第7話~椅子になった少年~
「え!?なんで私がこはるねぇと会わなくちゃならないの?」
「この現状であいつのことを一番よく知っているのはお前だと思ったからさ」
カフェに行ったその日の晩。真は詩音に小春と会ってくれと頼んでいた。しかし、詩音の反応は予想通り芳しくなかった。
あからさまに嫌な顔をして引き受けようとしてくれない。あまつさえ、やっていた宿題を投げ出し座椅子にもたれ掛かる。
家はそれなりに立派な二階建ての一軒家である。リビングと食卓は別に設け、一階には風呂とトイレ、それから和室がひとつあり、そこに両親の仏壇が置かれている。
二階に部屋は全部で三つ。真の部屋と詩音の部屋。それから、両親の寝室がそのままの形で残されている。
基本的に詩音は自分の部屋には行かない。立派な学習机があるのにも関わらず、宿題をする時も広いリビングで座椅子に座ってやっている。
一方で真は自分の部屋にいることの方が多い。広いリビングはどうにも落ち着かないのである。
「おにぃ。ちょっとこっちに来て」
詩音が自分の座っていた座椅子から避け、そこに真が座るように促してくる。
なんのつもりかは知らないが、これ以上機嫌を損ねるのも悪いので大人しく従い座椅子に胡座をかく。
その上に詩音が収まった。
「何してんだ、お前」
「それってさ、いつの予定なの?」
こちらの疑問などお構い無しに詩音は再度宿題に取り組みながら聞いてくる。
「一応今週の土曜日を予定しているけど」
「土曜日、ね。場所は?」
「それはまだ決めていないが、もしかして会ってくれるのか?」
態度は芳しがった割にやけに積極的に見える。
「おにぃの頼みだからね。本当は会いたくないけどしょうがないよね」
なんだかよくわからないが、聞き分けのいい妹で良かったと心から思った。が、
「なんで俺はお前に座られてるんだ?」
それだけがどうしても不可解だった。
「私はね、おにぃ。こはるねぇとは会いたくないの。けど、頼まれたからには断れないでしょ?」
「俺と同じようなもんか?けど、それがこれとなんの関係が」
「おにぃのM気質と一緒にしないで」
ぴしゃりと詩音は言い放った。お、お前までそんなこと言うのかよ。Mじゃねぇっての。
「私はこはるねぇと会いたくないの」
「それはわかったって。そんなに嫌なら俺も無理強いはさせたくない」
「それはもういいの。会いたくないけど私はこはるねぇと会うことにした。私が今おにぃに座っているのはその対価をもらってるの」
頭にはてなマークが浮かんだ。会いたくないけど会う。そのための対価として座っている。ちょっと何言ってるのかわからない。
「おにぃ、今日は私の椅子ね」
「はぁ?」
こちらの反応に一切興味を示すこともなく、詩音は宿題にシャーペンを走らせる。本人が満足ならそれでいいとは思うが、やっぱり詩音のその感性は分からなかった。
妹に座られているからと言って何かがある訳でもない。椅子にされて興奮されるようなMではないし、ロリコンでもシスコンでもない。実の妹に欲情を煽られるなんてこともない。
ただ、ひとつ思うことがあるとすれば、胡座をかきその上に詩音がいるために、長時間同じ体勢だと足が痛むということだ。
その事を詩音に進言したのだが、「椅子に拒否権はないから」と笑顔で返された。これでは自分の宿題も、風呂を沸かすことも夕食の準備をすることだって出来やしない。
唯一両手は塞がっていないためスマホを触ることが出来る。というか、それしか他にすることがなかった。
手にしていたスマホの画面を点け、暇つぶしにとインストールしていたクロスワードアプリを開く。
先日の様子だと和樹はクロスワードの楽しさというものを理解出来ていないようだった。理解できないものを理解しろとは言わないが、理解する姿勢くらいは見せて欲しいものである。
そんなことを考えつつ、ヒントを元に答えをマスに打ち込んでいく。
信じて頼りにすること『シンライ』。非常食のパン『カンパン』。勿忘草の読み『ワスレナグサ』。巡り合わせ、奇跡の出会い『ウンメイ』。
ここで真はスマホをフリックする指を止めた。
運命、ねぇ。
かつての彼氏と彼女がお互いに記憶喪失となって再会する。女の方は男の方を好きになった。ある意味、運命なのかもしれない。
捻くれ者を自称こそしているが、真は運命だとか奇跡といったことを信じている。たまに、起こりうる可能性の一つでしかないんだから珍しいことでもない。なんて言うやつもいるが、くじ引きで一等賞を引く確率と残念賞を引く確率が同じではないように、起こりうる可能性の限りなく低い一つだからこその感動だってある。
だからと言って、こんな運命に感動は微塵もないけども。
皮肉な運命というやつだ。きっと真にとっては二度と会いたくなかったとしても不思議じゃないのだ。覚えてはいないが、別れていると言うのなら不思議な事じゃない。
一方で、小春の方はどうなんだろうか。
小春は記憶を失ってすぐに苗代真という男を知ったはずだ。
いや、まさか。そんな偶然は、ありえない。
真の脳裏にあまり考えたくもない仮説が浮かび上がった。
けど、その可能性も捨てきれない。
沖野小春は中学時代に苗代真という男を知った。苗代真という男が自分の元カレであることも知った。その頃の小春は周囲から話を聞いても、思い出の場所とやらに行っても記憶を思い出すことはなかった。
ならば、かつて真が否定的に考えていた、かつての恋仲と再開し記憶を取り戻すという考えには至ったかもしれない。仮に、小春が思いつかなかったとしても同級生達からそそのかされてなんてこともありえる。
それが理由でわざわざ札幌の高校に来たというのなら納得が、いや、まだだ。
仮に小春が真のことを知っていたとして、それを知っていたから札幌に来たというのなら、真があの高校に通うということはどうやって知ったというのだろうか。
本当に偶然か。こっちの中学校で小春とコンタクトを取れる奴もいなかったはずだし、何よりも、真があの高校に進学したことを同級生達は知らないはずなのだ。
ただ一つ。小春は初めから真と会うつもりだった、と言うのは確実なように思えた。だとしたら正直気持ち悪いまでに恐ろしい。
全ては憶測だ。しかし、人間という生き物は一度一つの思考に陥るとなかなか抜け出すことが出来なくなる特徴がある。
真は、小春こっちに来た理由としてそれ以外に考えられなくなっていた。
「おにぃ、電話なってるよ?」
その静かな声に真は思考の渦から解放された。静かなリビングで真のスマホが音を出しながら振動している。
その画面を見て真は硬直する。着信者は、沖野小春。
「ちょっと出てきてもいいか?」
「ダメ。おにぃは私の椅子だから。電話するならここでして」
おいおいマジかよと苦笑を浮かべ、真は電話に出た。
「はい。真です」
さっきまで詩音と話していた時とは違う物腰の柔らかい声で電話に応じる。
「あ、小春です」
スピーカーの向こうから少し上擦った声が聞こえる。
「どうかしたの?」
「えっと、土曜日の件についてなんだけど」
キャンセルだろうか。だとすれば嬉しいのだけれど。なんて少しだけ期待するが現実は甘くない。
「どうなったの?」
どうなったって。わざわざそんなことで電話してくるなよ。普通にメッセージで聞いてくればいいものを。
「一応妹も了承したから、いいよ」
詩音がチラッとこちらを見たが気にしない。椅子は座っている者のことを気にしないのである。
「そっかぁ。妹ちゃんにありがとうって伝えて」
真は受話器を抑えて詩音に言う。
「小春がお前にありがとうってさ」
「おにぃに頼まれたからね。感謝されるような事じゃないし。本当は会いたくないし」
「はいはい。分かったって」
真はそう言って笑い、再度スマホを耳に当てる。
「そうだ、沖野さん。聞きたいことがあるんだけど」
「聞きたいこと?」
そう。先程立てた仮説を確認しようと思ったのである。
「元から僕に会うためにこっちに来たってことはないよね?」
出来ることならはっきり「はい」と答えて欲しかった。なのに、小春は何も言わない。受話器の向こう側で小春が焦っているのが容易に想像できた。
「もしかして、当たってた?」
「そ、そんなことは、な、ないよ?」
声は震え、やはり焦っているようだった。
「そこまでして、記憶を取り戻したいの?」
「それらはもちろん。え、真くんは違うの?」
同じ記憶を失った者同士。考え方も同じだと思っていたのだろうか。おこがましい。
「あいにくだけど、僕は殆どのことを思い出しているし、ないことに不満はないんだよ。正直、思い出そうとは思わない」
「私と過ごした記憶も?」
「興味ない」
嘘だ。実はとても興味がある。
恐らくは小春が記憶を失った原因であり、真が唯一思い出せない事柄。忘れてはいけないはずの事で、ずっと心に刻まれているはずのもの。いや、今は自分のことなんてどうでもいい。
「沖野さん。君が記憶を取り戻すことに執着していることは分かったよ。で、君はどうやって僕があの高校に進学することを知ったの?」
「それは、たまたまだよ」
今の言葉で真がいるから札幌に来たというのは確実になった。だが、小春はそれに気づいていない。実にアホである。
「とりあえず札幌に来れば僕に会えるとでも思ったの?」
「実際会えたでしょ?」
「まぁ、そうだけど」
どうやら小春は終わりよければすべてよしと言いたいようだ。しかし、である。札幌は人が多い故に会いたい人とアポ無しで会うなど至難の業だ。
「会えるという確証もないのに、君は両親の反対を押し切ってそこそこに偏差値の高いあの学校を受験したのかい?」
「うん。そうだよ。あそこは今年、定員割れを起こすって噂だったからね」
真は、ただ純粋に恐かった。小春の行動が理解出来ずに恐怖した。
当然のことだとは思うのだ。真と違い、過去のすべての記憶を失った。それを思い出したいという感情もわからないわけじゃない。
こいつは、失敗を恐れていないんだ。
人間という生き物はどうして失敗を恐れて自然と自分の行動に制限を掛けてしまう。失敗してこそ学ぶということを知らない人間があまりにも多いのだ。
しかし、小春は違った。
当時の同級生から話を聞いたり、思い出すきっかけになるような場所に行ったりしても、それは失敗だった。だから、次はもっと可能性の高いものに賭けた。元カレという存在に助けを求めた。
こいつには、勝てそうにないな。
真は心の中で苦笑を浮かべてこんなことを聞く。
「ねぇ。君は僕が君の元カレだと知ってどう思ったの?」
「どうって?」
「そうだね。今一度聞くが、君は僕のことをどう思っている?」
「それは、あの時、高台で伝えたことが、本当の気持ちだよ?」
小春の声はどんどんすぼんでいき、それが本音であることを物語っていた。
「じゃあさ、君の記憶喪失は何が原因だと考えている?」
「えーっと、やっぱり、真君と別れた、こと?」
「疑問形で聞かれても僕には分かりっこないけどさ、別れた相手に再度惚れ直すのは、君自身としてはどうなの?って、最初に聞きたかったんだ」
「んー、よくわからないけど、昔の私も今の私も好みのタイプは変わらないのかなって」
これはなんとなく想像通りの答えであった。
「だと、良いんだけどね」
「え?」
「何でもないよ」
これはあくまでも真の想像ではあるが、今の小春と昔の小春の好みのタイプは全くの別物だ。
これには根拠がある。真自身が事故以来、別人と思われるほどに変化したのだ。見た目こそ変化はあまりないが、行動や考え方、言動さえもが事故以前の真とは異なる。これは、詩音をはじめとして聞いた情報で、信憑性はかなり高い。
今は好きでも思い出せば嫌われる。そのことを真は深く心に刻む。
「とりあえず、土曜日にまた」
「うん。本当にありがとう。またね!」
電話が切れた。
真は深く息を吐き座椅子の背もたれによりかかる。
思いがけず人と話す時はとても疲れる。そのまま目を閉じて眠ろうとも思ったのだが、真を椅子にしている本人がそれを許さない。
「なんかすごい楽し気に話してなかった?」
どういうわけか詩音はお怒りの様子である。
「こはるねぇに気はないって言ってなかったけ?」
「あぁ、俺はあいつに気はない。あいつが俺に気があるだけだ」
「ふぅん。おにぃは好意を寄せられれば簡単に鼻の下を伸ばすんだ」
「はぁ?全然そんなことなかったろ」
「ふん。もういい」
そう言って詩音はやっていた宿題を完全に放置し、真の背中に自身の背中を預けてくる。
「で、おにぃ。何処で会うの?」
しまった。それを決めていなかった。一応場所の決定権はこちらにあるから、言ってしまえばどこでもいいのだが。
「お前、どっかあるか?」
「ここ」
それは真にとって完全に予想外の返答だった。小春のことを嫌っている節のある詩音はまず真っ先に自分の家という選択肢を除外したと思っていた。と、言うか、真自身がこの家には呼びたくなかった。
しかし、詩音はかなり無理をして小春と会ってくれるというのだから、ここでわがままを言うのも違うだろう。
「わかった。小春にはそう伝えておく」
真は苦笑を浮かべてスマホを操作した。
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