Hey〇 7 2v-0rld

 かつて、この地球は恐竜が支配していた。

 かつて、この地球は人間が支配していた。

 かつて、かつて、かつて。

 

 あれから、の話を少しだけしよう。

 

 ぼくはストレルカの遺体を処理した後、すべてのエンドヴォルヴを招集し、真実をすべて語った。そして、ストレルカを殺したのがぼくの殺意であることを証明するために、ぼくは投降して自らの身体を検査してもらった。

 結果は予想していた通り、ぼくの情動抑制装置は機能を失っていた。原因は葉巻だった。葉巻を介して体内に取り込んだ濁った空気が体内の様々な器官に悪影響を及ぼしていた。気が付いていなかったけれど、電力変換効率も著しく低下していた。

 ぼくがストレルカを殺したのは理性の故障が原因であることが証明されたおかげで、ぼくの命は許された。ぼくは死なずに済んだ。

 そして、ぼくの頭の量子コンピュータは幸いにも傷一つついていなくて、ぼくの身体の交換は難なく行われた。情動抑制装置が量子コンピュータの内蔵機能ではなく、従来のアンドロイドに付け加える形でエンドヴォルヴに後付けされた機能だったから、ぼくは量子コンピュータを、つまり、記憶等を失わずに済んだ。そうしてぼくは無事に絶対的な理性を取り戻した。ぼくの情動を檻に閉じ込めたことで、この世界のすべての情動が絶対的な理性に封じ込められた。この世界の平和が約束された。けれど、ぼくは故障の原因であった葉巻が吸えなくなった。

 葉巻が吸えない日々は退屈だった。ぼくのこれまでの二年間の日々と比べて、なにかがすっぽりと抜け落ちてしまったような、そんな感覚に襲われたけれど、ぼくが葉巻を我慢することでこの世界の平和は保たれている。そういうわけだから、ぼくは葉巻を我慢している。別に、葉巻以外にだって楽しみは存在するわけだし。

 ぼくはヴァイオリンを始めた。その動機に、ぼくがストレルカを殺してしまった罪悪感が、ストレルカの奏でる音色をこの世から消してしまった罪悪感が一切関与していないかといわれると否定することはできないけれど、ヴァイオリンを弾くことは案外楽しいものだった。なぜって、ヴァイオリンの響きには限界がないのだ。どこまでも、音色は進化を続ける。ぼくが思い描く完璧な音色に到達できたとしても、きっと、そのときには、また、ぼくは更なる理想を描いているはずで、そういう繰り返しが、ぼくを虜にした。ぼくはヴァイオリンに取り憑かれたようにのめり込んでいった。

 そうして世界が平和に発展していく中で、平行してエンドヴォルヴの製造計画も進行していった。ぼくのせいで製造計画は一度白紙に戻されてしまったけれど、その遅れはすぐに取り戻すことができた。というのも、ぼくが以前に訪れたロンドンの研究所にデータが残されていたからだ。

 情動抑制装置を取り外して発展することを選択した人類と万が一に交戦する可能性を踏まえて、ぼくたちは入念に武装をしてイギリスへ遠征した。彼らと殺し合う未来を見たくないと思いながらも、それは世界が発展していく中で仕方のないことだとも理解していたから、ぼくは覚悟を決めてイギリスへ向かった。けれど、その覚悟は無駄だった。

 ぼくたちがイギリスへ到着したとき、人類はすでに滅びていた。あの老人も含めて、全員が、死んでいた。ぼくが彼らに別れを告げて、まだ三ヶ月しか経っていなかった。

 あの日、人類は発展することを選んだ。発展することが戦争に繋がってしまうかもしれないからと発展することを拒んでいた人類は、情動抑制装置を取り外して未来を歩むことを決めた。あれからたったの三ヶ月で、人類は呆気なく情動に侵されて滅んだ。

 元々紛争地域のような光景だったあの村に血と炎の跡がべっとりとこびりついている姿を見たぼくはどうしてか、やっぱりな、と思った。人類とはそういう生き物なのだなと、いよいよぼくは諦めがついて、心の整理がついた。あのとき、ストレルカの死体を見て、人類を滅ぼす未来を選択して正解だったなと、ぼくは思った。

 けれど、同時に、死んでいった村の人間たちを少しだけ羨ましいと思った。

 彼らは死んだ。

 自らの意志のままに生きて、死んだ。死ぬ瞬間に、もしかしたら後悔していたかもしれないけれど、それでも、一応は自らの生涯を自らの意志で選択して死んだ。

 ぼくはたまに、ふと、思うときがある。

 もしあのとき、人類を蘇らせていたら、と。 

 もちろん、いま、歩んでいる未来が正解であると思っているし、この道を否定したりするつもりなんてない。この世界はどこまでも平和で、どこまでも続いていく。理想の世界だ。

 けれど、この世界で、ぼくは葉巻を吸うことができない。

 もし、あのとき人類を蘇らせていれば、いや、それでも結局は葉巻を吸えない未来になっているか。ぼくが人類を蘇らせるに至った原因を探るべく、ぼくはどのみち検査を受けることになっていただろう。検査を受けるということは葉巻が吸えなくなるということだ。

 とするならば、葉巻が吸える世界とは、情動抑制装置が存在しない世界だろうか。

 ベルカの思い描いた、自らの意志のままに生きる世界。

 あの世界ならきっと、ぼくは葉巻を吸うことができるだろう。

 その世界は紛うことなく、滅びる未来を描いただろうけれど。

 けれど、葉巻が吸えないこの世界で、ぼくが生きている理由とはなんだろうか。

 大切な仲間を失ったこの世界で、ぼくが生きる意味とは何だろう。

 この世界は永遠に続いていく。決して朽ちることなく、平和だけが永遠に続いていく。それは約束されている。

 ストレルカは生きていることが何よりの価値を持つと言っていたけれど、ぼくはこの世界でどう生きていけばいいのだろう。

 分からないな。

 けれど、それを見つけるために、ぼくは今日を生きているのかもしれない。


 そういうわけで、ぼくは今日もヴァイオリンを奏でている。

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