Re:v0lut10n ③
地獄と呼べる光景が世界中に広がっている。
あの日、世界に永遠の冬が訪れた。
あくる日もあくる日も雪の日。毎日が雪。子供は毎日雪だるまを作ったり雪玉を投げ合ったりして大はしゃぎしている。大人だって、雪のせいで仕事がなくなって毎日が休日仕様。自分の生きる時間の全てを愛する人に捧げることができる。
一見、地獄とは到底思えないような光景だけれど、この光景はちゃんと地獄だ。なぜって、この雪にはたっぷりの放射能が含まれているから、遊んだ子供たちはみんな癌になって死ぬ未来を約束されるし、大人だって社会が崩壊しているから自由なだけ。第一次産業が雪のせいで壊滅して、そのまま連鎖的に第二次産業、第三次産業と崩れていった。永遠の冬はこの世界の空と海と大地だけで飽き足らず、未来をも覆い隠した。
そんな真っ白な暗闇に覆い包まれた世界の中で人類はたった一つ、希望を見出すことができた。
それが冷凍睡眠。そして、その希望の鍵を握ったのが、エンドヴォルヴだ。百年後、冬が過ぎ去った地球に人類を蘇らせる。そういう使命を戦争兵器だったエンドヴォルヴは背負うこととなった。
そういうわけで、人類の命運を左右する任務を確実に遂行するためにエンドヴォルヴが追加で製造されたわけだけれど、それはどういうわけか、イギリスでしか行われなかった。それがイギリスの百年後の地位や名誉を優位にするための驕りなのか、それともなんらかの事情によって仕方のなかった結果なのかは知らないけれど、とにかく、イギリスでしか行われなかった。
そういうわけで、プラハの施設内にエンドヴォルヴに関する資料が存在していなかった。だから、ぼくたちはプラハを奪還してもなお、生き残った数十ばかりのエンドヴォルヴだけで生きている。エンドヴォルヴを製造して、未来の安全を確保できないでいる。
けれど、その状況はもうすぐ終わりを迎える。研究班がエンドヴォルヴを製造する技術を確立する寸前の段階まで来ているから、未来は安泰。エンドヴォルヴの製造が可能になればエンドヴォルヴが絶滅する危険性もなくなり、エンドヴォルヴの保持する絶対的な理性の恩恵もあって永遠の平和が約束される。この世界から脅威が消滅する。
そして同時に、人類の存在意義も消滅する。
永遠の平和が約束された世界。そこに人類は存在しない。より正確に言うなら、人類が抱える情動という不安定な危険因子は存在しない。けれど、人類からそれを取り払ったり、人類の情動を抑え込んだりすることは到底不可能なこと。そういうわけで、エンドヴォルヴは平和な未来を築くために人類を淘汰しようとしている。
そして、ぼくとベルカが研究班の施設へやって来たのは、人類の存在意義を作るためだ。
「それで、この施設にあるデータを全て消去してエンドヴォルヴの製造計画を白紙に戻せば人類は助かるの……」
音声入力やフリック入力が主流となって百五十年前にはすっかり姿を消したキーボードでテキストを入力するタイプのコンピュータを、かたかたっ、と叩いているベルカにぼくは訊く。ベルカはこのキーボードが好きらしい。ぼくはすっかり、ベルカはキーボードは手間がかかって面倒だ、とか言うと思っていたけれど、煙草の中でも葉巻を愛するようなヤツだし、そう思えば、なんだかベルカらしいように思えた。
「いや、それは多分無理だ。根本的な解決にはなってない。結局、人間に平和を維持する力がないんだから、データを消したところで滅ぶ未来は変わらねえよ」
「じゃあ、そんなことをしても意味なんてないんじゃないのか」
残り少ない寿命の中で、ベルカは一体どうしてそんなことをしているというのだろうか。
「ああ、そうだな。これはただの時間稼ぎだ」
「何の」
「人類が淘汰されるまでの。エンドヴォルヴが造れないうちは人類が滅びることはない。人類を滅ぼしてしまった後で人類なしではエンドヴォルヴを製造することができないと確定してしまったらおしまいだからな。だから、エンドヴォルヴの製造が完成するその瞬間を少しでも遅らせるためにデータを消す」
なるほど、とぼくは頷いたけれど、ぼくはすぐに違和感を感じた。
「ベルカ、それはおかしくないか。それなら、というか、そもそも人類を目覚めさせて尋問でも拷問でもして人型自律戦闘機の製造方法は判明しているんじゃないか。どうして人類は目覚めていない……」
人類がエンドヴォルヴの製造方法を知っているのだから、そもそも最初から、エンドヴォルヴが研究して製造方法を確立する必要がないではないか。
「それは残念なことにと言うべきか、有り難いことにと言うべきか、とっくにもうやっているんだよ。製造に関わっていたであろう人間を目覚めさせて脅迫して訊き出すことはな。けれど、どういうわけか、誰の一人もそれを知らねえんだわ。というか、絶対に情報を持ってそうなイギリスの上層部の人間は軒並み地下シェルターで眠っていないんだよ」
エンドヴォルヴのその残虐性には、もう驚くことはなかった。
「残っていなかったって、どうして……」
いったいどうして、一番真っ先に眠りつきそうな人たちが地下シェルターに眠っていないのだろう。
「それに関してはさっぱりだ。誰も分からん。それこそ、そいつらしか知らないだろう」
エンドヴォルヴの資料といい、イギリスには何か秘密にされていることがある、ような気がする。
それはそうとして、
「それで、時間稼ぎをして根本的に解決する何か手があるの……」
「ない」
ベルカは即答した。
「じゃあどうして」
「それなんだが……ライカ、おまえにはイギリスに行ってもらう」
「イギリス……いったいどうして」
「現状、もうエンドヴォルヴを滅ぼすでもしないかぎり人類が蘇ることはできないだろう。エンドヴォルヴにとって人類はもはや獣と同じく殺戮対象だ。エンドヴォルヴが人類を殺すことは、それこそ人類が家に侵入してきた虫を殺すことくらい自然な行いと言える。だから、人類に希望はない。けれど、この状況でエンドヴォルヴを滅ぼすなんてできないだろう。おれもこんな身体なわけだし。そこで、ライカにはイギリスに行ってもらう。さっきも言ったけど、イギリスには不明瞭な点が数多く存在する。だから、もしかしたらなにかこの状況を解決してくれる方法が見つかるかもしれない。もちろん、なにもないかもしれない。むしろ、その可能性の方が高いと思う。そのときはそのときだ。人類を諦めてイギリスでひっそりと暮らしてくれ。この世界、生きてることがなによりだ。まあ、とにかく、ここに居ても仕方ないし、命もない。そういうわけで、イギリスに行ってこい」
キーボードを叩きながらそう言うベルカの表情は見えない。けれど、その声色はいつもと何も変わらない、明るい声。
もうじき死ぬという身分で、いったいどうしてベルカはこんなにも献身的なのだろう。
ベルカはもうすぐ、死ぬ。
電力変換器官を損傷させたことで電力供給が不可能になり、蓄積されている電気を使い切ったとき、死ぬ。
ぼくのせいで、死ぬ。
だというのに、どうしてこの男はこんなにも平気な様子で、いつもの様子で、死という絶望に突き落としたぼくに希望を与えてくれるのだろう。
そんなベルカに、ぼくが言える言葉は、これしか見つからなかった。
「ありがとう」
「礼はいいから、さっさと準備してくれ。時間もないしな」
ぼくはベルカの電子銃を携えて、各種の手榴弾、それとナイフをスーツにしまう。自分の部屋に戻る余裕は当然ないから、服装は諦めた。
「これもやるよ」
そう言って、ベルカはぼくに葉巻を差し出した。
「これだけじゃきっと足りないよ」
「そうならないような未来にすればいいんだよ」
「それはそうだな」
ぼくは葉巻を胸のポケット、心の臓に一番近いポケットに仕舞った。
「それじゃ、お別れだな」
「ああ、行ってくる」
ぼくは施設を出て、表にあるジェット戦闘機に乗り込む。つい最近完成したばかりのジェット戦闘機。ベルカたち研究班が造り出したジェット戦闘機。
システムを起動させると、エンジンが静かに唸り始める。じりじり、と機体が震え始めるけれど、同じくらい、ぼくも緊張していた。
ぼくはまた一人、仲間を殺した。
今度はエンドヴォルヴの理性じゃない、
ぼくの感情が、殺した。
ぼくの意志が、殺した。
ぼくの情動が、殺した。
紛うことなく、ぼくが、殺した。
だから、ぼくは必ず、人類を救出しなければならない。
それはエンドヴォルヴの生まれ背負った使命で、そして、ぼくの贖罪。
轟音を放って、祈りと期待だけを積み込んだジェット戦闘機は空へ発つ。
さよなら、ベルカ。
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