第2話~無表情な男子生徒~

沖野小春。この春から札幌の高校に通う一年生。容姿端麗だが、成績は下の下。運動神経は鈍く、機械音痴と方向音痴の両方を併せ持つ天然っ子。

出身の中学校は札幌にはなく、この高校に当時の同級生はいないという。が、つい最近。同じ中学出身の奴がたった一人だけいることがわかった。

「それが、お前なんだとさ。真」

「へー、そうなんだ」

真と呼ばれた少年は興味なさそうに答えた。

 昼休みの教室。前後に座った二人の男子生徒が向かい合って話をしている。

「それで?僕がその沖野小春に会わなくちゃいけない理由はそれだけ?」

「まぁ、そうだな。お前だって同じ中学だった奴がいた方が安心するだろ?それに、もう会う約束はついてるんだ」

「あのさぁ、和樹。自分の価値観だけで物事を決めないでくれないかな?それに、どうして当事者抜きに約束しちゃうのかなぁ」

真は和樹と呼んだ少年を訝しげな視線で睨む。

いやまぁ、たしかに勝手に約束をしたのは悪いかなとも思ったが、それはあちらさんに事情があってのこと。その事情もかなり信じがたい内容ではあるが、あいつは嘘をつくような人種じゃない。完全に信用しているわけでもないが、疑っているわけでもない。

沖野小春の記憶喪失について。しかし、それは真に知られてはいけない。あくまでも同じ中学校の人がいたから会うだけ会おうぜ。ただそれだけのことなのだ。

「真はさ、その沖野小春って人に会いたくねぇのか?」

「会いたくないというよりかは、会ったところで何の意味もないと思う」

真は手にしていたお茶を喉に流して続ける。

「沖野小春は有名人だ。僕も名前は知っている。けど、多分、僕のことは知られていない。それに、前に話したと思うけど僕は三年間同じ中学校で過ごしたわけじゃない。沖野小春と同じ中学校に通っていたのは二年だけ。お互いに認識がないのに会う意味が僕には分からないよ」

その顔はかなり呆れているようで、どこかもの憂いにふけった本当に高校生なのかを疑うような。そんな大人びた表情だった。

真が時折見せる大人びた表情。それが出るときは決まって、高校生ならではの感情、行動を否定するとき。

が、ここで引き下がるわけにはいかない。

「沖野小春が、お前に会いたがっているとしたら?」

「は?」

真は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして呆然と和樹を見た。

「彼女から?いや、何の冗談?」

「冗談じゃねぇよ」

「いや、向こうは僕を知らないはずで」

「あー、それはな」

「前に言っていた君の幼馴染か」

真には和樹の幼馴染である岸波陽菜のことは話してある。その陽菜が沖野小春と親しい関係にあるということも真に話していた。

「そ。そいつがお前のことを話したらしい。それで興味を持った。ってとこかな」

真は幾分納得いかないという視線で和樹を見る。

「どうだ?向こうはお前に興味がある。その、有名人とやらに興味を持たられた。お前からすれば、それは光栄なことじゃねぇのか?」

「まぁ、そうかもしれないけど」

もう一押しだな。と、和樹は思った。

「だいたい、人からの頼みを断るなんてお前らしくもないだろ」

真は何も言えずに黙ってしまった。そして、大きく息を吐く。

「わかったよ。会うさ。会えばいいんだろ?」

「ようやくその気になったか」

「正直気は乗らない」

真は苦笑を浮かべながらもどこか複雑そうな顔をしていた。

「で、会ってどうするの?」

「え、あぁ。当時の思い出話でもすればいいんじゃねぇか?同じ中学だからこそ共通の話題もあるかもしれないだろ?」

まぁ、沖野小春の方に記憶はないらしいからそれも願わないだろう。実際、真が会ってしてもらうことといえば、小春の記憶を探す手伝いをすることくらい。それを、真に黙っているのは申し訳ない気もするが、それが向こうからの指示。それから、俺は同行しない。これは、会う直前に伝えることにする。

「当時の思い出、か。二年前のことなんてほとんど覚えていないに等しいんだけど」

「ん?何か言ったか?」

「いや、なにも」

絶対何か言った気がしたのだが、あまりにもボソボソと言っていたせいで聞き取れなかった。

「で、会うのはいつ?」

「今日の放課後だ」

「は?」

真はまた面食らったような顔をした。

「何で君は僕の予定も聞かずに勝手に約束を付けるかなぁ」

その声はかなり苛立っていた。普段はあまり感情を表に出さない真が、珍しく苛立ちを隠せていない。

「え、と。何かあったか?」

「そうだね。やることとやらなくちゃいけないことがたんまりとある。けど、それは大した問題じゃない」

「じゃあ、何に怒っているんだ?」

「君が勝手に約束を取り付けたことにさ。今日やろうと思っていたことが今日できなくなる。特別計画を立てて行動しているわけでもないけど、それでも、やりたいことが出来なくなるのは、個人的に好かない」

苛立ちを一切隠さないその物言いに和樹は呆気にとられた。今まで温厚な好青年。ただし、感情は欠落しているのではないか。そう思っていたがそうじゃなかった。そりゃ、人間なのだから感情は持っているだろう。それを、真は隠すのが上手なだけだった。苛立てば怒る。そんな当たり前のことを改めて知った。

「悪かった。今度からはちゃんとお前に予定を聞く」

「それが普通だとは思うけど。うん。そうして」

苛立ちの感じられない態度だった。怒りの矛を収めてくれたことに和樹は安心し、別の話題を振る。

「なぁ、真。沖野小春ってどんな奴なんだ?」

本当は陽菜から沖野小春がどんな人物なのかは聞いている。ただ、記憶喪失によるものか人格そのものまでが変わっているようなのだ。だから、かつてを知るだろう真から聞いたものと、元から得ていたものを照らし合わせてみようと思ったのだ。

「無類の女好きとしては、やっぱり当時のアイドルも気になる?」

「誰が無類の女好きだ」

「君以外にいない。と、いうか。沖野小春が同じ学校にいるんだから、何らかの情報は手に入っているんじゃないの?中学校ではあんなに人気だったんだから」

「あー、そう言われればそうなんだけどよ」

無類の女好きは流石に異論があるけれど、男子としては可愛い女子がいると聞けばそりゃ当然気になってしまう。それでも、他の男子と話していても沖野小春という名が出て来たことは一度もない。何となく可愛い子が別のクラスにいるという噂を聞いたが、噂だけで動くほど単純ではない。

「俺は沖野小春についてはさっき話したこと以外には何も知らないんだよ。だから、教えてくれねぇか?」

和樹の頼みに真は、しょうがないなぁと呟きながらも話し始める。

「今から話すのは、あくまでも僕があの人と同じ学校にいた二年間。その中の僕が知っていることだ。僕がいなかった間と最近については何も知らないから、今と違っても驚かないでよ?過去の話だから」

「おう。わかった」

「僕の知る沖野小春は、成績優秀、容姿端麗。運動神経も抜群。気持ち悪いくらいの完璧人間。かつ、社交的でその周りには常に誰かがいた。先生からの信頼も厚くて、それなのにもかかわらず彼女を嫌う人は極少数、だったかな」

「はー、ならほどな。俺が知ってることと全然違うな」

「だから、過去の話だって言ったでしょ?」

いくら過去の話にしても、たった一年真が見ていなかった中でこんなにも違ってくるものなのだろうか。これが、記憶喪失による影響だとすれば辻褄は合わなくもない。

「何の影響で完璧人間が君のいうドジっ子になったのかは知らないし興味もないけど、そうなってしまうほどの何かが僕のいない間にあった」

「まぁ、そうだな」

「それで、彼女の記憶がないのは、いつから?」

「あー、それはな。俺も・・・って、え?」

和樹は驚いて真を見た。真の表情はいつものように読み取りにくい。

「俺、お前に沖野小春が記憶喪失だって話したか?」

「ううん?聞かされてないよ。ただの推測で話してみたんだけど。あたりだったようだね」

なんたる洞察力だ。いや、それでも。今までの話の中でどうすれば記憶喪失というある意味、非現実的な物事に結びつけることができるというのだろう。

「なんでわかった?」

もう隠すこともやめて和樹は聞く。

「ただのこじつけだよ。成績が優秀だったのに悪くなる。運動神経が良かったのに悪くなる。どの程度悪くなったのかは話の中だけじゃ判別もできないけど、成績が落ちるのはともかく、運動神経は人間の神経だ。衰えるにはそれなりに大きな障害が彼女の身に起きたと考えられる」

ほう?と和樹は頷く。

「あと、さっき話さなかったけど、彼女は土地勘がいい上、機械にも滅法強い。その二つすらもダメになったということは、やっぱり精神的身体的障害を負った。ただそう考えただけ」

「本当にこじつけだな」

まぁね、と真は苦笑を浮かべて続ける。

「同姓同名の別人の線も考えた。けど、同じ学校だというのなら間違いようもない。それに、僕にも似たようなことがあったからね。一度そうと考えると、そうとしか考えられなくなった」

「はぁー、なるほど、な?」

言いながら和樹は真の口からとんでもないことが述べられていたことに気づく。

「お前も記憶喪失になったことがあるってのか?」

しかし、真は何も言わない。表情も変えず、眉一つ動かない。それ以上は聞くな。そう言われているような気がした。

「で?沖野小春はいつから記憶喪失なの?」

そうだ。そういう話だった。

「俺が知る限りだと、中三の時らしい。詳しい時期までは、悪い。俺にもわからない」

「ううん。充分だよ。中三の頃に僕はいない。そして、記憶喪失で過去を失ったなら向こうは僕のことを知らない。それがわかっただけで充分さ」

なんとなく引っ掛かりを覚えたが、それがなんなのかはよくわからない。

知られていないからよかった。そう言っているように聞こえたのは、気のせいか。ただ、真は沖野小春に対して何かしら思うことがあるのはほぼ間違いないと見える。

「ところで真よ」

「どうしたの?また沖野小春のこと?」

「いいや、それは一旦置いといて。というか終了して。聞きたいことがある」

まぁ、沖野小春に間接的に関わることなんだけどさ。そんなこともつゆ知らず、真は首をかしげる。

「なに?」

「お前って、彼女いたことは」

「ないよ」

即答だった。というか、食い気味に否定された。まるでそのことには触れるなというかのように。それでも和樹は続ける。

「好きな奴がいたことは?」

「それもない。だいたい、僕は異性に興味ない」

これはビックリ発言。・・・でもないか。真ならあり得てしまう。そう思わせる何かがある。

「だからといって同性に興味があるわけでもないからね?」

そうかそうか。ここで、「僕はゲイなんだ」なんて言われたらどう反応していいかもわからない。そういう意味では安心した。

「異性に興味ないと言えど、男として沖野小春をどう見る?」

「結局そっちなんじゃないか」

呆れながらも真は答える。

「一人の男として彼女を見るなら、可愛いには可愛いけど、だからと言ってどうということはないかな。世界に何億といる人間の一人として認識している」

マジでこいつは異性に興味がないのか。最近の男子高校生としてはやっぱり珍しい気もしてしまう。

「で、それを聞いてきたということは、今回のことをきっかけに沖野小春とくっつけ。そんな話?」

なんたる洞察力。まったくもってその通りでございますよ。こっちの目論見なんてバレているということか。

「言っておくけど。僕は沖野小春のことがそんなに好きじゃない」

「そうなのか?」

「関わったことはないし、あくまでも見聞だけでしか知らない。それでも、なんとなく苦手だよ」

「ほう?お前にも苦手な奴がいるんだな。いろんな奴からの頼みごとをほとんど断らずに引き受けているから、そんなことはないのかと」

「それは偏見だよ。価値観が違えばその人とはうまくいかないだろうし、相反しているのなら仲良くもできない。そう思っているよ。それでも、僕が頼みごとを引き受けるのは僕がそうしたいから。そこに人間の好き嫌いは関係していない」

本当に、変わった奴だ。自己犠牲の何がいいというのか。人助けはたしかにいいことだ。こいつは、誰に対しても優しすぎるんだ。なんとなく心配になる。いや、友達としてな?だけど、心境的には子を見る親の気分だ。大人っぽいけどまだまだ子供だ。

「何か失礼なことを考えてない?」

「まさか。考えてない」

失礼なことはな。

「ふーん」

真は納得していなかったようだが、それ以上は何も尋ねてこなかった。

「で、お前は何をしているんだ?」

いつのまにか真の机にはこれからの授業に一切関係ない勉強道具が広げられていた。

「放課後の予定が埋まっちゃったからね。やろうと思っていたことを終わらせる」

シャーペンを手に何かを書きつけて行く真。よく見ると、机の上にあるのは勉強道具などではなかった。

「クロスワード?」

「うん。そうだよ?」

本屋の雑誌コーナーに置かれている懸賞付きのクロスワード。いや、これ期限切れのやつじゃん。

「お前の放課後の予定って、これか?」

「うん。そうだよ?」

さっきと同じ回答が返ってきた。

頭のいい真のことだ。きっと帰ったら勉強するのだろうと思っていたが、ただの言葉遊びとは。

「何?そんな予想外のものを見たかのような顔をして」

「全くもってその通りだよ。それって、本当にやらなくちゃいけないことなのか?」

「どういうこと?」

真の眉がピクリと動いた。・・・ような気がした、

「いや、ほら。それってもう応募期限も切れているだろ?やることに文句はないけど、やらなくちゃいけないこととしては何かが欠けている気がして」

そういうと真はプイッとそっぽを向いてしまった。

「別にいいでしょ。僕がやりたくてやっているんだから」

「えーと、怒ったのか?」

「まさか。その程度で怒るほど僕の心は狭くないし幼稚じゃない」

ま、そうだろうなと和樹は思う。たかがクロスワードで怒るようなら、今まで見てきた真のイメージを全て払拭することになっていただろう。

「悪い」

「なんで謝るのさ。僕は怒っていない。謝られる道理もない」

「そういう気分だったんだよ」

「意味がわからない上に気持ち悪い」

おい。意味がわからないのは百歩譲って認めよう。けど、気持ち悪いだけは納得できねぇ。それを言おうと思ったが、もうそんなやりとりに飽きたかのように、真はクロスワードに熱中していた。

一度集中すると周りが見えなくなるのはここ最近関わってよくわかっている。こうなると和樹は手持ち無沙汰になる。他のやつのところに行ってこようかなと、席を立とうとした時、手にしていたスマホが通知を告げた。

差出人は岸波陽菜だ。

『いよいよ今日だけど』『大丈夫なの?』

 なんだそんなことか。陽菜には一昨日のやり取りで大丈夫だと伝えたはずだ。その時にはまだ真の了承はなかったけど、今なら特に問題はない。

『大丈夫』『やれるだけやった』『あとは当人たちに任せようや』と返信する。

『そうね』『うまくいくといいけど』

 この文面だけで、陽菜が沖野小春という女を十分すぎるほどに気にかけていることがよく分かった。こいつは、誰にだってそうだ。困っている人がいれば気にかけて、何とか助けになろうとする。時には失敗するときもあるけど、それで滅入ることがあっても、本人の気質なのだろう。いつも誰かを助けている。たまに男よりも男らしい時もある。そんな彼女が、和樹は苦手だった。

 既読だけつけてスマホを閉じる。

 今更何かを心配する必要はない。あとは当人たちが己の問題と向き合う時間だ。部外者である自分たちにできることはもうやった。記憶を失った女子高校生と、少し変わった男子高校生。この二人の行く末がどんな結末になるのか。和樹はただそれだけが心配だった。

 短い昼休みが、終わる

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