Re:v0lut10n ①
蒼い空に咲く尖塔、それはプラハのプラハたる所以だ。つまり、プラハが百塔の街と呼ばれる理由だ。プラハをそう呼ぶ理由はその目で確かめるのが一番手っ取り早い。この街のどこだっていいのだけれど、とにかく、プラハの少し高い場所まで足を運んでそこからプラハの街並みを一望すれば、プラハの百塔の街たる理由は分かる。この街の空はどこを見ても尖塔が美しく咲き誇っている。
赤い屋根と白い壁、そしてそれらを華やかに仕立てるために添えられた緑の木、それがとりわけプラハを彩る三原色。青いキャンバスにそんな鮮やかな色を塗っていくのだから、プラハはとってもカラフルで賑やか。
それが百年前のプラハを語る謳い文句だ。プラハは世界有数の観光地で、第三次世界大戦が勃発するまで、毎年、多くの観光客が訪れて賑わっていた。この街の景色が生み出す独特な空気が、たくさんの観光客を魅了した。プラハで買う服はオシャレというベールを纏っていたし、プラハで食べるものはオシャレというソースがかかっていた。人々がプラハの街を訪れたそのとき、プラハの街の空気はその人々を包み込んで魔法にかけていた。プラハは百塔の街であると同時に、魔法の国でもあったのだ。
魔法、なんて非現実的な言葉を使ったけれど、この魔法にはれっきとした裏付けがある。なんたって、この街の魔法は実は科学なのだ。というのも、プラハという街が人々を魅了する原因は、この街の外観にある。
プラハは百塔の街と呼ばれるけれど、同時に生きた博物館でもあった。
生きた博物館。
この街は歴史でできている。十四世紀から建築が始まったプラハ城や八百年の時を刻むオルロイはもちろんのこと、この街の石畳だって長い歴史がある。歴史があるのはこの街の風貌だけじゃなくて、カレル橋の上で演奏や商売をする風習や迷路のように細く入り組んだパサージュといったこの街の文化にも立派な歴史がある。
そういうわけで、プラハの街には深い伝統と歴史の魅力があった。そこにいるだけで脳が充足感を味わい幸福に包まれた。プラハの街の空気には匂いもあったし味もあった。
プラハにはたくさんの魅力があるのだけれど、非常に残念なことに、それらは全て百年前のプラハの話。ということを以前ぼくは言ったと思うのだけれど、あれから二年の年月が経った今日、ぼくの目に映るプラハの街並みはというと、実はさっきの発言はそれほど嘘ではなかったりする。
プラハの街はどこを見ても尖塔が美しく咲き誇っている。
プラハの街はカラフルでとても賑やか。
プラハの街は二年の年月を経て百年の時を超越し蘇った。
そういうわけで、ぼくの目に映る今日のプラハはすっかり綺麗な街だ。赤い屋根と白い壁を基調とした建物がずらりと街には並んでいるし、尖塔だってたくさん建っている。この二年で、エンドヴォルヴはプラハの街並みを取り返してみせた。
もちろん、百年の時を超越して蘇ったというのは比喩であって、このプラハの街並みはエンドヴォルヴが造り直したものだ。だから、この街は百塔の街だけれど、生きた博物館でもなければ魔法の国でもない。この街の空気には匂いも味もしない。
けれど、プラハの街並みは驚くほど昔の姿に似せて再現された。この風景を見た人類はそのことに気付かないかもしれない。この街に匂いと味を感じるかもしれない。それくらい、プラハの街並みは忠実に再現された。
そんなプラハの街並みをぼくはいま、鮮やかな緑が敷かれた丘の上から一望している。
心地良い風が静かに吹いて、葉っぱが宙を舞う。
色の薄い葉。若々しい葉。
けれど、この緑は人工的に作られている。人工的……といっても、それは観葉植物という意味じゃなくて、科学によって改造された植物という意味。二年前、動物を完全に淘汰するためにプラハは一度、全て焼き払われた。だから、プラハの全ての植物は動物と共に淘汰された。そんな焦土にわずか二年で緑が芽吹いているのは人類の科学の力の成果による。
通常、植物の成長には長い年月を要する。この丘に並ぶ木々だって、普通に育てれば何十年も年月を費やさないとここまで成長しないだろう。けれど、人類が用意した魔法のような農薬は、あっという間に命を芽吹かせた。そういう事情で、プラハは経ったの二年ですっかり緑を取り戻した。
ちなみにというか、この農薬はかつて、東南アジアの希望だった。第三次世界大戦の前、まだグローバル経済なんていう地球規模の業務委託が成立していた頃、林業は東南アジアに完全委託されていた。
東南アジアは所謂発展途上国と呼ばれる国々ばかりで構成されている。
発展途上国。それは先進国と比べて経済発展の水準が低い、経済成長の途上にある国。
二十世紀に東南アジアの諸国に貼られたその肩書きは、二十一世紀になっても、その国の今現在の実態を問わずにずっと貼られ続け、そして東南アジアの諸国の信用性を傷つけ続けた。だから、グローバル社会が先鋭化した二十一世紀において、東南アジアの諸国は不当な扱いを受けていた。東南アジアのあらゆる特色は他の先進国と不平等に比較され、好き嫌いという情動的要素によって拒絶された。そういう事情で、東南アジアは先進国が代替できない林業を命綱にするしかなかった。
そういうわけで、この農薬は東南アジアの希望だった。森林伐採と植林活動を高速周期で繰り返して生計を立てていた。世界がどれだけ発展して機械化が進んでいっても、林業は人間の生活に欠かせない事業だったから、その希望の灯火が消えることはなかった。けれど、林業は儲かる事業でもなかった。だから結局、東南アジアの諸国が先進国として前進することはなかった。そして、第三次世界大戦が勃発したとき、東南アジアの諸国は発展途上国だったが故に、いとも簡単にロシアに滅ぼされた。
東南アジアの希望だった農薬のおかげでプラハは無事に緑を取り戻したわけだけれど、では、プラハはどうやって百塔の街たる容姿を取り戻したのか、という話をしよう。
自動識別対人戦車をはじめとする無人兵器はプラハに住まう獣たちを殺し尽くした。プラハの街から心臓の音が消えるそのときまで銃弾の雨を降らせ続けて、雨が止んだとき、プラハには赤い水溜まりができていた。
プラハを侵蝕していた緑の呪縛も焼き払われて、プラハの地上から全てが消滅した。そして、プラハの再構築が始まった。
プラハの復興作業は地下施設に眠っていたロボットに委託された。プラハの街並みを再現するプログラミングを施されていたロボットたちは、機械を器用に扱ってプラハを再建し始めた。そうしてプラハが復興している間に、他のエンドヴォルヴたちがぼちぼちとプラハに辿り着いて、現在、五十ほどのエンドヴォルヴがプラハで生存している。
プラハを奪還して一年半ほどが経過して、プラハは今の姿を取り戻した。ぐちゃぐちゃに潰れていたパサージュは綺麗に建物が並んでいるし、オルロイは再びプラハの心臓として時を刻み始めた。ちなみに、ぼくを黒い世界へ飲み込んだヴルタヴァ川は上流に放水路が設けられて、今はこの街の空気のように穏やかに流れている。
こうして無事にプラハの街は再建したのだけれど、人類は未だ、地下シェルターに眠っている。プラハは蘇ったけれど、世界はまだまだ大自然に覆われたままだ。数億もの人間が生活する空間を、未だ用意できてはいない。
それに、人類を蘇らせる上で課題になるのは土地の問題だけではない。それよりも、食料問題の方がより重要な課題になる。数億もの人間が一斉に地上へ出てくるということは、数億もの人間の食料を用意しなければならないということだ。もちろん、長い期間保存が効く、宇宙食にも採用されるような食料を用意するのだけれど、いかんせん数が多いのが面倒なのだ。エンドヴォルヴは食事を摂る習慣がないから、なおさら面倒に思う。まあ、面倒といってもそれを行うのはぼくたちではなくプログラミングされたロボットだから、本当のところは関係ないのだけれど。
とにかく、人類を蘇らせるのはまだまだ先だということだ。一年ほど前からプラハと同時進行でプラハ周辺の地域も復興に取り掛かってはいるけれど、この街のように復元されている状態には程遠いのが現状だ。そういうわけだから、ぼくたちは未だに生まれ故郷のイギリスにすら行ったことがない。イギリスがジャングルになっているのか海に沈んでいるのか、そういうことすらぼくたちは知らないのだ。
けれど、だからといって、ぼくたちが焦る必要はどこにもない。ぼくたちは無事にプラハを奪還して、プラハという安全地帯を築き上げることに成功した。ぼくたちは命の保証を獲得した。そして、エンドヴォルヴは人間よりずっと長生きだ。だから、エンドヴォルヴは人間みたいに生き急ぐ必要はどこにもない。人間みたいに自身の保身と欲望のために命を擦り減らす必要はない。ゆっくりと着実に未来を歩んでいけばいいのだ。そうすれば、いずれ人類が地上へ蘇る日が訪れる。
人類の救出。
それはエンドヴォルヴが生まれ背負った使命だ。エンドヴォルヴはプラハの地下シェルターに眠る人類を目覚めさせなければならない。永遠の冬によって凍結した人類史を解凍しなければならない。エンドヴォルヴは人類の希望であり、人類の救世主だ。
そして、人類を目覚めさせた後、人類と共に平和な世界を築き上げる。この世界に平和の旋律を響かせることがぼくたちの選択すべき未来であり、そして亡き者へ捧げる鎮魂歌でもある。ぼくたちは、これまでに死んでいった亡き者のためにも、生きなければならない。そういう風に、ぼくは思っている。
亡き者。
これまで、たくさんの仲間が死んだ。バルスも、リチシカも、死んだ。それ以外にもたくさんの仲間たちが、ぼくたちが生きるために死んでいった。
そして、そういった亡き者たちはみんな、この丘に眠っている。ぼくの目の前に並んでいる加工成形された四十二の石たちはすべて、亡き者たちの墓石だ。下に遺体が入っている墓もあれば入っていない墓もある。これまでに命を落とした仲間たちはみんな、プラハを一望できるこの丘に埋葬され、プラハを見守っている。
四十二という数は、これまで死亡が確認されているエンドヴォルヴの数を表している。
現在、プラハで生存しているエンドヴォルヴは五十人ほどしかいない。エンドヴォルヴが目覚める予定時刻から、すでに二年が経過しているけれど、製造された二百のうちのたったの四分の一ほどしか、現在、プラハで生存していない。死亡が確認されているエンドヴォルヴは四十二人だから、百十人ほどのエンドヴォルヴはこの世界のどこかで生きているか死んでいるかしていることになる。けれど、正直なところ、ぼくは彼らが生きているとは思っていない。というのも、エンドヴォルヴがプラハに辿り着くのは一年前を最後に途切れてしまっているからだ。
たくさんの仲間は死んだ。ぼくたちはこれまで、たくさんのものを失ってきた。生きることを選択するために、たくさんのものを切り捨ててきた。そういうことを繰り返して、いまに至る。
ストレルカはこの結果を、全体の四分の一ほどしか生存していない現状を、称えるべきだと、誇るべきだと言っていた。
ぼくは思う。本当にそうだろうか。
四十二人の犠牲の末に成り立ついまを喜んでいいのだろうか。人類はどこまでの犠牲を想定していたのだろうか。製造された二百人のうち、一体何人が殺される予定で造られたのだろうか。この丘にどれだけの数の墓が並ぶと予想していたのだろうか。
そもそも、この丘を墓地にする必要などあったのだろうか。
そんなことを思いながら、ぼくは墓に花を添えた。
「ライカは本当律儀だよな。墓参りを定期的にちゃんと行うやつなんてお前くらいだぜ」
立派に育った木に身体を預けながら葉巻を嗜んでいるベルカがぼくを笑った。
「全然来ないベルカの方がおかしいんだよ」
「おれはそういうのが嫌いなんだよ。風習とか仕来りとか、そういうの。全くもってクソったれだと思うよ」
「だから今日もその服を着てるわけ……」
「そうだ。スーツなんて動きにくいだけだろ」
「それはそうだけれど……」
「別に何を着たって変わらないだろう。大事なのは気持ちだよ気持ち。おれはむしろ、おまえらみたいに形にばっかり拘る方がおかしいと思うね」
高らかにそんなことを言い放つベルカはいつもの服を着ている。機能性に富んだ、戦場に立つための、人を上手に殺すための戦闘服。
対してぼくは、今日はスーツを着ている。機能性を損なった、儀式に立つための、礼を弁えるための紳士服。
今日はエンドヴォルヴのプラハ奪還から二年が経ったことを祝う式典が執り行われる予定となっている。これまでのぼくたちの成果を振り返って、これからのぼくたちの未来の繁栄を祈願する。そういうことが今日、プラハ城にて執り行われる。
そういう事情で、ぼくはスーツを着用している。というか、きっと、ベルカ以外のエンドヴォルヴはみんな着用している。これからぼくたちはプラハ城へ向かうわけだけれど、恐らく、ベルカ以外に普段着を着ている人は誰もいないだろう。正直な話、ぼくはベルカの隣を歩きたくないくらいだ。
大事なのは気持ちだ、なんてベルカは言っているけれど、ベルカがスーツを着用していないのは恐らく、去年の式典でのあの一件が原因だ。ちょうど一年前に執り行われた一周年を祝う式典の際、ベルカは今日みたいな普段着じゃなくてスーツを着用していた。着用していたのだけれど、スーツなんていう着慣れない、動きにくい服装を着用していたから、ベルカは舞台の上で盛大に転倒して、会場は笑いに包まれた。
ぼくは思う。本人の口から決して真実が語られることはないだろうけれど、多分、ベルカがスーツを着用していないのは、これが理由だ。
墓参りを済ませて、ぼくたちはプラハ城へ向かい始める。東南アジアの希望で作られた緑の丘を下り始める。この美しい緑に挟まれながら葉巻でも吸おう、そう思ってぼくはポケットを弄ろうとして、今日のぼくはスーツを着ていることに気が付いた。葉巻はきっと、いつもの服のポケットの中だ。いつもと違う服を着たせいで、ぼくは葉巻を忘れてきてしまった。
別に葉巻は式典には使用しない。だから、忘れてきたところで問題はない。
けれど、この二年ですっかりで葉巻愛好家……というより葉巻中毒者になってしまったぼくにとって、葉巻を一日吸えないことは由々しき問題であった。
隣を歩くベルカは吞気に煙を噴かせている。
ベルカから葉巻を貰おうと思ったけれど、ベルカに葉巻を忘れた原因を察されることはなんていうか癪だった。ぼくはついさっき、ベルカの服装を馬鹿にしたばかりなのだ。そんなぼくがベルカに葉巻を借りようだなんて、アメリカンジョークもいいところだ。
けれど、いまからぼくの部屋に葉巻を取りに戻るほどの時間の余裕もないし、なによりぼくはいま、葉巻を吸いたかった。
少し悩んで、ぼくはアメリカンジョークを身体で披露ことにした。ぼくの羞恥心という情動かもしれないなにかは、簡単に理性に掌握されて押し潰された。
「ベルカ、葉巻をくれない……今日は式典の日だから、部屋に置いてきたんだ」
自然に、飾らずに。ぼくは身体中のありとあらゆる部分を平然で装飾してベルカに葉巻を要求した。そもそもの話、ベルカに忘れてきたことがバレなければいいのだ。バレなければ、恥を掻くこともないのだ。
「ああ、いいぜ」
ベルカはすんなりと葉巻を差し出した。
「助かる」
葉巻は静かに火を灯して、すうっ、と空に細い白い線が描いていく。
「良かったな。おれがスーツじゃなくて」
刹那、白線は突然膨張して美しさを喪失した。
「ベルカ、おまえ……」
全てを見抜かれていたらしい。
「式典を理由に葉巻を置いてきたなら、式典前に葉巻を吸うかよ」
「それはそうだな」
葉巻を要求する情動が、ぼくの完璧さを壊していた。人間を超越した量子コンピュータであっても、葉巻には勝てないらしい。
「おまえにこんな恥を晒すくらいなら、葉巻、辞めようかな……」
葉巻から昇る煙のように、ぼくは呟く。
「なに、禁煙するの……」
「こんなことはもうゴメンだからな……ただ、こんな恥を掻くくらいだ、ぼくに禁煙は無理かも」
「いやいや大丈夫だって。禁煙なんて簡単だよ、おれなんてもう百回は禁煙した」
ベルカは自信に満ち溢れた顔で言ってみせた。
「それ、なかなか面白いジョークだと思うよ」
「いやいや。身体で魅せてくれる誰かさんには敵わねえよ」
澄ました顔でそう言うベルカには敵わないと思った。
「まあ、葉巻は多分、辞めないよ。ぼくに禁煙なんてできないだろうし、そもそもする意味もないし」
「する意味はあるだろう。みんなは葉巻が嫌いなんだから、禁煙はみんなのためになるよ」
ぷかぷか、と煙を噴かせながらベルカは禁煙の利点を述べた。
みんなは葉巻が嫌いだ。みんなっていうのはエンドヴォルヴのみんな。この世界に生きている五十人ほどの仲間のこと。みんなは、葉巻を吸って取り込んだ空気がエンドヴォルヴの体内を、主にエンドヴォルヴの脳に該当する量子コンピュータを煙が汚して損傷させる可能性を指摘して、葉巻を避難している。かつてのリチシカのように。
そういうわけで、この世界で葉巻を愛しているのはぼくとベルカの二人だけだ。ぼくも、最初はみんなと同じように葉巻を遠慮していたのだけれど、ベルカに無理矢理に葉巻を吸わされたときに、そういうことはどうでもよくなった。葉巻は気持ちいい、それだけで十分だった。
「人類が地上に蘇れば世界中にタバコの煙が漂うようになるんだから、ぼくたちが気にすることじゃないよ」
「なるほどね」
ベルカは、ふうっ、と白い煙を一度にたくさん噴いた。雲のように漂った煙は、やがて蒼い空に溶けていく。その境目は曖昧でぼくには分からない。
丘を下り終えて、ぼくたちを挟んでいた木々は建物へと姿を変える。赤い屋根に白い壁のプラハの街並みに。
「そういえば、ライカがプラハに戻ってきたのって、いつ以来だっけ」
「半年振りだよ」
「ライカの所属する遠征班って大変……」
「どうだろう。別に普通だよ」
ぼくは淡々と、そう答えた。
遠征班。それがぼくの所属する部署。
エンドヴォルヴは現在、幾つかの班に分かれて世界の再構築を行っている。ぼくの所属する遠征班はプラハの外の世界を調査して開拓することが仕事だ。この百年で移り変わった地球の地質や生態系を調査したり、街を建設するための準備をしたりする。とはいえ、その作業の大半はロボットやドローンが行うから、ぼくたちの仕事はそれの管理というのが実態なのだけれど。
「けど、ドイツに行ってたんだろう。おれは羨ましいけどな」
「そうかな。ドイツと言っても、ただの森だよ」
世界はどこもかしこも緑だらけだ。百年前、世界が真っ白に染まったのと同じように、世界は緑一色に染められている。かつて人間が暮らしていた街だって、何もなかった砂漠だって、これが本来の地球の姿だと言わんばかりに、緑に侵蝕されている。
緑に侵蝕された二十三世紀の地球は綺麗だった。ドイツはただの森、なんてさっきは言ったけれど、その景色が美しいことに変わりはない。特に、茨に囲まれたノイシュバンシュタイン城なんて言葉に表すことができないくらい美しいものだった。
ぼくはそういう地球の美しい姿をこの目に収めるために遠征班を志願した。だって、それはバルスとの約束だったから。ぼくはバルスの見ることができなかった景色を見る使命を背負って生きているのだから。
けれど、それを壊すのが、遠征班の仕事だった。
だから、ぼくは遠征班の仕事が嫌いだった。
美しい地球の自然を壊して安全なる聖域を構築する。それが遠征班の仕事。この目に納めた美しい景色の数だけ、ぼくは美しい景色を壊してきた。それはどうしようもなく、ぼくにとって辛かった。美しい景色を壊す度にぼくの心は痛みを訴えた。それはまるで、地球の心を代弁するように。
人類の生きた証をすっかり覆いつくした地球の緑を壊す度に、地球はエンドヴォルヴに問うてくる。
その行いは正しいのか、と。
人類を蘇らせることは正しいのか、と。
けれど、この痛みは、この罪悪感は未来へ進んでいる証拠だった。ぼくにとってこの痛みは、この罪悪感は、同時に悦びでもあった。人類が蘇る瞬間へと一歩一歩近づいている実感を与えてくれた。
「それより、ベルカの研究班の方はどうなの……」
遠征について楽しく語りたいことなんてないから、ぼくはさっさと話題を変える。
研究班。それがベルカの所属する部署。新しい兵器の開発とかシステムの整備とか、そういう技術に関する仕事をするところ。
「そうだな……もうすぐエンドヴォルヴが製造できるようになるかも」
「それって、資料が見つかったの……」
「いや、資料は見つかってない。けど、開発は成功するかもって話。あ、これ、おれのおかげなんだぜ」
ベルカは自慢気に、高らかにそう言い放った。ベルカが噓を吐いているとは今更もう思わないけれど、どうでもいいと思った。
現在、エンドヴォルヴが五十ほどの数しか存在しないのは、単純に、エンドヴォルヴを製造することができないからだ。プラハの地下施設にはありとあらゆる兵器や資料が備えられていたのだけれど、エンドヴォルヴに関する資料だけはどれだけ探しても見当たらなかった。聞いた話だと、エンドヴォルヴの故郷であるイギリスが、永遠の冬が訪れたその後も、他国に技術を一切売らなかったがために、プラハの地下施設にもエンドヴォルヴに関する資料が残されていない、ということらしい。あくまで聞いた話だから、真偽は定かではないけれど。
「それじゃ、今抱えてる課題は全て解決するの」
ぼくはベルカに質問する。
「ああ。人員不足は解消されるし発展も加速する。エンドヴォルヴの未来は安泰だ。クソったれなくらいにな」
エンドヴォルヴの製造技術の確立はこの世界に革新をもたらす。ベルカの言う通り人員不足は解消されて世界の復興は驚異的な速度で加速することになるだろう。それになにより、ぼくたちの命の重さが軽くなる。
命の重さ。
エンドヴォルヴは人類を救出する使命を背負って生まれてきた。だから、エンドヴォルヴの死は人類の死を意味する。この命は人一人よりも遥かに重いし、現在、たったの五十ほどしか存在しない。だから、ぼくたちは死ぬわけにはいかなかった。けれど、エンドヴォルヴが製造できるようになると全滅する危険性が大きく低下する。それはなによりの吉報だった。
そして、ぼくは願う。もし、イギリスの過去が事実だったとしたなら、その過去の影響でぼくたちの現状があるのなら、イギリスは、祖国はとんでもなく愚かな国ということになる。だから、愛国心というわけじゃないけれど、この話が不実であることを。
「未来は安泰、か」
石畳の街を歩きながら、蒼い空を仰ぎながら呟いた。
プラハを奪還してから二年が経過した。これまで、たくさんの仲間が死んだ。今日という道を歩くために、幾つもの犠牲を対価に腹ってエンドヴォルヴは未来を勝ち取ってきた。人類が地上に蘇るその日を願って生きてきた。人類が目覚めるのはまだ何十年も先の未来だろうけれど、その日は決して、遠すぎる未来ではない。このプラハが蘇ったように世界もいずれ蘇って、この世界に人類は蘇る。そしてエンドヴォルヴは人類と共にこの世界中に平和の旋律を響き渡らせる。
そんな未来を実現させるためにも、まずは今日を生きることだ。ぼくはいま生きていて、そして、そのことだけに意味がある。ぼくはたくさんの命を背負って生きている。ぼくに未来を託して眠りついた人類の命と、ぼくが生きるために死んでいった仲間の命を背負って生きている。だから、ぼくは生きねばならない。
歴史を失ったプラハの街並みを歩きながら、エンドヴォルヴの生きる証を獲得したプラハの街並みを歩きながら、そういうことを感じていた。
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