第16話~幸せを願う少女~
高台へと続く道を、大きなぬいぐるみを持った高校生の男女は歩いていく。
散歩しようという陽菜の提案を和樹は断りきることが出来ず、かばんに入りきらなかったぬいぐるみ片手について行く。
この先にあるのは、ここ近辺でも有数の高台、のはず。
あまり来ない場所なので確証はない。
過去に来たことがあっただろうかと記憶を巡らせるが、やっぱり、ない。
両側には桜が咲き誇り、舗装された上り坂を進む。二人の間に会話はなく。陽菜は心なしか楽しそうに見えた。
和樹としては、ぬいぐるみを持って歩くということ自体が恥ずかしいため、早く帰りたかったのだが、それを陽菜に言うことはなかった。
「おい、陽菜。何処に行くつもりだよ」
それでも、何処に行って何をするのかくらいは教えてほしかった。
「この先には人が立ち入らない高台があるらしいのよ」
あるらしい。つまり、陽菜もこの辺には詳しくないってことか。
「わざわざそんなところになんの用だ?」
「わからないの?」
ふふん。と鼻を鳴らし、得意げに陽菜は言う。
「人が立ち入らない。それって、秘密の話をするにはもってこいじゃない?」
「何だ?秘密の話でもすんのか?」
「あんたとはしないわよ」
じゃあ行く意味なくねぇ・・・?
「私たちはしない。けど、先客がいるはずよ」
そこまで言われ。ようやく和樹は気づいた。
すっかり忘れ、諦めたものだと思っていたが、俺たちの本来の目的は真と小春の話を盗み聞くこと。
二人がこの先で何か話しているというのだ。
「でも、なんでそんなことがわかるんだ?」
「苗代君から聞いたのよ」
「は?真から?」
確かに当事者からの連絡がなければそんなこともわかりはしないはずだが。それは、自ら行くことを示すようなものである。
「尾行って話はどうなった?」
「初めから尾行なんて成立してないわよ。苗代君は知っていたんだから」
「はいー?」
確かに真は和樹から陽菜がついて行こうとしているという情報を得ている。その一方で、陽菜は真にばれているなど知らないはずだ。
「いつから気づかれていたのかは知らないけど、苗代君からちょくちょく連絡が来ていたのよ。今はどこにいる。ってのがね」
と、なると。真もつけられるのを了承していた。
「そして、この先の高台に二人はいる。そうやって連絡が来てたわ」
陽菜が直感と言って真がいる場所を当てたのは、そんなタネがあったのか。
ここでわからないのが。どうして真がそんなことをしたのか。邪魔されないという確信があり、わざわざどこにいるのかを晒した。
つけられるのは誰だっていい気持ちはしない。なのに、どうして。
何か裏があるようにしか思えない。
気持ちを隠すのが得意な奴だ。何を考えているのかも正直よくわからない。なんだか、嫌な予感がする。
その予感は、直ぐに的中する。
「誰もいないぞ?」
「なんで・・・?」
高台には人っ子一人いない。
もう帰ったというわけではない。陽菜に送られていたメッセージから鑑みるに、帰っているのなら必ずすれ違う。
降りたバス停から高台までは分かれ道のない一本道だったのだから。
二人には知る由もないが、実際に真と小春がいるのはこことは別の高台だったのだ。
「嵌められた!」
陽菜はそう言って悔しがるが。やはり和樹にはわからない。
真がそうした意図を。これをやったときの、真の利点は何だ・・・?
思考に入る和樹に、呆然と高台からの景色を眺める陽菜。
「岸波陽菜さんと。仁双和樹さんだね?」
その声がするまでは、二人は動くことすらできなかった。
声の主は、女。二人が歩いてきた道に入り口に立っている。
黒い髪の少女。
「あれ・・・?」
その外見に、和樹は見覚えがあった。
ゲームセンターでぶつかった少女が、そこに立っていた。
「へー、あなたが和樹さんだったんだ」
幾分意外そうに少女はそう言い、胡散臭い笑顔を浮かべた。
「まぁ、どうでもいいんだけどさ」
「あなた、誰?」
へらへらと笑う少女に、陽菜が正体を探る。
「私たちのことを知っていて、わざわざここまで来るなんて」
「逆にそこまで分かっていてわかんないの?」
煽るようなその物言い。中学生くらいの少女に、バカにされる。
「苗代詩音。苗代真の妹だよ」
そう言われ、和樹はようやく誰かに見覚えがあるというあの感覚を思い出した。そうだ、真に似ているのだ。目元のあたりが特に。
「苗代君の、妹?妹ちゃんがどうしてこんなところに?」
「そりゃ、つけてたから」
「え?」
陽菜は声を出して驚きを露わにした。和樹も、声にこそ出さなかったが口をポカンと開けていた。
「おにぃからの指示。二人の動向を見守って、最後にネタ晴らしする役目」
何が面白いのか、詩音は笑いながらそういうのだった。
同時に、陽菜は何が起きているのかを理解した。
「まさか、苗代君はわざわざここまで誘導したっていうの?」
「そのまさか。大正解。せーっかくおにぃがやる気を出して記憶を取り戻そうとしているんだからね。邪魔されたくなかったんだよ。残念だったね」
いかにも楽しそうに。中学生の少女はゆっくりと種明かしを始める。
「おにぃは陽菜さんにどこにいるのかと言う情報を送った。と、同時に、それは私にも伝わっていた。それから、あなたたちの居場所をおにぃに伝えて、ゆっくりとデートを楽しんでもらった」
陽菜に居場所を正しい場所を伝えていたのは、それから先の情報も正しいと思い込ませるためのものだった。それに、まんまと引っかかってしまったというわけだ。
「おにぃからの伝言『記憶は当事者だけで取り戻す。面白半分で関わってこないで下さい』ってさ」
完全なる線引き。
陽菜は悔しそうに唇を噛み、和樹もぬいぐるみを握る手がいつの間に強くなっていることに気付いた。
今日と言う一日が、完全に無駄だったのだ。すべては、真の手のひらの上。メッセージのやり取りだけで、踊らされていたにすぎないのだ。
「それじゃあねぇ。伝えることは伝えたし、私は帰る」
和樹と陽菜が何も言わないことに満足したのか、詩音は来た道を戻っていく。
高台には、二人だけが残される。
「そんな、小春でさえ、私を・・・?」
スマホの画面を見つめたまま、陽菜はわなわなと震える。
「陽菜?」
「ありえない。小春に、人を欺く術があったなんて」
「何があった?」
「苗代君が助言したから?そうとしか」
こちらの問いにはお構いなしに陽菜の独り言は加速する。
「苗代君は、バスに乗車した段階で私たちのことに気付いていた。何度も欺くふりをしながら、場所を教えていた。小春にも似たようなことを送るように指示して同様に欺いた。可愛い写真を送るのを逆手に取られた。正しいことが続けばどこかで嘘を言われても気付けない。妹を使って私たちの動きを正確に知っていた」
ついに、陽菜の手からスマホが落ちた。それを拾おうともせず、陽菜は壊れたロボットのようにゆっくりとした動作で和樹のことを見た。
「私たちは、負けた?」
珍しく顔を痛々しく歪めている。
「別に勝負じゃないだろ」
「けど」
「相手のプライベートを知ろうとした罰、かもな」
陽菜は、異性と付き合ったことがない。だから、わからないのだ。異性間におけるプライベートを知ることが、いかにプライバシーを侵害しているのか。
尾行と言う行為自体が褒められたものでもない。
ただ待てばよかったのだ。当事者同士が話してくれる、その時まで。
しかし、陽菜は焦ってしまったのだ。焦ってしまったが故に待つことが出来なかった。
「ゆっくり、知っていこうぜ?俺らが知るのは、あいつらが話してくれるその時だ。それまでは、いつも通り過ごそう」
泣いてしまった子供を宥めるように優しくそう言った。
普段は強気で、見た目よりも大きく見える陽菜が、今に限ってはとても小さく見えた。
多くの人から頼りにされているが、結局は同じ高校生。まだまだ子供。お互いに。知らないことだらけで、成長していく時期。
陽菜は、今回の失敗をきっかけに学んでくれただろう。他人のプライベートにかかわろうとすればどうなるのか。
さすがに、和樹もここまでコケにされるとは思っていなかったが、陽菜の尾行が成功しないというのも容易に想像が出来ていた。失敗してもいいように、その時一人ではなく二人の方がつらいことは分け合える。
過去の経験からわかっていたことを実践していた。
人助けは悪いことじゃない。ただし、過保護すぎるのはよくない。陽菜がそれを知ったのなら、今回の尾行は別の意味で成功だ。
「また、頑張って行こうぜ?」
「うん・・・!」
陽菜は和樹の持っていたぬいぐるみをひったくるようにして奪うと、それに顔を埋めた。
強気で姉御肌の彼女が、年相応の女の子に戻ったような。そんな気がした。
二人に兄から伝えるように言われていたことを伝え、高台から家に真っ直ぐ帰ろうと思っていた詩音は、ふとした場所で足を止めた。
それは、墓地。
数百のお墓が並び周囲には桜の咲いた寂しい場所。
この時期にお墓参りする人はいないのか、人は誰もいない。
詩音はその墓地に入り、迷うことなく入り組んだ道を進む。
そして、たどり着いた。
『苗代家ノ墓』
と彫られた、墓。
事故で亡くなった父母も埋葬されているこの墓に、詩音はただ手を合わせる。
兄は、もう、壊れる。
詩音はそう予感していた。
全ては、あの女のせいで。
悪い人ではないのだ。仲が悪いように見えてとても仲がいい。兄が幸せなら、詩音にとってもそれでよかった。
実際、兄はあの女と付き合っている頃は毎日が楽しそうで、幸せそうだった。
けど、引っ越しをしたその前日。
彼女と出かけると言って家を出た兄が、息を荒くして帰ってきたのを見て詩音は何かを感じ取った。
仕事が忙しく、子供たちの人間関係も把握していなかった母親は、ただ走って帰ってきただけに見えたことだろう。けど、違う。
兄の目には、確かに泣いたような跡があった。
そして、察した。
別れたのだ、と。
瞬間。頭がよく、美人のお姉さんだったあの女は憎むべき対象へと変わった。
兄の幸せを一瞬にして奪った女。許すまじ。
と、思っていたのはほんの数日で。
引っ越してからは会うこともないからあの女の存在は薄れていった。
それに、事故によって兄からはあの女に関わる記憶がすべて消えていた。知らない方が幸せ。それでいいと思っていた。
だが、二人は再会したのだ。
あの女も記憶を失っているということだったので、少しだけ意地悪をした。あの女に再度惹かれそうになっていた兄に。
自分が嘘をつく癖は、自分でもわかっている。右手を軽く握る。
あの女に真実を言ったときはわざと軽く握り、兄を騙す。その後も真実を言い、兄を困らせる。
その結果として、結局兄は自分の記憶を取り戻すことを決意してしまった。
ならば、妹である自分の役目は兄を支えること。
第三者の意見はもう意味を為さないとわかり、兄に聞かれるがままに答えた。そして、頼まれた。
邪魔されるかもしれないから協力してくれ、と。
邪魔されるならそれはそれでとも思ったが、兄がいかに本気で思い出そうとしているのかを知り、自分を恥じた。
余計なことをしたとも後悔した。
結局、兄に従ったのだ。それが、兄の幸せにつながると思ったから。
(ねぇ、パパ。ママ。これからも私たちを。特に、おにぃを見守っててね)
ただそれだけを伝えに。詩音は手を合わせて黙祷。
それが済んだ詩音は再度家路につく。だが、家につくことはまだ願わない。一本の電話によって。
それは、兄からの電話。
詩音は道の端に避けて応じる。
「もしもし?」
『詩音か?思い出したよ』
「え?」
『別れた時のこと』
よりにもよって、元恋人たちの最悪の記憶。
「おにぃ、大丈夫?」
最後に声を聴いたのは今朝。その時よりも確実に、兄の声は疲れの色が見えていた。
『大丈夫。詩音。頼みがあるんだけど、いいか?』
兄からの頼み事。断れるわけがない。
「うん。いいよ」
『じゃあさ―』
だが、いつまでたっても続きは聞こえない。電波が悪いのかと思ったがそうでもないらしい。兄の息遣いが聞こえてくる。
「おにぃ?」
『いや。やっぱり帰ってからにするよ』
電話が切れた。
なんだか、兄らしくもない。自身がなく不安げな声だった。
その不安は詩音にも伝染し、歩く速度は自然と早くなっていた。
家についたころ、まだ兄は帰ってきていなかった。
リビングで電気もつけずに詩音は待ち続ける。実際の時間は三十分ほどだったが、不安に飲み込まれていたい詩音にはもっと長く感じられた。
「ただいま」
兄は、ごく普通にリビングへと入ってきた。
「お、おかえり」
「どうした?電気もつけないで」
「いや、えっと」
まぁいいかと兄は笑いながら電気をつけた。
すべてはいつも通り。そのいつも通りが、今の詩音にはひどく不自然に感じられた。
「晩飯、何がいい?」
「おにぃ」
「何だ?」
「どこにも行かないよね?」
ふと思った疑問を口にする。
行かないよ。と笑って言ってくれればよかった。なのに、兄からの返答はない。
「ねぇ、おにぃ。答えて」
「・・・行かないよ」
嘘だ。わかる。妹だから。
「どこに行くつもりなの?」
「お前に隠し事はできねぇか」
引き下がるつもりはないという意思を見せ、兄は己が嘘をついていたことを認めた。
「小春と、旅行に行く」
「え?」
あの女と?
「二人で?」
「いや、お前も行かないか?さすがに思春期の男女二人はきつい」
兄が頼みたかったのはすなわち、これか。
「どこに行くの?」
「函館」
故郷。今はそこに親戚もいないが、故郷であることに変わりはないのだ。
「小春の実家に泊めてもらおうと思ってる。どうだ?」
「記憶探しの旅?」
「そーゆーことだ」
なるほど。そういうことなら。
「行く。おにぃとこはるねぇが二人だと何が起きるかわからないから」
「何もないとは思うけどな」
ならば、最後にこれだけ聞こう。
「おにぃは、こはるねぇのことをどう思ってるの?」
兄は、ふっと笑って言った。
「大嫌いだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます