第8話~思索する少女~
ふぅ、っと息を吐いて小春はスマホを枕元に置いた。そして、自分もベッドに背中を預ける。
視界に入るのは薄汚れた質素な白い壁と天井。この部屋にあるのはこのベッドの他に学習机。壁で仕切られた洗面台とトイレがある個室。
ついひと月ほど前から始めた寮生活。生活自体には慣れてきたが、この環境には未だ慣れることが出来ない。
実家にある自室は、過去の自分が好んでいたという青で全体がまとめられた部屋だった。今の小春にとってはそこも落ち着かない空間ではあったが、一年過ごすことで慣れることはできた。
もう一度深くため息をつく。
この部屋には何も無い。過去の記憶のように、何も無い。
小春は真の推測通り、真が札幌にいると知って札幌の高校を受験した。札幌に住んでいれば、同じ市内の高校ならば、見つけるのは容易いと思ったのだ。
それを知った親には猛反対されたものの、結局自分の気持ちを貫き通した。
結果。本当に偶然に真と同じ高校に入学した。それを知ったのは入学式のことである。
入学式での呼名。半分近く寝ていた小春の耳にはその名前がやけにはっきりと聞こえた。危うく声を出して立ち上がりそうにもなった。
それからだ。この状況を手助けしてくれそうな人をクラス内で見つけて声をかけた。それが、陽菜。
陽菜に記憶喪失であることを明かし、真のことを調べてもらった。こちらは、彼のことを知らない、という体で。
中学の同級生からの話で、彼が自分の元カレであることは分かっていた。そして、時期的にそれが記憶を失った原因。
そんな彼に、小春はもう一度恋をしてしまった。
記憶を取り戻すために見せてもらったことのある、昔の真とは雰囲気がまるで別人だった。と、言うか、真の昔の姿を今の小春はあまり好きではなかった。昔の自分の感性を疑うほどに。
今の自分と、過去の自分は何もかもが決定的に違う。記憶と共にかつてできていたことも失い、性格と好みが変わった。
「はぁ、辛い」
思わず口に出してしまうほど、小春の心は憔悴していた。
簡単なことではないだろうとは思っていた。そもそも、真と同じ学校に通えたのすら奇跡に等しい。けど、問題はここから。真と出会えたことはまだスタート地点でしかない。
一応、真の方の協力は仰げた。本当なら、ドラマとかみたいにもう一度恋仲になるのが記憶を思い出すにはいいのだと思う。
しかし、どうやら真は小春のことを生理的に受け付けないのだという。本能が小春のことを嫌っているのだという。
もう一度恋仲になるというのは、不可能。真は小春の記憶が戻ったら告白の返事をすると言った。記憶を失った原因が真にあるのなら、思い出したことによって嫌いになってくれると思っているから。
きっと、それは違う。小春は記憶を思い出しても真のことは嫌いになれないと思っている。なにせ、記憶を思い出そうと人格そのものは変化しないはずだ。
記憶を失って人格が変わるのは、かつての自分がどんな風に振る舞っていたかを覚えていないから。じゃあ、人格そのままで昔のことを思い出せば人格が変わる?
分からない。多少の変化はあるかもしれない。それでも、根本的な部分は変わらないと思うのだ。
ならば、真にも思い出してもらう必要がある。本人は興味がないと言っていた、小春と付き合っていた時のことを。
いや、小春といる以上、真は嫌でも思い出すということになる。小春の記憶を戻すことすなわち真との思い出も含まれているのだから。
まずは、土曜日。真の妹と会うことで何か得られることを願おう。
小春は覚えていないが、どうやら昔の小春は真の妹とも仲が良かったらしい。妹ちゃんは記憶を失ってはいないだろうし、二人のことを一番よくわかっているだろう。
きっと真もそれがあって妹と会うということを提案した。
あ、そういえば。何処で会うのかをまだ決めていない。できることなら向こうの家に行ってみたいような気もするが、きっと真が嫌がるだろう。
なんてことを思いながらスマホの画面をつけて静かにガッツポーズをする。
真からメッセージが届いていた。
『土曜日うちで』『一旦学校に集合しましょう』
一旦学校集合というのは小春が方向音痴であることを見越してだろう。そう言う小さな気遣いがとても嬉しかった。
『はーい!』『了解です!』『楽しみにしてまし!』
と、返信する。誤字をしてしまったのも気にしない。
それから、真から返信が来ることはなかった。・・・が、彼はそう言う人だと、小春は分かっていた。
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