第16話 スズメの湯

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした!」

 俺が両手をそろえるのに合わせて、紅白も一緒に食事を終える。

「たくさん食べられましたね。片づけるのがタイヘンそう」

 積み上げられた食器を眺めて、宿の女将が黒めがちな目を丸くしている。

 俺と紅白のふたりで、あわせて10人前近くは食べている。俺の体は特別製の英雄体質だし、紅白は半分は女の子だけど半分は大型犬だ。

 その前に、「いくらでもどうぞ」と飯を出したら、尋常ではない量を平らげるのは自然の摂理である。いや俺たちふたりとも自然な存在じゃないような気がするけど。


「あ、もちろん、食べてもらえるのはうれしいことですから、お気になさらないでくださいねえ。檎太郎さんの食べっぷりを見ていたら、私もおなかいっぱいになりそうですよぉ。紅白ちゃんも、小さいのにたくさん食べて。すぐに大きくなっちゃいそうですね」

「もう大人だよ。紅白の方が、きんちゃんよりおねーちゃんだもん」

「まあまあ! それは、すごいですねえ」

 得意げに胸をそらす紅白に、女将がコロコロと笑う。俺と紅白の関係をうまく説明できる気がしないので、黙って聞いておくことにする。


「いや、しかし、大したものじゃ」

 ぱちぱちと手をたたいて、一足先にお茶を啜っていたおじいさんが歓声を上げた。

「こんな見事なものをみれるなんて、長生きはするものじゃのう」

「いいええ。おじいさんにはたいへんよくしてもらいましたから」

 女将はぱたぱたと手を振って、照れたように頬を染めた。

「仲間のみんなも、いつも優しくしてくれたお礼と言ってますから。本当に、おじいさんには感謝しています。みんな、私たちを邪険にしていますから」


 この時代、特に農家にとっては、スズメはかわいい鳥、なんてものではないだろう。何せ、勝手に畑に飛んできて穀物を食べてしまう害鳥だ。

 確かに鳴き声はきれいだけど、都市部ならともかく農村部では嫌われていたには違いない。

 「舌切りすずめ」であんなにかわいいものとして描かれているのは、きっと後年に語り方が変わったからだろう。

 だいいち、おばあさんがスズメの舌を切ったのは、洗濯のりを食べられた、という具体的な被害を受けたからだ。確かにちょっとやり過ぎな気もするけど。


 とにかく、どちらかといえば、そんな時代にスズメをかわいがっていたおじいさんの方が変わりものなのは間違いない。

 おじいさんが格別に歓待を受けているのは、それだけ珍しいことだったからだろう。

(おかげで、俺まで得しちゃったな)

 念願通り、スズメの舞い踊り(というよりも、もはやオペラだった)を見ながらの食事を終えて、俺はおおいに満足していた。


「あら。お話しちゃってたら、すぐ時間が過ぎちゃいますね。そんなにおしゃべりってわけでもないんですけど。それじゃあ、私は次の準備がありますから。みなさんはお部屋にもどっておくつろぎくださいませ」

 相変わらずの早口で、女将がささっと立ちあがる。

「次の準備って?」

 何気なく聞くと、女将はそっと目を細めた。

「お食事が終わったら、決まってますよぅ」


 なぜか声を少し低くして、女はにんまり笑顔を作る。

「お風呂です♪」



   🍎



 もうもうと立ちこめる湯気が視界を覆っている。

 その湯気が向かう先は春の夜空だ。転生前に見ていたのとはまるで違う、澄んだ空気はきらきらと光る星がよくわかる。ついでに、俺も視力がよくなってるし。

 木々の合間、地面を掘って岩と三和土たたきで作られた湯船がなみなみと湯をたたえている。

 どこからか湧き出た湯が、竹で作られた水道管を伝って湯船に流れ込んでいる。その湯音を聞いているだけでも、リラクゼーション効果がありそうだ。

 山の中に立派な温泉なんて、元の世界でもぜいたくだ。ましてや、ほかの宿泊客はいないのだから、俺たちの貸切である。


 ひとつの人影が先に湯船につかっていた。湯気に覆われておぼろげなシルエットがゆっくりと振り返り……

「ああ、ええ湯じゃ。檎太郎、おぬしもはよう入れ」

 年の割に健康的な体つきを湯で洗いながら、おじいさんがわらう。

 うん、わかってた。でも、時代的にもしかしたら混浴かもって思っただけで。

 ……いや、よく考えたら貸切なんだから、あとはおばあさんか紅白しかいない。どちらも、裸が見えてラッキー、なんて対象ではない。


「なんじゃ、急に落ち込んで」

「なんでもない……」

 おじいさんは、俺の期待を知る由もない。

「ま、まあ、とにかく温泉でゆっくり、ってだけでも贅沢だよな」

 自分を励ましながら、まずは湯をすくって体を流す。共用の風呂に入るときは、さきに体を洗おう!


「しかし、立派なもんじゃのう」

 石鹸はないから、ひたすらごしごしと体を磨く俺を眺めて、おじいさんがぽつりと漏らした。

「な、何が?」

 親同然の相手でも、まじまじと裸を見られると少し恥ずかしい。なんとはなしに足をとじてしまう。

「剣士の体じゃ。こないだまで、ほんの赤ん坊だったのにのう」

 「こないだまで子供だったのに」を本当にそのままの意味で聞いたのは初めてだ。


 それはともかく、言われてみて、改めて自分の体を見る。

 引き締まって脂肪が少なく、それでいてきっちり筋肉が全身を覆っている。

 アクション俳優みたいなマッチョさというよりは、格闘家とか、ボクサーのような絞り込まれた体格だ。

「おじいさんの若いころに似てる?」

「いやあ、ワシはもっとよわっちかったわい」

 呵々と笑うおじいさんを眺めながら、自分でも見慣れない自分の体をこする。たくましく、力強い。以前の体とはまるで違っていた。


 と、その時。

「失礼します」

 後ろから、声が聞こえた。

 聞き覚えがある。女の声だ。

 おそるおそる振り返ると……

「お背中、流しに参りました」

 明るい髪をアップにして、白い浴衣に身を包んだ宿の女将が、そっと微笑んでいた。


「い、いや、それは……」

「全身、おきれいになってほしいですから。それに、お客さんがめったに来ない宿ですもの。できるお仕事は、させてほしいですよぉ」

 裸で座っている俺の後ろにつつつと寄ってくる女将。湯気でうっすらと白い浴衣が張り付いて、その向こうの肌色がにじんでいる。……その下には、何も着けていないらしい。


「い、いや、自分で磨けるから」

「いけません、自分では見えないところまで、しっかり垢を落としていただかないと。ほら、こんな風に…」

 女将の細い指が、俺の背中のくぼみを「つうっ」となぞり下ろす。

「ひっぅ!?」

 思わず背すじをそらす俺の背中に、女将がぐるりと腕を回した。


「ほぉら、つかまえました♪」

「う、お、ちょ、ちょっと!?」

 ふにゅり、と、柔らかい感触がふたつ、背中に伝わってくる。薄手の浴衣以外に何も着けていないから、ダイレクトに形がわかってしまいそうだ。

 湯気で漂う水のにおいのなかに、うっすらと別の香りが混じる。女将の茶色がかった髪から、うっすらと女の肌と汗の香り。

 転生前の世界では、他人からは香水やシャンプーのにおいがするのがふつうだったのだけど。いまは、どこか生々しい、生き物の肌が発する香りを感じる。


「体を任せてください、檎太郎さん。優しく、洗って差し上げますから」

 耳元にかかる、女の吐息。温かい湯気のなかでも生ぬるい温度が感じられる。

「ほぉら、こんな風に……」

 女将の指が俺の鎖骨から胸をなぞる。

「たくましいお胸。素敵な殿方のお体です」

「そ、そこは、背中じゃない……」

「細かいことは、いいじゃありませんか♪」


 すぐ後ろに、薄衣一枚の女の体。

 明らかに、体を流すなんてのはいいわけだ。柔らかな感触を俺の背に押し付けて、湿った体温を伝えてきている。

 こんな風に触れられるのは、生まれ変わって初めてだ。この前までの、子供の体じゃない。いまの俺は、立派な大人の体つきである。

「檎太郎さん、もっと楽しいことをしましょう?」

 耳の奥をくすぐるような甘い声音。手は胸から腹に下り、また大腿の筋肉の形を探っている。


 荒くなってくる吐息を押さえた。熱でぼおっとしてくる。

「でも……」

 妙だ。何かがおかしい。

「せっかくなんですから……」

 白く、なめらかな腕が絡みつくように俺の体に回される。いまや、ぴったりと体が密着して、まるで体温が溶けあうかのようだ。

(ふたりきり……?)

 こびりつくような違和感。電光のように俺の頭に衝撃が走った。


(……おじいさんは!?)

 体を這う2本の腕をつかみ、引きはがす。

「きゃっ……」

 しどけない体勢で床に手をつく女将を見おろした。姿かたちは人間だが、どこか雰囲気が違う。

「……お前も、スズメか?」

「人間同士でないといけないなんてこと、ないですよ」

 上目使いに向けられる視線をかわし、ぶるっと大きく頭をふった。ぼうっと湯だったような頭が、急速に冷めていく。


(幻術、ってやつか……?)

 いつの間にか、催眠のようなものがかかっていたようだ。女の体にばかり集中していた感覚がとりもどされていく。

 スズメが人間に化けることもできるのなら、そんな不思議な技を身に着けていてもおかしくはない。

 周囲を見回す。湯船からは、おじいさんの姿が消え去ていた。

「おじいさんをどこへやった?」

「いやですわ、私が来たときには、もうおひとりでしたよ」

 あくまでとぼけるつもりらしい。聞き出そうとしてもムダだろう。


「ちっ……!」

 舌打ちしながら、俺は女将に背を向け、出口へ向かっていく。

「ああん、もうちょっとだけ、一緒にいたかったのに」

 背後からそんな声が聞こえるが、構っている余裕はない。

 おじいさんや、ほかの二人を探さないと。俺は、浴室を飛び出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る