Endv0lve ③

 その「言葉」から思い浮かべる光景は、人それぞれだ。

 言葉には、たくさんの情報因子が詰め込まれている。それは色や匂いや音、そして形などなど……、様々な形式で言葉を彩っている。

 そして、人間の脳には、言葉からそれらを抽出する機能が備わっている。例えば「赤い」という言葉から、人間は色を見出すことができる。色だけに拘らず、「赤い」という言葉から匂いも音も見出すことができるだろう。

 けれど、その抽出した色や匂いが、すべての人間の中で共通のものを見出しているわけじゃない。ぼくが「赤い」という言葉から抽出した色と、誰かが見出した色とでは、別の色を見出しているかもしれない、ということ。そこに相違が生じるのは、ぼくの脳とだれかの脳とで、脳を構成している情報因子が違うからだ。

 記憶と記録。それが脳を構成する情報因子。当たり前だけれど、この脳は、知らないものは知らない。知っているのは、知っているものだけ。そういうわけで、言葉から抽出できる情報因子も、知っているものだけ。だから、ぼくが「赤い」という言葉から抽出する色や匂いは、ぼくの記憶と記録の中にあるたくさんの色や匂いの中から「赤い」という言葉に最も近いものを選択して紐付けたものにすぎない。

 そういうわけで、言葉から浮かび上がってくる景色は、千差万別だ。きっと、この世界に一人だって、ぼくと同じものを想像している者は存在しないだろう。だって、誰の一人だって、ぼくと同じ生涯を生きていないのだから。

 けれど、だからといって、皆が思い浮かべる光景がまったく違うものというわけではない。もちろん、まったく違う場合もあるけれど、ほとんどの場合が、微妙に違う程度。そこに少しの差異はあれど、大体は、似たようなものを脳に描いている。

 そういうわけで、ぼくの目の前に広がっている光景を、

 紛争地域のようだ。

 と称すれば、そこにある程度の誤差はあれど、おおよその景色がイメージされるだろう。

 砕け散った瓦礫の山と剝き出しになった鉄筋で構成される庭

 風通しの良すぎる天井のない家

 この光景はどこか、あの日見た、名前を失ったプラハの街並みを思い出させる。プラハと呼べるすべてを失ったプラハ。文明を跡形もなく失ったプラハ。

 けれど、ぼくの目の前に広がっている風景は、あのときのプラハと明確に違うところがある。いや、プラハだけじゃなくて、紛争地域のようだ、という言葉から恐らく思い描かれるであろう風景とも、違うところがある。

 それは、人間が幸せそうに暮らしているということ。

 少年に連れられてぼくは人間が暮らしている村まで来たけれど、そこは紛争地域のような街並みで、それでいて、人間は幸せそうに暮らしていた。子供たちは瓦礫を除けて作られた道路をはしゃぎながら駆けているし、丸見えの家屋の中で昼寝している大人も見える。この街の人々が作る街の空気は穏やかで涼しい。

 さて、ここで浮かび上がる疑問が一つ。

 いったいどうして、彼らはこんなところで生活を築いているのだろうか。

 まったく、いよいよ、わけが分からなくなってきた。

「なあ、少年、村長のところへ行く前に、少し休憩させてもらってもいいか」

 ぼくは少年に尋ねる。少年は頷いて了承の旨をぼくに伝えた。

 背もたれに丁度良さそうな大きな瓦礫を見つけて、背中を預けて腰を下ろす。抱えきれない疑問の数々をこのまま預けてしまいたくなるくらいに、疲労が蓄積していた。冷たい背中の瓦礫が心地良い。

 ポケットから葉巻を出して、一服する。そういえば、葉巻は朝にベルカから貰って吸ったきりだ。ゆっくりと葉巻を吸うことができる時間が幸福だと感じる。けれど、ベルカはもう、この幸福を味合うことすら叶わないのだなと、そう思うと、この幸福を味合うことが罪のように感じる。それでも、ぼくはこの罪の味をたっぷりと堪能しないといけないと思う。だって、それこそがベルカの望みだったはずだから。

 ベルカの遺した後悔の言葉。

 心の叫びが正しいとされる世界。

 それは、情動による衝動を許す世界。

 自らのありのままで生きることを許す世界。

 そんな世界を、ベルカは望んでいた。

 それはきっと、昔の世界だ。人間が戦争をしていたころの世界だ。情動が行動の原動力として成立する世界だ。エンドヴォルヴの獲得した絶対的な理性では成しえない世界だ。

 ぼくはその世界を、望んでいるわけではない。それを否定するつもりもないけれど、ぼくはあくまでも、人類の存在しない世界を認めることができないだけで、争いのある世界を、戦争が許される世界を築きたいわけじゃない。

 人類と共に、平和を築いていきたいだけだ。

 それがどれほど難しいことなのか、ぼくには分からない。人類が争い合うことを止めて、平和を築き上げることがどれほど難しいのか、ぼくには分からない。

 人間の未完成な理性が情動を抑えきれないことを、ぼくは知っている。けれど、それは過去の歴史の話で、つまりはエンドヴォルヴがいなかった頃の話だ。今、この世界にはエンドヴォルヴが存在している。平和を維持することができるエンドヴォルヴが存在している。だから、これからの未来、人類とエンドヴォルヴが手を取り合って生きていくことで、人類が平和を手に入れることができるかもしれない。ぼくはそういう希望を信じていきたい。

 ふと、ぼくは視線に気付く。少年がぼくを――というかぼくの葉巻を――物珍しそうに見つめていた。

「葉巻、興味あるの、吸ってみたい……」

 ぼくは少年を誘ってみる。

 葉巻を凝視しながら首を幾らか揺らした後、少年は葉巻を拒んだ。

「そう……」

 少年の年齢も年齢だし、ぼくも強く勧めることはしないで葉巻をポケットへしまった。なぜだれも葉巻を拒むのか、興味を示さないのか、そんな悲しみを抱えつつも、心のどこかで、ベルカの形見でもある葉巻の本数が減らずに済んだことにちょっぴり喜んだ。

 興味、という言葉を自分で使って気が付いたけれど、この村の人間はいったいどうして、ぼくを見ても驚かないのだろう。いくら人型自律戦闘機の容姿が人間とほとんど変わらないと言っても、この村の人々の基本的な体系とぼくの体系とじゃ大きくかけ離れている。この村の人々は少年を含めてみんな、痩せ細った体系をしている。対して、ぼくは百年前の人間の標準的な体系だ。というか、体系以前にぼくの服装はスーツだ。この村の住民が着ているぼろぼろの薄い布切れとは違う。そんな服装で、日頃見ない顔つきの男が村に訪れているのに、いったいどうしてここの住民は違和感を感じていないのだろうか。

まあ、こんな紛争地域のような場所で当然のように生活している連中だ、感性がどこかしら異常でもなんら不思議ではない。いや、そもそも、ぼくのことなんかより、ここで暮らしている人々は一体どうしてこんなところで生活しているのだろうか。だって、百年が経っているのだぞ。永遠の冬がどれくらいの年月、続いたのかぼくは知らないし、あの日から今日に至るまでの間、どれほど過酷な日々を過ごしていたのかも知らない。だから、ぼくがどうこう言える立場じゃないけれど、一体どうして、こんな一昔も二昔も前のような環境で生活しているのか。

 とにかく、今は村長に会うことだ。

 そこにある程度の答えが用意されているはず。

 一服し終えて、村長のいるところまで向かった。この瓦礫の塀に囲まれた蔦がねっちりと絡みついている教会のような建物の中に、村長はいるらしい。

 内装は外装ほど悲惨なものではないけれど、それでもやはりプラハの大聖堂なんかと比べると大違いだ。華やかさ、なんて称賛の言葉はこの教会には絶対装飾されないだろう。せめて時代の味を感じる、だとかだろうか。実際、かなり古い建物なわけだけれど。

 装飾品は、ない。恐らく元々は教会だったのだろうけれど、現在はただの建物のようで、この形を成した石の山は意味を憑依していない。無宗教という意味では、あの大聖堂と同じだ。

 宗教という概念。

 人間の多くは、神の存在を信じた。それがこの世界の理不尽に対する不満の置き所だったのか、あるいは、自らの意思の決定を神に投げ捨てる場所だったのか、それとももっと別に理由だったのか、無宗教のぼくには全然分からないことだけれど、とにかく、神の存在は人類に多大な影響を与えた。宗教を原因とする戦争なんて山ほどあるし、というか、この世界の大半の戦争には宗教が絡んでいたりする。

 エンドヴォルヴは無宗教だ。それはこの世界に教会がないからってわけでもないし教祖がないからでもなくて、ただ単に、エンドヴォルヴは神の存在を必要としていないからだ。なぜって、エンドヴォルヴにとって、質量を持っていない神は、存在を証明できない神は、信用に値しないから。理性的な、堅実な思考と倫理観で絶対的なものしか信用しないエンドヴォルヴにとって、神など人間と同じくらい信用に値しないもの。つまり、エンドヴォルヴにとって、神を信じることは人間が平和を築けることを信じるくらいにふざけた話ってわけ。そう考えると、ベルカが神を信じていたのも納得する。

 情動を抑制する理性が壊れているらしいぼくもベルカと同じように神を信じたっていいのだけれど、ぼくは神を必要としない世界を目指しているのだから、神を信じていない。

 神を必要としない世界。

 つまり、

 人間が平和を築ける世界。

 教会の奥、地下へと続く階段を下っていくと、一室が見えた。この中に、村長がいる。少年はぼくへそれを伝えて、ぼくを置いて階段を上って帰っていった。

 この先に、この村で感じた違和感に対する答えがある。

 もしかすると、人類を救出する手掛かりも手に入るかもしれない。

 扉を叩いて、部屋へ入る。ぼくの視界に広がったのは、たくさんの本だった。

 書架。

 右を見ても左を見ても、ずっしりと本が詰め込まれた本棚が並んでいる。紙の本が、並んでいる。永遠の冬で人類が地上から姿を消すよりもずっと昔に姿を消した、紙の本。電子書籍が主流となって廃れた、紙の本。

 部屋の奥に、一人の老人が椅子に座って本を読んでいた。

「紙の本がどうして廃れていったのか、きみは知っているかね」

 オレンジの火がぼんやり灯る静かな部屋の中で、老人はぼくへ問うた。

「紙の本よりコストの掛からない電子書籍が市場に台頭してきたから、ではなかったでしょうか。電子書籍は紙の本と違って肉体を必要としないから、製作コストが掛かる紙の本が廃れた。端末があればいつでもどこでも読める手軽さや世間の流行が原因ではなくて、企業側の金銭的な問題が原因だったと認識していますが……」

「その通りだ。紙を東南アジアから輸入するよりも、ネットの海に本を一冊浮かばせる方が遥かに安く済んだからね。本の本質は文字、言葉だ。言葉を載せるのに、わざわざ紙を使う必要なんて、どこにもない。だから、紙の本が廃れていくことは当然の流れだった……」

 

「けれどね、わたしは紙の本が好きだったのだよ」

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