第3話~記憶を失った者と協力者~

 遅い。明らかに遅すぎる。身に着けた腕時計を見ても、スマホの画面を見ても、ちょうど壁にかかっていた時計を見ても、そのすべては約束の時間から三十分後を示していた。

 約束の時間は向こうが指定してきたらしい。放課後十六時に、玄関入ってすぐにある自動販売機が置かれたホールに集合。そう和樹から伝えられて、真はかれこれ三十分以上この場所で待っている。

 和樹は急な用事が出来たと、あからさまに怪しい言い訳をして、さっさと帰ってしまった。勝手に人の約束を決めてさっさといなくなる。あーゆー人間は本当に信用ならない。

(どうすっかな。俺もあいつとは会いたくねぇし。帰ろうかな)

 そもそも約束の時間からかなりの時間が経っているのだ。向こうさんが帰ったというのも考えられなくはない。だけど、向こうから会いたいと言ってきておいて、そんな用事をすっぽかしてあいつは帰るだろうか。と考え、あいつならあり得るなと思ってしまう。

 放課後のこの時間帯はいろいろなところから音が聞こえる。運動部が外で声を上げている音。体育館からはボールをつく音。校内全体に響き渡る、お世辞にも上手とは言い難い吹奏楽部の練習音。小テストか何かの追試を終えて話している帰宅部の雑談。

 まさか、追試だろうか。真の知る沖野小春と、和樹の話す沖野小春はまるで別人かと錯覚してしまうほどに違っていた。それを『記憶喪失』ということで自分を納得させた。そして、昼に話していたことからいくつかの推論が成り立った。

 推論一。沖野小春は追試だった。それがまだ終わっていないために未だ真の前には現れていない。

 推論二。沖野小春は追試だった。それが終わったものの、方向音痴が災いし、校内で迷っているがために未だ真の前には現れていない。

 推論三。約束など忘れて帰った。だから、いくら待ったところで真の前には現れない。

 ダメだ。帰ろう。帰ってクロスワードの続きを解くことにしよう。だいたい、三十分も待ったのだ。待つことをあきらめて帰っても誰に文句は言われない。

 よしかかっていた壁から離れ、玄関の方へ歩き出す。

 このホールの壁の奥は階段。そこから人が降りてきているとも知らない真は、ホールから一歩踏み出し、案の定ぶつかってしまった。

「きゃ」

 という小さな女の子の悲鳴。小さな衝撃を胸の当たるに受ける。

「あ、えっと。ごめん。大丈夫?」

 すぐさま真はぶつかってしまったことに謝罪し倒れた女の子へと手を差し出した。

「あ、ありがとう」

 女の子は小さな手で真の手を掴み立ち上がった。

 その間真は動くことが出来なかった。別に女の子に手を握られて緊張したというわけではない。女の子の容姿は黒のボブカット、容姿端麗で思わずかわいいと口にしてしまいそうな、全然知らない人。なのに、その声だけは、知っていた。

「ふわぁ。いきなり手を握っちゃった」

 何か言っているがうまく聞き取ることが出来ない。

 立ち上がった女の子は真の手を取ったまま、顔を赤くしもじもじしている。

 いや、絶対にありえない。こいつが、俺の知っているあいつなわけがない。それでも、これが現実だった。

「苗代真君。だよね!私、沖野小春って言います。えっと、その。よろしくお願いします!」

「あ、うん。よろしくね」

 こいつが、沖野小春、だと?

 何もかもが真の知る彼女ではなかった。和樹の話と照らし合わせてみるとやっと納得はできるけど、なんというか、こう、完全に別人だった。これが記憶喪失の影響なのだろうか。一体何が起きたらこうなってしまうんだ。そんなことも、まだ聞かない。

「・・・手、離してくれないかな?」

 いつも人と話す時の口調とトーンでそう言った。

「あ、ごめんなさい」

「ううん。いいよ。けがはない?」

「うん。大丈夫。ちょっと転んじゃっただけだから。それに、転ぶのって慣れているから!」

 うん。そこはどや顔で言うところじゃない。

 話を聞くと、推論二が奇跡的に当たっていた。まさか学校内で迷うはずもないだろうと思っていたが、十五分ほど校内を彷徨っていたというのだ。そこそこにしか広くなく、複雑な構造もしていないこの学校で迷うほどの方向音痴だということが発覚してしまった。

「待ったよね?」

「うん。とっても」

 ここは正直に頷く。まさか「今きたところ」なんてリア充みたいなことは言えないし、言う必要もない。ただ、小春が明らかに悲しんでしまったので、機嫌をとろうと、

「会えてよかった。もう帰ったのかと思ったよ」

 なんて、思っていること半分。心にもないことを半分言ってみたりする。すると、たちまち顔をほころばせて小春は喜ぶ。

(俺の知る小春はこんなにも感情豊かじゃなかった)

 わかりやすいのは良いことだ。本人に、ではなくこちらにとっては。昔の彼女は取っつきにくいしクールだった。髪も長かったし。今は可愛いという印象を受けるが、昔は美人という印象だった。

 人って簡単に変わるものなんだな、と真は思う。そして、それが自分にも当てはまっているなぁと気づき、心の中で苦笑する。

「さて、と。沖野さん。君が僕に会いたかった理由は何?」

 いきなり本題から入る。これだけ待たせておいて、しょうもない理由ならさっさと帰るつもりでいた。

「あー、それは。ちょっとここでは言いにくいから、場所、移動しない?」

 声はだんだんと細くなっていき、最後まで聞きとるにはよく耳を澄ます必要があった。

「私、人気の少ないいい場所を知ってるから」

 今度ははっきりと聞き取れた。

「うん、わかった。いいよ。行こうか」

 学校からは離れて別の場所へ移動する。その案内は、一度行った道なら迷わないと自称しているが学校で迷うほどの方向音痴である小春に任した。本当は任せられず、場所を聞こうと思ったが、

「大丈夫!任せて!」

 と言い、人気の少ない場所というのを教えてくれなかった。

 教えてくれないものを無理に聞き出すのも野暮だろうと、真もそれ以上は聞かず、小春はゆっくりとした足取りで札幌の住宅街を歩いていく。

 その二人の間に会話はない。そもそも真は自分から話題を振るのが得意ではない。今の小春にいろいろと聞きたいことはあったが、それは後でちゃんと目的地に着いた時に聞くことにする。

 そして、小春から話しかけてこない以上、真はこの時間を思案することで潰すことにした。

 沖野小春。成績優秀、容姿端麗。運動神経抜群の完璧人間。と、言うのが真のよく知る彼女だった。二年間通っていた中学校で同じクラスになったことは、多分ない。

ここだけの話、苗代真の記憶はところどころが抜け落ちてしまっている。これは、ただ単純に交通事故にあっただけではあるのだが、頭の打ちどころが悪かった。一時期は自分の名前すらわからないほどの障害をこの体に受け持っていたのだ。

 記憶障害による人格の変貌が真の身にも起きていた。皮肉にもそのおかげで沖野小春が記憶障害に陥ったのではないかと疑う引き金となった。

今ここにいる沖野小春と、真が中学の頃に聞いた覚えのある沖野小春は全然違う。

 真の記憶がないために、今の小春が本当の小春だと説明されても納得できてしまうが、今はそんなことはどうだっていい。問題は、これから人気の少ないところで何を言われるのかだ。

 まさか愛の告白ではないだろう。それはあり得ない。恐らくは初対面なのだから、それだけは絶対にありえない。和樹に対して「異性に興味はない」と言った真だが、将来のことを考えるとそうも言っていられない。いずれは、一生のパートナーを見つけなくてはならない。大人になるまで彼女いない歴=年齢はさすがにまずいと、真は分かっている。

 彼女という立場の人が欲しいというわけではないが、いた方がいいのかもしれない。という思春期ならではの悩みを抱えている真っ最中だ。だからこそ、「人気のないところでの話」と言うものが気になってしょうがない。

 不意に、小春は足を止めた。それに気づき真もあわてて足を止めて辺りを見渡した。

 眼前に広がるのは赤い夕陽に染まった住宅街。ここが閑静な住宅街から少し離れた高台であるとすぐに理解した。

「へぇ。いい場所だね」

 心から述べた素直な感想だった。だが、小春の反応は著しくない。

「あー、うん。そうだね」

「あれ?君の言っていた人気の少ない場所って、ここのことじゃないの?」

 この高台はベンチと落下防止の柵がある以外、他に物はない。このあたりに住んでいる人でもあまり寄り付くところでもなく、老朽化が進んでいるから近づくなと、言われている場所でもあった。だから、何か重大な話をするのにはもってこいな場所ではある。

「ごめんなさい。迷っちゃったみたいで」

 方向音痴は結局のところ方向音痴だったようだ。道を覚えていようと迷ってしまうのだった。

「ま、いいんじゃないかな。景色は良いし、人もいない」

「うん。あなたの嬉しそうな顔が見られてよかった」

 そう言って小春は微笑む。

 嬉しそうな顔、か。普段は『仏頂面の真』と主に和樹からからかわれていたし、普段から表情は出さないようにしていた。実際、真の表情が和らいだのはほんのわずか。それに、小春は気づいたのだった。

「じゃあ、ここで少しだけ話そっか」

 小春はそう言ってもう一度ほほ笑んだ。

「聞きたいこと、あるよね?」

「うん、そうだね。僕に何の用事かな」

 本題から切り込む。この場合、遠回りして聞いてもただ時間が浪費されるだけだろう。だらだらと話すくらいなら、早く会話を切り上げる。そのつもりだ。

「初対面でこんなことを頼むのはおかしいかもしれないけど」

「いいよ。何でも言って?」

「助けてほしいの」

 それはあまりにも突拍子もなく、ざっくりとした頼み事だった。簡単に引き受けるわけにはいかない。

「どういうことか、詳しく説明してもらってもいいかな?」

「うん。信じてもらえるかはわからないけど、私、中学校三年の前期までの記憶、ないんだよね」

 やっぱり。そう言うことだったか。和樹とのやり取りで小春が記憶喪失であるということは判明していた。だから、人気のない場所での話にも薄々とその内容がわかっていた。

 和樹は、小春と同じ中学だから会ってくれと頼んできた。その時点で、過去のことが関わっているのだろうとも予想した。

 記憶喪失と同じ中学校で会ったことを話題に出した時点で、沖野小春という女は失った記憶を取り戻そうとしているのだと、感じ取った。

「記憶喪失、ね。ちょっと僕には信じがたい話かな」

 だからこそ、敵対することを選ぶ。

「だいたい、記憶喪失って、完全にその中三の前期までの記憶がなくなっているの?」

 こくこくと、小春は何も言わずに頷く。

「じゃあ相談する相手は僕じゃない。医者だ。僕は、君のことを知らない。君の手助けになるようなことはできないよ」

 半分以上が本音だった。完全に記憶というページが白紙になっているのなら、それはどんなに足掻いても色は戻らない。

よく見るドラマや小説なんかでは、記憶喪失になった人と恋仲だった人が一緒に思い出の場所を回って次第に思い出を思い出し、最終的には恋仲になるように創作されている。あくまでも創作と言ってしまえばそれまでだが、恋仲でもなんでもない、名前しか知らないような奴が、記憶喪失になった人間を助けることなんて、出来るはずもない。

「じゃあ、どうしてあなたは、そんなにも辛そうな顔をしているの?」

「はい?」

真の表情は、ここに来た時から何も変わっていない。なのに、沖野小春という女は、まるで心中を垣間見たかのようにそんなことを言ってくる。

「別に、せっかくちょっと遠くにまで来て頼まれたのに、出来るようなことじゃなくて残念だっただけだよ」

「嘘だ!」

「嘘じゃないよ。本当の話さ」

 どうして小春は初対面の人に頼りたがるのかわからなかった。いや、今までもそうだ。真に何か頼みごとをしてくる人間の大半は知らない人だ。それが、真にはどうにも理解できなかった。

「あなた。私と同じ中学校だったんでしょ?」

「うん。そうだよ。けど、君のことは名前しか知らないし、通っていたのは中学三年になってひと月未満までだけ。君のことは何も知らない」

「ねぇ、お願いだから。見捨てないで」

 小春は目を潤ませながら懇願するように言ってくる。

 それに対して真が感じたのは、恐怖だった。得体のしれない恐怖が真の身を襲い、寒くもないのに鳥肌が立った。

(なんだ?何か過去にもこんなことが)

 何かを思い出そうとして、突然激しい頭痛に襲われた。思い出すな。本能がそう告げていた。

「真君?大丈夫?」

「あ、うん。大丈夫だよ。・・・君は、本当の本当に、嘘偽りなく、記憶喪失なんだね?」

「うん。そうだよ」

 じゃあ、もういいや。真の中で何かが吹っ切れた。

「わかった。協力しよう」

「え、本当に!?やった!」

「喜ぶのはまだ早いよ。まだ、協力すると言っただけ。協力するにあたって、僕から頼みがあるんだけど、いいかな?」

「何?何でも言って?」

 ほう。今なんでもと言ったな?なんて悪役みたいなことは言わない。頼むのはもっと簡単なことだ。

「今後一切。僕には関わってこないで」

「え・・・?それって、どういう」

 小春が膝から崩れた。目には薄っすらと涙が溜まっている。それも気にすることなく真は言う。

「言葉通りの意味さ。まさか、言っている意味が分からない。ってことじゃないよね?」

「分かるよ」

 むきになって小春は反論するが、すぐに力なくうなだれてしまう。

「わかる、けど。・・・なんで?」

「本能が、君と関わることを拒絶しているんだ」

「難しいことは、わかんないよ」

「理由は分からない。けど、僕と君は、あまり関わらない方がお互いのためになる。そう思うんだ」

 これは、真が交通事故によって失った記憶によるものだ。失った記憶の中に、沖野小春は何らかの形で存在してしまっている。それも、あまりよろしくない形で。だからこそ、記憶はないが体はこの女を受け入れたがらない。

「そんなの。嫌だよ。せっかく、仲良くなれると思ったのに」

 わがままを言う子供のように、ポロポロと大粒の涙で地面を濡らして小春は言った。

「一つ言っておく。僕は引き受けた頼み事は必ず最後までやり通す。君の記憶は、僕が何年かかってでも取り戻す」

「じゃあ」

「それでも、だ。仲良くはしない。何かわかれば・・・そうだな。僕の友達と君の友達を介して伝えてもらうことにするよ」

「そんなの、嫌だ」

 小春はまたわがままを言う子供のようにして言った。

 参ったな。この女、思っていたよりもめんどくさいぞ。何か、突き放せるような物事はないのかよ。

「嫌だよ。だって、私。・・・あなたが好きなんだもん」

「は?」

「え?」

 真の思考回路は停止した。と、同時に、小春の思考回路はぐちゃぐちゃになった。

「え、いや。あの。えっと。その。え?え?今、私」

「僕、告白された?」

「あ、あぁ・・・」

 小春は声にならない声を上げて顔を覆ってうつむいた。覆っている手の間から少しだけ見える顔は、沈みかけている夕日のように真っ赤だった。

 一体全体どういうことだ。本当に、愛の告白?いやいやそんな馬鹿な。さっき考えていたことじゃないか。初対面だからありえないって。そう、初対面だ。お互いにお互いのことを知らないのだ。じゃあ、待てよ。どうして小春は勢いだったとはいえ、初対面にもかかわらず告白なんてしてきたというんだ?

 そういえばおかしな点がある。学校でぶつかった時のことだ。あの時が初めて出会った瞬間だった。なのに、こちらが自己紹介する前に小春は「苗代真君だよね」といい、自己紹介を始めていた。

 名前を知っていたのは和樹と、和樹の幼馴染がいるとのことだからおかしな話じゃない。まさか、和樹の奴。人の許可もなしに写真を送ったのだろうか。もしくは、ここまで来て否定することになるが、小春は記憶喪失じゃない・・・?

「おーい。沖野さん?おーきーのーさーん」

 物事の確認をするには本人に聞くのが一番ではあるが、その本人がそれどころではなかった。

「私。私。やっちゃった。あんなに陽菜ちゃんに釘を刺されていたのに。あー、もう。えっと。どうしよう。ねぇ!」

「え、何?」

「私、どうしたらいい!?」

「それを僕に聞いてどうすんだよ!」

 おっと、うっかり取り乱してしまった。一旦深呼吸して落ち着く。

「とりあえず、落ち着こうか」

「う、うん。そうだね」

 小春は大きく深呼吸し落ち着くには落ち着いたが、二人の間には気まずい空気が流れる。この空気、一体どうしてくれよう。

「あのさ。その、それ、本気?」

 小春は何も言わずに頷いた。顔はリンゴのように真っ赤だ。

 本気ねぇ。先にいろいろと確認させてもらおうか。

「君は、どこで初めて僕のことを知ったの?」

「それは・・・言って、いいのかな」

「口止めされているの?」

「そういうわけじゃ、ないんだけど。多分、真君はいい気分しないよ」

 何だよそれ。逆に気になる。

「大丈夫。言ってみて」

 もはやただの好奇心だけで動いている気もしなくはないが、そんなことはないと自分に言い聞かせる。

「陽菜ちゃんに頼んで、真君のことを調べてもらったの。写真も見せてもらっていたの」

 何だよそれ。確かにいい気はしない。けど、

「僕のどこがよかったの?」

「んんぅ・・・」

 小春は変な声を出してじっと真の顔を見た。あんなやり取りがあった後だからものすごく恥ずかしい。

「・・・笑顔」

「え?」

 あまりにもぼそっと言うものだからうまく聞き取れなかった。

「笑顔が、素敵だなって」

 何だよそれ。某アイドルプロデューサーみたいなセリフだな。

「僕、君の前で笑顔を見せたことあったっけ?」

「ううん。直接はない。けど、写真に写っていた真君はとてもたのしそうな笑顔だった」

 笑顔の写真ななんてここ数年撮ったことがなかった。最後に写真を撮った時は確か、ついこの間、和樹と一緒にハンバーガー屋に行ったときのことだ。せっかくだし写真を撮ろうぜ。という和樹の頼みに答えて写真を撮った。「もっと笑えよな」とか言われて、ほんの少しだけ、見る人にしかわからないような笑みを浮かべて見せた。

「あの、これなんだけど」

 小春は自分のスマホの画面を見せてきた。そこに映っているのは、やっぱりハンバーガー屋で撮った和樹と真の写真。わずかに笑って見せた写真だ。

「これを見て、楽しそうって?」

 一体どんな目をしているんだ。この写真を撮っても和樹は「笑えよな!」って笑いながら言ってきたのに。

「で、僕のそんな不愛想な笑顔が、理由なの?」

 小春は何も言わない。ただゆっくりと頷きを返した。

 こんなシチュエーションになった時。どのように対処すればいいのだろうか。相手は勢い任せに告白をしてきたアホ。そもそも今後一切かかわるな。と言ったあとでのこれだ。簡単に断ることも出来る。なのに、人間の、男の心と言うものは単純だ。

 自分の記憶の中で初めて好きだと言ってくれた。たったそれだけで、心は激しく揺れ動いている。

(落ち着け。落ち着くんだ、俺。頼み事だけ引き受ければあとは万事解決だ。さぁ、告白なんて断れ!)

 あーもう。心の中がうるさい!心臓の音もうるさい!カラスの鳴き声ですら鬱陶しい。

「あの、えっと」

「ちょっと黙って。考えるから」

 考えろ。この状況をうまく打破する方法はあるはずだ。さすがに聞かなかったことにはできないし、誤魔化すことも出来ない。いや、誤魔化す方法を考えるのは小春の方だが、小春はそこまで頭が回っていない。

「とりあえず。話を巻き戻すよ。お互いのために、僕らは仲良くしない」

「それは」

「嫌なんでしょ?だから、今回は僕が折れる」

 それが、現状で最も簡単に物事を終わらせる方法。

「ただ、告白の返事はしない。それをするのは。君の記憶を取り戻してから。いいね?」

「えー」

「文句はなしだよ。そうじゃなきゃ、僕は頼み事も引き受けない」

「うぅ、ずるい」

 ずるくて結構。ずるだって賢さのうち。なんて言ったところで小春には理解できないだろう。今は告白を勢い任せにしてしまったことと、その返事を先延ばしにされたことで頭がいっぱいのはずだ。

「とりあえず、はい」

 真は自分のスマホに、メッセージアプリ用のQRコードを小春に提示する。

「何かわかれば連絡する」

 小春は自分のスマホでQRコードを読み取り、真を友達として追加する。その顔は実にだらしなく、そして幸せそうだった。

「これからもよろしくね!」

 ん?なんだ?何か今の言い方には違和感があったぞ。と、思っていると、小春はどこかに電話をかけ始めた。

「あ、もしもし陽菜ちゃん?」

 電話の相手は和樹の幼馴染のようだ。

「うん。大丈夫だったよ。協力してくれるって!」

 なるほど、今まで協力してもらっていた人に報告しているってとこか。和樹には、必要ないか。

「それとね!私、恋人が出来た!」

「・・・は?」

 苗代真という男の表情がこの日一番崩れた瞬間だった。

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