Endv0lve ①

 目の前に、死体が転がっている。

 下半身がなくなって、お腹から赤と青の導線がべろりと姿を現していた。脚はすぐ近くに転がっていて、何度も噛まれて皮膚が剥がれて銀色が鈍く光っている。

 それはリチシカの死体。

 獣に襲われて無惨に殺されたリチシカの死体。

 ぼくが見捨てて、死なせたリチシカの死体。

「おまえが殺したんだ。おまえがリチシカを殺した。リチシカは助かる命だった」

 ぼくの背後から、刃物を突き刺すような声が聞こえる。ゆっくりと、何度も何度も深くまで刃を刺し込むような声。その声に、いつものような明るさはない。

「なあ、ベルカ。リチシカを殺したのは、ぼくじゃない。エンドヴォルヴの理性だ。ぼくだって、本当はリチシカを助けたかった」

「じゃあ助けに行けば良かったんだよ」

 それはできなかっただろう……。

 そもそも、それじゃひとりで助けに行けば良かったじゃないか……とはさすがに言えなかった。

「そうだな。だから、いま、人類を助けようとしている。それが秩序に反することだったとしても、人類を守ることをぼくは選んだ」

 それがリチシカへの弔いとなるはずだから。

「おまえが人類を救いたいだなんて言わなければ、おれは死ぬことにはならなかったけどな」

 身体を勢い良く貫くような、電気が走ったような、鋭い痛みをぼくは錯覚して、思わず振り返る。

 たくさんの金属と合成樹脂の人工筋肉によって構築された肉体の左側の胸部に住み着いた大きな虚空が、ぼくを見つめている。

 左の胸部。心臓がある方の胸部。

 ぼくの目の前に、ベルカは立っている。

「それじゃ、ぼくはどうすれば良かったんだ……」

 ぼくは嘆くけれど、ベルカは答えない。電気をすべて消耗仕切って、ただの金属の屍となってしまっている。もう二度と、ベルカが答えることはない。

「人類淘汰を受け入れれば良かったんだよ。そうすることが、なによりのぼくらの幸福な未来に繋がるのだから」

 また背後から、声が聞こえる。振り返ると、銃口をぼくへ向けたストレルカが立っている。

「そんなこと、していいわけがないだろう」

「ライカ。きみはいったい、何者だ。きみは本当にエンドヴォルヴなのか。どうして情けで語る……どうして人間などのように語る……」

 ぼくは、だれだ。ストレルカは、問うた。

 ぼくは、いったい何者なのだろうか。

 この行動が秩序に反していることは、情動によって突き動かされていることは、自覚していた。

 自覚している……けれど、

 そう、けれど。

 ぼくの答えは、だとしても、なのだ。

「だとしても……人類の命を犠牲にした平和なんて、間違っている……」

「そうか。なら、友の命を犠牲にして人類を救おうと言うきみだって、同じだ。愚かだよ。きみは実に愚かだ。それほどまでして人類を救いたいか。その未来にそれほどの価値があるのだと、きみは言えるのか」

 ぼくは友を殺した。

 それは紛うことなく、ぼくによるものだ。この意志が、この感情が、この魂が、ぼくを突き動かす情動という存在がベルカを殺した。

 けれど、だからといって、人類を殺してよかったのだろうか。その先に広がる未来は、幸福だと言えただろうか。

 だって、人類を殺すことは、これまでの過去を否定するということ。

 それは、人類の希望を踏みにじるということ。

 それは、切り捨ててきた仲間の命に対する後悔をなかったことにするということ。

「人類を切り捨てた先の未来に幸福なんてありえない。そんなことが、あってはならない」

 ストレルカは呆れたように掠れた笑いを零した。

「そんなのだから、永遠に幸福に辿り着けないのだよ」

 どんっ、という音。

 音に反射するように、ぼくの身体は後ろに倒れていく。視界はゆっくりとストレルカから空へと変わっていく。

 痛み。

 ぼくの胸部が、痛みを感じている。撃たれたようで、虚空を生み出している。驚いたことに、赤い血が、どくっ、どくっ、と噴き出すように虚空から零れている。ぼくから溢れ出た赤い血はダリアの花となり、倒れたぼくの一辺を赤いダリアの花畑を形成していく。

 どくっ、どくっ、とぼくの身体からひとつずつ零れていく感覚。

 ぼく、が零れていく。奪われていく。


 どうして、ぼくのからだからあかいちがでているのだろう。


 寒い、と感じ始めて、やがて意識が遠のいていく。

 どうして意識は失われていくのだろう。このまま、ぼくはぼくの身体からすり抜けてしまうのだろうか。


 ぼくはだれだ。


 ぼくはなにものだ。

 

 どくっ、どくっ、

 そして、消滅する。

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