第21話~少年と記憶喪失~
GW2日目、夜。
「真君。少しいいか?」
仕事から帰ってきた小春の父親と共に、美魔女の手料理をごちそうになったその後すぐのこと。
時刻はまもなく午後8時。詩音と共に貸してくれた部屋に戻ろうとしたところ、小春の父親から呼び止められた。
詩音には先に部屋に戻るように伝え、応じる。
「何でしょうか」
「外に出て話をしよう。
洗い物をしていた美魔女、澄夏さんにそう言い、父、
こちらの拒否権と言うものはないようだ。あったところで断れるとも思えないけれども。
一度部屋に戻って上着を羽織る。
「どこかに行くの?」
「そうみたいだな」
不思議そうに表情を歪めた詩音に「いってきます」とだけ告げ、玄関から外へ。
風も、雲もない。それでも、わずかに肌へと突き刺さるような冷気。
真から少し遅れて宏秋さんも姿を現した。
「それじゃあ、行こうか」
ポケットに手を突っ込んで先を歩く宏秋さんについて真は歩く。
沖野宏秋。小春の父親で、年齢は40前半と本人が言っていた。
その割には若く見え、体にはがっしりと筋肉がついているのが、衣類の上からでも見て取れた。
「真君」
低く、渋い声。本人にそのつもりはないのだろうが、威圧されるような響きがある。
「はい」
自然と返事も固くなってしまう。すると、見兼ねた宏秋さんは苦笑を浮かべて言った。
「そう緊張しなくてもいい。ただ話をするだけなんだから」
分かってはいるが、大人と関わる機会というのも、真にはあまり与えられていなかった。教員以外の大人と関わるのは本当に久しぶりで、ましてやそれが元カノの父親である。
緊張しないわけがない。
「真君は、小春の記憶喪失について知っているね?」
数分だけ無言の時間が続き、満を持したかのように宏秋さんは口火を切った。
「はい。知っています。記憶を取り戻す手伝いを頼まれましたから」
「その記憶喪失。原因は聞いているかい?」
ドキッとした。
今、宏秋さんは大事なことを隠して会話を進めようとしている。
小春曰く、小春の身を襲った記憶喪失は2度。1度目は真と別れた前後。2度目は大きな事故だと言っていた。
さて、宏秋さんはどっちの記憶喪失の原因について聞いているのだろうか。
1度目の方であるのなら、真の立場が大変危ういものとなる。
「事故だと、聞いています」
2度目の方の記憶喪失の原因を答えることにする。
「なんでも、生きているのが不思議なくらい大きな事故だったとか」
「あぁ、そうなんだ。けど、僕が言っているのはそのことじゃない。それは2度目の記憶喪失の話だ。問題は、1度目の方の原因なんだよ。真君」
あわよくば事故の内容を聞き出せるかと思っていたが、見透かされていた。
「1度目に関しては、詳しいことは何も聞いていませんよ」
自分にあるとは思いたくなかったし、それだって確証のあるものじゃない。
「いつ起こったという時期は?」
「なんとなく聞いていますよ。春頃の話ですよね?」
「あぁ、そうだ。あの日、娘は学校から記憶を忘れて帰ってきた」
記憶を忘れて帰る。
何かをほのめかすような物言いに首を傾げながらも続きを聞く。
「その日、娘は家に涙を流して帰ってきたらしい。と、言うのも、澄夏から聞いた話だけどね。僕も仕事で小春が帰ってきたその瞬間には立ち会っていないんだ」
どこか残念そうに言い、真は何も言わなかった。
「何があったのかを聞いても、わからないと答える。わからないのに、涙を流し続ける。『何かを忘れたような気がする』ただそれだけを、繰り返して言っていた」
「忘れたような気がする?」
「さっきまでは覚えていた。なのに、忘れてしまった。そう言っていたよ。まるで夢でも見ていたみたいだって」
確かに大抵の場合、夢は見ても忘れてしまう。それが、現実に起きたと。
「真君。君になら、何かわかるんじゃないか?」
街灯が照らす路地で、宏秋さんは足を止めて振り向いて言った。
その顔は悲しそうでありながらも、不思議に思っている。複雑なものだった。
原因はお前にあるんだろう?遠回しにそう聞かれているような気がした。
「生憎、小春が記憶を失った時期には転校していますから、わかりかねません」
というかそもそも、真にもその時の記憶はない。
思い出したのは出会った頃と別れたころ。別れた後に小春が記憶を失っているとしても、フラれたのはこっちだ。小春がショックを受けて記憶を失うというのは何かがずれている。
「そうか・・・」
宏秋さんはどこか残念そうに言いながら、前へと向き直して歩き出す。
それからは無言だった。宏秋さんは何かを考えるように黙り、特に話題のない真も話しかけることもなかった。
それからどのくらい経っただろうか。
夜の闇を照らすぽつりとした明かりが見えてきた。
「ん、見えて来たね」
当てもなく歩いているだけかと思っていたが、ちゃんと目的地があったらしい。
ハセガワストア。函館を中心に展開しているコンビニエンスストア。名物は何と言っても店舗で作る焼き鳥弁当。
焼き鳥と言いながらも使っている肉は豚であり、味はタレ、塩、塩だれ、うま辛の4種類。
海苔弁当の上に3本の串が乗った大変ボリューミーな逸品である。
函館に来たならば、食べておいて損はない。
個人的にはタレと一緒にお米を食べるのが最適だ。
「まだ、お腹は空いているかい?」
先ほどまでの深刻そうな表情が嘘のように、柔らかい笑みを浮かべて宏秋さんは言うのだった。
ゴールデンウィーク3日目。
お腹のあたりに柔らかな温もりを感じて真は目を覚ました。
目は覚めたが、体は動かなかった。
理由は2つ。
1つ目は昨晩食べた焼き鳥弁当(タレ)のせい。元々小食の真が普段のキャパを超えて食べれば、お腹もたまりもう少しだけこのまま寝て居たくなってしまう。
2つ目は、物理的な理由だ。お腹に昨日の物が溜まっている、だけでなく。さらにその上から重さがかかっていて少しけ苦しい。
薄く目を開けてみてみれば、詩音の頭が真の薄いお腹の上に乗っていた。
「寝相悪すぎかよ」
ボソッと呟き、そっと体を起こす。
1つの布団で2人が寝るというのはさすがに無理があったか。
「ま、しゃあねぇか」
詩音の体を少しだけずらし、真は布団を抜け出す。
時刻はまだ朝の6時。だいぶ早くに目が覚めてしまった。
持ってきた寝間着から私服へと着替え、スマホをつける。
今日の行き先を再確認するためだ。
函館に来て今のところ行きたいところと言えば、五稜郭に赤レンガ倉庫。
他にも摩周丸や朝市と言った観光名物もあるが、その辺は計画には入れていない。
そう言えば詩音がスイーツを食べたいと言っていたな。それは成り行きで何とかなるだろう。
後は小春の協力が必要不可欠である。こちらには何でもない場所が、彼女にとっては・・・なんてことも十分にあり得る。
スマホから目を離し、真は昨晩のことを思い出す。
焼き鳥弁当を購入し、その帰り道。宏秋さんはボソッとこう言った。
『娘のことをよろしく頼む』
どういう意味合いを持った言葉なのか、真には理解できていなかった。
記憶にかかることなのか、人間関係としての言葉だったのか。
実際のところ、記憶の部分で言うのなら、今取り戻そうとしているのは真の方である。
小春の記憶を探すはずだったが、彼女は一足先に思い出してしまった。一応は真の功績もあるだろうが、今度は真が追い詰められる番となった。
いらないと思っていた自分の記憶を、取り戻す。
情けない話だ。力を貸していた側が、借りる側になるとは。
自分があまりにも無力で、どうしようもない存在に見えてくる。
人は一人だと何もできないというのを痛感する。
「何でこんな目に合うのかねぇ」
思わずそう呟く。
事故にあわなければこんな悩みを抱える必要もなかった。だからと言って事故のことを今更責める気にもならない。
あれは、不運な事故だった。
忙しい両親が、子供たちのために休みを取って旅行に行く。
苗代家では必ず一年に一度訪れるイベント。その、帰りのことだった。
すっかり夜も更け、苗代一家を乗せた車は峠を越えようとしていた。
天気は最悪。風が吹き荒れ、大粒の雨が車を叩きつける。道路には明かりはなく。ヘッドライトをつけても、視界は悪いままだった。
「参ったな」
車を運転する父はそう呻き、
「だからもっと早く出ようって言ったじゃない」
助手席に座る母は呆れたようにそう返した。
後部座席の真と詩音はそのやり取りをぼんやりと聞いていた。
詩音は眠そうに体をシートに埋め、真は特に何も見えない外を窓から見ていた。
窓に映るのは自分の顔だけで、それでも他にすることがなく、何も考えずぼんやりとした時間が過ぎていく。
―プォー!
けたたましいクラクション。父と母が何かを叫ぶ。体にのしかかる衝撃。
何が起きたのかわからなかったが、それは確実に起きた。
真はその時に気を失い、目を覚ますとそこは札幌市内の病院だった。
どこか見覚えのある少女が椅子に座り、真の胸を枕にするように寝ていて、その姿勢辛くないのかな、なんて思いながら。
―自分の正体がわからなかった。
ここは病院だ。本能的にそれはわかっていた。なら、どうして自分はここにいるのか、そもそも自分は誰なのだろうか。
「あ、おにぃ・・・?おにぃ!」
誰か人を呼ぼうとして、やはりどこか見覚えのある少女が目を覚ました。
自分のことを『おにぃ』と呼ぶ少女。
この子は自分の妹になるようだ。
「おにぃ、大丈夫?」
「悪い、全然大丈夫じゃねぇ」
自分がだれかわからないのだ。大丈夫なわけがない。
ズキズキと痛む頭を押さえながらあたりを見渡すと、ベッドにネームプレートがついているのを見つけた。
「苗代、真。それが俺の名前か」
「おにぃ・・・」
「いや、大丈夫だ。詩音」
確かめるように、そっと頭を撫でてそういう。
まだぼんやりとしかわかっていないが、自分は苗代真という人間で、この子は詩音という妹であることまでまとめて思い出した。
ただ、どうして患者服に身を包んでいるのだろうか。今気づいたが、真の足はギプスで固定されていた。
骨折、だろうか。
さらによく見てみれば、詩音の腕にもかすり傷のようなものが見えた。
何があったのか、詩音に聞こうとしたが、泣き始めてしまったため、それは一度諦める。
「よかった。目を覚ましましたか」
しばらくすると、白衣に身を包んだ、一目で医者だとわかる初老の男が現れた。
「ご自身のことはわかりますか?」
「はい」
さっきまで忘れていたということは伏せて、そう返す。
「では、何が起きたのかは?」
その質問には首を横に振って答える。
「・・・そうですか。今、聞きたいですか?」
「教えてくれないのですか?」
「あぁ、いえ。そうではなくて」
困ったように頬を掻いて医者は言う。
「起きたばかりでは、少々刺激が強すぎるかもしれません」
「よくわかりませんけど、大丈夫です。教えてください」
泣いている詩音をあやしながら、聞く姿勢を見せる。
医者から語られたのは、父が運転していた車が交通事故にあったということ。それにより、二人の両親が遠くに行ってしまったということ。
「・・・そうですか」
全てを聞き終えた真の第一声は、それだった。
「大丈夫、なのですか?」
医者は驚いたように顔色を窺ってくる。
大丈夫なはずない。家族がまとめて二人もいなくなった。泣いたっていいはずだった。なのに、目からは一滴たりとも零れはしない。
「えぇ、大丈夫ですよ」
真は、冷たい微笑みを浮かべてそう言った。
このころから、真の心は壊れていた。
両親の葬式の時には、涙を一切流さない真に『強いねぇ』とほめる人もいれば、『頭がおかしい』と罵る人もいた。
そんなもの、真には到底気にならなかった。
それから、ある程度の記憶は取り戻した。一部の記憶だけがないことには気付かなかったし、気にしていなかった。
「本当に、めんどくさい」
真はそう吐き捨てる。
一人でいれば、何も気にならずのうのうと生きることが出来ただろう。
しかし、人間社会で生きるのに、それは適さない。だから人間関係を築く必要があった。
「龍樹、お前、何を考えてるんだよ」
記憶を取り戻そうと龍樹の力を借りた。その時、小春が彼女であったという情報は与えられなかった。
わざとそうしたのだろう。昨日会った時、そう推測し。そして、今。確信に変わった。
スマホのメッセージアプリに届く一件の新着メッセージ。差出人は龍樹。
『沖野さんとはかかわらない方がいいぞ』
表と裏の記憶 小野冬斗 @_ono_winter
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