Endv0lve ②

「――目標地点まで、あと数分ほどで到着します。目標地点まで、あと数分ほどで到着します」

 イギリスの到着を知らせてくれるジェット戦闘機の機内音声がぼくに語りかけて、ぼくは目覚める。意識を失っていたのは三時間ほどらしい。そういうわけで、さっきまで見ていた光景はすべて、夢だったよう。

 アンドロイドは夢を見る。ぼくたちが夢を見る原理に関しては人間同様に様々な見解があるけれど、明確に解明はされていない。まあ、そもそもの話、エンドヴォルヴの脳は人間の脳を参考にして造られたのだから、夢を見る機能を偶然に再現していてもなんら不思議なことではない。

 夢を見る原理として、人間の中で有力な説として謳われているのが、情報の整理、という説だ。

 たとえば、脳を書斎、情報を本、記憶を本棚としよう。ぼくたちは起きている間にたくさんの情報という本を取得して、脳という書斎に持ち帰っている。けれど、書斎に存在する本棚、つまり記憶には収納できる限度がある。そこで、睡眠している間に、本棚に収納する本と捨てる本とを仕分けすることで、バランスを保っている。

 そして、仕分けしている最中の光景を意識が認識することで、ぼくたちは夢を見ている。つまり、夢の正体とは、本のページの断片の寄せ集めということ。

 そういうわけで、とにかく、アンドロイドが夢を見ることそれ自体は、なんら不思議なことじゃない。本の題名にするほどのことでもない。

 さて、ジェット戦闘機の自動運転を手動運転に切り替えて、ぼくは着陸の準備をする。ロンドンにそのまま着陸したかったけれど、ロンドンの地上は随分と緑に包まれていたから、少し離れて、着陸に適した何もない草原が広がるギルフォードだった地上に着陸した。

 サッカーボールくらいの大きさの、頭に銃を載せたクモみたいなロボットにジェット戦闘機の警備を任せて、ぼくはロンドンの森へと足を踏み入れていく。

 ギルフォードの街の穏やかな景色は全く残っていない。穏やかな雰囲気というものはこの草原に引き継がれているかもしれないけれど、それはどうでもよくて、さて、ギルフォードにあった鉄の塊たちはどこへ消え去ったのか。それもまあ、ギルフォードにかぎった話じゃないけれど。やはり、この世界にあるほとんどの人類の文明は自然に侵蝕されて淘汰してしまっている。

 自然さえ、ぼくに告げてくる。

 人類は淘汰されるべきである、と。

 ぼくの視界に、人類の歴史の痕跡は見当たらない。人類が築き上げた分明も文化も、なにもかもが散り散りに自然に飲み込まれて姿を消している。いま、ギルフォードにある人類の痕跡は、ぼくの脳の中にしかない。

 死ぬ瞬間というのは、心臓の鼓動が止まったときじゃない。この世の全てから忘却されたときである。

 かつて、人類が遺した言葉。人間の一部の中で、死を終わりと定義しない者たちが現れた。まあ、それは主に、戦争で命を捨てて特攻することを罪に定義しないようにする言い訳のためのものなのだけれど、とにかく、死ぬことが生涯の終わりであることを否定した人間たちがそれなりに存在したということ。

 お国のために。

 それと似たような意味で、そんな言葉が色んな国で戦時中に流行ったりもした。自らの命を国に捧げて戦果に貢献する。そうすることで自らの命は死してなおも国の繁栄と共に輝き続ける。そういう信仰。

 馬鹿げてる、と思うけれど、この考え方を真っ向から否定することはぼくにはできない。そりゃもちろん、自らの命を捨ててでも国のために戦えっていうのは否定したいけれど、死ぬことが命の終わりじゃない、ということに関してだけは、むしろ、ぼくはその考え方に縋り付いてさえいる。

 これまで、たくさんの仲間が死んだ。

 その命を、ぼくは無為にするわけにはいかない。そのためにぼくはこうして、人類を救出する術を探して、イギリスまで飛んできた。弔いの意識は、そういう意味では、この概念に似ている。

 人類の歴史を、忘却させてはならない。

 人類がエンドヴォルヴに託した希望を、忘却させてはならない。

 仲間の犠牲を、忘却させてはならない。

 そういうわけで、ぼくはイギリスの森を歩く。

 しばらく森の中を進んで、生き物の気配を感じた。茂みの中に身を隠して、気配の正体を探る。いまのぼくは、これまで以上に、何事も慎重に行わなければならない。というのも、ぼくが人類の最後の希望だからだ。ぼくが死んでしまったら、いよいよこの世界に人類が目覚めることはなくなるだろう。ぼくの命とは、もはや全人類の命と言っても過言ではない。

 がさがさ、と草を揺らせて行動していた生き物の姿を目視したとき、ぼくは思わず息を吞んだ。

 細い腕に細い脚、つまり、小柄で痩せ細った身体の「それ」はぼろぼろに傷が付いた衣を纏っていて、痩せ細った腕の先の小さな手には、黒い金属が握られている。

 ぼくは「それ」がなにかを知っている。

 ぼくの視界が捉えた生き物の正体は、紛れもなく人間の姿をしていた。

 刹那、ぼくの頭は疑問を唱えた。

 ぼくは頭の中の図書館に収納された本の数々を、乱暴に引っ張り出して目的の本を探す。ぼくの疑問を解決してくれる記述を探す。

 頭の中にある記憶と記録の隅々まで探して、そして、ついに、疑問は解明されることはなかった。

 ぼくには理解しがたい光景が、目の前に広がっていた。

 というのも、

 さて、痩せ細ったエンドヴォルヴなど、これまで製造された過去があっただろうか。仮にそう設定されていたとして、痩せ細った体系に、さらに少年の容姿に設定する理由がいったいどこにあるだろうか。紛争地域にでも潜伏させるためだろうか。けれど、そのためにわざわざ設計を変更するだろうか。その体躯で、機能性に問題は生じないのだろうか。

 まあ、それは一旦、置いておいて、このエンドヴォルヴはプラハに向かうことを断念したエンドヴォルヴなのだろうか。百十人ほどの、消息不明なエンドヴォルヴのうちの一人なのだろうか。

 それとも、それとは別の、第三世代とでも名付けるべきエンドヴォルヴなのだろうか。ぼくたちの知らないところで、エンドヴォルヴは製造されていたのだろうか。

 いまや、イギリスのことは謎だらけだ。エンドヴォルヴの資料を各国に共有しなかったこと、上層部の人間が冷凍睡眠していないこと、ぼくたちにはその理由がまるで分からない。目の前にいる少年だって、新たなイギリスの秘密かもしれない。

 とにもかくにも、まずは追跡して様子を見ることだ。いくら思考を巡らせても分からないことは分からない。こういうときは、落ち着いて情報を仕入れることが大切。行動選択を間違えることは許されないのだから。

 けれど、そんな追跡も思わぬ形で終わりを迎えた。というのも、ここは安全が保証されたプラハの街の中じゃなくて、森の中、つまりは生き物の住処だったからだ。そういうわけで、少年を後ろから隠れて追っているぼくは獣に襲撃された。もちろん、ぼくは獣の気配に気付けたし、怪我はなかったのだけれど、少年にぼくの存在が見つかった。

「はは……その、銃を下ろしてくれると、助かるのだけれど」

 ぼくに銃を向ける少年は、下ろさない。さて、その行動は言葉が通じていないからなのか、それともそういう意志なのか。けれど、ぼくの言葉に対して少年が身体を、ぴくっ、と反応させたことをぼくは見逃さなかったし、そういう反応をするということは、恐らく理由は後者なのだろう。そういうわけで、ぼくは言葉を続ける。

「ええと、こういうときは身分を名乗ればいいのかな……ぼくはライカ、プラハからやってきたエンドヴォルヴだ。殺意も敵意もない、だから、銃を下ろしてほしい」

 自分の知らない人物と接触するという経験を数多く積んでいないから、正解が分からない。そう考えると、人間とは随分と大変な生き物だったんだな、と感心したくなる。

「エンドヴォルヴ……」

 少年はゆっくりと言葉を紡いだ。発音はぎこちなくて滑らかじゃないけれど、ぼくたちと同じ英国言語だ。

「そうだ。きみは一体、何者だ」

 少年から一切の情報が読み取れない。機体識別番号も、なにもかも。所在を隠すためにオフラインにしているぼくならともかく、この少年がオフラインにして情報を秘匿しているのはなぜだ。

 僅かな沈黙の後に、

「村まで、同行して頂けますか」

 少年はそう口にした。

「村……」

 唖然と、ぼくは繰り返していた。

 いったいどうして、そのような返答になるのだ。ぼくは身分の開示を要求したというのに、どうしてぼくは要求されているのだろうか。

「万が一に、エンドヴォルヴと遭遇したときは、村長の元まで連れて来るようにと習っていますので」

 少年は同行を要求する理由を説いた。

 いや、そうじゃない。

 ぼくが疑問を抱いたのはそういうことじゃない。もちろん、その言動の理由の説明も必要だったのだけれど、もっとも欲しい情報はそれじゃない。随分と話が飛躍していないだろうか。

 少年の言葉を頭の中に再度走らせて、ふと、ある可能性について辿り着いた。

 それはもう、出来心と言っていいくらいの偶然の思いつきだった。

 けれど、少年の言葉から、その可能性をぼくは見出してしまった。

 万が一にエンドヴォルヴと遭遇したときは、

 その言葉が、頭のどこかに、引っ掛かった。

 その引っ掛かりを解消する方法は、確かめる方法は簡単だった。

 拡張視覚でぼくの目をサーモグラフィに切り替える。

 それだけで、ぼくの頭に浮かんだある可能性について、証明することができた。

 そして、ぼくは絶句した。いや、息を詰まらせて、そのまま、言葉にならない声を漏らしていた。

 ぼくの視界は、少年をオレンジに染めていた。

 そして、左の胸部を赤く染めていた。

 左の胸部。心臓のある方の胸部。

「きみは、人間なのか……」

 その赤い輝きが、ぼくをその答えへ導いた。

 人間。

 かつて、この地球を支配していた生物種。

 百年前に地上から姿を消した生物種。

 左の胸部の心臓を、どくんっ、どくんっ、と響かせて生きる生物種。

 少年は、頷いた。

 その返答がさも当然であるかのように、頷いた。

 百年前、永遠の冬によって人間が地上で生きていくことは困難となった。国家は崩壊して、地上は放射能まみれの焦土と銀世界に覆われて、人類が生きていくのに必要な社会も食料もなかった。だから、人類は心臓の鼓動を止めることにした。この地球が人類が生きていける状態に戻るのを待つことにした。そういうわけで、人類はプラハの地下に冷凍睡眠した。

 それが、ぼくの頭に記されている人類史の最後の記述。

 人類史は、永遠の冬によって凍りついた。

 けれど、それはあくまでも、ぼくの頭の中に記されている人類史でのお話。本当の意味での人類史の最後じゃない。

 というのも、人類史最後のあの日、冷凍睡眠しなかった人間が、僅かながらに存在したからだ。ぼくの頭の中に記録されていない人類史が、そこにはある。

 あの日、冷凍睡眠しなかったのは反社会的勢力の人たち、つまり、世界政府と敵対していた人たちだ。

 世界政府を嫌悪する人間は、実は割と大勢いた。なぜって、第三次世界大戦の間、世界政府は機能を失っていて、すっかり信用をなくしていたからだ。永遠の冬が訪れるそのときまで、散々自国のために戦争しておいて、いざ永遠の冬が訪れると、世界政府の連中は平和を訴えた。自国のために殺戮を繰り返していた連中は、手のひらを返して共生を訴えた。そんな自分の都合の良いように滅茶苦茶した連中だから、反感を買うのは当たり前だった。

 けれど、それでも、結局、ほとんどの人間は冷凍睡眠した。人々は世界政府を嫌悪しながらも、仕方なく世界政府の方針に従った。そうしなければ命がなかったからだ。ほとんどの人間は、永遠の冬の中で生きていくことが現実的でないことを理解していた。いや、きっと、それを受け入れなかった極々一部の反社会的勢力の人たちも、それが現実的でないことは理解していた。それでも、彼らは最終的に眠らなかった。みんなが冷凍睡眠し地上から消え去った後も、永遠の冬の中で生きようとした。

 そんな彼らが、この百年間を生き延びていたとしたら、目の前の光景に、説明がつく。

 けれど、それは現実にあり得ることなのだろうか。

 放射能で空も海も大地も汚染された世界の中で、

 社会の機能が喪失された世界の中で、

 人間が生きていくことなど、可能なのだろうか。

「あの、それで、村まで同行して頂けますか……」

 ぼくは了承した。

 理解できる範疇を越えようとしている事態を前にぼくはこれほど困惑しているというのに、空はといえば綺麗に晴れていた。

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