第12話~計画する少年~
その日。仁双和樹は、耳を疑った。
今日は五月に入ってから数日が経った、ゴールデンウィークが始まる前日。
いつものように真の机でお弁当を広げた和樹に、真はいつもの無表情でこう言った。
「沖野さんとデートしてくることにしました」
恋人になるつもりはなく、異性にも興味がない。もっといえば、小春のことを嫌いと言っていたこいつが、デート。
「急にどうしたんだ?」
「どうもこうもないよ。記憶を戻すために手段を選ばないことにしただけ」
「それ、大丈夫なのか?」
「わかんない」
おいおい。そこはあまりはっきりと言って欲しくはなかったぞ。
「けど、まぁ。なんとかなるよ」
「お前のその自信は一体どこから来てるんだよ」
「それもよくわかってない」
本当に大丈夫かよ、こいつ。
「多分大丈夫だよ。なんとなく行き先も決まっているわけだし」
「どこへ行く気だ?」
「札幌駅周辺をぶらつこうかなと」
「それ、目的地決まってるって言わなくねぇか?」
いくらあそこには物がたくさんあるとはいえ明かに大雑把すぎる。そんなの途中で飽きてしまうという未来が目に見えている。
「何がしたいとかってないのか?」
「ないね」
真はお弁当のおかずをつつきながら答えた。自分のことだというのにいかにも興味なさそうである。
「そういえば、君ってデート経験はあるんだよね?」
「まぁ、そうだな」
一応、彼女と言う存在もいたことが和樹にもある。無論、デート経験もある。
「どんなことをしたのか」
「言わねぇぞ」
とても、言えるようなものではない。
「なにか悪い思い出でもあるの?」
「いや、俺が思い出したくないだけだ」
過去に付き合ったことがある。デートをしたことがある。そんな過去のことを豪語して話す奴らを、和樹はよく知っている。
それを見るたびに和樹は思っていた。馬鹿らしい、と。
どうして自分と相手にとっての貴重な時間を人に話そうという気になれるのか。そういうものは人には広めずに心の中だけに残しておくべきものだろう。
惚気ならまだしも、別れてから自分のステータスのように話すのはどうかと思うのだ。
だから和樹は、彼女と別れたらすぐに忘れるようにしていた。本当に忘れることは人間の記憶能力的にはほぼ不可能。
身近に二人も記憶喪失の人間がいれば若干心が揺るがなくもないが、あれは例外だ。
忘れようとする。思い出さないようにする。そうすれば、記憶は簡単に薄れていく。
当時は覚えていたであろう付き合った日、別れた日。楽しかったデートの日も、今となっては思い出すことはできない。
「思い出したくないようなこと、ね」
真は真で何かを考えているようだった。
「思い出したくなくなるなら、人間ってどうして思い出に残るようなことをしちゃうんだろうね」
「は?」
やっぱりこいつ大丈夫じゃねぇ。
「思い出したくなくなるなんてそん時は思っていないからだろ」
「いや、うん、そうなんだろうけどさ。だったら最初から将来を見越して人と付き合うべきじゃないのかなって」
「それが出来ていたら人間は苦労していないと思うぞ」
「ま、そうだね。身をもってわかってるよ。本当に、人って愚かだ」
「ん?何か言ったか?」
「ううん。何でもないよ」
真の表情はいつもと変わらない。楽しそうにも苦しそうにもしない。本当に、いつも通り。
それなのに、変わらないはずの表情が今では、張り付いた仮面のように見えてしまう。
心情なんて知る由もないのに、だ。
「なぁ、まこ」
「おーい、真!ちょっと今いいか?」
弁当を食べ終えた真に、それを見計らったかのようなタイミングで同級生の男子がやってきた。
「どうかしたの?」
「数学でちょっとわからない所があってよ。教えて欲しいんだわ。報酬は、ジュース一本でどうだ?」
「別にいらないよ。教えてあげる」
真は笑みを浮かべて言っていたが、一ヶ月の付き合いでそれが作り笑いであることはわかった。
人からなにか頼み事を引き受けた時に見せるいつも決まった同じ笑み。人当たりが良さそうな印象を相手に与える貼り付けられた表情。
それが、真がいい人だと思われる所以であり、和樹もついこの間まではそう思っていた。いや、いい人なのには違いはない。ただ少し、性格がひねくれているだけだ。
最近、小春とのやり取りで苛立った様子をほとんど隠していなかったため忘れがちだが、真の周囲からの評価は性格も含めてすべてがいい人。
勉強を教えて欲しい、と言うのは決して珍しいことでもなかった。
だが、和樹には勉強をする気は一切ない。真が同級生に教師よりもわかりやすく教えているその時は、和樹は蚊帳の外となる。
自分の弁当を食べ終え、真の講義を聞くつもりもない和樹は自分のスマホを見て驚いた。
数分前に、一つのメッセージが送信されていた。
差出人は陽菜。内容は『一時に図書室』と言うものだった。
恐らく向こうも小春を通して何かしらの事情を知ったのだろう。それに対しての何かを話すつもりなのだろうが、メッセージのやり取りではだめなのだろうか。
時計を見ると間もなく一時。従う必要はないが、特にやることがあるわけでもない。そそくさと弁当を片付け、教室を後にする。
和樹ら、一年生の教室があるのは四階。最上階だ。そして、図書室があるのは三階。二年生がいるフロアである。
が、そんなことは気にする必要もない。学校の図書室は全校生徒に使用する権利がある。先輩が近くにいるからと言って遠慮する必要もない。
二年生の教室が並ぶ廊下を進み、誰ともすれ違うことなく図書室に入る。
入ってすぐに本の貸し借りを行うカウンター。右に進めば司書室。左には少し広めにイスとテーブルが置かれた読書スペース。それを囲むようにして多くの本が棚に並べられている。
昼食を食べ終えた生徒はまだ少ないのか、読書スペースの多くは空席。
一番入り口から離れたところに彼女はいた。
向こうも和樹の存在に気付き、片手を挙げて向かいに座るように促してくる。
「遅い」
「今ちょうど一時だぞ」
「あたしは五分前からいた」
「知るかよ」
思いのほか、二人の声は響いていなかった。静かな空間であったはずのこの場所に上級生と見られる騒がしい集団がやってきたからだ。
静かな空間だとどうしても声は響く。世間話をするような場所じゃないと思っていた和樹だったが、ある程度騒がしいのなら、自分らの会話を気にするような人もいなくなるだろうと考えを改めた。
「で?俺を呼び出した理由は?」
「デートするわよ」
「断る」
自分でも驚くくらいの即答だった。
「なんで俺とお前がデートしなくちゃいけないんだよ」
「あれ?聞いてないの?小春と苗代君がデートするって」
「それはきいたけどよ」
それとこれがどう繋がるというんだ。あの二人がデートするからと言ってこっちには何も関係ない。
というかそもそも、こいつがデートとか言ってきた理由も予想はつく。
「あの二人をつけたいんだろ?」
「あ、ばれてた?」
「そんなことだろうと思った」
このタイミングならばほかに考えようがない。
「俺は嫌だぞ?」
「あら。こういうのには乗り気だと思ってたわ」
「お前は俺をなんだと」
「無類の女好き?」
それは真が言っていたやつだろ。
「ま、とりあえず。デートかどうかは良いとしていきましょうよ」
「だーかーらー。それが嫌だって言ってんだよ」
「何でよ」
「二人の貴重な時間を覗き見るのは、気が引ける」
陽菜から目を背けてそう言った。
そのことに何かを感じ取ったのか、陽菜は真面目なトーンで言った。
「じゃ、いいわよ。別に。あたし一人で見てくるから」
「怪しまれるようなことはするなよ?」
「えー?わからないなぁ」
おいこら。
指を前に組み、そこに顎を乗せる形でにやつきながら陽菜は言った。
そこははっきりと明言しろよ。
「まぁ、警察沙汰にはならないわよ」
「ちょっと待て。前提がおかしいだろ」
「?そうかしら?」
そうかしら?じゃねぇ!
「そもそもついていくだけで犯罪に等しいだろ」
「そんなことないわよ。ばれなきゃね」
あ、こいつもうダメだ。
それ、ばれたら犯罪と言う原点に気付けていない。
「まったくもう。今どきついていくなんてばれることもないわよ。そもそも気付かれたら気付かれたで、奇遇だね!で誤魔化せるもの」
「いや、うん。そうか?」
「そういうものよ。で、結局あんたはいかないのよね?」
「あぁ」
言ってなるものか。他人のデートを見守るなんて何が面白いのだろうか。
「けど、大丈夫かしらね。苗代君」
「は?どういう意味だ?」
「だって、気にならない?小春のことを嫌いって言っていたあの人が、急にデートに誘った。何か、裏があるとは思わない?」
そう言われると気にならないこともないが。
「お互いの記憶を取り戻すため、じゃないのか?」
「にしてもよ。嫌いって言っていた人とデートするその神経。あんたにわかるの?」
「いや、それは」
「でしょ?あたしもわかんない。だから、それも知りたいのよ」
その目はいたって真面目だった。
「知りたくないの?」
「知りたいけどよ。他にも方法があるだろ」
「直接聞くの?あの二人に」
多分、はぐらかされる。特に、真には。実際にさっきそうだったわけだし。
「小春も、教えてくれそうにない。って言うか、苗代君の態度の豹変には驚いているようだったし、その理由も知らないみたいよ」
なるほど。真は完全に自分にしか世界を広げていないということか。
「けどよ、ついて行くからと言ってそれがわかるわけでもないだろ」
「大丈夫よ」
「その自信は何処から?」
「直感よ」
真と言いこいつと言い、どうして周りには直感で動く人間しかいないんだよ。
「冗談よ。今回のデートで小春が聞くそうなのよ。どうして急にデートを誘ってきたのかってね」
「あの子が?」
和樹の脳裏には気の抜けた間抜けな小春の顔が思い浮かぶ。
「あの子、本気なのよ。記憶を取り戻すことはもちろん、苗代君のハートを射抜くこともね」
心から好かれている、と言う解釈でいいのだろうか。
「小春は苗代君から聞いたことを私たちに話すつもりはなさそうなのよね」
「はい?」
「独占欲、ってやつなのかしらね」
独占欲ね。男女問わず、それを持つと人間関係ががらりと変わるという、恐ろしい欲。
「それがあるから、わざわざついて行こうと?ばかばかしい」
「あんたは来ないんでしょ?じゃあいいじゃない。あたし一人でやるわけだし」
「方法は?」
「臨機応変に対応するわ」
あ、これダメな奴だ。
「気は乗らないが、協力させてくれ。俺も、気になるからな」
「あらぁ?ものの数分で何という気の変わりよう」
「うるせ」
ニヤニヤしながら言うな、腹が立つ。
「じゃ、決まりね。デート」
「デートではない。ただ少し一緒に出掛けるだけだろ。昔みたいに」
「昔、ねぇ」
和樹と陽菜は幼い時、具体的に言えば幼稚園の頃からの幼馴染。親の仕事の関係もあり、一緒に遊ぶ、どこかへ出かけるということも少なくはなかった。
「ま、いいわ。楽しみにしてるわ」
「おいおい、楽しみにしてるって、あの二人をつけるだけだよな?」
「えぇ、そうよ」
陽菜は依然として薄ら笑いを浮かべたままそんなことを言うのだった。
「じゃ、俺は戻るわ」
「じゃね~。あたしはこの本を借りていくから」
図書室の入り口で陽菜とは別れ、和樹は一人教室に戻った。
いまだ騒がしい教室。その中で真は一人クロスワードに熱中していた。どうやら数学の講習は終わったらしい。
「お帰り、和樹。陽菜さんとの作戦会議はどうだった?」
「は?なんでそれを」
唐突な真の問いかけに、和樹は思わず反応してその表情を見る。少しだけ、本当に少しだけ。笑っていた。
「まったく、カマをかけただけだってのに。わかりやすいなぁ。君は」
「え、カマ?」
「僕たちをつけるんでしょ?」
「なんで、それを?」
「直感」
本当に直感で動く奴は嫌いだよ。
「ま、こっちの邪魔はしないでよ?計画が頓挫しても困るからさ」
その表情はいつもの無表情。何をもってそう言ったのかはわからないが、本気で言っていることは伝わった。
もちろん。邪魔をするつもりはない。ついて行くとばれているのなら、その斜め上の行動をするだけだ。
なぁ、陽菜。
お前、こうなることもわかってたろ。
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