第11話 枯れ木に花が咲くのなら
目の前で、赤い火が燃え盛っている。
ついさっきまで生命力をみなぎらせていたリンゴの木が、俺の目の前で灰へと変わっていく。
「シロ……」
俺は地面に倒れたまま、その光景を見あげていた。熱で涙がにじみ、まともに見られなかった。
「檎太郎を、離せ!」
しわだらけの顔に苦悶の表情を浮かべながらも、おじいさんは気丈に叫んだ。
「ふん、下らん」
踏みつけた足を浮き上がらせ、枯はその足を振り上げ……
ガッ!
横腹に熱いものが突き刺さる感触。直後、俺の体は飛び上がり、土壁に外からたたきつけられていた。
「あっ、う、っぐう……!」
脇腹から、俺の体の中から、どろりと何かがこぼれ落ちるのがわかった。
痛みで身動きもとれない。
(ウソだろ、こんなはず……)
鬼を前にして、特別な力どころか、勇気さえわいてこなかった。俺はただ、燃える炎を身にまとった老爺が、俺に近づいてくるのを見あげていた。
「この小僧を燃やしてやれば、宝のありかをしゃべる気になるか?」
地面に伏したままのおじいさんを見おろす枯。
「やめろ……!」
震える手を必死に伸ばすおじいさん。だが、枯はその腕を踏みつける。「バキッ」と、あまりにあっけない音が響いた。
「ぐ、ぁ、あっ……!」
苦痛の声を聞きながら、枯は俺に向き直った。
「もったいぶるのは好かん。さっさと……」
「ダメッ!」
ぱっと、小さな影が俺の前に飛び出してきた。
「き、きんちゃんは、あたしが守る!」
あかねちゃん。小さな体で、地面を踏みしめ、鬼に対面していた。
炎が作る長い影が、俺を隠そうとして必死に両腕を広げている。
「勇気があるのう」
あかねちゃんの頭をひと飲みにできそうなほど大きな口を開けて、枯は笑った。
「邪魔じゃ」
枯がなにをしたのか、俺には見えなかった。
俺に見えたのは、巨大な炎があかねちゃんの体を覆って、その着物ごと包み込む光景だけだった。
「あああああーーーーーーっ!」
絶叫。少女の悲鳴が村中に響き渡る。
「あかねちゃん……!」
動かないからだを必死に起こす。覆いかぶさってその火を消そうとしたけど、それができたときには、もう着物は燃え尽きてしまうくらい、時間がたっていた。
「あ、あ、あぁ……」
焦げたノドから、か細い声が漏れる。何かが詰まったような、呼吸の音が聞こえた。
「安心せぇ。すぐに同じところに送ってやる」
頭上から、枯の声が聞こえた。
恐怖で声も出なかった。顔をあげることすら、できなかった。
枯が大きく息を吸い込むのがわかった。俺はあかねちゃんに覆いかぶさったまま、頭をかかえて……
「宝なら、家の地下じゃ!」
横から、おじいさんの声が聞こえた。
「もうよい、持って行け。もう……」
伏せたままのおじいさんの顔は見えなかった。でも、きっと、俺と同じ顔をしていたと思う。
恐怖。諦観。
命乞い。
俺の命を守るためには、そうするしかなかったんだ。
「くかかかっ! はじめから素直に言えばよいものを。おぬしらのせいで、幼子がひとり、死んでしもうたわ」
歯をがちがち鳴らし、鬼哄笑とともに、枯が小屋の中に踏み込んでいく。
すぐに、奥から……地下から、「ガリ、ガリ」という異様な音が聞こえてきた。
(小判を食ってる……)
そうとしか考えられない。
不気味な音を聞きながら、俺はあかねちゃんの焼け焦げた体を見る。
「あかねちゃん……」
もはや火は消えて、あかねちゃんの顔さえ見えなかった。
「き、ん、ちゃ……」
呼吸さえままならないようだ。それでも、俺の名前を呼んでいた。
彼女の言った通りになった。こんな小さな子に、俺は守られてしまった。
「体を焼き尽くさぬようにしてやったからな。一晩中苦しむぞ。か、か、かっ!」
腹を倍以上に膨らませた枯が、大きく笑う。
全身を覆う炎を翼のように広げて、世にも恐ろしい姿の鬼が飛び立っていく。
追いかける気力もない。
それどころか、俺はホッとしていた。そのことに、何よりも腹が立った。
「だ、大丈夫……そ、そうだ。俺には知識があるから。やけどには、つめたい水が……」
必死に声を呼びかける。でも、知識があるからこそ、わかっていた。
やけどが体表の20%を超えると、命に関わるほどの重傷だ。着物が燃え尽きるほどの炎に巻かれて、20%で済んでるわけがない。
「あかね!」
声。ふじさんが、驚きに目を見開いて駆け寄ってきた。
「ああ、こんな……」
大粒の涙が、母親の目からあふれ出す。俺は、俺はただ、いっしょになって泣くことしかできなかった。
ふじさんだけじゃない。騒ぎを聞きつけた村人たちが集まってきていた。
満月の下、灰と化した木。俺とおじいさんは血を流して倒れ、あかねちゃんは……くそっ!
誰もが涙を流し、中には手を合わせるものがいた。
(何が「むかし話の主人公」だ!)
怒りと悲しみと後悔がないまぜになって、俺の心の中で波打っていた。小さな体から、こぼれてしまいそうなほどに激しく。
(こんな目にあっても、何の力もわいてこない。くそ、くそっ! むざむざ、こんなことのために転生させたのかよ!)
涙が止まらなかった。あかねちゃんは俺を守るためにこうなったんだ。俺の代わりに。
あかねちゃんの震える体を抱きしめて、俺はただ、彼女の、一呼吸ごとに弱まっていく命を抱いていた……
🍎
こうして、檎太郎と鬼とのはじめての戦いは幕をとじました。
幼い檎太郎は、この日の敗北を胸に、もっと強くなることでしょう。
そしていつか、あの鬼を、枯を倒すことを誓い……
「まだ、終わりじゃない」
鬼を倒すことを誓って、鍛錬の日々が……
「終わりじゃない! こんな第一章で終わらせやしない!」
おやめなさい、檎太郎。
英雄に挫折はつきもの。物語には決まりがあります。
あなたは今日の出来事を糧にして、もっと強くなるでしょう。そのときは、きっと……
「語り部がなんと言おうと、終わらせやしない! かそけし、俺に語らせろ!」
🍎
そうだ、終わりじゃない。
シロがそう言ったんだ。
意地悪なおじいさんに命を奪われたって。
杵と臼が燃やされたって。
まだ、終わりじゃない。それが、俺が学んだ教訓だ。
だったら、こんなところで諦めたくない。
あかねちゃんの命は、まだ失われていないんだ。
俺は立ちあがった。腹が痛い。いままで感じたことがないくらい。
でも、歯を食いしばって、満月の光を頼りに、1歩、歩いた。ひざに力が入らなくて、体が崩れる。
俺は、熱に満ちた灰の中に突っ伏した。まるで
「檎太郎ちゃん……?」
ふじさんが、不思議そうに俺を見つめていた。
「離れてて、ふじさん」
俺は手をついて、ぎゅっとその灰を握りしめる。乾ききらない涙が、その拳に落ちるのを感じた。
膝に力を込めて、立ちあがる。がくりと体が揺れて正面に倒れ、鼻を打った。
「もう一度……」
膝に手をつく。熱と痛みで今にも倒れそうだ。鼻血で呼吸もままならない。
それでも、立った。
そうだ、まだ終わりじゃない。
「枯れ木に、花が咲くのなら!」
両手を振り上げる。
シロが最後に残した灰を、俺の、小さなおねえちゃんの体にふりかけた……。
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