第9話~真実を知る少女~
土曜日。手元のスマホは午前九時を示している。この時間が真が小春に指定した学校への集合時間である。のだが、校門の前には真しかいない。
案の定。小春は時間通りには現れなかった。
小春は真の家を知らないうえに、重度の方向音痴。地図を送ったところでたどり着けるとは到底思えない。なので、学校で一度落合い、一緒に行くというかなり面倒なことをすることにしたのだが、
「まさかあいつ、学校までも迷うんじゃないだろうな」
誰にともなくそう呟く。
流石にそれはありえないとは思う。もしも学校に行くのにも迷うほどならば、あいつはそもそも登校だって出来やしないのだから。
だが、前例が二つほどある。
学校内ですら迷うこと。知っている道ですら迷うこと。
この二つの前例があるために、真は余計に不安になる。
いくらあいつの事が嫌いといえど、嫌いな奴を心配できないほど心は壊れていないつもりだ。
時刻は九時半を回った。
そういえば、最初に集合した時もあいつは三十分以上遅れてやってきた。これから待ち合わせするようなことがあれば、今度からは元の時間よりも三十分ほど遅れても問題ないかもしれない。なんて思ってしまう。
現在四月の下旬。五月まではあとほんの数日しかない。
そんなわけで、北海道にもようやく春らしい春が訪れる。
つい先日までは路肩にも雪が残っていた。しかし、今ではそれもなくなり春ならでは暖かい日差しが札幌という街を照らしている。
「ま、真くん!」
やっと来たか。そう思い声が聞こえた方を見て少しだけ驚いた。
普段制服しか着ていない女子高生の見慣れない私服姿。いわゆるギャップという奴だろうか。
好き嫌いは別として、小春のルックスは悪くない。昔のことをよく知っている詩音と、ぼんやりとだけその容姿を覚えている真でさえ見間違える程には昔とも変わっているが、可愛いの部類に入っているのは間違いない。
今日の小春は白のインナーに青のカーディガンを羽織り、膝にかかる程度の長さのピンクのスカートを身に着けている。それが真には素直に可愛いと思えた。もちろん、こんなので好きになるほど単純ではないが、目を奪われたのは確かだ。
一方で小春も真の姿をジロジロと見ていた。
「どうかしたの?」
「いや、えっと、新鮮だなぁって」
お互いに考えることは同じらしい。今日の真の服装はジーンズに黒いパーカーというあるものを着ただけのものだが、それでも制服とのギャップは大きい。
それは別に構わないのだが。小春はもっと別に言うことがあったはずだ。約束の時間から三十分も過ぎている。
「遅かったけど、何かあったの?」
「え?あ、お恥ずかしながら、迷ってしまいました・・・」
マジかよこの方向音痴。なんで普段登校している学校への道ですら迷うんだよ。いや、それよりも。
「君は普段どうやって学校に来ているの?」
「歩いてだよ?」
「違くて。手段を聞いているわけじゃないんだ。普段は遅刻せずに学校に来れてるの?」
「もちろん!今のところ無遅刻無欠席だよ」
「じゃあ、普段は誰かと一緒に来ているの?」
「え?私の交友関係が気になる?」
う、うざい。
思わずそう思ってしまう。交友関係が気になるとかじゃなくて、普段は迷わずに来れているのかを聞きたいのに。どうして回り道をしなくてはならないのか。馬鹿と話すのは本当に疲れる。
なんて、本心を隠して真は笑顔で言う。
「気になるね。今の交友関係から過去との違いがよくわかりそうだ」
「ま、いないんだけどね!」
そうかそうか。いないのか。・・・え?いないの?マジで?
笑顔の小春はどことなくぎこちなく、寂しそうでもあった。かつては人に囲まれていたこいつが、今ではボッチ、だと?
「岸波さんは?」
「陽菜ちゃんは友達だけど、寮と家の方向が違うからねぇ」
「じゃあ君は、学校へはどうやって迷わずに?」
「簡単だよ。同じ寮の子と寮を出る時間を同じにして、バレないようについて行くだけだよ」
確かに方向音痴ならば同じ方向の人についていくのは間違いないだろう。けど、バレないようにする必要があるのだろうか。同じ学校ならば、同じ時間に寮を出ることもあるだろう。同じ道を使うことにも違和感はない。
変なところで遠慮してしまっているのだろう。
「おかげさまで毎日学校辿り着けてるよ」
小春は笑って言った。
本人がそれでいいのならいいだろうし、第三者である真が何かを言う必要もない。
真は何も言わずに歩き出す。
「真くん?」
小春はそれだけ言い、ついて来ようとはしない。
「行くよ?僕の家に。それが君の今日の目的でしょ?」
その言葉に小春は、そうだったと言わんばかりに真の方に駆け寄る。それを見て真は歩みを進める。小春はしっかりと付いてくる。
真の家は通っている高校から徒歩十五分ほどのところにある一軒家。札幌に越した時に建てたもので、まだ築一年未満。真の両親は新築の家に一年も住まずに他界してしまった。
家自体に思い出らしい思い出は特になかった。母も父も朝は早く仕事に行き、夜は遅くに帰ってくる。そのため、家族での一家団欒と言うものがほとんどなかった。
そんな空虚な家ではあるが、新築ということもあり捨てがたかったのも、今、真が詩音と共に住んでいる理由でもある。
そんな家に小春を連れて行く。自分の生活を見られるような気がして抵抗はある。しかし、詩音が我が家を指定したのだからしょうがない。
真と小春の間に会話はない。
年頃の男女が歩いているのを見れば、二人がカップルであるかのように思う人もいるかもしれないが、今の二人にそんな空気はない。
男が先に行き、女がついていくだけ。楽しそうでもなければ、暖かい空気もそこにはない。それが、真にはひどく心地よかった。
「さ、着いたよ」
眼前に映る我が家。黒い壁で何の変哲もない直方体に窓と扉がついたこの建物こそが、築一年も経っていない我が家なのである。
「ただいま」
「お、お邪魔します」
玄関の扉を開け、いるはずの詩音に帰宅と来客を告げる。
が、返事はない。
小春を連れてリビングに向かう。しかし、そこも空っぽ。家を出る前に置いていった朝食はなくなっていて、食器も洗ってある。
「・・・あいつ。二度寝してるな」
「え?」
「ごめん。沖野さん。ちょっと座って待ってて」
「あ、うん」
小春には待機してもらうことにして、真は二階にある詩音の部屋へと向かった。階段を上って突き当たりにある部屋の扉を軽い調子で二回叩く。
「詩音?起きてるか?小春が来たぞ?」
「んー?ちょっと待ってぇ」
明らかに寝ぼけた声。次いでガサゴソとしたちょっと慌ただしい音。それからすぐに扉が開き、寝ぼけ眼の詩音が姿を現した。
黒と白のラインが入ったワンピース。真にとっては見慣れた、詩音にとっては着慣れた私服である。
二人は小春が待つリビングへと降り、詩音はテーブルを挟んで小春の前に座り、真は冷蔵庫からお茶を出し、コップに注いで二人の下へ持っていく。
詩音と小春の間に会話はない。詩音は小春のことを品定めするかのように見つめ、小春は何処か緊張した面影で、どことなく気まずそうに詩音から目を逸らした。
そんな状況に目もくれず、真は人数分のお茶をそれぞれの前に置き、真は詩音の隣に腰かけた。
真は詩音と約束しているが一つあった。それは、詩音が小春と話している間、真は一切口出ししない事。
そのことになんの意図があるのかはまだわからないが、真はそれを約束した。
なんてことのないリビングに、奇妙な沈黙が流れる。それを破ったのは、詩音だった。
「久しぶり、こはるねぇ」
「え?あ、うん。久し、ぶり?」
あまりにも唐突で。小春にしてみれば予想だにしていなかっただろう挨拶。
そう。詩音にしてみれば懐かしい相手に再会しただけであり、小春にしてみれば記憶がないために初対面。お互いに反応としては間違っていない。
小春がチラッとこちらを見たような気がしたが、真はそれを無視して先行きを見守った。
詩音は小春の様子から記憶喪失であることに間違いはなさどうだと確信をする。と、なれば、ここからは自分だけの時間が始まる。そのことに、兄である真は気づかない。
「こはるねぇ」
「は、はい。なんでしょう」
年下であるにもかかわらず小春は名前を呼ばれただけで体を震わせて身を固くしていた。
「おにぃの、何処が好き?」
「え?」
驚く小春。が、驚いたのは真も同じだった。―今この場でそれを聞くのかよ、と。
「えーっと、言わなくちゃ、ダメ?」
「ダメ」
あまりの即答に小春はたじろぐ。チラッと真の顔色を窺うように見てくるが、真の表情は仏頂面のまま変わらない。
なにせ、真は小春から直接聞いている。ただし、改めて言われるのは恥ずかしいからやめて欲しいというだけで。
「一目惚れ、です」
「ふーん」
顔を赤く染めた小春に対し、詩音の態度は実に素気ないものだった。まるで、そう返答されてくるのが、わかっていたかのように。
「相変わらず、男の趣味が悪いよ。こはるねぇは」
おいマイシスター。さらっと俺のことを悪い人っぽく言うのはやめなさい。
「おにぃの他にもいっぱい男なんているでしょ?それに、一目惚れってことは、大しておにぃのことも知らないくせに惚れたってことでしょ?」
「そうだけど。今は、少なからず真君のことを知ってる」
「ふーん」
兄である真にはわかる。今日の詩音は、機嫌がかなり悪い。そもそも会いたくない相手と会って話しているのだから、当然といえば当然だが、それとはまた何かが違う。言葉に棘を感じる。
その理由は、兄である真にもわからない。
「言っておくけど、今のおにぃはおにぃであっておにぃじゃない。今もそうだけど、昔はもっと性格がわるかった」
そんなにはっきりと言われると、さすがに凹むぞ?
「今の小春ねぇは、おにぃがどれだけ性格が悪いのか、わかっているの?」
「真君が、性格悪い?」
「うん。とっても」
「おい、詩音」
「おにぃ?約束」
ぐぬぬ。発言権がない。まさか詩音。俺がいちいち人に対して態度を変えていることを言っているんじゃないんだよな?
だけど、それ以外に性格が悪いといわれるところがないのもまた事実。
頼むからやめてくれ。と目で訴えるが、詩音は気づかない。
「いい?こはるねぇ。おにぃは、どっかの誰かのせいで、人間不信なんだよ。一時は家族すらも疑い、けど、事故によって記憶が失われたことでちょっとは落ち着いた。けど、根本的な解決は何もしてない」
どっかの誰かとはすなわち、小春のことを示しているのだろう。
確かに、真は今でも人のことを信じることが出来ない。小春のことはもちろん、和樹のことも、陽菜のことだって信じることはできていないのだ。
唯一、妹である詩音には心を開いている。だから、詩音の前では包み隠さず話すことが出来る。性格の悪さだって、知っている。
一方で小春は、多少冷たいところはあるなぁ、と思っている程度で、性格が悪いと感じたことはなかった。結局は何とかしようとしてくれて、優しい人物だと。そう思っている。
「ねぇ、詩音ちゃんは、私の過去を知っているんだよね?」
「そりゃ、おにぃに初めてできた彼女だったからね」
「昔の私って、どんな感じだったの?」
「今よりも全然賢かったし、美人だったよ」
その話は小春も真も効いていた情報。今更大きな反応をすることはなく、詩音の言葉を待つ。
「あとは、独占欲が強かったって思うよ」
これは今までになかった情報。かつての小春は独占欲が強かった。これも手がかりだと真はこっそりスマホのメモ機能に打ち込む。
「どういうこと?」
かつての自分が独占欲が強かったと信じられないのか、小春が首を傾げて訊ねる。
「そうだね。家に来ることも度々あったでしょ?って、言ってもおにぃたちは覚えてないのか」
その通り。小春が前の家に来たといわれても、ピンとくるものは何もない。
「まぁ、あったんだよ。ほら、おにぃってインドアだったから。外にデートっていうよりかはおうちデートの方が多かったんじゃないかな。で、そのたびにこはるねぇは私と顔を合わせて「会えてよかった」みたいに笑うんだよね。けど、その笑顔は、いつも胡散臭かった」
本当に今日の詩音は辛辣だな。
「その理由はね、はっきりわかったよ。胡散臭い笑顔で、邪魔者いなくなれ。みたいな目で見ていたのも、私は覚えているよ」
それが、独占欲が強いと感じた理由。
これは一年前の話であり、一年前と言えば詩音は小学校六年生。その年からでもはっきりとわかるほど、だったと言う。
「まぁ、勉強を教えてくれたのは本当に助かったけどね」
「私が、勉強を?」
信じられないという風に小春が言った。
「うん。そうだよ。今は落ちぶれちゃったみたいだけど、昔は全然頭がよかったって、かつてのおにぃが言ってた」
成績優秀というのは周知の事実でもあった。詩音の言い方がアレとはいえ、驚くべきことじゃない。
「ま、それはそれとして。こはるねぇはさ、記憶を取り戻したいんだよね?」
「うん。今日はそのために来たようなものだし」
すると、詩音はクスッと笑った。
「私、こはるねぇの記憶に関わる手がかりを持っているんだけど、聞きたい?」
その声は、真ですらもゾッとするほど冷たく、それでいて自信に満ちていた。
「本当!?聞きたい!」
「思い出しても、後悔、しない?」
「え?」
それは、真にもした質問。真の場合、手がかりを聞いたが思い出すことは無かったため、後悔することは無かった。小春の場合、どうなるかは分からないが、それを聞くということは小春自身に相当負荷のある情報ということで。
詩音はどんな情報を持っているのだと、真は妹に畏怖の念を抱いていた。
「私は、こはるねぇにとって思い出したくないだろうことを知ってる。いわゆる、黒歴史ってやつ。それでも、知りたい?」
ここで疑問がひとつ。
前に詩音が真に対して同じような質問をした時は、真に思い出したくて欲しくないからという理由で聞いててきた。ならば、今回も子春には思い出して欲しくない。ということなのだろうか。
詩音の顔色を伺うが、答えは出ない。
「大丈夫。教えてくれる?」
「そう言うと、思った。いいよ」
詩音は表情を変えず、本当に小春がそういうと分かっていたかのように、乾いた笑みを浮かべた。
「私が知ってるのは、おにぃ達が別れた理由」
「え?」
・・・は?
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