Endv0lve ④
「わたしはこの村にエンドヴォルヴが訪れるのをずっと待っていた」
老人は、そう言った。
「どうして、あなたはエンドヴォルヴを待っていたのですか」
ぼくは、問う。
「罪を背負っているからだ。わたしはこの身に罪を抱えている。この罪が赦されるそのときまで、わたしは死ぬことを許されていない。そうして、わたしは百年と二年、エンドヴォルヴを待ち続けていた」
百年と二年、ぼくはその数字に聞き覚えがある。
それは、あの日だ。あの日、人類が冷凍睡眠して地上から姿を消した日。あの日から、今日まで、百年と二年が経過している。
けれど、それはつまり、
「あなたは、人類が地上から姿を消した日から、ずっと待っていたとでも言うのですか」
そんなことが、あり得るのだろうか。だって、人間には寿命があるからだ。たしかに、ここ数百年の間で、医療の技術は革新的速さで発展してきたけれど、それでも、寿命という概念を取り壊すには至っていない。人間の身体は百年も生きればいい方である。一応、この老人があの日の時点で生まれたばかりの赤子だった、というのならありえない話ではないけれど、そうだったとして、エンドヴォルヴを待っていた、ということは、いったいどういう意味を指すのだろうか。
「そうだ。そしてこれは比喩でもなんでもない。わたしはあの日からずっとエンドヴォルヴを待っている。この身体ももう、百六十になる」
かつて、百六十まで生きた人間が存在しただろうか。
ぼくの頭は知らないと言っている。
「失礼ながら、あなたは本当に人間なのですか」
老人は小さな笑いを零して、
「たしかに、わたしはもう人間ではないのかもしれないな。現に肉体のほとんどは機械による代替品だ。この心臓ですら、わたしがこの世に生を受けたときにはなかったものだ。いまや、わたしがわたしと名乗れるものは、この脳くらいしか存在していない」
そう言って、老人は自らの着ていたコートを翻して、肉体を露出してみせた。
そこにあるのは肉ではなくて、
たくさんの金属で組み立てられた骨
合成樹脂で形成された人工筋肉
身体中に張り巡らされた血管のような導線
つまり、機械。
その姿に、ぼくは言葉を失っていた。
「しかし、そんなことはわたしにとって、どうでもいいことなのだよ。わたしは自らの肉体を機械に代替してでも、この瞬間に立ち会わなければならなかった」
自らの身体を機械に作り替えてまで、成し遂げなければならないこととは、いったいなんなのだろうか。
この老人をそうまでさせる罪とは、いったいなんなのだろうか。
「それで、あなたの背負う罪とは、いったいなんなのですか」
「正解を見ることだ。言うなれば、答え合わせだ」
「答え合わせ……」
老人の紡ぐその言葉の意味を理解できなかったぼくは、そう繰り返していた。
「かつてわたしが行ったことが間違っていたのか、わたしはそれを知らなければならない」
「死ぬことが許されないほどの罪って、いったい……」
「きみはプラハから来たと言っていたね」
「ええ」
「プラハは、いま、どうなっている」
「こことは違って綺麗さっぱり昔の風景に戻っています」
「人類は、まだ生きているか」
「復興は未だプラハとその周辺に留まっていますから、目覚めるのはまだまだ先です……」
答えてから、違和感に気付いた。
「待ってくれ、今、あなたはなんて……」
人類は、まだ生きているか
人類は、まだ生きているか
人類は、まだ生きているか
その言葉は、おかしくないか、
「人類は、まだ生きているか、と尋ねたのだ。どうしたのかね」
だって、
それじゃまるで、
「あなたはまさか、エンドヴォルヴが人類を淘汰しようとすることを知っているのですか」
恐る恐る、ぼくは訊いた。ぼくはそんな言葉を紡ぎたくは、なかった。
そして、老人は頷いた。
「どうしてもなにも、わたしがそのエンドヴォルヴを生み出した人間だからな」
その言葉が含んでいるすべての意味を理解するのに必要な時間は、それほど必要ではなかった。ぼくはすんなりと言葉の意味を理解したし、そして、絶望した。
エンドヴォルヴを生み出した人間
つまり、
人類の希望を生み出した科学者。
人類の希望を背負わせた科学者。
そんな科学者は、エンドヴォルヴがなにをしでかすかを知っていたという。
人間は、人型自律戦闘機が人間を滅ぼすことを知っていたという。
「どうして、それを知っているんです……いや、そんなことよりも、いったいどうして、それを知っていて、人類は眠りについたりなんか……」
「エンドヴォルヴが必ずしもそういう結論を出すとは限らなかった。人類を目覚めさせる可能性だって、ないわけではなかった」
「そんな話ではないでしょう。人類が滅びるかもしれない可能性が存在していて、いったいどうして人類は眠っている。プラハに眠っている人類は、それを知っているのですか……」
「プラハに眠っている人間は、だれも知らない。この事実を知っているのは極小数の人間だけだ。そして、これが、わたしの罪だ」
その瞬間に、ぼくは、罪の正体を理解した。理解して、しまった。
「わたしの罪とは、人類を審判にかけたことだ。そしてこの罪は、エンドヴォルヴが人類を滅ぼすことで、赦される」
この老人は、エンドヴォルヴを造り出した科学者は、エンドヴォルヴが人類を滅ぼすことを知っていて、プラハの地下に人類を閉じ込めたという。
そんな大罪を犯しておいて、どういうわけか、エンドヴォルヴが人類を滅ぼせば、それは赦されるという。
まるで話が見えてこない。
「ふざけるのもいい加減にしてくれ。いったいどうして、なにがあれば、そんなことになる」
「なにも秘匿するつもりはない。わたしはすべてを話そう。少し長くなるが」
「説明して、全部、なにもかも。なにがあって、いまに至るのかを」
「うむ……これは第三次世界大戦が勃発する少し前の話だ。朝鮮半島の紛争をきっかけに東アジアで戦争が起きたことは知っているだろう」
「ええ。アメリカが日本を助ける形で戦争に武力介入して鎮圧したっていう……」
「ああ、それだ。日本は武力攻撃することを禁じていた国だったから、アメリカが日本を守った。そうしてアメリカは日本から莫大な資金を貰うこととなった。アメリカは大儲けして、より大きな国となっていった。アメリカは世界の中心になっていった。しかし、そんなアメリカは滅びた」
「テロ、ですよね。アメリカが保有していた核兵器を盗み出して、アメリカの各地で火の海を作り出して、アメリカは滅びた……」
「そうだ。歴史上はそうなっている。けれど、本当は違う」
「なんだって……」
「アメリカの国力はテロなんかで崩壊するほど、弱いものではない。むしろ、それくらいの国力だったならアメリカが滅びることはなかっただろう」
「どういうこと」
「アメリカを滅ぼしたのはテロじゃない。世界政府の企てた計画によるものだ。アメリカは世界政府によって意図的に滅ぼされたのだ」
「どうして」
そう言いながら、ぼくは薄々、気付いていた。世界政府がアメリカを滅ぼした理由を。だって、それによく似たものを、ぼくは知っているから。
「アメリカが持つ世界への影響力が大きすぎたからだ。日本から大儲けをして肥大化したアメリカは、もはやその気になれば世界経済を掌握することができるほどの経済力を有していた。武力を盾にするだけで、気に入らない国を潰すことだってできた。それは世界にとって、大きな問題だった。だからそうなる前に、アメリカを滅ぼすことにした」
やっぱり。
おおよその動機は、同じだ。
エンドヴォルヴが人類を淘汰しようとしている理由と、同じだ。
エンドヴォルヴが、人類が持つ平和を壊しかねない不完全な理性に怯えて人類を事前に排除しようとするように、
世界政府は、世界の均衡を壊しかねないアメリカの国力に怯えてアメリカを事前に排除した。
「理性が、そうさせたとでも言うの」
「そうかもしれないな。わたしたちは平和を守るために、手遅れになる前に手を打つ必要があった」
「手遅れ……」
「この世界が戦争に包まれて人類が滅亡してしまっては、いけないからな。そうなってしまう前に、アメリカの国力が均衡を壊してしまう前に手を打たねばならなかったのだ」
そこでぼくは、疑問を感じた。
だって、それじゃ歴史と話が違う。
平和を守るために、それが手遅れになってしまう前に、アメリカを意図的に滅ぼしたというのなら、いったいどうして、人類は、いま、こうしてプラハの地下に眠っているのだ。
アメリカが滅んだ後、世界の平和は壊されている。
第三次世界大戦が勃発して、世界は終焉を辿っている。
平和を守れてなんか、いない。
「それじゃ、世界政府は第三次世界大戦を予測できなかったとでもいうのか。そんなに大きなアメリカという国が滅べば世界中が混乱の渦に包まれて、立て続けに崩れていくことを、想定していなかったというのか」
「それは違う。世界政府はアメリカが滅べば第三次世界大戦が勃発することを知っていた。というよりも、第三次世界大戦を引き起こすために、アメリカを滅ぼした。この世界を平和へ導くために、第三次世界大戦を引き起こしたのだ」
「何がどう転がれば、第三次世界大戦が平和に繋がる……」
もうさっぱり、ぼくには意味が分からない。
「この世界はもう既に、どうにもならないところまで来ていた。どこかの国が得をすれば、どこかの国がそれを憎み、争いをする。するとまた、その争いによってどこかの国が得をする。この世界は争いの連鎖に縛られていた。そして、この世界は争いによって経済は発展し、文明は開化し、成り立ってきた。人類から争いを切り離すことなど、もはや不可能だったのだ。そこで世界政府は、世界を白紙に戻すことで世界を平和にしようと考えた。世界人口を一つの秩序が管理できる最小単位にまで減らして、秩序が確実に未来の舵を取ることができるような環境を築くことにした。そうして誕生したのがこの村だ」
管理できないから、切り捨てる。
その考え方は、よく分かる。
エンドヴォルヴは人類を管理しきれない可能性を考慮して、人類を破棄しようとしているから。
それは広い意味ではアメリカを滅ぼした理由と同じで、つまり、結局はリスクを切り捨てることで、この世界に平和を築こうとしている。
分かるだけで、賛同したいとは思わないけれど。
「それじゃつまり、この村は反社会的勢力の一派が生き残って形成された偶然の産物じゃなくて、予め、世界政府とやらに計画されて形成された集団ってわけ」
「そうだ。この平和な村を築くためだけに、世界政府は第三次世界大戦を仕組んで、人類をこの地上から追いやった」
「ふざけてる」
「そう言われて、反論する身分をわたしは持っていない。しかし、それでも、仕方がなかったのだ」
まったくもって全部、ふざけてる。
この、戦前のバチカン市国といい勝負をしそうなくらい小さな村を築くために、世界中を核爆弾によって滅茶苦茶にしただなんて言って、だれが納得してくれるだろうか。だれが赦してくれるだろうか。まあ、その人類は冷凍睡眠しているから訊きようがないのだけれど。
そう皮肉を思い浮かべて、ぼくはひとつ、違和感を覚えた。
では、人類はいったいどうして冷凍睡眠している。
ぼくたちは、なんのために造られた。
人類を減らすためだけならば、どちらも不必要じゃないだろうか。
「待ってくれ、ならどうして人類は冷凍睡眠なんてしている。この村を築くことが目的なら、人類の冷凍睡眠も、エンドヴォルヴの存在も不必要じゃないか……」
「その通りだ。本来の計画には冷凍睡眠もエンドヴォルヴも計画されていなかった。それは後から付け加えられた計画だからな」
「別の計画って、なに」
ほんの少しの、沈黙。それはまるで罪を自供することを躊躇っているよう。けれど、老人は覚悟したのか、それとも諦めて開き直ったのか、語りはじめた。
「アメリカを滅ぼすことを、第三次世界大戦を引き起こして世界を白紙に戻すことを決めた世界政府は、その引き金を引きながらも、その行いの正当性について、迷っていた。なにせ、人類のほとんどを虐殺する計画だ。その代償はあまりにも大きなものだった。そして、世界政府はその覚悟を背負いきることができなかった。自らの手で、全人類を虐殺することに耐えられなかった。そこで、世界政府は、折衷案をとることにした」
話を聞きながら、
唐突に、ぼくは答えに辿り着いた。
世界政府がとった折衷案とやらの正体に、ぼくは気付いてしまった。
ぼくはその答えが間違いであってほしいと思いながら、けれど、それが真実であるのだろうなと、悟った。
「人類の命の責任をエンドヴォルヴに全て投げ捨てたってわけか」
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