ココア
寒風吹きつける由比ヶ浜の海岸で別当薫は1人の少年とクジラが倒れているのを見つける。
みかん色のツバをした緑色の帽子、みかん色のユニフォーム、そして若草色のアンダーシャツはビショビショに濡れていた。
「おい、しっかりするんだ坊や!坊やっ!」
こんな師走の時期の海にいたら風邪を引くどころではない。下手したら命に関わる。別当は自分の服が汚れるのも気にせずに、ずぶ濡れの少年の身体を必死に揺さぶる。すると、
「う・・うん・・?こ、ここは・・どこ・・?」
「おぉ・・!目を覚ましたか坊やっ!大丈夫かい!?」
別当の呼びかけに少年は気が付いたのか、目を覚ます。しかし、こんな冷たい海に流されてきたとあって、体力を消耗しきってしまい息も絶え絶えである。別当は冷たくなった少年の手を握り、必死に呼びかける。
「こんなに冷たくなって・・ちょっと待ちたまえ!・・ひとまずこれを着るんだ!」
居ても立っても居られなくなった別当はトレンチコートを脱ぐと、それを少年の冷たい肩に乗せる。
「ありがとう、おじさん・・あったかいや・・」
「坊や!いま温かいものを持ってくる!ちょっと待ってるんだぞ!」
そう言うと別当は砂浜を物凄い勢いで走り出す。プロ野球史上初のトリプルスリーを獲得したその健脚は老いたとは言え、健在だ。彼はそのまま砂浜を走り抜け、近くにある喫茶店に駆け込んだ。
「ごめんください!誰かっ!誰かおりませんか!?」
すると店の奥から中年の婦人が怪訝そうな表情で出てくる。
「はいはい、そんな血相を変えて一体どうなさったんですか?」
「実は、坊やが1人海岸で倒れていたんです!大変申し訳ないのですが温かいココアをいただけないでしょうか!?」
「え!?子どもがですか!?それは大変ですね!分かりました、これだけしかありませんがどうぞ持って行って下さい」
婦人はそう言うとあるだけのココアをポッドに入れて別当に差し出す。
「御婦人ありがとうございます!お代なのですが・・」
「そんなもの、後でいいから早く坊やのところへ行ってあげて下さい!私も今から救急車なり人を集めますから、貴方は早く坊やにそのココアを飲ませてあげて下さい!!」
別当がポケットから財布を取り出そうとするのを婦人がピシャリと制止する。そして、まず優先すべきことを別当に告げると婦人はそそくさと電話を取り出すと方々へ連絡を取り始めた。別当はそんな冷静で熱い婦人の背中に「ありがとうございます」と小さく告げて、店を出て走り出す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「坊やっ!!坊や!!」
温かいココアのポッドとコップを携えた別当が少年がいる方へ向かって、また砂浜を駆け抜ける。向こう側にポツンと佇むトレンチコートが小刻みに震えているのが分かる。別当は靴に砂や貝殻の破片が入っても、走る速度を緩めない。いま、このココアを飲ませてあげねばあの少年の命が危ない。
「しっかりしろ!いま温かいココアを持ってきたぞ!」
別当は少年のもとへ駆け寄ると心優しい婦人からちょうだいしたココアをコップに注ぐ。立ち上る湯気が寒風によって吹き飛ばし、同時に少年の体力をみるみるうちに奪っていったのである。少年は別当から差し出されたコップを凍える手で持つと、それを大事そうに口へ運ぶ。
「・・・・はぁ〜・・あったかぁ〜〜い・・おじさん、ありがとう〜・・おかげで少し楽になったよ・・・でも、すこし眠くなってきちゃった・・・ちょっと寝かせてちょうだい・・」
少年はそう言った途端、バタンと砂浜にまた倒れ込んでしまった。少年が見た記憶はそこで分団された。
「坊や・・坊やぁぁーー!!しっかりしろぉーー!!」
続く
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