行って。勝手に行っちゃやだよ」

「私のことは、心配しないでいいと思いますけど……」

 不思議がるシロ。俺のせいで、かえって心配させてしまってるみたいだ。

「……シロ、聞いてくれる?」

 それならいっそ、はなしたほうがいい。そうだ、シロ本人(本か?)が、いじわるなおじいさんに近づかないようにすればいいんだ。


「俺、この世界の外から来たんだ」

「外?」

「ええと……うまく説明できないんだけど、今俺たちがいる時代より、ずっと先の時代にいたんだ」

「時代?」

 シロが大きく首をかしげる。そりゃ、シロは頭がいいけど、「世界」とか「時代」なんて、考えたことはないだろう。


「とにかく、ここじゃないところから来たんだ。そこでは、有名なおはなしがあるんだ。犬が吠えた場所をおじいさんが掘ると、たくさんのお宝が出てきて……」

「私がおはなしに!?」

 きゃん、と高く鳴いて、シロが大きく尻尾を振る。

「たぶん、そうだと思う。シロはかっこいいし、頭もいいし、おはなしの主人公にぴったりだよ。でも……」

「でも?」

「話には続きがあるんだ」


 のどが渇くような気がする。こんなこと、本人に教えるなんて。

 俺、漫画や小説によく出てくる、「エラそうに出てきて役に立たない情報を教えてくる予言者」に文句ばっかり言ってたけど、謝らないと。自分がその立場になったら、何を教えていいのか、さっぱりわからない。

(とにかく、ありのままに話すしかない)

 俺は記憶を頼りに、シロに語る。

「もう一人、イジワルなおじいさんがいるんだ。その人は、自分も同じようにお宝を手に入れようとするんだけど、犬がいくら吠えてもお宝は出てこない。そして、怒って殺しちゃうんだ」


「! 私をですか?」

「……うん」

 驚き、全身の毛を逆立たせるシロ。

「そうですか……」

 白い犬が下を向く。俺も思わず下を向いた。やっぱり言わなければよかった。そうなるかどうかも分からないのに。全部、俺の思い込みかもしれないのに。

 でも、シロは俺の方を向いて、そっと頬を舐めてくれた。


「ありがとうございます」

 そういって、俺の頬に鼻をこすりつける。

「きっと、あなたが仰るなら、本当にそうなるのでしょう。あなたには不思議な力があります」

 温かい毛が俺の首筋に振れる。俺は思わず、自分よりもずっと大きな犬の首筋に抱き着いた。

「ごめん……。怖いよね?」

「いいえ。一度はあきらめた命です。それが、あなたのおかげでもう一度役にたてました。感謝してもしきれません」


 温かくて、重たい体。

 この毛皮の中に、命があるんだと感じた。

「この命がもうすぐ尽きるなら、それも本望です。今日は、とても楽しかった」

「うん……。俺もだよ、シロ」

 少年と犬が抱き合い、言葉を交わす。自分のことじゃなきゃ、きっと絵になるシーンなんだろう。


 しばらく、俺たちは無言で抱き合っていた。温かくて、静かだった。

 だけど、シロの尖った耳がぴくりと動いて、その時間は終わったんだと思った。

「何かが来ます」

「畑を荒らしに?」

「もっと恐ろしいものです」

「俺も行くよ」

「……わかりました。つかまっていてください」


 シロが体を反転させ、俺に背中を向ける。俺はその太い首に腕を回して、背中に抱き着いた。

 大きな体が、俺を乗せてもふらつかずに走り出す。上下に大きく揺れる。俺は膝でシロのおなかを挟んで、振り落とされないようにした。



   🍎



 檎太郎がこの世界で生まれてから、2晩めのことでした。

 シロと一緒に畑の中を分け入っていくと、夜だというのにぽつんと立ったおじいさんに出会いました。

 ……それが、はじめて会う「鬼」だということに、檎太郎はまだ気づいていなかったのです。



   🍎



 村には、たくさん畑がある。

 各家が畑(夏から秋は田んぼになる)を持っているから、いくつも並んだ畑の合間にぽつぽつと家が建っている、という景色だ。

 夜になると、月明かりだけが光源だ。俺が今までいた世界と違って街灯なんか経っていないから、遠くは何も見えない。夜がこんなに暗いことに、初めて気づいた。

 それでも、今日は月は満月に近い大きさだから、自分の足元や手が届く範囲くらいなら、なんとか見通せる。


 そんな暗がりの方に、シロはうなりをあげながらちかづいていく。

「じさま、犬が……!」

 闇の中から、声が聞こえた。人間の声じゃない。俺には意味が分かるけど、「キーッ」という甲高い声。猿だ。

「ほ、ほ。そう警戒するでない。ワシらはほとんど無害じゃ」

 しゃがれた声とともに、闇の中からぼうっと浮かぶように、ひとりの老人が姿を現した。


 細く、小さい。背中が曲がっているから、余計に小さく見える。

 乱れた着物はつぎはぎ代わりなのか、羽毛のようなもので覆われている。

 異様なのは、その目もとを赤く塗った仮面で隠していること。ひび割れだらけのその仮面から、目つきはうかがい知れない。

 骨と皮だけに見えるような体つき。細い頬にはさまれた大きな口から、白い歯が見えた。

「ただ、ひとつ噂を聞いたんじゃ」

「噂…?」

 老人は肩に乗せた小柄な猿……なぜか、小さな頭にをつけている……その猿のノドを撫でながら、にぃやりと笑った。


「この村から、財宝が出たという話じゃ」

「……!」

 誰かが見てたんだ。それで、この老人に話した……まずい、まずいまずい。

「そ、そんなもの、知らないよ」

 シロの背から降りて、老人の姿が見えるギリギリの距離で答えた。

「おかしいのう」

 仮面の奥の目は見えない。だが、確かに笑っているように思えた。


「た、確かに見ましたぜ! その犬が吠えると、地面から金の山が!」

 老人の肩に乗った猿が、体をゆすりながら叫んだ。

「ふうむ。どうじゃ、坊主。その犬をワシにくれんか?」

「だ、誰が……!」

「お断りです!」

 わん、わん、と警戒をあらわにシロが吠える。

 猿はおびえ切って、老人の長く伸びた髪につかまって身を隠すが、老人は一向に引かない。


 ゆっくりと近づいてきて、間近でシロを見つめる。

 もう一歩近づけば、シロがのど元に飛びかかりそうなほどの至近距離で、老人はつぶやくように、こう言った。

「なら、いらん」

 直後、シロの大きな体が


「いっ……!?」

 シロの体は40kg以上はあるはずだ。それを、軽々と数メートル以上も……どうやって? 暗がりのせいで、何をしたのかまったくわからなかった。

 悲鳴を上げる間もなく地面に打ちつけられたシロが、地面にぐったりと倒れている。

「なあ、子ザルよ。この犬がいればまた財宝が掘れるかも、とお前は言ったがな……」

 猿の首元をくすぐるように撫で、老人はまたも笑っていた。


「このからすに言わせれば、そんなことはせんでよい」

 老人の異様なひび割れた仮面が、俺に向けられた。

「財宝があるならそれを奪えばいいだけじゃ。なあ、そう思うじゃろ?」

 淡々と、まるで畑仕事のコツでも教えるような口調。老人……枯は大きな口から歯をむき出して笑っていた。

 俺は……ただ、しりもちをついて、老人を見あげていた。迫力に圧されて、足が震え、立っていられなかった。


「なあ、坊主……村の連中に伝えておくれ」

 老人の奇妙に細長い指が俺の髪を撫でる。うなじの毛が逆立つような、ぞっとする手つきだった。

「明晩、満月の夜にもう一度来るからの。その時までに、宝を差し出す準備をしておくように」

「お、お前なんか……」

 強がろうと思ったけど、声が震えてうまくしゃべれない。ああ、くそっ! これじゃ、まるっきり無力な子供だ。


「枯がそう言っていたと言えば伝わるはずじゃ。よろしく頼んだぞい」

 告げて、俺に背中を向ける。羽毛に覆われた着物の老人の背中は、すぐに闇に溶け込んで消えた。

「ほっほっほ……」

 という、奇妙に節の外れた笑い声だけが、まるで耳元で聞かされているかのように暗闇に響いていた。

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