裁生v@l 0分 座 f1t試験 ⑦

 死体たち。

 いくつものイヌたちが目と口をぱっくりと開いて、ばったりとフラッチャニ区の茂みの中でよこたわっている。喉元を掻っ捌かれて死んだイヌ、脳天を貫かれて死んだイヌ、その死に方は様々だけれど、みんな、死んでいる。

 その中のいくつかは、ぼくが殺したものだ。イヌに気配を気付かれる前に五匹を背後から銃で撃ちぬいて、残りの三匹をナイフで切り裂いて殺した。

 そうして殺されたイヌの死体がたくさんぼくの周りに転がっているけれど、そのイヌに混じって一人のエンドヴォルヴがずたずたに噛み千切られて死んでいる。イヌはエンドヴォルヴを食べようとしたけれど合成樹脂の肉を食べられなかったようで、すぐ近くには何度か咀嚼を試みた後に吐き捨てた肉片が転がっていた。

「間に合わなかったか」

 隣にいるベルカが呟く。

「でも、馬は無事みたいだ」

 死んだ仲間が乗っていた馬は傷だらけだけれど、まだちゃんと動いた。その悲惨な姿と相反して、人工物の馬は吞気に尻尾を揺らしている。

 川から浮上した後、ぼくとベルカは一番近い仲間の座標を目指してフラッチャニ区へ足を踏み入れた。

 フラッチャニ区は旧市街地とは違う意味で過去の面影を残していない。建物が崩れてぐちゃぐちゃになった後、緑が侵蝕して人間の代わりに住み着いている。木々はすっかり建物を覆い隠しているし、プラハの石畳は剥き出しにされている。赤と白と緑で彩られていたプラハの街並みはすっかりそのバランスを崩壊し、ただただ不気味さと不快感を与える混沌の緑が出来上がっていた。

 慎重にフラッチャニ区の中を進んで十数分が経過して、ぼくたちは一番近い仲間の反応の元に辿り着いた。けれど、その仲間は既にイヌの群れに殺されていた。そして、今に至る。

 走って、走って、走る。

 合成樹脂で作られた人工筋肉は精一杯に伸縮を繰り返して混沌としたフラッチャニ区を駆ける。ぼくとベルカは馬に乗ってリチシカの元へ急ぐ。

 ぼくたちは間に合うだろうか。

 曇天はますます濃さを増していた。きっと、もうすぐ雨が降る。

 雨は厄介だ。なぜって、雨が降っていると周囲の獣の存在を感知するのが遅れてしまうからだ。それに、電子銃は雨の中での使用を想定されて設計されていない。というのも、電子銃は鉛玉の銃よりも遥かに気圧の影響を受けて弾道が大きく逸れてしまうためだ。それだけじゃなくて、電気を上手く放出できなくて銃身が暴発してしまう可能性だってある。そういうわけで、雨の中で電子銃を使用することは望ましくない。

 そして、電子銃が使えないということはぼくたちの武器は刃物に限られるということだ。百年前と違って獣を刃物で狩ることが難しいことは、これまで散々経験してきた。さっきの身体の細いイヌとかなら問題はないだろうけれど、クマみたいに身体の大きい獣が相手ならまず刃が通らないだろう。

 そういうわけで、そういう意味でも、ぼくたちは急いでいた。ぼくたちにとってフラッチャニ区の混沌の中にいる時間が長くなれば長くなるほど、それは死を近づけることを意味していた。

 不意に、馬が体勢を崩す。

 ぼくの視界が突然加速して、空を映して静止した。ぼくは背中に痛みを感知して、馬に放り投げられたのだと認識した。

「まじか……」

 ベルカが嘆くように呟くのが聞こえた。

「どうしたベルカ、無事か……」

 ベルカに答えながら、ぼくは身体を起こした。

「馬が死んでる」

 傷だらけの馬は太腿の付け根から先がばっさり千切れて、地面に倒れていた。きっと、損傷していた部分が足場の悪い地面を走ることで傷みが蓄積し、やがて耐え切れなくなって崩壊した。

「仕方ない、ここからは歩いて向かおう。もうそんなに遠いわけじゃない」

 リチシカを指す座標はもうここから十分ほどで向かえる距離だ。リチシカはぼくたちに気付いたのか、少し動いて近くなっていた。その事実に、ぼくは少し安堵した。

 歩いて、歩いて、歩く。

 さっきまでとは打って変わって、ぼくたちは息を殺してフラッチャニ区の中を進む。馬を足のない、自らの足で歩むぼくたちにとって、今度は獣に見つかることだけは絶対に避けねばならないことだった。今のぼくたちは獣と対峙した際、殺す以外の選択をすることができないからだ。それが簡単に処理できる獣だったらいいけれど、例えば、それが群れを形成していたとしたら、ぼくたちはそこで終わる。そういうわけで、焦燥感に襲われながら、けれど、足音を殺して黙々と歩き続けた。

 轍の片鱗すら見えないフラッチャニ区の茂みの中を歩き続けて、ようやくぼくたちはリチシカの元へ辿り着いた。

 したい。

 下半身がなくなって、お腹から赤と青の導線がべろりと姿を現していた。脚はすぐ近くに転がっていて、何度も噛まれて皮膚が剥がれて銀色が鈍く光っている。

 雨が降り始めた。静かで激しい雨。

 リチシカは死んでいた。

 ぼくたちは間に合わなかった。

 けれど、ぼくは知っていた。

 エンドヴォルヴは簡単に死ぬということを

 リチシカの命は救えた命であったということを。

 ベルカが提案したように、河岸からまっすぐにリチシカの元へ向かっていたなら、きっと、リチシカの命を救うことはできただろう。だって、リチシカの座標を示すレーダは少し前まで動いていたのだから。リチシカはほんの少し前までは生きていたのだから。

 けれど、リチシカは死んだ。

 助けることができたリチシカは死んだ。

 適者生存。

 世界は常にぼくらに選択を迫り、そして、正解を選び続けた者だけがこの世界に生存を許される。未来へ進むには、常に正解を選択しないといけない。なにかを切り捨てなければならない。

 そんな言葉を、思い出していた。

 ここは適者生存の世界だ。

 だからリチシカは死んだ。

 ぼくが生きるために、リチシカは死んだ。

 ぼくはリチシカの命を切り捨てて、ぼくの生存を選択した。

 けれど、それは仕方のないことだった。だって、馬を持たないぼくたちがリチシカの元へ向かうことは、命を捨てることを意味していたからだ。カレル橋を無事に渡った仲間は離れ離れになっていた。つまり、離れ離れにならざるを得ない状況に陥っていた。それはどれだけフラッチャニ区が危険かということを語っていた。結果的に、ぼくたちは無事に歩いてここまで来ることができたけれど、そこに命の保証はなかった。むしろ、ぼくたちがいま、こうして生きていることが幸運と言えるくらいだろう。ぼくもリチシカと同じように獣に噛み千切られて殺されていても何らおかしくはなかった。

 ベルカはぼくのことをどう思っているのだろう。ぼくを責めるだろうか。いや、けれど、ベルカだって同じだ。ベルカの絶対的な理性だって、リチシカの元へ直行することがどれだけ愚かな行為だったか、しっかりと理解していたはずだ。

 エンドヴォルヴの脳に備えられている絶対的な理性、それは情動に左右されずに常に秩序に適って正解を選択することができる。

 リチシカの元へ向かうという行為は、情動的で愚かな行為だったリチシカを救いたいという意志は、感情以外の、情動以外の何者でもなかった。

 情動は決して許されない。それがこの世界を正解な未来へ導くためのルール。

 エンドヴォルヴの使命は人類を解凍し救出すること。

 そんなエンドヴォルヴの全滅は人類の絶滅を意味する。だから、ぼくたちは全滅するわけにはいかない。そのためにはリチシカの命を切り捨てることだって、必要な、仕方のないこと。

 一人の命と二人の命なら、二人の命を優先する。それだけのこと。

 だから、リチシカの死は、仕方のないことだ。

「さっさとプラハ城を目指すぞ。おれたちまで死ぬわけにはいかない」

 ベルカはぼくの肩をそっと叩いて、先を歩き始めた。

 ぼくはたったいま、リチシカの命を背負った。ぼくは、ぼくが生きるためにリチシカを殺した。だから、ぼくはリチシカの分も生きなければならない。生きて、人類を解凍する使命を果たし、平和な未来を築いていかなくてはならない。

 この世界で生きるということは、きっと、自らが生きるために切り捨ててきた命を、犯してきた罪を、その身に背負うということ。

 雨は強さをいっそう増して、プラハは雨音で包まれた。ぼくたちの体温も足音も全て雨に隠れた。そういう意味で、意外と雨は好都合だった。ぼくたちはプラハ城を指す方向へ休むことなく歩き続けた。

 雨音の中で、大きな音が唸っていることに気付いた。

 ごとごと、と地面を震わせるような鈍い音が静かに響いていた。音の鳴る方へ慎重に近づいて、ぼくはその正体を見た。

 それは戦車だった。

 自動識別対人戦車。それは第三次世界大戦で猛威を振るった、エンドヴォルヴとそれ以外の生き物を判別して殺戮する優秀な無人兵器だ。エンドヴォルヴはイギリスの独自技術だったから、エンドヴォルヴだけで編成された部隊に投入されたこいつはあらゆる敵を問答無用に虐殺した。

 そんな戦車が、慟哭するフラッチャニ区の中を走っていた。

「ライカ、作戦は終了したみたいだ」

 ベルカがぼくに、そう告げた。

 プラハ城を示す座標に数人の仲間が反応していた。ぼくたちより先に無事にプラハ城へ到着していた。

「それで戦車が動いてるってわけか」

 ぼくはすべてを理解して安堵した。プラハ城の地下施設にはたくさんの無人兵器が格納されている。人類が用意した、エンドヴォルヴが地球を支配するための兵器。プラハという拠点を他の生物から守るための兵器。自動識別対人戦車はそのたくさんある兵器の一つだ。

 ぼくたちは自動識別対人戦車に乗り込んだ。自動運転を手動運転に切り替えて、プラハ城へ向かう。戦車はプラハの侵蝕された地面を抉りながら、ゆっくりと前進していく。

 ぼくたちがプラハ城へ着いた頃には、あれほど激しく降っていた雨はすっかり止んでいた。ほんの少し前までは漆黒に包まれていた空は雲の隙間から白く眩しい光が射し込んでいる。

 雨上がりの冷たい風がぼくの頬を掠める。その風を受けながら、ぼくは生きている、ということを強く感じた。そして、その風の冷たさが、リチシカの死を思い出させた。

 ぼくたちは、ついにプラハ城まで辿り着いた。ぼくたちは地球の自然に勝利した。あとの問題はすべて、時間が解決してくれる。人類が地上に蘇るのはまだ何十年も後もことだろうけれど、それでも、エンドヴォルヴの命が保証されたいま、ぼくたちが恐れるものはなにもない。

 この、すっかり緑に取り憑かれたプラハ城が以前の輝きを取り戻すのも時間の問題。

 ぼくは自動識別対人戦車にお礼の意を込めて装甲をひと撫でして、プラハ城の中へと入っていく。自動識別対人戦車は、他の仲間を救出するために、プラハに住まう獣を虐殺するために、プラハの迷宮へと再び走り出した。

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