裁生v@l 0分 座 f1t試験 ②

 百年前の地球に、緑はなかった。


 そこにはあるのは白。


 白色だけが、地球を彩ることを許されていた。


 今から百三十年くらい前、西暦で言うと二千九十年くらい、東アジアで大きな戦争が起きた。朝鮮半島の内戦がきっかけだった。それが隣国である中国や日本にも飛び火して、東アジア全体での戦争になっていった。日本という国は武力攻撃することを禁じていた国だったから、この戦争も日本はアメリカの武力を盾にして国を防衛した。そういう事情で、アメリカは大儲けした。大儲けしたといっても、日本からしてみれば自国を信念を折らずに守ることに成功したし、それは意義のある支出だった。

 けれどそれは「日本としては」という話で、世界的には大問題だった。

 大儲けしたアメリカは世界のどの国にも大きな差を付ける大国となった。世界経済はアメリカが舵を取っていると言っても過言ではなかったし、アメリカなしでは世界経済は回らないほどになっていた。

 そんなころ、二十二世紀に突入して間もないころ、恐ろしい事件が起きた。というのも、肥大化して裕福になったアメリカを嫌ったテロ組織がアメリカの所有する核兵器を盗むことに成功したのだ。

 核兵器。

 それは世界の平和を守っていた、持っているだけで戦争を防ぐことができる魔法の手。世界中のほとんどの国が核兵器を持っていて、そしてそれをみんなで「使わない」と約束することで、この世界に平和は築かれる。さっき言った朝鮮半島の内戦は、これを勝手に使おうとする一派が原因だったりする。これを使おうとするだけで戦争が起きてしまうのは、この魔法の手は、ぽんっ、と落とすだけで世界を転覆させることだってできてしまう悪魔の手でもあったからだ。

 核の抑止力。

 もし、あなたが核兵器を使おうものなら、周りのみんなはあなたに向かって核兵器を使う。だから核兵器は使わないで。戦争をするなんて言わないで。

 そういう約束をすることでこの世界は平和を築いていた。それがこの世界を滅ぼしてしまう悪魔の手が魔法の手でもある理由。全ての国が、平和を壊すことのデメリットを抱えていたから、この世界の平和は守られていた。そんな平和を維持する危険な鍵が、テロ組織に盗まれた。

 ぽんっ、という瞬間はすぐに訪れた。盗まれた核兵器はアメリカの各地で起爆して、アメリカは火の海に、いや、もはや地獄と形容すべき姿に姿を変えた。

 地獄、そこはあらゆる生き物の生存を許さない死者の国。だから、誰もが死んだ。みんな死んだ。全てが滅びた。熱風で焼かれたり、じわじわと炎に調理されたり、瓦礫の山に埋もれたり、ガスで窒息したり、その死に方は様々だったけれど、とにかく、全ての生き物が死滅した。文字通りの意味で、ネズミ一匹さえ、生存することは許されなかった。

 この事件が本当に恐ろしかったことは、アメリカという世界一の大国を滅ぼしたことよりも、その後の二次被害のほうが遥かに深刻な被害を出したことだ。この悲劇は世界に地獄を一つ作って終わりじゃなかった。

 というのも、アメリカが壊滅したことでこの世界は破滅への道を歩み出したのだ。さっきも言ったけれど、アメリカという大国は世界経済の中心だった。だから、アメリカという国が消えた後、簡単に市場は崩壊した。

 第二次世界大戦が終結してから、世界は段々とグローバル化という方針を採ったいた。その計画は着々と世界に染み込んでいって、世界ではすっかりグローバル化という方針が当たり前になっていた。

 グローバル化。

 様々な分野において、経済の基本単位を国から地球へと置き換えようという考え方。国じゃなくて地球という一つの大きな集団として経済を調整していこう、支え合っていこうという考え方。各国でそれぞれ自給自足することを基本にして、それから足りないものを貿易で補っていこうという従来の考え方は終焉を迎え、地球全体で振り分けて一つの大きな市場を形成するようになっていった。

 この世界にはたくさんの国があるけれど、その全ての国において人口量、土地の環境、風習、宗教などがそれぞれ違う。決して一つも条件が同じ国なんて存在しない。だから、それぞれの国が自給自足することを土台とした場合、そこに格差が生まれるのは当然だった。グローバル社会はその問題を解決した。自らの国の環境に適したそれぞれの分野においてのみ、力を注いで、それ以外は他の国に賄ってもらうという手法を取ることができたからだ。そうすることで技術の進歩は加速し、更なる世界の発展も期待された。事実、グローバル化が進んでいってこの世界は以前よりも速度を増して文明を発達していった。それぞれの国が自国の長所を伸ばすことに力を注げることはこの世界に多くの恩恵をもたらせていた。

 けれど、グローバル化の動きは同時に国という単位においては脆さを尖らせていた。だって、他国に自国の欠点を補ってもらうということは、それはただ、自国の弱点に蓋をしているだけなのである。それどころか、以前にも増してその弱点はより深刻なものにしていた。グローバル化とは、言い換えれば地球規模の業務委託だった。それぞれの国の資産の差について、根本的な解決に繋がる方法ではなかった。

 そういう事情のなかで、アメリカは壊滅した。アメリカという世界経済の中心を担っていた大国は死んだ。そうした先に待っていた光景は、誰もが最初から想定できたものだった。

 まず、アメリカから入ってきていたものとアメリカから出ていっていたものが消えた。アメリカという恵まれた広大な土地で生産されていたたくさんの食料品はすっぽりこの世界から消え去って、多くの国で飢餓が発生した。そして同時に、アメリカという大きな受け皿が消え去ったことで、たくさんの輸出品が良き場を失くして、その国の収入源を絶たせた。

 それだけで十分に世界は発狂して、世界中で恐慌と飢饉が発生したのだけれど、問題はそれだけでは当然済まなかった。

 滑稽なほどに、ドミノのように崩れていく世界から、貿易という言葉がなくなった。どの国も、自分の国を守るために貿易することを止めた。けれど、当たり前だけれど、これまで散々他国にほとんどのことを業務委託してきた国々が自国だけで賄えるはずがなかった。

 そうした状況で、それが発生するのは自然なことだった。

 戦争。

 簡単な話だ。業務委託する国がないなら作ればいい。世界の国々は植民地を作るために戦争をした。世界の平和を司る国際連合は、このとき既にあってないようなものだった。なぜって、国際連合の人間もどこかの国の一人なわけで、だから、その人だって自国の問題を放っておくわけにはいかなかった。さらに、目の前でグローバル化という世界中が協力して世界経済を形成する方法の欠点を見せつけられたばかりだったから、とても世界中で協力しようなんて言えるはずがなかった。そういうわけで、この世界は戦争に満ち溢れていった。

 そうしてこの戦争――後に第三次世界大戦と呼ばれるようになる戦争――は始まった。最初に大きな戦果を挙げたのはイギリスだった。イギリスは周辺国を圧倒する軍事力でヨーロッパ一帯を颯爽と掌握した。どうしてイギリスがそれほど強かったのかというと、それはイギリスが密かに研究していた独自技術が見事に成果を出したからだ。

 イギリスが完成させた独自技術。

 それは人型自律戦闘機。

 つまり、ぼくたち。

 たくさんの金属で組み立てられた骨

 合成樹脂で形成された人工筋肉

 身体中に張り巡らされた血管のような導線

 頭には量子コンピュータ

 そういう人間と違わぬ性能を獲得したアンドロイドが戦場で活躍した。アンドロイドという人間と違わぬ性能を持つ機械が戦場に投入されたのはこれが世界で初めてだった。ぼくたち人型自律戦闘機に「戦闘機」という言葉が含まれているのは、これが理由。ぼくたちは元々は戦争兵器だった。人を殺すことが、街を壊すことがぼくたちの本来の役目だった。そんなぼくたちが現在は人類の救世主なんて使命を背負っているわけだけれど、当時戦場で活躍していたエンドヴォルヴはそれを知ったらどう思うだろうか。ぼくはこのとき、まだ製造されていなかったから、想像も付かないけれど。

 エンドヴォルヴだけで編成された特殊部隊はそれはもう驚くほどに強くて、イギリスの勝利に大きく貢献した。さらに言うと、その特殊部隊を構成するエンドヴォルヴはたったの三十人ほどしかいなかったというのが驚きだ。たったの三十人ほどの部隊が、イギリスをヨーロッパの覇者に仕立て上げた。

 そんな多大なる戦果を挙げたエンドヴォルヴが一体どれほど凄かったのかというと、まず、その身体機能の高さだ。エンドヴォルヴは機械だから、人間と違って疲労しない。蓄積している電力を消費して活動しているから、それが底を尽きると活動することはできなくなるし、そういう意味では疲労すると言えるのだけれど、そういう意味じゃなくて、常に最大限の活動効率を維持できるという意味。集中力を切らすことがないと説明した方が伝わりやすいかもしれない。次に、痛みを感じない。正確に言うと、痛みを認識することはできるけれど、痛みを伴うことはない。何が違うかっていうと、痛みは感じないけれど、自分のどこかが負傷した際にそれに気付くことができるというわけだ。麻酔した人間の手足を吹き飛ばしたとき、人間はそれに気付くことができない。けれど、エンドヴォルヴは認識することができる。そういうこと。あと、これは特筆する必要はないかもしれないけれど、肉体を構成する物質が違うから、人間よりよっぽど怪力だし丈夫だ。炎に包まれても簡単には壊れない。もちろん、頭の量子コンピュータが熱で壊されてはどうしようもないから、それは控えるべきなのだけれど。

 そして、エンドヴォルヴが人類と比べて肉体的観点よりも遥かに優れていたのが、知能の高さだ。エンドヴォルヴは賢かった。優秀な頭脳による演算の速さと正確さが人類と比べて秀でていたのはもちろんなのだけれど、そうじゃなくて、その頭脳によって生まれた危機回避能力の高さが何よりの人間との違いだった。

 それにはエンドヴォルヴの持つ情動抑制装置が密接に関係している。というのも、情動抑制装置は秩序に従い続ける能力だ。如何なる状況においても生存を最優先する秩序に基づいて行動するエンドヴォルヴは、それはそれはしぶとくて、幾多の危機を戦力を失わずに乗り越えることができた。戦力を維持するという地道な成果の積み重ねが、最終的には大きな戦力の差に繋がっていった。そういうわけで、エンドヴォルヴの持つ絶対的な理性は、生きるための正解を選択し続ける能力は、エンドヴォルヴの何よりのアイデンティティであり、長所だった。

 エンドヴォルヴの投入によってイギリスはあっという間にヨーロッパを掌握していったのだけれど、ヨーロッパの外はどうだったのかというと、そこはただの地獄だった。

 最初に約束を破ったのはロシアだった。

 約束。

 核兵器を「使わない」という約束。

 核兵器は、平和を創る魔法の手。けれど同時に、地獄を創る悪魔の手でもあった。

 世界中が恐慌と飢饉に襲われていた。どの国も、植民地を欲していた。植民地を作って自国の経済を安定させたかった。

 ぴかっ、と光って、どんっ、と鳴る。

 たったそれだけで、植民地を手に入れることができた。

 核兵器は、とっても分かりやすい力だった。

 ロシアは核兵器を投下した。

 そしてそのとき、人類は思い出した。

 核兵器は「使える」ということを。

 それからは一瞬だった。世界中でぽんっぽんっと核爆弾は投下されていって、この世界は地獄に姿を変えた。自国を守るための植民地を手に入れるために始まった戦争は、いつしか自国を守るために他国を滅ぼす戦争へとすり替わっていた。もう、誰もこの悲しみの連鎖を止めることなんてできなかった。ヨーロッパを掌握したイギリスも核兵器を使った。なぜって、どれだけエンドヴォルヴが強くても、その力じゃ核兵器には敵わないからだ。そうして、世界にある一つの国の例外もなく、全世界強制参加で打ち上げ核兵器大会が開催された。

 けれど、その大会は数ヶ月後、唐突に、終わりを迎えた。二千百十九年の冬のことだった。

 その年の冬はやけに世界中で吹雪いていた。ここで指す世界中というのは本来雪なんて降らないはずの熱帯地域も含めての世界中という意味でだ。そういうわけで、世界中で、地球全体で吹雪いていた。

 そうして、人類はようやく気付いた。

 地球が「白」で覆われていることに。

 空のどこを指差しても、そこは雲で覆われていて、青空が見えることはない。

 大地のどこに目を向けても、そこは雪で覆われていて、土が見えることはない。

 地球は白銀の世界になっていた。

 永遠の冬が訪れた。

 そのことに気付いた人類は戦争を止めた。昨日までのことが嘘であったかのように、ぴたっ、と銃声も爆撃音も止まった。そして、戦争なんてしている場合ではないと誰もが言い始めた。何を思い出したのか、国際連合は再集結され、国際連合が指揮を執って世界を運営し始めた。世界は手を取り合って一つに纏まっていった。

 かくして、第三次世界大戦は終結した。 

 この世界から戦争は消えた。

 残ったのは、地獄のような焦土と白銀の世界、そして数億の人間。

 原因は、核兵器だった。核爆発が発生させたキノコ雲が大気中に停滞し続けて太陽光を遮断した。太陽光が遮られて、地球の気温はどんどん低下していって、やがて、雪が全てを覆っていった。

 それは春の季節になっても変わらなかった。いや、変わらなかったからこそ、この事態は「永遠の冬」と呼ばれるようになったのだけれど、とにかく、世界中で振り続ける雪が止むことはなかった。冬の後には冬が来た。血と炎で真っ赤だったこの世界は真っ白に成り代わった。

 永遠の冬が訪れて、世界は終末を迎えていった。雪と大気は放射能をたっぷりと含んでいたから、まず、作物が死んだ。戦争が終わって歓喜の声を上げてはしゃぐ子供たちは揃って病気にかかった。もう地球は人間が生きていける場所じゃなかった。

 そういう状況の中で、国際連合は打開策を講じた。その打開策が人類の現状である。つまり、人類は冷凍睡眠することにした。

 冷凍睡眠。

 人間を冷凍保存して肉体の加齢を防ぐ技術。それは第三次世界大戦の最中に密かにドイツで完成していた。もっとも、それは人類がこうして冷凍睡眠する未来が訪れることを予測していたわけじゃなくて、単に、ドイツの歴史的重要人物を戦争の脅威から遠ざけるために開発していたものなのだけれど。とにかく、幸運にも人類はこの危機を乗り越える術を生み出していた。

 この提案に反対する余裕なんて人類にはなくて、そういうわけで、ほとんど全ての人間が賛成して人類の越冬計画は動き出した。極々一部の反社会的勢力はこの計画に反対していたけれど、彼らがその後どうなったのかは、ぼくは知らない。けれど、それは考えるまでもないように思う。

 冷凍睡眠することが決定してからの地球は、ついさっきまでお互いに殺し合っていたことがまるで夢であったかのように平和だった。誰もが手を取り合って計画の遂行に全力を注いだ。冷凍睡眠するための巨大なシェルターはプラハで建設されることになった。シェルターを建設する場所にプラハが選出されたのは、プラハが地震災害に襲われる可能性が非常に低いことと第三次世界大戦で被害をほとんど被っていない場所だったからだ。

 プラハでシェルターが建設されていく中で、イギリスではエンドヴォルヴの製造がおこなわれていた。なぜって、冷凍睡眠した人類を解凍する役目をエンドヴォルヴが担うからだ。人類を解凍するだけなら別にエンドヴォルヴに頼らずとも目覚まし時計でもなんでもいいのだけれど、目覚めたときに地球の環境が人類が生活できるような環境になっているか、それをしっかりと把握しておく必要があったから、エンドヴォルヴに委任された。

 そういうわけで、エンドヴォルヴの背負った計画は「百年後の地球の環境を調査し、人間が生活できる環境に整えて、その後人類を解凍する」というものだ。この「人間が生活できる環境に整えて」という部分が非常に重要な要素で、目覚まし時計ではできないことに該当する。というのも、百年後の地球で人間が生活できるとは限らないからだ。現に百年前はロシアの放った核兵器によって焦土と化したサラエボはいま、密林になっている。この密林の中に人類を放り投げて、それで人類が暮らしていけるかというと、それはとても厳しいことだろう。そういうわけで、ぼくたちは人類を解凍する前に人間が生活できる環境を形成しなくてはならない。ちなみに、その課題はプラハの地下施設にある様々な機械を使うことで解決できるようになっている。プラハの地下施設には建物を自律して建築する機械だってあるし、畑を造る機械だってある。

 こうしてたくさんのエンドヴォルヴが製造されていく中で、このとき、ぼくは造られた。このライカという一人のエンドヴォルヴは製造された。そういうわけで、分類的にはぼくはエンドヴォルヴの第二世代に該当する。とはいえ、別に世代間に性能差があるわけじゃないから、ほとんどその肩書きに意味なんてないのだけれど、強いてその差を挙げるとするなら、それは「記憶」だろうか。

 ぼくはこうして生まれる前の地球の出来事をたくさん知っているけれど、それは全て「記録」によるものである。この情報はすべて、ぼくの頭の中に埋め込まれた記録という本に記載された情報に過ぎない。けれど、第一世代のエンドヴォルヴはこれらの情報を「記録」としてだけでなく「記憶」としても保存している。とはいえ、そこに大きな違いはない。せいぜい、その情報に対して主観的な要素を持てるか持てないかくらいの違いだろう。けれど、主観的な要素に意味なんてまったくない。なぜって、主観的な要素を含むということは感情に基づくというわけで、客観的な、秩序に基づいたものじゃないからだ。物事を判断するのは、常に客観的な、定められた世界の秩序に基づいたものでなくてはならない。そういうことができない場合、この世界では争いが起きる。実際、主観的な、感情的な判断でアメリカにテロを仕掛けた人間がいたせいで世界はいま、こういう事態になっている。そういうわけで、記憶の有無は大した意味を持たない。

 そうして製造されたエンドヴォルヴは、最終的には二百人ほどになった。二百という数で数億の命を背負うと考えると随分と少ない数のように思えるけれど、三十ほどしかいなかったエンドヴォルヴがイギリスの未来を変えたのだから、なんとかなると言えるような気もする。もちろん、数は多いに越したことはないのだけれど、人類にそんな時間は残されいなかったから、仕方のないことだった。

 アメリカが滅びたことによって発生した恐慌と飢饉よりもずっと過酷な環境に追い込まれた中でも人類は諦めずに手を取り合って、半年後の二千百二十年の八月八日、つまり、今日から丁度百年前に、エンドヴォルヴに未来を託して、プラハの地下に眠りついた。そして百年の年月が流れて、今日、ぼくはこうしてサラエボに目覚めて、プラハを目指している。この世界でいま、二百人ほどのエンドヴォルヴが恐らくヨーロッパの各地でぼくと同じように目覚めて、付近の仲間と合流してプラハを目指しているだろう。二百ほどいるエンドヴォルヴのうち、いったい何人が無事に目覚めて、何人が事故で死んでいるのか、そういうことはぼくには分からないけれど、きっと、みんな無事に目覚めているはずだ。

 ぼくはレーダで付近の仲間を詮索する。三人いるうちの一人、バルスがここからそれなりに近い場所で反応を示していた。ぼくはそこへ向かうことに決めた。

 バルスの反応は馬を走らせているぼくと違ってあまり動いていない。反応しているということは目覚めているということだし、恐らく、ぼくが向かっていることに気付いてくれたのだろう。それに、プラハへの進行方向はバルスの位置する方向と重なるし、バルスがぼくの方へ移動することは理に適っていなかった。けれど、とはいえ、ぼくがひとり移動して向かうというのは、なんだか不公平ではないだろうか。だって、ここは人間が手放して百年が経過した地球なのだ。ましてや、核兵器によって更地にされていたサラエボなのだ。こんなまったくわけの分からない不気味な密林で孤独でいるのはとても危険ではないだろうか。この密林の中に、いったいどんな化け物がいるかも分からないのだ。それなのに、ぼくばっかりに移動を押し付けるのは、如何なものだろうか。そんなことを思いながら、ぼくは馬をまっすぐバルスの元へ走らせた。

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