表と裏の記憶
小野冬斗
~プロローグ~
―ごめんなさい。あなたとはもう、付き合えない。
その言葉は、繊細な人間の心を傷つけるには、充分すぎた。
いつかこの時が来るのだろうとは思っていた。けど、それが付き合い始めてちょうど一年という節目の日になるとは、思いもしなかった。もっと、いい思い出を作っていこうと、そう思っていたのに。
―だから。
目の前にいる彼女の表情は、夕日が逆光となってよく見えない。けど、どことなく寂しそうにしているのは、わかった。
次に切り出される言葉は、もうわかっている。聞きたくなくて。聞かないために、嫌われないように努力して。けど、それらすべてが無駄で。乗り越えなければならない壁へと変わった。
―もう、別れよう。
足元が崩れてしまったかのような絶望感。不思議と、涙は流れなかった。悲しくないわけじゃない。心の中はいろいろな感情が渦巻いているようで、気持ちが悪い。
あぁ、そうか。これが、失恋というものなのか。
「ふ、はは」
目の前にいる彼女は、目を丸くして驚く。
そりゃそうだ。別れ話をしていて、笑いだすような人間がいるなど聞いたこともない。それでも、笑うしかなかった。もう、よくわかんなかった。ただこれだけ。言わなければいけないことがあるのは分かっていた。
「今まで、本当にありがとう。こんな不甲斐ない僕と、付き合ってくれて」
声がかすれていた。震えていた。それでもはっきりとそう口にすることが出来た。
―こちらこそ、貴重な体験を、ありがとう。
彼女、いや、もう元カノと呼ぶべきその存在はぼそっとそう言うと、春が終わりかけている公園から姿を消した。
あの人とは、まだ顔を合わせる機会がある。しばらくの間は、まともに顔を合わせることも出来やしないだろうけど。それでも、いつかまた普通に話せる日が来るだろう。恋愛後なんて、みんなそんな感じだ。少なくとも、俺の周りにいる奴らは。
近くにあったベンチに腰を掛ける。眼前に広がるのは、青々とした静かな森林。
ここで、俺はあいつに告白したんだ。それと同じ場所で別れることになるのは、何たる皮肉だ。それとも、あの人がここを覚えていたのか。もう、どっちでもいいや。早く帰ろう。ここに長くいては何かが胸の奥から込み上げてきそうだ。
帰り道。そこは、いつも歩いている通学路。
ここも、あの人と一緒に歩いていた。家の方向が同じだったから行きも帰りも一緒にいることが多かった。
この道はダメだ。もう通ることはできない。
いつもとは道を外れて遠回りして家に帰る。
また、見つけてしまった。思い出してしまった。行くとこ行くとこに、あの人と過ごした出来事が、脳裏に思い浮かんで離れない。
もう、この街はだめかもしれない。ここに、ずっと住み続けていれば苦しみ続けるだけだ。
何も考えないように、無我夢中で家に向かって全力で走る。足がもつれようと、通行人がいようと関係ない。早く家に帰って、暖かい風呂に入って、もう寝てしまいたかった。
数分の後、やっと自分の家についた。どこを歩いてきたのか覚えていないし、体も疲れ切っていた。
どうせこの時間に親はいない。何があったのか尋ねてくるような人も家にはいない。だから、息も整えずに玄関をくぐり、家の中が何やらあわただしいことに気付く。
「あら、真。お帰り」
「母さん。ただいまって、今日は夜勤じゃなかったの?」
母が大きい段ボール片手に近づいてきた。
「真。よく聞いて」
深刻そうなその表情を見て楽しい話ではないことは理解できた。それでも、心に抱えているものを超える深刻な問題は何も。
「転勤することになったわ」
一瞬だけ、頭が真っ白になった。
理解するのに数秒を要し、やっと一言。
「・・・は?」
中学校3年の春が終りかけた微妙な季節。まだまだ未熟だった苗代真の身に二つの災難が降り注いだ。
それが、真を変えることとなった出来事。そして、すでに過去の出来事。
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