New ∅rder

そるにゃん

裁生v@l 0分 座 f1t試験 ①

 ぼくがサラエボの密林の中で目覚めて最初に行ったことは、サラエボの環境調査だった。


 不健康な様子に見えることを「顔が青い」なんて言ったりするけれど、サラエボを覆う緑は驚くほどに真っ青で、元気いっぱいに、辺り一面に生い茂っていた。

 色の濃い葉。葉緑体がたくさん詰まった葉。

 そんな緑がぼくの頭上を覆い隠していて陽の光を遮っている。遮っている、といっても、葉の隙間からぽつぽつと光は射し込んでいるから、決して辺りが暗いわけではない。

 植物が元気にしているということは、当然ながらその土台である土も元気であるということで、たっぷりの栄養素と程よい水分を含んでふっくらとしている。ふっくらとしている分、こういう土は服に着くとなかなか取れない。

 気温も湿度も空気の成分も、人間が生活できる数値を示している。酸素濃度も程よい割合だし、放射性物質も存在していない。人間はここで、十分に生活することができるだろう。とはいえ、人間が生活するには少し肌寒い気温だろうし、なにより、こんな密林の中で人間が生活するなんて時代遅れすぎる生き方を二十三世紀にもなって選択するとは思えないけれど。

 現在時刻は二千二百二十年の八月の八日の午前八時過ぎ、現在地はサラエボ、とぼくの手持ちの端末は示している。計画の予定時刻と寸分の狂いもない完璧な時刻だ。もっとも、この端末が故障してしまっている可能性をぼくは否定できないから、計画が本当に順調に進行している保証はどこにもないのだけれど。まあ、とりあえず、ぼくがこうして無事にサラエボで目覚めることができたのだから計画は順調に進んでいるといえよう。

 さて、ぼくが担っている計画とは何か、という話なのだけれど、それはプラハへ向かうことだ。ぼくはいま、こうしてサラエボにいるわけだけれど、これから、ぼくと同じように周辺で目覚めているであろう仲間たちと合流して、仲良くプラハへ目指す予定となっている。

 どうしてプラハまで向かうのかというと、プラハで人類が待っているからだ。プラハの地下にある巨大なシェルターの中には、数億もの人類が冷凍睡眠していて、ぼくたちが目覚めさせてくれるのをずっとずっと、もう百年も待っている。そういうわけで、ぼくたちはプラハへ辿り着いて人類を解凍しなければならない。

 人類がプラハの地下に眠っているということは、それは逆説的にぼくは人間じゃないということになるのだけれど、その通りで、ぼくは人間じゃない。

 人型自律戦闘機。通称、エンドヴォルヴ。

 それがぼくたちの名前。名前というか、学名みたいなもの。イヌとかネコとかじゃなくて、チワワとかシャムとか、そういうの。エンドヴォルブをイヌとかネコとかで表記するとアンドロイドに分類される。そういうわけで、ぼくは人間じゃない。ちなみに、ぼくという一個人の名前は「ライカ」ということになっている。いったいだれがぼくをそう名付けたのか、いまさっきサラエボの密林の中で孤独に生まれたばかりのぼくは知らない。ぼくにはたくさんの情報が与えられているけれど、そういうどうでもいい情報は与えられていない。いや、べつに知りたいとも思わないけれど。

 アンドロイド。

 それは、二十一世紀に突入してから人類が力を入れて研究してきた発明品だ。年月が流れるにつれてその進歩は加速して、ついに人類は人間と違わぬ性能のアンドロイドを発明した。

 たくさんの金属で組み立てられた骨

 合成樹脂で形成された人工筋肉

 身体中に張り巡らされた血管のような導線

 頭には量子コンピュータ

 それがアンドロイドの、つまりエンドヴォルヴの構造だ。けれどその容姿は、実際に触って確認しないと人間と判別できないほど人間とそっくりに作られているし、ぺらぺらと人間のように喋ることもできる。髪の毛だってあるし服だって着る。

 そんなエンドヴォルヴが活動するのに必要なエネルギは電気だ。電気で機械が動くことそれ自体はまったく珍しくはないのだけれど、ぼくたちが他の機械と違うのは、その電気を自らの体内で生産することができるということだ。エンドヴォルヴは大気の空気を取り込んで、空気中にある酸素を分解して電気を発生させることができる。そうして生み出した電気を蓄えて、使用して、生きている。生きることに酸素を必要とするところも人間とそっくりな部分だと言えるだろう。

 ぼくたちが人間と違うところは、食事をしないところだろうか。生殖活動をしないところも違いではあるけれど、それに関しては機体を製造することで代替していると言っても決して間違いにはならないだろうし、それを違いとして挙げるのはなんだか違う気がする。いや、それよりももっと、明確に人間と違う部分がひとつ、エンドヴォルヴには存在する。

 それはとても理性的であるということ。

 絶対的な理性。

 情動抑制装置。

 エンドヴォルヴには情動抑制装置という器官が備え付けられている。これは人間にはない、エンドヴォルヴだけの器官だ。その器官の機能を一言で表すなら、情動を無理矢理抑え込み理性を保つ力。

 情動。それは人間の意志の方向性を指し示す概念。いや、それだけじゃ説明は不十分で、情動とは、何らかの影響によって脳が衝動的に行動を決定してしまう状態を指す。情動が働いた際、人間は理性を超越して自らの意志を優先した非合理的、非論理的な行動を取ることがある。実例で例えるなら、犯人が「つい魔が差して」と供述しているような犯罪行為なんかが分かりやすい例だろうか。そして、情動抑制装置は、そういうことを完全に防いでくれる。四六時中どんなときも、どんな精神状態に追いやられても、情動抑制装置は情動を檻に閉じ込めて、理性を保ってくれる。

 どうしてそんなものが備え付けられているかっていうと、それはとても簡単で、ぼくたちに死なれては困るからだ。人類にとってエンドヴォルヴは唯一の生命線、人類の救世主と呼べる存在だ。エンドヴォルヴを造り出した人類にとって、プラハの地下に眠る人類にとって、ぼくたちの死はそのまま人類の滅亡を表している。エンドヴォルヴは人間に造られたアンドロイドだけれど、その命の重さは人間と同じほどに、いや、むしろ人間よりもずっと重たいものというわけだ。

 そういうわけで、情動抑制装置はぼくたちの命を守ってくれる。自らの生存を最優先するという秩序の下で活動するぼくたちは、如何なるときも情動抑制装置によってその秩序を遵守する。だから、エンドヴォルヴにかつての日本人のように神風を吹かせることはできない。

 さて、すっかりサラエボの生い茂った自然に感心しているぼくだけれど、さっき言ったように、いつまでものんびりしている場合じゃない。ぼくはさっさと周辺の仲間と合流してプラハを目指さなければならないのだ。

 ぼくはついさっきまで自分が入っていた棺桶みたいな黒い箱の隣にあるコンテナを開く。どうしてこっちのコンテナは立方体の形をしているのに、ぼくの方は棺桶みたいな形をしているのだろう。誰が設計したのかしらないけれど、悪趣味ではないだろうか。

 そのコンテナに入っているのは馬だ。四本脚に立派な尻尾をぶら下げて、健康的で逞しさを感じさせる茶色の馬。そんな容姿をしているけれど、この馬もぼくと同じ紛い物だ。ぼくと同じように金属の骨と合成樹脂の人工筋肉で加工されている。ぼくと違うところはアンドロイドじゃないただのロボットだということだ。

 ロボットとアンドロイドの違いを明確に説明しろ、と言われて説明できる人は残念ながらこの世界には存在していない。二十一世紀になってから、人類は日々加速するようにロボットの研究を進展させて、ついにはアンドロイドという人間と違わぬ性能を持った機械を生み出すまでに至ったけれど、その発展の境目は、結局引かれることはなかった。金属がどこまでの機能を獲得すればロボットになって、ロボットがどこまでの機能を獲得すればアンドロイドになるのか、その線引きは人類がプラハの地下に眠りつき人類史が凍結するその瞬間まで引かれることはなかった。そういうわけで、それがロボットだと言えばロボットだし、アンドロイドだと言えばアンドロイドなのだ。

 この馬はぼくのように自律思考することも喋ることもない。馬の鳴き声さえ実装されていない。この馬にできるのはぼくの指示に従って走ることだけだ。ちなみに、この馬の活動エネルギはぼくと同じで、取り込んだ空気の酸素を分解して得る電気による。

 そういうわけで、ぼくはこれからこの馬に乗って仲間と合流しに向かう。どうせなら同じ場所で目覚めさせてくれればいいのに、と思うけれど、百年前の人間たちに百年後の地球がどうなっているかなんて想像つかないだろうし、なにより、ぼくたちの命はとっても大事だから、なるべく配置する場所を分散させてぼくたちが目覚める前に自然災害によって死んでしまう事故のリスクを軽減したかったのだろう。とても賢い選択だと思うし、ぼくが人間だったら同じようにしていると思う。けれど、そのひと工夫がぼくたちにとって、とても面倒なことであることは事実なわけで、同じところに配置してほしかったなと思う。まあ、ぼくたちがそういう感情をいくら抱えようとこの絶対的な理性がその感情を許さないから、こうして反抗せずに真面目に仲間の元へ向かうわけだけれど。

 ぼくは馬に乗ってサラエボの密林を駆けだした。色濃く深く隅々まで自然を敷き詰めた密林の中は、ぼくはとっても馬に似合わないと思った。


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