第1話~記憶を失った少女~
苗代真。この春から札幌の高校に通い始めた一年生。成績優秀。容姿端麗とまではいかないがある程度顔の整った好青年。同じ高校生であるはずなのに、時折大人っぽい表情を見せる。
出身の中学校は札幌にあるが、通っていたのは三年生の一年間だけ。二年間は別の学校で過ごした。
「その二年間通っていた学校が、小春と同じなんだっけ?」
「うん。そうらしいね。けど、その人が私のことを知っているかなんてわからないよ?」
小春と呼ばれた女の子は、テーブルの反対側にいる女の子に言う。
「大丈夫よ。あんた美人なんだから。あんたみたいな美人は絶対記憶に残ってるって」
「ちょ、言いすぎだよ、陽菜ちゃん」
陽菜と呼ばれた女の子は若干呆れたような表情で小春を見る。
整った顔立ち。ボブカットの黒髪に穏やかなたれ目。背は低いが胸はある。性格は少し消極的ではあるけど明るくて裏表がない。女である陽菜から見ても好感が持てる。誰かから嫌われるようなタイプでなくて、むしろ好かれるタイプだ。
「とりあえず、あんたは失った記憶とやらを取り戻したいんでしょ?だったら、その苗代真って人に会わなくちゃどうしようもないでしょ?」
陽菜が小春の記憶がないと聞いたのはつい先日のことだ。そもそも、入学式からまだ二週間しか経っていないのにそんな話をされたわけだが、自然と嘘だとは思えなかった。だから、陽菜は失われた記憶を取り戻す手伝いをすることにした。
ただ、失われているのは中学三年の後期よりも前から。苗代真は三年生のころは同じ学校じゃなかったようだし、覚えている後期の時点でも記憶を思い出そうとしたけどうまくいかなかったと聞いている。だから、同じ学校だった人を見つけたが成果は出ないだろうとも思っている。
それでも、小春が思い出したいと言っているのだから、陽菜は本心を口にはせず友人を通して苗代真の情報を得た。
情報集めに一週間程費やし、今日はちょっとした作戦会議。カフェの店内で向かい合って話しているというわけである。
「それで、いつ接触するつもり?」
季節には少し早すぎた感もあるアイスコーヒーを飲んでから聞く。
「うーん、なるべく早い方がいいと思うんだけど。ほら、私も陽菜ちゃんも苗代真君とはクラスが違うわけで接点もないでしょ?だから、難しいよね」
「なんで少し諦めたような感じで言うのよ。それに関してはたぶん大丈夫よ?」
「どういうこと?」
首を傾げて聞いてくる。そんな動作も、下手すれば男はイチコロだと思えるくらいに可愛らしい。
「苗代真っていう男はね、誰とでもある程度親しいらしいのよ」
「どういうこと?」首を反対側に傾げる。
「そのまんまよ。特別誰かと仲がいいってわけでもなくて、誰かと仲が悪いってわけでもない。その人はその人であんたと同じ。出身中学校が同じ子がいない。らしいわよ」
これも全て聞いた情報。
誰にも態度を変えることはなく、何かを隠しているような感じはなくて誰からも好かれないし嫌われない。そういうタイプらしい。
「だから、仮に向こうが知らなくても話すことくらいはできるってことよ」
「でもでも、異性だよ?」
向こうは平気だ。そう言おうとしたが踏みとどまる。
「あんたって、男が苦手なんだっけ?」
こく、っと小春がうなずいた。
向こうに問題はなかった。問題があるのはこっちだったか。いやはやどうしたものか。
「それにさ、もしも初対面だったとして、いきなり『私は記憶喪失なので助けてください』って言っても信用してくれそうにないよ」
それもそうかと納得しかけてハッとする。
「じゃあなんで、初対面だったあたしにはその話をしたのよ」
「なんとなく、だけど、この人なら話しても大丈夫そうっていう安心感があったから、かな」
うわ、はずかしい。面と向かって何言ってくれちゃってくれんのこの子は。
顔が熱くなるのをアイスコーヒーを飲むことで冷やしながら、一先ず話を進める。
「あんたが男苦手なのはわかった。っていうか、今まで聞いた情報で、あんたに彼氏がいたってなかったっけ?」
「あんなのデマに決まってるよ!だって、私だよ?」
うん、あんたならあり得る。だって可愛いもん。彼氏の一人や二人いても何も不思議じゃない。
「とりあえず、私の友達が苗代真と仲がいいらしいから会うのは可能よ」
「陽菜ちゃんは頼りになるなぁ」
「声に出さないで心の中でつぶやいてなさい。言われるこっちが恥ずかしいから。けど、あたしが出来るのはそこまでよ?会ったらあとはあんた一人で頑張りなさいよ?」
「え、なんで?」
「なんでって」
この子はたまに抜けているところがある。男から好かれやすさが一上がった。
「もしも苗代真って人があんたの記憶に関わる何かを知っていたら、部外者はいにくいでしょ?」
「そうかも、しれないけど。心細いよ」
「そこは、ほら、乗り越えなきゃいけない壁ってやつよ」
「おぉ。なんかそれカッコいい。じゃあ陽菜ちゃんも部外者の壁を乗り越えて関係者になろうよ」
「何言ってんのよ。それはどうあがいても乗り越えられない壁だし、乗り越えちゃいけない壁でしょ」
うぅー、と小春は木製のテーブルに突っ伏す。
小春の状況はある程度は理解しているつもりだ。思い出してはいないけど、かつてこんなことがあったと、小春が聞いたものを小春から聞いている。
それを聞くと、今よりももう少しアクティブで、男に対しても積極的だった。らしいのだ。
記憶を失う前は男とは普通に接することが出来て、彼氏がいたという話もあった。それが今では、男というものが苦手。どうにも引っかかる。
記憶を失ったその原因が、男にあるのではないかと思えるのは考えすぎか。いや、少ない情報しかないからこそ、そう思ってしまうのかもしれない。
懐からスマホを取り出してメモ機能を確認する。
苗代真の情報は全てメッセージアプリから来ているのだが、どうにも使い勝手が悪くメモ機能にもコピーしてある。
彼女いない歴=年齢だと言っているけど、沖野小春という名前を出したら少しだけ動揺していた、気がする。あくまでも、気がするだけ。感情の変化が読み取りにくいというのが情報提供者の言い訳である。
誰からも好かれず嫌われない。この情報もなんだか怪しい。というかよくわからない。嫌われないというのはいいことかもしれないけど、好かれないというのはどうなんだろう。
好かれないということはつまり、信用されない・・・?だとすれば嫌われもしないというのは一体。聞くだけだととても謎な人物。小春に会わせていいのかも正直ためらわれるが、これはさっき自分で言った通り、乗り越えなければいけない壁なのだ。
乗り越えた先に何が待っているかはわからない。それでも、超えてみるだけの価値はあると思う。
「あ」
突然、小春が五十音の最初の音を発した。見ているのはすぐ横にある窓の方。大通りに面していて人通りも交通量も多い。
「どうかしたの?」
「あ、うん。知り合いっぽい人が通りかかった」
知り合い?
「同じクラスの人?」
「うーん、見覚えはあるような気がするんだけど、同じクラスなのかな」
同じクラスかどうかも怪しいとなると。
「同じ学校の人とか?」
「うん。多分そうだと思う。話したことないし、顔も少ししか見たことないし、名前も知らないけど」
それを知り合いと呼んでいいのだろうか。むしろ知っている要素が何もないではないか。
「あんたって、不思議ね」
「やっぱりそう思う?」
やっぱりってことは自覚あったのか。
「記憶喪失なんて普通じゃ起こりえないもんね」
いや、そこの話は一切していないんだけど。確かにそこも不思議ではあるんだけど。
「あたしが言いたいのはあんた自身が不思議ってことよ」
「そうかな?」
そこは自覚ないのか。
小春は成績優秀で運動神経がよかった。らしい。小春を知るものから聞いた小春の覚えていない頃の話らしいのだが、どうにも今の小春を見ているとそうは思えない。
通っている高校だって偏差値ギリギリで入学。彼女曰く、受験の自己採点は合格しているかも微妙。定員割れを起こしていて助かった。そう話すほどだ。
記憶喪失にも色々あるらしく、ひどいものではすべてを忘れ、軽いものでは生活に支障が出ないレベルでしか忘れないだとか。
小春の場合はその中間だという。過去に起きた出来事は何も覚えていない。物の名前だとか、自分の正体と言うものは頭に残っていた。けど、勉強や運動の仕方があいまいになった。そのせいで、人格そのものにも影響がでた。ということだろう。これは、単なる憶測でしかないが現段階ではそう考えるのが妥当だ。
「陽菜ちゃん。何か難しいこと考えてる?」
体を机に乗せたまま小春が呑気にそんなことを聞いてくる。
「誰のせいだと思ってんのよ」
頬をつまみながら少しだけ語気を強めて言う。
「え、わらしのふぇい?」
「そうね。あんたのせい」
意地悪っぽく笑って頬から手を離す。
「なんか、ごめんね」
「謝らなくていいわよ。あたしも好きで首を突っ込んでいるみたいなものだし」
もしも記憶探しがいやになっていたらとっくのとうにやめていたと思うのだ。
「こういう非日常的なことってさ、結構憧れていたりするのよ」
「へー、意外」
「そう?あんたから見たあたしってどんなイメージよ」
「えーっとね、現実的で、強くて、可愛くて、あとは」
「ちょ、もういい」
うん。この子と関わるのは危険だ。恥と言うものも忘れてしまったのだろうか。話しているとこっちが恥ずかしい思いをすることになる。
「どうしたの?顔赤いよ?」
「誰のせいだと」
いいかけてやめる。小春はニヤニヤしてこちらを見ていた。この確信犯め。無駄なところだけ賢い。
はぁ、っと一つため息をついてスマホの画面に視線を戻す。
メッセージアプリに一通の通知が来ていた。
差出人は苗代真の情報提供者である友人。また新しい情報でも入手したのだろうかと思い、アプリを起動する。
送られてきていたのは、一枚の写真。よく知る情報提供者と、全く知らない男が映った写真。何処で撮ったものかはわからないが、二人そろってピース。
『これが、苗代真?』と返信する。すると、『そうそう』という返信がすぐに来た。
画像をタップしてズーム。
癖の強い黒髪に、どことなくひ弱そうで無表情。いや、少しだけ、本当に少しだけ笑っているように見える。確かに感情が読み取りにくい。ある程度は顔が整っていて、確かに好青年という印象を受ける。そして、肌がすごくきれいだ。とても色白。目の前にいる不思議系美少女こと小春と引けも取らない。明らかに草食系男子。
なるほど。見た目だけなら悪い印象は受けない。
「どうしたの?」
小春が不思議そうにしていたので、今見ていた画面をも見せた。
「この人が、苗代真。らしいわよ」
「へー、この黒い男の人が?」
黒い男?
「いや、そっちは私の友達よ」
おかしいな。苗代真の方をズームしたまま画面を見せたはずなのに、この子は機械音痴という能力まで持っているというのか。これに、方向音痴まで混ざれば大変なことになるが、さすがにそれは大丈夫だと信じたい。
画面を操作し、再度苗代真をズームして小春に見せる。
「あ!」
小春が大声を上げた。瞬時に他のお客さんの目がこちらに向けられる。
ぺこぺこと頭を下げながら小声で小春に聞く。
「何か、思い出したの?」
苗代真を見て声を上げたのだから期待が高まる。
「いや、学校で見たことあるなって」
「そりゃ同じ学校だからね!」
一瞬でも期待したあたしが馬鹿だったよ。そうだよ、小春はこういう子なんだよ。まだひと月もない付き合いだけどよくわかる。
「何か、思い出したりはないの?」
「うーん。ない、ね」
「そっか」
落胆は特にしなかった。記憶をなくしたと思われる時期にこの男は小春の近くにはいなかった。なら、思い出すようなきっかけにならなくてもおかしくない。
そもそも、苗代真という男が沖野小春という女と面識があったのかも確認はできていない。ただ二年間は同じ中学校だったからもしかしたら、っていうだけなのだ。
「ねぇ、陽菜ちゃん」
「ん?どうしたの?」
「この人と会うにはどうすればいいかな」
危うく持っているグラスを落としそうになった。
まさか、小春からそういう積極的な言葉が聞けるとは思っていなかった。
「会うのは、とても簡単なことだとは思うけど。一体どういう風の吹き回し?」
「うーん。なんとなくだけど、一目惚れってやつかな」
―ガシャン!
今度は本当に手にしたグラスを落としてしまった。
「お客様。大丈夫ですか?」
「え、あぁ。ごめんなさい!」
「いえ。すぐに新しいのをお持ちしますね」
「あ、でも」
「お気になさらないでください」
笑顔で言う店員に逆らえず、新しいアイスコーヒーが運ばれてくるのを待ってから話を再開する。
「陽菜ちゃん大丈夫?」
「だいじょばないわよ。いや、あんた。自分が何を言ったのかわかってるの?」
「うん。一目惚れしちゃった」
「恋に落ちちゃった?」
「恋、なのかはわからないけど。なんか、安心感があるよね」
やばい。この子が何を言っているのかが理解できない。まさかこの感情が読み取りにくい好青年の印象を受ける男を好きだとか思ったのだろうか。
「楽しそうだよね」
・・・え?
「苗代真の方よね?」
「うん。そうだよ。この色白の男の子のことだよ」
「いや、楽しそうに見える?」
「うん。とっても」
本格的にこの子のことがわからなくなってきた。人を見る目があるというやつなのだろうか。それを疑うつもりはないが、だとすればかなりの精度だ。
落ち着くためにアイスコーヒーを喉に流し込みふぅっと息を吐く。・・・だめだ。ちっとも落ち着けない。目の前に座る小春の顔は完全に恋をする乙女の顔だ。
本当に会わせていいのか不安になってきた。写真を見て一目惚れ。現物を見ても大丈夫なのだろうか。声も匂いをしない写真と、声も匂いもある現物では持つイメージも変わってくるだろう。果たして小春は第一印象が変わらないのだろうか。写真をこのタイミングで見せたのはよくなかったかもと思っても後の祭り。なるようになるだろう。
「で、会いたいんだよね?」
「うん。どうすればいい?」
「その苗代真と一緒に映っている黒い男、私の友達に頼めば何とかしてくれると思うわよ」
軽薄な男ではあるが一応信頼はできる。
「じゃあお願いしてもいい?」
「もちろん」
スマホに目を向け、『友達が苗代真に会いたがっている』と情報提供者にメッセージを送る。
返信は一分も経たずに来た。
『別にいいよ』『何か口実をくれ』
口実?友達が記憶喪失になっていて苗代真になら助けられるかもしれないと前に言ったはずだが、それではさすがにダメか。会うための代議名分が必要ということだろう。
一目惚れしたから、はダメだ。苗代真がどういう人間かもわからないのに、そういう前情報を与えることになるのはいろいろとまずい。
苗代真は成績優秀で小春はよくない。勉強を教えてもらう、というのも、別に今は
勉強をしなくてもいい時期だ。学生ではあるが、テスト前にしか勉強しない学生も珍しくはない。実際、自分たちはそういうタイプだ。
「勉強と、一目惚れと、記憶喪失だからという理由以外で苗代真に会いたい理由ってある」
不思議そうな顔をされた。
「えーっと、お話してみたい、から?」
「いきなり話をしてみたいってのも不自然でしょ?」
「それは、きっと大丈夫。苗代真君の情報をくれている、陽菜ちゃんの黒いお友達を通して知りました。って言えば」
「まぁ、いける。かしらね」
正直わからない。苗代真の知らない人たちに情報を与えているとあの黒い友達が言っているかもわからないし、裏で嗅ぎ付けられるのは誰だっていい気分がするものじゃないだろう。
それでも一応『あんたの紹介ってことで』と送信。
『やれるだけやる』という不安になる返信が来た。けど、それで通そうとはしてくれるようだ。
それからすぐ『明後日の放課後』『校門の前で』と来た。
本当に何とかなってしまった。
「小春、朗報よ」
「やった!」
喜ぶの早いって。まだ何も言ってないでしょうに。
「明後日の放課後、校門の前だってさ」
「ってことは放課後デート!?」
いやだから早いって。いや、でもそういうことになるのか?
会わせるときは二人きりにするという話もしたはずだけど。
多分、情報提供者がうまい具合に勘違いしているのだろう。くっつけばいいとか、そんな感じの。うん、あいつなら考えられる。だって、男と女がいればくっつけたがるそう言う男だもん。
「デートかはわからないけど、会う目的ちゃんとわかっているんでしょうね?」
「うん。連絡先を聞きだして、これからも仲良くいられるように努める」
「違うでしょ」
これがこの子の素なのだとしたらよっぽど重症だ。
「連絡先を聞くのも、仲良くなるのも別に構わないけど、本当の目的は記憶を取り戻すために情報を得るんでしょ?」
「あ、そう・・・・大丈夫。覚えてたよ」
絶対嘘だ。一瞬『あ、そうだった』って顔をしてたし。どうみても作り笑いだし。
本格的に大丈夫だろうか。一人で会わせるのも不安になってきた。この勢いだと会って早々、『一目惚れしました』とか言い出しそうだ。
「本当に、大丈夫よね」
「任せて!」
なぜか自信満々な小春を前に、陽菜の心には一抹の不安が残った。
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