第11話~仮定する少年~

 小春を送り終え、何とも言えない気持ちになった真は、玄関から自室へと直行し、きれいなベッドにその身を沈めた。

 好きでもないのに付き合っていた。

 それは、人間性を疑うには十分なものだった。

 詩音曰く、それを小春が言ったと言う。

 小春曰く、それを第三者の口から聞いたと言う。

 詩音の言っていることが正しいとするのなら、それを言われたのは間違いなく真である。

 小春が言っていることが正しいとするのなら、言ったのは十中八九真である。

 分からない。どっちが正しいのかも。もっと言えば、そこに正しさがあるのかどうかも。

 ただ、今回に関しては小春が嘘をつく理由がない。

 詩音は、小春のことを毛嫌いしている。小春のことをわざと傷つける理由だってある。妹を信じたい気持ちもあるが、やはり今回は、小春の言っていることが、正しいように思える。

 けど、だとすればどうして俺は小春のことを生理的に嫌がっている?

 人間の心が単純ならば、こっちから振ってしまえば後悔は残らないのではないのか。その答えは、否である。

 こっちから振った、つまり、好きじゃないから付き合っていました。そう言ったと。

 ばっかじゃねぇの。人間としての心を疑うぜ、マジで。

 好きじゃねぇなら、何のために付き合っていたんだよ。初めから嫌いだったというのなら、今もなお嫌う理由なんてないじゃねぇかよ。

 昔が最初から嫌いだと仮定する。記憶を失う理由はあるか?否、ない。

 昔は好きであったと仮定する。別れた原因が詩音の言っていたものとするとき、今尚、記憶を失っていることに理由はつくか?答えは、イエスだ。

 辻褄が合い、納得できるのはやはり詩音が言っている方なのである。

 真が言ったのか、言われたのか。

 詩音の話と、小春が思い出したことの大きな矛盾。その謎を解くには、真が記憶を思い出すのが一番手っ取り早い。

 だからと言って、簡単に思い出せていれば苦労はしていないのだ。

 そういえば、この部屋にも記憶の手がかりになりそうなものがあったよな。

 真はベッドから起き上がり、部屋をぐるっと見渡す。

 今使っているベッド。学習机。服の入ったタンス。文芸書や参考書が入った棚。部屋とはその主の人間性が出ると言うが、この部屋はきれいに片付いており、清潔感が漂う。

 ただし、この部屋の主の心は汚れている。

 心の中で苦笑し、ウォークインクローゼットを開ける。

 上下二つの段に別れ、上段には上着が掛けられており、下段には複数の段ボールが置かれている。

 そのうちの一つを引っ張り出し、開封。

 中に入っているのは、中学時代の成績表や思い出の品々。その奥の奥。淡いピンクのカバーに包まれた一冊の本。

 一般的に、卒業アルバムと呼ばれるものである。

 最後に開いたのは、事故のあと。記憶を取り戻すために見た時だ。

 その時はかつての同級生の顔、行事中の写真を見て記憶をある程度は思い出した。

 と、いうか。三年生で学校を転校した真がなぜ前の中学校の卒業アルバムを持っているのかと言えば、母親が生前、当時の担任教師に頼んでいたというのだ。

 引越し先の住所を伝え、それが郵送されてきたのは今年の三月頃。無論、その時はもう事故が起きたあとで、差出人の住所を詩音が見て何事かを把握した。

 新品のアルバムを開き、記憶を思い出した。しかし、沖野小春という存在は、流れゆく車窓のようで気にもとめなかった。

 そのアルバムを、今度はそいつのために開く。

 とても不思議な感覚だった。もう二度と開くことはないと思っていた。実際のところ、思い出しはしたがそれ以上の成果はないと、わざわざダンボールの奥にしまい込んでいた。

 前の中学校は各クラス三十人前後の四クラス編成。

 真が僅かな期間のみ属していたのはC組。小春はA組。授業で関わることもない。

 最初に、函館の夜景を写した中表紙。それから数ページは各教員や学校の紹介が続き、クラス別の顔写真一覧が始まる。

 沖野小春。今の小春とは何かが違う、記憶の中で存在している通りの顔。今よりも強気に見え、可愛いというよりもクールという言葉が似合う。

 それから二ページ先には、真の顔写真も載ってある。わずかな関係だったにも関わらず、クラスメイトとして認められているようだ。

 そこから、中一からの行事の様子を写したものが続く。

 中学一年。宿泊研修が行われた。研修時の様子。真は今とは違って晴れ晴れとした笑顔が多い。一方で小春は、辛うじて笑っているのがわかる程度。

 中学二年。林間学校。大自然に囲まれた中で、やはり真は明るい笑顔で当時の友人達と映り、小春も微笑を浮かべて複数の女子と映っている。

 中学三年。ここから、真は登場しなくなる。故に、前に開いた時も見なかった先のページを、小春に注目して見ていく。

 体育大会。修学旅行。学年のレクのようなもの。それら全てに映っていた小春の表情はこれまでと変わらない。微笑を浮かべ、複数の女子と映る。

 その写真が撮られた頃には、小春の記憶はなかったはずなのに。今まで変わらない様子で。

 中学校三年生の前期までの記憶が無い。裏を返せば、三年生前期以降の記憶は所持している。

 何か、引っかかる。

 重要で得るべき情報を未だ得ていないかのような。

「あ、そうだ」

 数秒の思考の後。真は部屋を出てリビングへと向かった。

 そこには座椅子に腰掛けてスマホを使う詩音がいた。いや、いなきゃ困る。

「おにぃ?どうかしたの?怖い顔をして」

 まるでつい数時間前のことなんぞ忘れたかのようなその態度に、真は気に留めることもなく詩音とテーブルを挟んで正面に腰掛けた。

「詩音、聞きたいことがある」

「まーたこはるねぇのこと?好きだねぇ」

「あのなぁ、好きでやってるわけじゃないっての」

 こんなことを好きでやるなんて自己犠牲大好き人間以外の何者でもない。

「俺が小春とわかれた時期。分かるか?」

「うん。わかるよ」

 よしきた。

 小春の記憶喪失の大方の原因は真と別れたことにある。だが、それがいつの時期だったかまでは知らない。

 小春の記憶が三年生前期までないとすれば、記憶を失った時期は必然とその近辺になるはずだ。ならば、前期の半分もあの学校にいなかった真が原因で記憶喪失というのは、時間にズレが生じる。

 詩音の応答によっては、いや、ほぼ確定的に、小春の記憶喪失の原因が自分ではないと証明できる。

「詩音、教えてくれ。正直に」

「私が、おにぃに嘘をついたことあったっけ?」

「テストの点数」

 真の即答にビクッと詩音は肩を震わせた。

「そ、それはノーカンで」

「うん。嘘をついたことがあると認めたな?」

 もちろん詩音は気づいていなかったようだが、右手が軽く握られたのを真は見逃さなかった。これにて、詩音の嘘をつく癖、証明完了。

「ぐぬぬ。けどさ、けどさ。さっきのアレは本当の本当に、私が聞いたことだからね?」

 今度は、右手が握られることはなかった。

 え、真実だとでもいうのだろうか。またまたまたー、冗談がお上手なんだから。

 ・・・・・一体どういうことだよ!

 真は叫びたい衝動を抑えて一旦深呼吸した。

 と、とりあえず、今はいいや。さすがに考えることが多すぎて禿げる。

「で、いつなんだ?俺らが別れた時期」

「正確な日付まではわかんないよ?」

「構わねぇよ」

「少なくとも、引っ越す前だよ」

 その手に、変化はなかった。

「ん、そうか」

 今一度、小春のこれまでの発言を思い出してみよう。

 助けを求められたあの日『私、中学校三年生の前期までの記憶、ないんだよね』

 カフェでのこと『私が記憶を失って学校を行った前日。私たちは別れていた』

 この二つの発言から生じる大きな矛盾。

 別れたのが詩音の言う通り引っ越し前だとしよう。その時期は真もはっきりと覚えている。五月下旬のことだ。

 そして、前期は一般的には九月に終わる。

 五月下旬に別れ、九月までの記憶を失う。

 明らかにタイムラグが発生しているのだ。

 前期までの記憶と言うのも、時期で言えばかなり曖昧なものだ。それでも、五月の下旬に記憶を失っているのなら、はっきりとそう言えばいいだけの話である。

「んー?何かわかったの?」

「いや、なんもわかんねぇ」

 有力な情報を得ることが出来たと思えばまたしても矛盾の登場。

 詩音は真も小春も知らないようなことを知っている。小春も、真の知らないことを確実に思い出しているようだった。

 なのに、なぜ。自分だけは何も思い出すことが出来ない・・・?

 二人は確実何かを知っていて、自分も思い出せば、矛盾点だって解決できるのに。

 記憶に引っかかるものがない。連想ゲームのように、一つの単語から結びつくものがない。クロスワードのように言葉が当てはまることもない。

 ヒントは充分に揃っている。鍵穴に合う鍵だってあるはずだ。それでも、記憶の扉は錆びているかのように、開くことはない。

 こじ開けようにも、目には見えないもの。簡単にできていれば苦労しないのである。

 つまり、真自身が本気で記憶を取り戻そうとしない限り、結果は出ないのである。

「なぁ、詩音」

 だから真は、決意した。

「もしも、俺が。あいつともう一度付き合うとしたら、反対するか?」

「もちろん」

 笑顔の即答であった。

「けど、それでもおにぃは、付き合うんでしょ?自分の目的のためにさ」

 なんだ、ばれているんじゃないか。こっちの考えなんて。そうだ。全部、自分のため。少なくとも、あいつのためじゃない。

 俺は、俺の記憶を取り戻すだけだ。

「ま、付き合うつっても、恋人になるわけじゃねぇけどな」

 嫌いな奴と恋人になれるほど、真の神経も図太くはない。

「じゃあ、どうするの?」

「恋人っぽいことをする」

 その発言に、詩音は目を丸くして驚いていた。

「おにぃに、できるの?そんなこと」

「・・・わからん」

 正直に自信はない。恋人がいたという記憶がなければ、そもそも恋人達がなにをしているのかも、真は知らない。

 小春と過ごした記憶がない以上、その時のような再現をすることも不可能。

 異性に興味が無い。興味を持つこともできない。

 今回は、興味を持たなくてはならない。

 難しいことではあるが、ないものを一から探すよりは何倍も簡単だ。

「つーわけで詩音。ちょいと手伝ってくれ」

「んー?何をするの?」

「デート」

「ッ!?」

 詩音はあまりの驚きからか盛大に噎せ始めた。

 真がそういうなど、少し考えればわかることだというのに。

 恋人っぽいことをする。そんなの、デートしかないだろう。そうじゃなければ、世の中のリア充諸君は一体全体何をして過ごしているというのだ。

「で、デート?」

「おう。デートだ」

「それ、私は何を手伝えばいいのさ」

「何をしたらいいかわからないから教えてくれ」

 この通り。と実の妹に頭を下げる。

 再三繰り返すが、真には世のカップル達がデートで何をしているのかを噂でしか知らない。実際に目にしたこともなければ、どこに行けばいいのかもわからない。

 一方で、話を聞く限りだと女子だけではなく男子とも仲がいい、パリピなタイプの詩音ならば、そっちの方に詳しいはずだ。

「ねぇおにぃ。今年のゴールデンウィークってどこかに行く用事ってあったっけ?」

「んー?ゴールデンウィークか?」

 今年は来週の水木金土日で五連休。確かちょうどその時期に桜の開花予想日もそのくらい。ってか、あと一週間で五月じゃん。

 それにしてもゴールデンウィークか。去年はまだ引っ越していなくて、当時の同級生たちと遊びに行っていたような。それとも、記憶はないが・・・。なんて考えてしまうのはもはやしょうがないことだ。

 で、だ。今年のゴールデンウィーク。

「特に予定なんてないか。・・・ん?その日にデートしろと?」

「え、そのつもりじゃなかったの?」

 あー、うん。そうか。そうじゃん。いつ行こうかとか考えもしてたけど、ちょうどゴールデンウィークがあるじゃないすか。

「おにぃ、そこまで考えてなかったの?」

「今年も例年通りだらだらするつもりだった。けど、そうだな。行くのはゴールデンウィークのどこかでいいか」

「本当に何も考えてなかったんだね」

 詩音が呆れたように見てくるが、本当にそこまで考えが至っていなかったのだ。言い訳の余地なし。

「本当にデートとやらをする気はあるの?」

「ま、まぁ。ないと言えばないけど。記憶を取り戻すためには必要だとは思わないかね」

「記憶を失ったことがないからわかんない」

 ですよねー。

「ま、とりあえず必要そうなんだよ」

 ここで真はカフェでのやり取りを思い出す。

 付き合いたくないから詩音から話を聞いたはずなのに。結局付き合いこそはしないもののデートというそれっぽいことをしようとしている。

 ここまで意志が弱い男だっただろうか。

 和樹とか陽菜が聞いたら揃って大笑いしそうである。

「ま、いいか」

「なにが?」

「こっちの話だ。とりあえず、札駅周辺でもぶらつくとするか」

 あの辺ならお店も沢山あるし、退屈するようなことはないだろう。

「そだね。それでいいと思うよ。デートなんてカップルによってすることなんて違うし。デートしないカップルも世の中にはいるらしいしね」

 デートをしないカップル、だと?割と真面目に何を言っているのかよくわからない。

 そもカップルとは。

 リア充とは何ぞ。

 やはり真には、世のリア充というものを理解できるとは思えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る