第14話 お宿
「さぁさぁ、こちらです」
俺たちを先導するスズメが、ぴょこぴょこと跳ねながら山道を進んでいく。
こんな時代だ、山の中にそれほど人が立ち入るわけでもないだろうに、足元は草を払ってあるかのように歩きやすい。
「年寄りには堪えるわい」
おじいさんは腰をさすりながら呟いている。
「さあ、つきましたよ!」
スズメがチュンチュンとさえずりを上げる。その指し示す方に目を向けてみれば……。
「おお、たいしたものじゃ」
おじいさんが歓声を上げた。
確かに、そこには立派な建物がしつらえられている。
綺麗に磨かれた木材の壁。山に生えた木々がそのまま柱になって、伸びた枝が複雑に折り重なって屋根を作っている。
床は柔らかな草で覆われて、固い地面を歩いてきた疲れが癒やされるような踏み心地だ。
「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ!」
いくつもの鳥の声が重なって、歓迎してくれている。言葉がわからなくても、耳に心地よいメロディだ。
「それじゃあ、私は女将を呼んできますから。少し待っていてください」
そう言って、俺たちを連れてきたスズメはどこか奥へ引っ込んでいった。
「すっごいねぇ。山の中にこんなところがあったなんて、知らなかったよ」
感心したように、紅白が周りを見回し、ちっちゃな鼻をひくひく動かしている。
「きっと、神様のお力なんじゃろうな」
「俺のときにも、そう言ってたけど。そんなに神様なんて、そこらにいるのかな」
おじいさんにとっては、俺も山の神様の子供、って事になってるらしいし。
かそけしの君が一種の神様だとしたら、ある意味ではその通りなのかも知れないけど。
でも、ちょっと山に入ったくらいのところにこんな物があるのは、確かにファンタジックな力が関わっていると考えた方が自然だ。
「神様は、どこにでもおる。山には山の、犬には犬の、スズメにはスズメの神様がおるもんじゃ」
おじいさんは、本気でそう考えているようだ。
確かに、日本にいる「神様」っていうのは、いろんな強い力を持った超常的な存在のことだったらしい。
年をとった動物が変化するようになったり、人を化かしたりするのも同じように、長生きしたものには力が宿るって考え方があったらしい。
ましてや、この「むかし話の世界」なら、そこら中に神様の力が働いていても、確かにおかしくはないのかも。
「気をつけいよ。何かをすれば、どこかで神様が見ておるからの」
「お、おう、そうじゃな……」
なぜかおばあさんが視線を泳がせている。やましいことに心当たっているのだろう。
「わしゃ檎太郎に言ったんじゃ」
「わかっておるわ。人がせっかく同意してやったのに」
またぞろ口げんかが始まりそうなとき、奥からそろりと歩き出してくる人影があった。
「ようこそ、いらっしゃいました」
涼やかな声の女性。年の頃は20過ぎくらいだろうか。茶色っぽい髪をきっちりと髪留めでまとめて、明るい黄色の着物を着ている。俺たちが着ているような安っぽい布ではなく、さらりとした上等な着物である。
「私、この宿の女将でございます。ここはお気づきの通り、スズメの作った宿なんです。だから、スズメのみんながお返しをしたい人を案内するんですけど、スズメと人ではお話が通じませんでしょ? だから私が間に立ってお話させてもらうんです。そんなにねえ、しゃべるのが得意なわけじゃないんですけど、どうしてもって言われたら、仕方ないでしょう?」
一息にまくし立てるみたいに早口で言われると、ちょっぴり反応に困ってしまう。
「う、うん」
頷く俺に、女将のくりっとした、黒目がちな目が向けられる。
「あなた様は檎太郎さんですね?」
「え。し、知ってるの?」
「そりゃあもう! 山の動物たちの間でも、大変なウワサになってますよぉ。私、ウワサが好きってわけじゃないんですけど、暮らしてるとどうしても耳に入ってきてしまって。山の木から生まれて、しかもすぐに大人になるなんて、こりゃもうただ事じゃない! って鳥や獣がみんな話してます。こうやって近くで見ると男前なこと!」
めちゃくちゃウワサが好きそうだ。
「あら、そちらにお嬢さんはふしぎなお人ですね。人なのに、犬みたい」
「半分は人で、半分は犬なんだよ。紅白っていうの」
本人にとっては、得意げに語るべきことらしい。小さな胸をつんと張ってみせる犬耳少女。
「まあまあ! それはそれは。やっぱり、ただ者じゃないお人のところには、ただ者じゃないお仲間が集まるんですねえ」
驚くように言ってから、女将はぽんと手を叩いた。
「あらやだ、私ったら。お客様を立たせたままお話しちゃって。ごめんなさいね。いつもはもうちょっとしっかりしてるんですけど、今日はつい、嬉しくなっちゃって。なんせ滅多にお客様が来ない物ですから」
(お客さんが来てテンション上がっちゃうようじゃ、ダメなんじゃないか?)
心の中ではそう思ったけど、口には出さないようにする。俺って大人。
「おもてなしをさせてもらいます。まずはお部屋へどうぞ」
にっこり微笑む女将。
(もしかしたら、この前みたいに鬼が関わってるんじゃないかと思ったけど……)
今のところ、何か攻撃されたわけでもないし、安全そうだ。
そして何より、面白くなりそうだ。
何せ俺が今暮らしているのは、スマホやテレビはおろか、本も滅多に手に入らない時代なのだ。
毎日毎日、農作業以外にやることがない生活が、こんなに退屈だとは思わなかった。
(たまの刺激くらい、楽しまないとな)
現代っ子の意識が、この時代になれるまで、まだまだ時間がかかりそうな気がする。
と、いうわけで。俺はスズメたちの「おもてなし」を楽しみに、女将に案内されるまま、宿の奥へと向かっていった。
🍎
通された部屋は、広々としていた。おじいさんの小屋よりも、ずっと広い。
広がった枝にたっぷりとついた葉がこすれ合って、耳に心地よい音が部屋の中に響く。そのたび、春の風が頭の上を通り過ぎるのがわかる。
木漏れ日がうっすらと体を温めて、このまま昼寝してしまいそうだ。
神様の賜物というのもわかるような気がする。
「今のうちに、話しておきたいことがあって」
うとうとと心地よく湧き上がってくる眠気をこらえて、俺はみんなの顔を見回す。
「特に、おばあさんにはよく聞いといて欲しいんだ」
「なんじゃ、藪から棒に」
名指しにされて、あまり嬉しそうではない表情だ。まあ、当然である。
「ええと、なんて言うかな」
あんまり、いろんな事をしゃべってしまっても、みんなを不安がらせるだけだ。
「俺、この先に起きることがなんとなくわかるんだ」
「それも神様の力か?」
「まあ、そんなもの……かな」
俺がこの世界の外から来た、っていうのもややこしい。とにかく、重要なところを伝えてしまおう。
「この先、二つのものからどっちかを選んでくれ、って言われるかも知れない」
声を小さくして、みんなに語りかける。
「そしたら、小さい方を選んで欲しいんだ」
できるだけ、変な解釈をされないようにはっきり伝えないと。
……でも、あんまりお話の内容を全部話しても、気味悪がられるかも知れない。おじいさんや紅白はともかく、おばあさんは俺のことをあんまり信用してくれそうにない。
「大は小を兼ねる、というぞ」
「そうだけど、ほら、大型車より軽自動車の方が普段使いには便利だし」
「はあ?」
3人がそろって目を丸くする。そりゃそうだ。こんなたとえが通じるわけがない。我ながら、なんとか伝えたくて必死になりすぎた。
「と、とにかく。身の丈に合ったものを選ぶのがいちばんってこと」
それが、「舌切り雀」のいちばんの教訓だ。
「ふむ……まあ、ええわい。わしも、神の子の言うことにいちいち逆らうつもりはないわ」
意外にも、おばあさんは素直に頷いた。
「そうそう。俺の言うことを信じてくれて、嬉しいよ」
「ワシの子じゃからな。言うことに説得力があるわ」
「な、何も、あんたとは関係ないわい」
呵々と笑うおじいさん。おばあさんはうっすら頬を赤くしている。
……うーん、このふたり、過去に何があったんだろうか。
(そういえば……)
太宰治が書いた短編、「お伽草紙」では、「舌切り雀」のおばあさんが、スズメと仲のいいおじいさんに嫉妬したってお話になってたっけ。
(スズメが若い女、宿が遊女屋のことだった、って解釈をする人もいるらしいけど)
……まあ、単にそういう読み方もできる、ってだけだよな。
「失礼します」
と、話が終わったのに合わせるように、ふすまの向こうから女将の声。
「お夕食の準備ができました」
「夕食って。さっき昼を食べたばかり……」
「いえいえ、もうお時間ですよ」
女将が微笑む。言われて部屋の外を見れば……いつの間にか、空が赤く染まりはじめている。
「……あれ?」
スズメを追いかけている間に、そんなに時間が経ってたんだろうか。「むかし話」ならではの、ふしぎな時間感覚っていうやつか?
「さあさあ、冷めないうちにいらしてください」
そう言って、女将はそっと立ち上がる。
俺たちは顔を見合わせた。みんな、ふしぎそうな表情だ。
「しかし、言われて見れば腹が減ってきた気がするのう」
おじいさんが腹を撫でながら呟いた。
「……確かに」
とたんに、俺も腹が減ってきた気がする。ついさっき、紅白に握り飯をもらったばかりのような気もするし、何時間も前のことだったような気もする。
「くれるというんだから、いただくことにしよう」
空腹に嘘はつけない。俺たちは、また女将の後についていくことにした。
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