クジラ達の咆哮

日本の頂点を極むる戰いを決める舞台としては、不適格なくらいに川崎の空は鉛色に包まれていた。京浜工業地帯から立ち昇る煤煙も相まって、その空はより”川崎らしさ”を醸し出していたが、この日を心待ちにしていた人々は平日の火曜日だというのに川崎球場に殺到した。


1960年10月11日。

セントラルリーグをプロ野球史上初の最下位から優勝を果たした「大洋ホエールズ」と、ミサイル打線の呼ばれた圧倒的な攻撃力でパシフィックリーグの投手陣を焼け野原して優勝した「大毎オリオンズ」という異色の顔合わせで日本シリーズは開幕した。


大毎オリオンズには打率.344で首位打者となった”打撃の天才”榎本喜八をはじめ、32本塁打、103打点で二冠王の”シュート打ちの名人”山内一弘、打率2位の田宮謙次郎、さらに6位の葛城隆雄と揃う12球団一の破壊力を持つ打線だ。加えて、投手陣には33勝11敗、防御率1.98という絶対的エースの左腕・小野正一が君臨する。


「大毎が相手では、さすがの三原の作戦でも歯が立たないだろう」


これが大方の常識的な見解だった。そして、それは大洋ナインも同様であった。土井も「1つ勝てれば万々歳だ」という言うし、野武士然とした鈴木武までもが東京の姉夫婦に第4戦のチケットを送り「大毎に勝てるわけあらへんやろ!第4戦でしまいや!」と弱気な言葉を残している。


しかし、戦々恐々とするナインをよそに三原だけは違った。


「諸君、大毎オリオンズの力は強大だ。選手個々をピックアップしてみても、パワフルだ。抜群である。しかし、それらの選手は不調でも変えることはできない。その点、我々はその局面に応じて臨機応変にベンチ入り選手25人全員で総力戦を挑むことができる!したがって、ペナントレース同様の戦い方をしていれば自ずと勝機は見えてくるであろう!」


三原は選手たちにそう言って励ます。すると選手たちは光明が全く見えてこなかったこの日本シリーズに僅かながらの希望の光を見たような表情となった。


ペナントレース同様の総力戦、白兵戦に持ち込むには、信頼の置ける5人の投手を総動員してミサイル打線を不発に封じ込めるのが前提条件となる。そこで三原は投手起用に対して大胆な決断を下した。


「先発は鈴木隆と島田源太郎の2人として、左は権藤、右は大石の2人を、局面に応じてはめ込んでいく。そして、エースの秋山は全局面に、おそらく全試合を登板してもらうことになる」


そして、日本シリーズの火蓋は切って落とされた。第1戦の先発は鈴木隆。

「ランナーが1人でも出れば、すぐに秋山と交代する」という三原のお墨付きをもらっての登板である。しかし、いきなり先頭の柳田利夫に四球を許し、ランナーを出す。

ここで交代かと思いきや、ここから田宮、榎本と続くこともあり三原は知らぬ顔で鈴木隆を続投させる。結果は、田宮が安打、榎本が三振で一死一、二塁となりここで三原が動いた。


「鈴木隆に代わって、ピッチャー秋山!」


迷いのない、予定通りの行動だ。しかし、これにはスタンドの両軍のファンも度肝を抜かれた。そして、「一体、三原は何を企んでいるんだ」と大毎ベンチも得体の知れない薄気味悪さに寒気がしたそうだ。この時点で大毎オリオンズは三原の術中にハマっていた。


秋山は山内に対して1-0とした時、柳田が飛び出してアウト。山内に敬遠四球で出塁を許すが後続をピシャリと抑えて無得点。その後も、秋山の好投、大洋の堅い守備で得点を許さず、7回には先頭の金光が初球をライトスタンドへ叩き込み先制。大洋はその1点を守りきり第1戦をものにした。


10月12日。第2戦は島田源太郎が先発。相手はエース小野ではなく、右腕の若生智男が先発。抜群のコントロールで大毎ミサイル打線を抑え込む島田、一方の大毎は2回に若生から小野に代えたピンチを防ぐ。小野は本調子でないが流石はエース、大洋に付け入る隙を与えず、投手戦を繰り広げる。

試合が動いたのは6回であった。まず大毎の榎本が島田の失投を捉えてライトスタンドへ2ランホームランを放ち、2点を先取。大毎にとっては逆襲の口火を着る得点となったが、ここで榎本が青ざめた表情でホームインするのを土井は「よし、勝てる」と直感したという。

そして、その裏、大洋は鈴木武が四球、近藤和彦のヒットで出塁。桑田の右前安打でまず1点を返し、一、三塁となり金光の内野ゴロで同点。その後、土井の安打と犠打で二死二塁。近藤和彦、鈴木武の安打で土井を返して勝ち越し点を奪った。

8回表、チャンスメークをした大毎に、ここで三原は秋山を投入。その後の打者をピシャリと抑えて2連勝。


10月14日。場所を後楽園球場に移した第3戦。

大洋は5回までに5点のリードを奪い、早くも日本シリーズ王手へ浮き足立つ。しかし、さすがは強打の大毎ミサイル打線である。ただでは終わらない。5回に柳田の2ラン本塁打で反撃ののろしを上げると、6回には田宮の安打で1点。そして、8回、葛城の二塁打で同点に!

9回の表、一死後、打席に立ったのは新人の近藤昭仁。

「どんなボールでも右に打とうと考えてました」と振り返る近藤の一振りは、値千金の勝ち越し弾。その裏、大石が大毎を3人で切って取り、6-5で大洋が3連勝。日本一に王手をかけた。


10月15日、後楽園球場。大洋3連勝を受けた第4戦は、大洋が第2戦に続き島田源太郎、後のない大毎はエース小野の先発でプレーボールがかかった。崖っぷちの大毎は自慢のミサイル打線がことごとく不発に終わり、心の中に焦りが生まれていた。

そして、この一戦、いやこの日本シリーズの全てが凝縮されていたと言っても過言ではない攻防が5回に行われた。

先攻の大洋は先頭の渡辺が左へライナー性の安打を放ち、これを山内がファンブルして二進。土井、島田源太郎が倒れて二死二塁となった場面で打席に立ったのは近藤昭仁。

寿司屋で一目惚れした、新東宝グループの北沢典子のハートをゲットしようと必死になって戦った今シーズン。近藤は燃えていた!

カウント2-1からの4球目、小野が魅入られたように投じた真ん中高めのカーブを近藤は迷いなく振り抜いた。打球は遊撃手の右を抜ける中前タイムリー。ついに試合の均衡を破ったのである。

ネット裏では、切羽詰まった大毎・永田雅一オーナーが「南無妙法蓮華経」と念力を込めて唱え始める。もはや御仏による救済にしか頼る術は残されていなかった。

7回裏、大毎は最後の反攻を試みた。2安打で一死二、三塁の逆転機をつかみ、打席には巧打者・坂本文次郎。しかし、3塁コーチボックスの西本は、1-1からの3球目、なんとスクイズのサインを出したのである。

「大毎はスクイズなど滅多にやらないチーム。やりつけていないせいで、なんとなく雰囲気でわかりました」

土井にお見通しだった。当然、秋山は大きく外へウェスト。懸命にバットを投げ出した坂本だが、打球はあえなく土井へのファウルフライ。ここでも無得点に終わった大毎は一気に敗色ムードが漂い始めた。


残り2イニング。秋山は快刀乱麻のピッチングで大毎ミサイル打線をかわす。

そして、9回裏二死、秋山の美しいアンダーハンドから放たれた内角高めへの快速球が唸りをあげ、石川のバットは空を切る。


ゲームセット。


大洋ホエールズ。球団初の日本一なる!


1点差ゲームでの勝率.660という接戦での無類の強さを見せたペナントレースの闘いぶりをそのままを日本シリーズでも発揮して、全て1点差勝利による4連勝という絵に描いたようなストレート勝ちを成し遂げたのだ。その前年までは、6年連続最下位に喘いでいた弱小球団が、三原の監督就任からたった1年で「日本一」に輝いた。


突出したスタープレイヤーがいるわけでもない。ごく一部の選手を除けば、決して一流とは言えない無名に等しい選手たちが、名監督のもとに集結して自身の持ち味を十二分に発揮して強豪球団を打ち負かしたのだ。


下関、大阪、川崎と流転の運命を辿ってきたクジラ達は三原脩という”魔術師”の魔法にかかり、ついに空を舞ったのである。

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