第17話~少女の出会い~

私が苗代真という男と出会ったのは中学校一年生秋の頃だった。

学校から真っ直ぐ家には帰らず、家から遠ざかるように敢えて回り道。寂れた公園を見つけ、私はそこにあったベンチに引き寄せられるように座った。

固くて冷たかった。けどそれが、私には不思議と心地よかった。

 数刻の間、そうしていた。

 時刻は午後七時を回っている。秋が深まった札幌の夜は冷え込む。なのに、上着は身に着けず、制服のまま。

 着てきたはずの上着は学校に忘れてきてしまった。

―寒い。

 家に帰れば暖かいごはんとお風呂が準備されているだろう。けど今日は、帰るつもりがなかった。

 誘惑はあるが、それを振り払ってベンチの上で膝を抱えて縮こまる。

 このまま風邪をひいて、学校に行かなくてもいい正当な理由を作る。

 あんな場所、もう行きたくない。

行きたくないが、進路を考えるとそうも言っていられない。

 ずる休みと言うものもしたくない。だからこそ、正当な理由が欲しかったのだ。

 同級生たちは私の聡明な頭脳を利用し、教師は頼まれたら断れない私の性格を知ってか知らずか、私のことを使う。

 利用価値の高い人間と言うのが、周囲からの評価。私の気持ちも、感情もそこには含まれない。

 友達でもなんでもない。利用されるだけの存在。

教え子と言う存在じゃない。使われるだけの存在。

 もしも義務教育じゃなかったら私は学校に行っていなかったかもしれない。

 行きたくない。

 こんなの、誰にも言えない。言いたいのに。学校にいる人はもちろん。親にですら、相談できるはずがなかった。

 そう考えると、自然と涙が流れた。

 それを拭おうともせず、私はただひたすら、世界から自分と言う存在を消すのに必死だった。

「どうしたの?」

 そんな声が、頭上から聞こえた。

 聞き覚えのあるような、無いような。男性と言うよりはまだ男の子と言う感じの声。

「家に、帰りたくない」

 誰かわからず、顔の確認もせず、私の口からは自然とこの言葉が零れていた。

 正直、自分でも驚いていた。

 誰かわからない人に本音を告げている自分に。

「風邪、ひくよ?」

「別に、いいもん」

 口をとがらせて私は言った。

 学校では決して見せることのない姿。普段が仮面を被った道化師だとしたら、今の自分は仮面を剥いだ素の自分。

 私の返答には、ため息で返された。きっと、呆れてしまったのだろう。それでも構わない。いなくなるならさっさといなくなれ。

 なんて、考えていると。膝のあたりにほのかに暖かい布の感触。

 着ろ、ということなのだろう。だが、それは有難迷惑だ。

「いらない」

「でも寒いでしょ?」

「別に寒くないし」

 嘘だった。寒かった。

「それに、君が風邪を引いちゃう」

 自分が風邪をひきたがっているのに、またしても仮面を被って相手の心配までしちゃう。

「大丈夫。僕は馬鹿だからね。風邪をひくことはない」

「そんなの迷信でしょ?」

「まぁね」

 迷信はあくまでも迷信。馬鹿が風邪をひいて学校を休むなどよくあること。それに、こんな寒い中、上着を着ようとも受け取ろうともしない私は大馬鹿。風邪を引きたくても引けないということになる。

「だいたい。君は誰?」

 ここでようやく、私は顔をあげて少し斜め前に立つ男の顔を初めて見た。

 同じ中学校の制服に身を包んでいた。顔は、見覚えがないがなんとなく整っている。

「君と同じ中学校、同学年の一組。苗代真だよ。沖野小春さん」

「やっぱり、私のこと知ってるんだね」

 私は三組でクラスが違う。同じ学校でも彼のことは知らない。けど、私はどうやら学校の有名人らしいのだ。彼が知っていることにも驚きはなかった。

「あなたは、どういう理由で私に近づいてきたの?」

 同じ中学校と言うのなら、私に近づきたい理由はいくらでもある。自意識過剰というわけじゃない。経験則だ。

「ただの気まぐれ」

 なのに、彼はけろりとこう言った。

「だったら、放っておいて」

 この男からは、何を考えているのかいまいちよくわからなかった。確かに感情を持っているはずなのに、本心が見えない。

 そのことで無性に腹が立ち、私は目を細くして睨むようにそう言った。そして、確信を得るためにこう聞いたのだ。

「あなたも、私をいいように使うんでしょ?」と。

 肯定はしないだろう。ただ、否定もしない。遠回しにそんなニュアンスのことを言ってくるに違いない。

 ところが、違った。彼は、私の予想を遥かに裏切った。

「使う?僕が君を?違うよ。君が僕を使うんだ」

「え・・・?」

 言っている意味が分からなかった。

「君が僕の上着を使う。君は何も使われていない」

「いや、うん。そうじゃなくて。っていうか、この上着だっていらないし」

 寒いのを我慢し、体をぎゅっと縮める。

「とにかく。君はこの上着を着て。体を冷やしても大変でしょ?」

「うるさい。私、風邪ひかないし。ひいたことないし。こんなの迷惑なだけだし」

 また、人にはあまり見せられない素の姿が出てしまったが、気にならなかった。

「頑なだね。学校に行けなくてもいいの?」

「別にいい。学校なんて、行きたくない」

「どうして?」

「・・・君には、関係ない」

「それもそうだね」

 彼は苦笑を浮かべて立ち去る。上着も持たずに。いらないと言ったのに。

「あ」

 思わず呼び止めてしまったものの、彼は気づかなかったのかスタスタと去ってしまう。

 無償のやさしさを与えることはあっても受け取ったことはなかった。そのため、どうしていいのかわからない。

 いらないと言ったのに置いて行かれたもの。この上着をここに置いておくべきだろうか。

 きっとあの人だって寒い思いをしているはずなのに。なら、返さなくちゃなぁ。

 と、なれば、明日は学校に何としてでも行かなくてはならない。風邪もひいていられない。

余計なことをされた感が否めない。小さな親切大きなお世話だ。

 しょうがない。帰るとしよう。

 ベンチに置かれた黒いパーカーを制服の上から羽織る。

 サイズはやや大きめで、時間が経っているせいか温もりもない。なのに、

「あったかい・・・」

 なぜだか、涙が一粒流れた。




「・・・はる」




「・・・小春」




「小春!起きろ。着くぞ?」

「ん?ふぁああ」

 視界がはっきりとクリーンになる。ここは、あぁ、電車の中か。

札幌駅から函館駅までおよそ三時間半。向かいの席には真君と妹ちゃんの詩音ちゃんが座っている。

 今日はゴールデンウィーク二日目。私にとっては里帰り。真君たちにとっては、記憶を戻すための旅行である。

「ずいぶんと気持ちよさそうに寝てたね」

 窓の外を眺めながら詩音ちゃんは言う。

「うん、夢を見てね」

「どんな?」

「内緒!」

 ニカッと笑い、私は言った。

 そんなことをしているうちに、電車は函館駅で停車。

「荷物降ろすの手伝ってくれ」

 真君を手伝い、下車。

 函館の桜開花時期はもう過ぎ、暖かい日差しが街を照らす。

 北海道南部に位置する街。函館市。


 これからゴールデンウィークが終わるまでの四日間を、この場所で過ごすこととなる。

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