スズメのお宿

第13話 スズメ

 むかし、むかし。

 なに、そればっかりじゃないかって? 仕方ないでしょう。「むかし」話というのはそういうものなのです。

 ですが、いいでしょう。それなら、今度はもっと具体的な時間を語りましょう。

 このかそけしの君、5W1Hくらいはわきまえていますからね。


 それは、檎太郎が生まれる一週間ほど前のことです。

 おじいさんは……あなたも知っているあのおじいさんのことです。そのおじいさんは、時々、庭に飛んでくるスズメにエサをあげていました。

 スズメたちは優しいおじいさんにエサをもらうと、チュンチュンと鳴いておじいさんを楽しませました。


 そんなある日のことです。

 おじいさんの隣の家に暮らしているおばあさんが洗濯をしていました。

 昔は、洗濯糊せんたくのりというものを使っていました。この頃は、お米を水にとかしたもので洗濯の仕上げをしていたのです。

 ところが、おばあさんが少し目を離したあいだに、スズメがその洗濯糊をすべてなめてしまったのです。


「このどろぼうすずめ!」

 おばあさんは怒って、スズメの舌をでちょん切ってしまいました。


 さて、枯との戦いから、数日が過ぎました。

 檎太郎はすくすくと育ち、いまではすっかり立派な若者の姿になりました。

 えっ? なんで今スズメの話をしたのか、ですって?

 ふふふ。このお話の続きはすぐにわかりますよ。



   🍎



「せいっ! やあっ!」

 俺は気合いの声を上げ、鍬を地面を振り下ろす。

 しっかりと鍬が地面に付き立ったのを確かめ、持ち上げて土にしっかりと空気を含ませる。

 ひたすら、その繰り返し。

 そう、耕しているのだ。


「檎太郎、ええ筋じゃ」

 おじいさんが座り込んで、にこにこしながら俺を見ている。

「きんちゃーん、がんばれー!」

 その隣には、白い耳をぱたぱた動かしている紅白。

「って、なんで農作業させられてるんですかね!」

 やっておいてなんだけど。


「そりゃ、麦を刈り込んだら次は稲を植える準備をせんとのう」

「じゃなくて、俺は強くなりたいって言ったんだけど」

 枯に襲われてから数日。俺は鬼との戦いに備えて、武家の出身であるおじいさんに弟子入りを志願していた。

 俺の体はもう子供ではない。すっかり大人だ。20歳くらいだろう。体力的な絶頂期ってやつだ。


「技を磨くのは、体を作ってからじゃ。じゃから、こうして体を鍛えるためにな」

 紅白の髪をわしわしと撫でながら、おじいさんが笑う。

「そうだよー、もうすぐお昼だから、がんばってー」

 紅白は小さなお尻についた大きな尻尾をぱたぱた揺らしていた。

「……その格好を見てると、自分が楽したいようにしか見えないんだけど」

 それに、俺の体は何時間も鍬を振り続けているのに、なかなか疲れを感じない。

 かそけしの君の言葉を信じるなら、『英雄』の体というやつか。とにかく、基礎体力は段違いみたいだ。


「わしゃやつとの戦いで老体にむち打ったせいでなかなか疲れが取れなくてのう……」

「あたしもー」

 犬娘は地面におなかをくっつけている。リラックス姿勢だ。

「俺も腹を刺されて死ぬところだったんですけどねー!」

 怒りは畑の土にぶつけるしかない。ざくざくざくざく。俺は腹立ち紛れに鍬を振り下ろす。

 疲れにくいとはいえ、これを何時間も続けるのは、なかなかにきつい。耕運機もない時代に農業をしていた昔の人はえらかったんだな、なんて、つまらない感想を抱いてしまいそうなくらい。


「体幹が崩れてきておるぞ。一振り一振りにきちんと気持ちを込めんとならん」

「うぐっ」

 こうして、手を抜くとすぐに指摘される。おじさんは、案外しっかり俺を見ているようだ。

 もしかしたら、おじいさんの言うとおり、これも戦うための鍛錬に鳴っているのかも知れない。

「『ワックス塗る、ワックス拭く』っていうやつか……」

 俺がひとつ呟いた頃、また新しい声が聞こえてきた。


「なんじゃ、子供にやらせて、自分はサボっとるのか?」

 白い髪に手ぬぐいを巻いたおばあさん。なんだかんだでおじいさんの世話をやいている、隣に住んでいるあの人だ。

「もう子供じゃないわい。見てみい、立派な男じゃ」

 ふたりの会話に耳をそばだてながら、俺はひたすら鍬を振り続ける。ちょっぴり顔がにやけてしまいそうだ。


「ふん。だからといって、働かせすぎて体を壊さんようにせいよ」

 おばあさんが呟く。そうだ、もっと言ってやれ!

「ま、ええわい。握り飯をつくってきてやったから、これでも食って休めばええぞ」

「はい!」

 反射的に返事をしてしまった。体力は申し分ないが、この体はとにかく腹が減る。


「おまえさんは相変わらず元気じゃのう」

 喜ぶ俺の姿が、おばあさんにとってはよほど面白いらしい。

 他人の握ったおにぎりなんて、前の俺なら食べたがらなかったかもしれない。だいいち、母親が握ってくれたのだってずっと子供のときだけだ。でも、今はとにかく白い米が食べられるだけでも嬉しい気分だ。

 この体なら腹も下しにくいだろうし。うんうん、転生するのも悪くない。


「それじゃ、遠慮なくいただきます!」

「きんちゃん、手が汚いよ」

 おばあさんの握り飯をいただこうとしたときに、紅白が俺の腕を指さした。確かに、農作業で土まみれである。

「あー……っと」

 すぐに洗えればいいんだけど、井戸まではちょっと距離がある。


「あたしが食べさせてあげる」

 にっこり笑って、小さな手で丸いおにぎりをとってくれた。

「お、おう……ありがと」

「おねーちゃんだからね」

 ふふん、と笑ってみせる、見た目だけなら俺より10歳くらい若そうな少女。

 なんか倒錯したものを感じないでもないけど、とにかくその手からおにぎりを食べさせてもらった。


「うまい……!」

 働いた後の飯がいちばん美味い。転生して初めて、その言葉を実感した。

 炊飯器で炊いたような仕上がりではないけど、硬い米だって今の俺にとっては何よりのごちそうだ。

 歯ごたえがあるから、何度も噛んで食べさせてもらった。


「あー、あたしの分は?」

 俺があっという間におにぎり一つを食べきってしまったから、紅白は不満げだ。

「ご、ごめん。おいしくて、つい」

「いいもん。のこりは、あたしのね」

 そう言って、指に残ったご飯粒を、はむ、と小さな口でついばむみたいに食べ始める。うーん、思わず和んでしまいそうだ。


「ふたりは仲がいいのう」

「あたしがおねーちゃんだもん」

 自慢するみたいに胸を張る紅白。それから、また一つおにぎりをとってくれた。今度は、ふたりで分けることにする。

「ワシも、食べさせてもらおうかの?」

「あんたの手は汚れとらんじゃろうが」

 じろり、と、おばあさんの冷たい目線がおじいさんを射貫いている。「ちょっとくらいええじゃろうが」とおじいさんは呟いて、握り飯に手を伸ばした。


 そんな風にして、食事をしていたころ……

 チチチッ。チチチチッ。

 畑の近くの林から、鳥のさえずりが聞こえてくる。

「すっかり春じゃのう」

「庭によく来ていた、スズメの鳴き声に似とるわい。最近は、見かけなくなったが……」

 老人が林の方を眺めて、そんな風に話している。これだけ見れば、夫婦って言われてもおかしくない。


 と、そのおじいさんたちの前に、ぱたぱたと一羽のスズメが飛んできた。

「こんにちは。みなさんおそろいで、お元気そうですね」

 甲高い声色で、スズメが頭を下げる。でも、老人たちには言葉が通じていない。きょとんとするだけだ。

「こ、こんにちは」

 恐る恐る、という風に紅白が返事を返した。半分は犬だから、彼女にも動物の言葉がわかるらしい。


「挨拶しておるのか?」

 おじいさんの問いかけに、俺は頷く。

「お元気そうですね、だって」

「あらあ、そうでした。人間には私たちの言葉はわからないんですよね。困っちゃう。あ、でも、そちらの方々はわかるのかな? こんにちは。私たち、おじいさんには大変お世話になりまして。それでよければ、ぜひご恩返しをね、させてもらえないかなーって思っちゃってるんですよ、これまた、はい。差し出がましいんですけどね、私たちも精一杯考えてきましたから」

 チュンチュンと、スズメが早口にまくし立てる。


「ええっと……恩返し、したいって言ってるよ」

「おお、そうか。こういうときは、素直に受けるもんじゃ」

「ちょ、ちょっと待ちんさい」

 腰を上げるおじいさんに、おばあさんが待ったをかける。

「動物から恩返しなんて、そんなことあるもんかね?」

「シロもしてくれたことじゃ。のう?」

「ふふん♪」

 得意げに耳を立てる紅白。


「し、しかしじゃな……」

 おばあさんは、どうも行きたくないらしい。

 ……と、ここでピンときた。

 ちょっぴりいじわるなおばあさんとスズメの恩返し。

「『舌切りすずめ』だ」


 その昔話では、おじいさんが「スズメのお宿」でもてなされたあと、大小ふたつのつづらからどちらかをえらんでお土産にもらうことになる。

 おじいさんが小さいつづらを受け取って帰ると、その中からは金銀財宝が出てくるのだ。

 それを聞いたおばあさんは自分もスズメのお宿へ行ってもてなしを受ける。お土産をえらぶときになると、もっとたくさんのお宝が欲しいと思って、大きいつづらをえらぶのだ。

 しかし、とても重いつづらを持ち帰ることができなくて、帰る途中でつづらを開けてしまうのだ。

 すると、中からはたくさんの恐ろしい化け物が飛び出してきて、おばあさんは腰を抜かしてしまう……と、いうお話である。


「シロのと同じ、お話?」

 俺のつぶやきが聞こえたのだろう。紅白が俺を見上げて聞いてくる。

「うん。でも……今度は、誰も死ぬような話じゃないよ」

 バリエーションによっては、最後におばあさんが恐ろしい化け物に食い殺されてしまう場合もあるのだけど。

 それにしたって、先におばあさんにえらばせてるのだから、こういう罰を与えるお話にしてはずいぶん優しいタイプである。

 そう。要するに、おばあさんに大きい方のつづらを選ばせなければ、恐ろしいことは起こらないんだ。


「せっかくだから、行こうよ。珍しいものが見れるかも」

 スズメの舞い踊りとか。本当にあるなら、見てみたいものだ。

「う、うむ……しかし、のう」

「乗り気にならんなら、ワシらだけで行くぞ」

「はいはーい♪ それなら、こっちらへどうぞー♪」

 小さな体をぴょんぴょん跳ねさせるスズメの後を追いかけて、おじいさんが歩き始める。


「ま、待て、行かんとは行っとらん!」

 その後を、おばあさんが追いかけていく。

「俺たちも行こう」

「うん!」

 こうして、俺たちはおはなしの通り、スズメのお宿への招待を受ける事になったのだった。

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