第18話~少年と妹~

 ゴールデンウィーク二日目。

 俺は詩音、小春とともに函館へ来ていた。

 札幌駅から函館駅までおよそ三時間半。行きの分は父方の祖父母から。帰りの分は母方の祖父母から交通費を頂いた。

 急遽旅行することに対しても、二組の祖父母は暖かく対応してくれた。記憶を取り戻すための旅と伝えていない分、少しだけ良心が痛む。

 いや、記憶喪失になったということは伝えてあるし、もしかしたら気づかれているのかもしれないけど。

 函館市。我が故郷。

 離れていたのはたった一年。それでも、なんとなく懐かしい気持ちになる。

「小春。これからどうすんだ?」

「お父さんかお母さんが迎えに来てくれるはずなんだけど・・・あ、あと五分くらいで着くって」

 隣に立つ小春はスマホ片手にそう言った。

 今日の小春の服装は、昨日のお出かけで購入したものを着ている。黒をベースとした白い花の模様が施された、レースアップ使い花柄ブラウス。それから、白のフロントボタンスカパンだ。

 服の名称というものを俺は知らない。詩音が教えてくれた。覚える気は、ない。

「そういえばおにぃ、こはるねぇのこと名前で呼んだね」

「んー?あぁ、言われてみればそうだな」

「あ、ほんとだ」

 俺も小春もその事に気付いていなかった。

「それに、口調もいつも通り」

 それにはちゃんと理由がある。

「こいつが全部思い出したって言ってるし、もはや隠す必要もないって思ってな」

 サラッと名前呼びして違和感なかったのも恐らくこれのせいだろう。

「そだねー。昔の真君って最初は丁寧だったのにどんどん荒々しくなってたし」

 今も昔も変わらないそうだ。

 もちろん。口調を崩すのはここだけで、札幌に戻ればいつも通り気持ち悪いくらい丁寧になることだろう。

 さて、と。どうしたものか。荷物もあるしあまりうろつくことが出来ない。函館駅内は今更見るものもない。

することもないので、函館駅前にある赤いオブジェクトの前に紫音を立たせて記念撮影。ここに住んでいる時は気にも留めず、することもなかっただろうが、ここに来るのも希だ。損は無い。

 ベンチに腰掛け鳩を眺める。

「あ、カラス!」

「カブト!」

「鳩だよ?」

 兄妹が鳩を追いかけ両親が楽しそうにそれを見守る。

 なんとも微笑ましい光景だ。小春も少しだけ頬が緩んでいる。

 それから間もなくして、小春のお母さんが運転する車がやってきた。七人乗りで橙色の車だ。

 三泊四日ともなれば荷物は多くなる。それらをうしろに積ませて貰い、小春は助手席に、俺と詩音は後部座席に乗車する。

「久しぶり。真君に詩音ちゃん。おばさんのこと、覚えてる?」

 あいにく俺の方は全く覚えていなかったが、詩音の方は覚えていたようで。

「お久しぶりです」

と、愛想よく返す。それに倣って俺も頭を下げた。

「シートベルトはした?それじゃあ、行くわよ」

 全員の安全確認が済むと、お母さんは車を走らせる。

 確か、小春のお母さんは四十代前半のはずだが、見た目はそれよりも全然若い。いわゆる、美魔女というやつだ。

 小春も顔立ちが整っているのだから当然と言えば当然か。性格も今の小春に似ている。昔の小春が作っていたのもあるのだろうけど。

 車は走り、五稜郭の近くを通過する。

「あ」

 詩音が窓から見える景色に小さく声をあげた。

 ピンク色の桜が満開に咲き誇っていたのである。

「どこを回るか決めてるの?」

 感嘆の声をあげた詩音に微笑を浮かべ、美魔女は聞いてくる。

「はい。なんとなくは」

「ここも入ってるの?」

「そうですね。名所ですから」

 ゴールデンウィーク中に回るのは各名所と住んでいた頃に縁のあるところ。これら小春の記憶を頼りにする。

 すると、美魔女はくすくすと笑い始めた。

「変わったわねぇ、真君。昔はもっとツンツンしてたのに」

 どうやら昔の自分は大人にも素を出していたようだ。みれば、小春も笑いを堪えているようだった。

「まぁ、色々ありましたから」

「僕っ子の真君もいいけど、俺俺な真君も素敵よ?」

 そう言われてもなぁ。全然ちっとも嬉しくない。

「おにぃ。頬」

「別に緩んでないからな?」

「あら、できるじゃない」

 嬉しそうに微笑む美魔女。

 まさか、詩音に嵌められたのか。いや、もう。いいや。

 不貞腐れるように窓に目をやり、流れていく車窓からの景色。懐かしの故郷を目に入れる。

 だからと言って、何かを思い出すわけでもなかった。

 車が走ること二十分弱。

「到着〜」

 白い壁に橙色の三角屋根の一戸建て。

・・・沖野家は橙色が好きなのだろうか。

 そんなどうでもいいことを考えつつ、荷物を下ろす。

 美魔女が扉を開け、小春がただいまと言って中へ。

「お邪魔します」

 俺と詩音もそう言って足を踏み入れる。

 玄関を入って右前方に2階へ続く階段。左がリビングになっているようだ。

「お父さんは夜にならないと帰ってこないから、先に荷物を上にあげとくといいわ。あ、けど、空き部屋がひとつしかないんだけど」

「おにぃと同じ部屋で大丈夫です」

 即座に詩音が反応した。戸惑う美魔女。

「えっと、詩音ちゃん。今いくつだっけ?」

「13です」

「真君はいいの?」

「いいですよ。兄妹ですし」

 別に迷う所はないはずだ。美魔女はしばらく悩んでいたが、ふっと息をついて言った。

「わかった。小春、2階の空き部屋に案内してあげて」

「はーい」

 気の抜けた返事をした小春について行き、今回、泊めてもらう部屋へと行く。

「この部屋を自由に使っていいから」

「おう。ありがとな」

 その部屋には何も無かった。部屋の広さは自分の部屋とあまり変わらなさそうだが、本当にものがない。

 ウォークインクローゼットの中も、ハンガーがと布団が収納されているだけである。

「あ、寝る時はその布団を自分たちで敷いてもらうことになるから」

「わかった」

 今度は詩音が頷いた。だが、二人分の布団がない。

「二人でひとつ?」

「さすがに兄妹でも厳しいよね?ね?」

 どことなく嬉しそうに小春が聞いてくる。

「まぁ、いいか」

「え?」

「別に気にすることじゃない。残念だったね、こはるねぇ」

「えぇ!?」

 詩音が何に対して残念だったねと言ったのは俺にはわからない。けど、小春は本当に残念そうに、そして目を丸くしていた。

 美魔女もそうだったが、どうやら俺たち兄妹が一緒にいるのが不思議でしょうがないらしい。

 同じ部屋で寝るのも、同じ布団で寝るのも、それはすべて詩音が妹だからこそだ。もちろん他の女とはこういうことは出来ないし、こういう状況に陥っても即刻却下する。

「いや、詩音ちゃんはもう中学生でしょ!?」

「中学生がおにぃに甘えちゃいけない理由はないよ」

「真君はそれでいいの!?」

「問題ないだろ。妹に甘えられるのも兄貴の務めだ」

 そう思ったことは一度もないけど。

 たかが兄妹だ。創作でもない限り間違いなんて起きない。これは現実であり、俺は妹に欲情を抱くような男でもない。美魔女もそれがわかっているから許可したに決まっている。

「なんか、なんだろ。モヤモヤする」

「嫉妬」

「ち、ちが!嫉妬なんてしてないし!」

 詩音の返しに小春は喚きながら部屋から退出。それからすぐ隣の部屋の扉が閉まる大きな音がした。

 どうやらこの隣が小春の部屋らしい。

 何をあんなに慌てていたのか。

「さて、と。荷物整理でもするか。詩音、お前も自分の分だけやっとけ」

「わかった」

 持ってきた荷物は、大体のものが入ってる大きなボストンバッグと、詩音の持ってきたリュックサック。詩音は女の子であるため、俺よりも荷物が多く、大きな鞄ひとつでは到底収まりきらなかった。

 詩音の着替えの類は全部詩音の鞄に入っている。

 ボストンバッグには俺の着替えと洗面用具、バッテリーの類が入っている。

 着替えは日付ごとに分けて隅の方へ置き、すぐ使いそうなものは一旦手にしていた出かけようの鞄へ移しておく。

 詩音も大方の荷物の整理が終わったようで、自分のスマホを見ていた。

「詩音。お前がこっちに来るって同級生には伝えてあるのか?」

「ううん。言ってないし、会うつもりもないよ」

 てっきりスマホでかつての同級生と連絡を取っているのかと思ったが、違ったようだ。

「いいのか?滅多にない機会なのに」

「たかが一年会ってない程度だよ?今更話すこともないって」

 そういうものなのだろうか。と、疑問になったが、実のところ俺もかつての同級生にそういった連絡は入れていない。

 そもそも、こっちにいたころの友達の連絡先も片手に収まる程度しか持っていない。

「さーて、と。行くとするか」

 とくにすることもなく、人様の家にずっといるのも落ち着かない。

「どこに行くの?」

「ちょっと散歩だ。行くか?」

「うん。行く」

 俺と詩音は薄手の上着を羽織り、美魔女にも散歩してくると伝えて外に。美魔女からは、遅くならないうちに帰ってきてねとだけ言われた。

「なんか、お母さんみたい」

 ぽつりと詩音が言った。

「実際に小春のお母さんだしな」

「そうなんだけど、そうじゃないというか」

 詩音は寂しそうな目で青い空を仰いだ。

 言わんとしていることはよくわかる。もう、俺たちの母親はいない。何処を行くにしても、あのように見送ってくれる人は全世界どこを探してもいないのだ。

 中学生になったばかりの詩音は、やはり母親と言うものが恋しいのだろう。

 考えても仕方のない話だ。

「ねぇ、おにぃ」

「ん?どうした?」

 家を出てから数分。おしゃれな家が立ち並ぶ住宅地の真ん中で足を止めた詩音は、どことなく気まずそうに言った。

「手、握ってもいい?」

 この時の詩音の感情としては、母親がもういないという現実を再認識させられ、心細くなっている。と言う解釈で間違いないはずだ。

「おう。いいぞ」

 俺は黙って詩音の手を取った。

 そもそも、何度も言うようだが、俺たちは血の繋がった兄妹である。気にするようなことも何もない。

 とても小さな手だった。身体面を考えると当然のことなのだが、掴んでいないと消えてしまいそうな。とても儚い手だった。

 強すぎず弱すぎず、適度な力加減で手を握り、進むこと数十分。

 通っていた中学校にたどり着いた。

「一年ぶりか、ここに来るのも」

「私は一年も通うことがなかったけどね」

「そうだったな」

 数年前に耐震工事が入ったばっかりの比較的きれいな校舎。この校舎は、正面から見るとただの直方体にしか見えないが、上から見ると、漢字の『凹』のような形をしている。

 正面から右側に体育館、さらに右へ進めばグラウンド。

 現在の時刻、午後三時少し前。

 グラウンドで部活をしているのは野球部とサッカー部のみ。体育館の方からは靴と床が擦れる音、ボールを衝く音が聞こえる。バスケ部か、バレー部か。

「何か思い出した?」

「いや、特に何も」

 この場所に来れば何か思い出せるかもと思ったが、小春と関わった以外のことをこの頭は覚えているのだ。

 何かきっかけがなければ難しいだろう。

 この学校で小春と出会った。正確に言えば近くの公園なのだが、この場所で何かを思い出に残るようなことはあっただろうか。

 自分の記憶に問い質すが、当然答えは出ない。

 となれば、やはり最初に出会ったあの公園に行くのがベストか。

「詩音、行くぞ」

 手を引いて学校を横目にかつて歩いていた通学路を歩む。

 そんな二人の背中を、一人の少女はたまたま目にしていた。

「あれ?あの二人って」

 誰にもばれないように、少女は二人の兄妹の姿を手にしていたカメラで写真に収めた。

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