第13話~お出かけする少女~

 この日の私は、いつもよりも早起きだった。

 昨晩は逆にいつもよりも寝つきが悪かったというのに、おかげで寝不足だ。

 その理由は分かっている。

 今日はゴールデンウィークの初日。苗代真君とデートの日!

 遠足が楽しみでしょうがない子供のように、昨日はなかなか寝ることが出来なかったというのに、なんて早起きなんでしょう。

 普段は七時に目が覚めているのに、現在時刻は六時。普段よりも一時間も早い起床。

 今日のお誘いが来たのは、真君の家に行き、とあることを思い出したその次の日のこと。

 思い出したことについては、後で真君に話すとして。

『ゴールデンウィーク最初の日は空いていますか?』

『少しお出かけしませんか?』

 初めて向こうから連絡が来たかと思えば、これってデートのお誘いではないですか。テンションが上がりに上がったなんて言うまでもない。

 けど、私が気になるのは私のことを嫌っていたはずなのに、どういう風の吹き回しなんだろう。

 あの人は記憶を取り戻していないはず。かといって、私もすべてを思い出したわけではないけど。それでも、思い出していれば私とお出かけしたいはずもない。

 本当は嫌だけど、記憶を取り戻すために仕方なくという考えもあるのかもしれないけど、彼が思い出していない記憶はそんなレベルでは解決できないくらいに、深刻だ。

 嫌なら、絶対に出かけたくなるはずもない。

「思い出さなきゃ、いいのにな」

 思わずそんなことが口を突いて出てくる。

 知らない方が幸せ。それは、本当に実在するようで。

 過去の自分の記憶だから思い出しても後悔しない。そう考えていたけど、今一度考えを改める。

 嫌な記憶は、いつまで経っても嫌なまま。

 大人になれば笑い話にも出来るのだろうけど、思春期真っ盛りの女子高生が抱えるには重すぎる。

 そんなことを考えながら、私は準備を始める。




―午前十時。

 事前の約束通りの時間に寮を出た。

すると、そこには既に真君が待っていてくれていた。

 前に家に行った時と同じ、ジーンズに黒いパーカーを羽織った恰好。そして、私の恰好も、前と同じく。白のインナーに青のカーディガン。ピンクのスカート。

「おはよう」

 私の存在に気付いた真君が私に表情を変えずに挨拶をしてくる。

「お、おはよう」

「じゃ、行こうか」

 そう言って真君はすたすたと歩き出す。

 彼が寮まで来てくれたのは私が方向音痴ということを考慮してとのこと。本当にその通りなのか、何か裏があるのかはわからないけど、この人は優しい人なんだと改めて思った。

 先を歩く彼がどんな顔をしているのかは分からない。けれども、この状況は過去の私の記憶とも一致していた。

 完全に偶然だとは思うけれど、記憶がなくとも人間性と言うものは変わらないようだ。

 寮から数分程歩き、最寄りのバス停へ。それから間もなくしてやってきた、札幌駅行のバスに乗り込む。

 ゴールデンウィークだからなのか、乗客には学生が多いように思える。それに関して真君は一瞬だけ表情を歪めたものの、いつもの無表情で車窓からの景色を眺める。

 徐々に乗客が増える中、ちゃんと二人掛けの座席に座れたのは本当に幸運だった。

自慢じゃないが、私には友達が陽菜ちゃんしかいない。クラスの人たちと関わることもあるけれど、それも授業など必要最低限の関わり。

 このバスに乗っている学生の多くは、同じ学校の生徒たちのようだが、特に気にならなかった。

 一方で真君は、時折車窓から目を離し、チラッと周囲を見渡していた。もしかしたら、知り合いがいるのかもしれないが、私には関係のないこと。気にも留めず、膝の上に置いた鞄を抱きしめバスが目的地に着くのを待つ。




 バスに揺られることおよそ三十分。札幌駅に到着。

 バスから降りた私は、ずっと座席に座っていた解放感から大きく伸びをし、真君は何も言わずそれが終わるのを待つ。

「どこか、行きたいところってある?」

 あなたとならどこへでも。なんて、恥ずかしいし引かれるようなことは死んでも言えない。

「新しい服が欲しいんだよね」

 実を言うと、私の私服は今着ているものくらいしかなかった。

 休日なんてほとんど家から出ることもないし、これ一着で全部事足りていた。

 このことを陽菜ちゃんに話すと、

『はぁ?あんたも女の子でしょ?身だしなみには注意しなさいよ。あ、何だったら明日行くデートで苗代君と一緒に見に行けば?』

と、少しだけ怒り、提案してくれた。

 あ、そうそう。唯一の友達である陽菜ちゃんには今日のデートのことを昨日話した。

 真君が私のことを嫌っているのはカフェに集まった時のことで認識している。だから、その態度の変わりようには二人して驚いた。

 もちろん。そのことも今日。聞くつもりだ。

「じゃ、行きましょうか」

 真君はそれを聞き、札幌駅に直結した複合商業施設。JRタワーへと歩みを進める。

 ここは、アピアやパセオ、エスタ。札幌ステラプレスといった複数の複合商業施設が一個になった場所だ。

「あー、えっと。この辺、エスタしか知らないんだけど。いい?」

「うん、いいよ!」

 私の場合。ここからどう歩けばどこに行くのかは全く分からない。構造が複雑。おまけに人が多い。

 方向音痴の私としてはちゃんと土地勘のある人について行くのが安全なのだ。

 さて、エスタと言えば。バスを降りて徒歩五分。地下二階に百円ショップ。地下一階に大食品街。一階から四階が家電量販店。五階から六階にファッションや雑貨に関わる店舗。九階にアミューズメント施設。十階がレストラン街となっている。

 これを、さっきエスタ内にあるマップを見て覚えた。

 真君も同じくマップを見て、エスカレーターで六階まで上がった。

 このフロアには三店舗の店がある。二つが生活雑貨の専門店。一つが、レディース服の専門店。

 真君はここでいいですか?と、目で示し、私も無言でうなずいた。

 さてさて。困ったことになった。

 今着ている、私が持っている唯一の服。これも、自分で選んで買ったわけではない。正確に言うと、過去の自分が買ったものだから、自分で選んだことに変わりはないのだが、そこではなくて。

 過去の自分と今の自分の好みが違いすぎて、実家に合った服をこれしか持ってこなかったおかげで一着しかないのだ。

 それと、記憶を失ってから服を買ったこともなかった。

 好みに合わない、けれどもそれを我慢して記憶を失ってからを過ごしていたのだ。

 そして、いざ自分の新たな服を買うぞ!というところまで来て、何を買ったらいいのかわかっていなかった。

「どうかした?」

「何を買えばいいのか、わかんなくて」

 真君に聞かれて正直に答える。

「僕には女子のファッションは分からないけど、こういうのって来たいものを着ればいいんじゃないかな。自分のフィーリングに任せてさ」

 なるほど、己のフィーリング。とりあえず気になったものを見て、後から真君にチェックを入れてもらおう。

 真君には女子のファッションがわからないと言っていたが、私にもわからない。

 きっとこういうのは陽菜ちゃんの得意分野のはずなのだが、彼女に頼りにしすぎるのも個人的には少しだけ気が引ける。

 というか、陽菜ちゃんが今日という日に服を買えばと提案してきたのだ。

 一人で買うよりかはましなものが買えるだろう。

「そういえば沖野さん。好きな色ってある?」

「え?どうしたの?」

「こういうのって自分の好きな色から攻めればいいんじゃないかなぁと」

 難しいことはよくわからないけど、と真君はぼやきながら、あたりの服を見渡す。

 が、ここにあるのはレディース服。当然、真君着るようなものはなく、退屈そうにあくびをかみ殺す。

 と、なれば。彼を退屈させないためにも早く決める必要が、

「あ、僕には気にせずゆっくりと見ていていいからね」

 まるで心を読んだかのような言い回し。もしかして、この人エスパーなのだろうか。

「あ、ねぇねぇ。真君ってどんな色が好きなの?」

「え?僕?特に参考にならないと思うけど」

「聞かせて」

 参考になるかならないかはこっちが決めることだ。

「僕は黒、かな」

「あ、だから着ているものも」

「これは関係ない。詩音の選んだものだから。決して僕が選んだものじゃないから」

 自分で選んでないものをちゃんと着ているのが気に入っている証のような気もしたが、それは言わないようにした。

 で、真君は黒が好きと。

 だからと言ってどうということはないし、参考になるかならないかと聞かれれば、黒の服はたくさんあるのだ。結局のところ参考にはならない。

「って言うか、服を買うのって好きなものだけを買ったらバランス悪くなるよね」

「確かにそうかもね」

 今まで気にしたこともなかったが、好みとバランスを考えて服を買うって、とっても難しくないですかね。最近の女子高生ってそういう組み合わせがぱっと思い浮かぶんですかね。っていうか過去の自分はファッションセンスが良かったらしいのだ。働け私の記憶。

 とりあえず今は気になったものを見て、あとから組み合わせを考えることにする。

 それから数十分。

 私は適当な服を選び、それを真君にも見てもらい、慎重かつ丁寧に服選びを進める。

 最終的に。

 黒をベースとした白い花の模様が施された、レースアップ使い花柄ブラウス。それから、白のフロントボタンスカパン。

 店員さんの助けも少しだけ借りてこの二つを購入。買い物を終えた。

「えへへ、いい買い物ができたよ」

「それはよかった」

 そう言いながら、真君は周囲を見渡した。

「次、どこか行きたいところはある?」

 買いたいものは買えた。ここで他に見たいものも特にあるわけでもない。

 だからと言って、「特にない」と答えるのはよろしくないだろう。

「真君は?」

「僕?」

 まさか自分が聞かれるとは思っていなかったのだろうか。表情を不思議そうに和らげ考え込む。

「特にこれと言ってはないんだけど、雑貨を見てもいい?」

「うん!いいよ!」

 紙袋に入った買った服を肩に背負いなおし、同フロアの半分以上を占めている雑貨専門店へと足を進める。

 日常に使えるありとあらゆる生活用品を取りそろえた専門店。

 真君がまず向かったのは文房具が陳列されているエリアだった。

 色とりどりのボールペンに、猫が印刷されたメモ帳。桜柄のマスキングテープなど、おしゃれで実用的なものがそこかしこに陳列されている。

 こういうものは別に買わずとも見ているだけで楽しいのだから不思議だ。

「何か買うの?」

「シャーペンの芯とルーズリーフを切らしていたような気がして」

「あ、私ももう消しゴムが小さいんだった」

 それぞれが欲しいものを手にし、また別のエリアへ当てもなく歩く。

 鍋やフライパンなどのキッチン用品があるエリア。

 寮生活のため、料理をほとんどしない私にはそれの良さと言うものはわからないが、真君はそこにあるくっつきにくいフライパンや、レンジ調理グッズを興味深そうに眺めていた。

「真君って、料理は、する、よね」

「勝手に自己完結しないで。間違ってないけど」

 料理はするのか聞こうとしたが、言っている最中に両親がいないことを思い出したのだ。

「料理自体は両親がいなくなる前からしているよ。そもそも、両親は仕事が忙しくて家のこともほとんどしていなかったので」

 あぁ、そのこともなんとなくだが思い出している。いつも真君の家には誰もいなかった。妹の詩音ちゃんはいたが、私と彼の仲が良かったのは、彼女がまだ小学生のころ。遊び盛りで、普段家には誰もいないという表現が適切。

「詩音ちゃんは、料理はしないの?」

「しないというより、させてない。いくらIHといえども少し間違えれば火傷をする。包丁を持たせても手を切ってしまう可能性があるから」

 つまり、料理は危険だからさせていないと。

「それ、過保護すぎない?」

「そう?」

 自覚なしか。

「今どき、女子中学生でも普通に料理する時代だよ?お菓子作りとかも」

 まぁ、私はどっちもしないけど。

「いいんですよ。僕がやればあいつが料理する必要もないですし」

「それで、いいのかなぁ」

「いいんですよ」

 なんだか釈然としなかったが、他人の家事情に口は挟めない。それ以上は何も言わず、次々とこのフロアを探索する。

 歩けば歩くほど新しいものが見つかる。

 雑貨に興味があるというわけでもなかったが、自分の思っていた以上に生活が豊かに楽しくなるようなものが売られている。

 新しい世界を見せられたようで、心は高揚していた。

「あ」

 そんな中。ふと視界に入ったものを見て私は小さく声を上げた。

「どうかした?」

「あ、えっと」

 私の視線の先にあるのは、本に関わるものが置いてあるエリア。

「しおりが気になって」

「見ますか」

 しおり。読んでいる本の間に挟むだけのもの、のはずなのだが。

 今自分が手にしている、日本の四季を表したそれを見て、胸の内が燻ぶられる。

「あれ?それって」

 横から覗き込んだ真君も何か心当たりがあるかのように驚いた様子を見せていた。

 同じものを手に取り、訝し気にそれを眺める。

「このしおり、うちにあるね」

「そうなの?」

「うん。僕が今読んでいる本に挟んである物と同じだ」

 そうだろうと、思った。

「どこで買ったかは覚えてないけどね」

 うん。そうだろう。

 このしおりを買い、真君にあげたのは他でもなく私だ。今、思い出した。

 ついこの間。とあることを思い出してからというもの、閉じられていた記憶の蓋が開きやすくなっているような気がする。

 こんな些細なことで思い出したのも、今日が初めてではない。

 学校で普通に授業を受けている時も、時折中学校の時の風景が蘇る。

 順調に記憶が戻っている。




 その後、各自が買いたいものを買い、時間は昼時。

 十階にあるイタリアン料理を食べることのできるお店で昼食をとることにした。

 私がキノコのカルボナーラ。真君はベーコンと卵のペペロンチーノを。

 本当は真君から少しだけ貰いたかったのだが、そんな感じのことを遠回しに言った結果、あからさまに嫌な顔をされたので、諦めた。

 他人が食べているものっておいしそうに見えるじゃん。

 この時ばかりは、自分が男だったらよかったのにって思った。

「これ食べたら、どうする?」

 半分くらいお皿を減らし、真君が聞いてくる。

「この下で遊んでみたい」

 この下、つまり九階にあるゲームセンターのことだ。

「じゃ、そうしましょうか」

 器用にスパゲティをフォークに巻きつけ、一切すすることなく鮮やかに食していく。

 私も極力すすらないようにしていたが、一回に巻くスパゲティの量をうまく調節できず、真君ほど鮮やかにはいかない。

 真君よりも若干時間をかけて完食。さっきの話通りゲームセンターへと向かう。

 とりあえず二人でできるものとして、太鼓を叩くリズムゲーム。赤い帽子を被ったおじさんが登場するレースゲーム。大人気モンスターたちが登場する格闘ゲーム。

 見覚えのない高校生たちはプリクラに群がっていたが、それに関しては、私も真君も理解がないのでパス。

 入学してすぐに、陽菜ちゃんと撮る約束をしていたのを今になって思い出すが、今はどうでもいいこと。

 小さなアライグマが景品のクレーンゲームに真君が挑戦。たった一回のプレイで、それを獲得。私にプレゼントしてくれた。

「別に僕はいらないからさ」

と。じゃあなんでやったのかは不思議だが、せっかくの彼からのプレゼントだ。深くは考えずに素直に受け取った。

 そんなこんなで。時間は流れる。

「ねぇ、真君。私、行きたいところがあるんだけど、時間ってある?」

「うん。大丈夫だよ」

 時刻は午後四時を回ろうとしていた。遊びに遊び、疲労もたまってきていたが札幌駅からバスに乗り、通っている高校近くで下車。

 行きたいところを真君に伝え、自分は道がわからないのでそれについて行く。

 五月の上旬になれば、本州の方ではもう桜は散っているようだが、札幌ではむしろ今が見頃。

 歩いている道にもピンクで可愛らしい桜が満開に咲き誇り、風に揺られてはその花びらで中空を彩る。

 どのくらい歩いただろうか。やがて、私たちはあの日と同じ高台にたどり着いていた。

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