空飛ぶクジラ

ーー骨の髄まで最下位の体臭が染み付いている。これはやりがいがある、と私は思ったーー


三原は自著でこう述べている。


負け犬根性が骨の髄まで染み付いた弱小ホエールズを目の当たりにし、知将三原は腕を鳴らすのであった。その改革の第一歩として、正捕手土井淳を選手兼コーチとしてチームの基盤を固めることをした。


土井は後に語る。


「コーチ兼任と言われた時は、『そのうちやめさせれるのかな』と思いました。兄に聞いたら『俺の片腕となれということだよ』と。私にグラウンド内のリーダーになれということだったのでしょう。」


そして、三原監督率いる新生・大洋ホエールズは1960年のシーズンを迎える。開幕戦のプレーボール前にエース秋山をアクシンデントが襲い、その試合を含めて6連敗。しかし、その後、4月19日から秋山が復帰して勝つと、そこから島田源太郎、秋山、大石正彦、島田源、鈴木隆と6連勝。これに左腕の権藤正利もからませていった。


「三原さんの何がすごいかと言えば、鋭い眼力で人の長所、短所を見抜く。そして、短所を隠して長所を表に出すんですよ。そのいい例が麻生と鈴木隆、浜中でしょう。」


麻生実男。盈進高校ーレイヨン倉敷から1958年に大洋に入団。ミートが上手く一年目からショートのレギュラーになるが、守備は精彩を欠き27失策。そこで三原は意外な助言を麻生に投げかける。

「お前の守りは金にならんが、打撃の方は金になる。」

こうして麻生は代打の切り札として起用されるようになり勝負強さを発揮した。

そして、鈴木武を6月に近鉄から金銭トレードで獲得。鈴木は麻生とは反対にバッティングには難があるが、守備と走塁は高いレベルを持ち、大変クレバーな野球が出来る。そのため、

移籍後はショートのレギュラーを獲得。

また、浜中祥和は大学時代に負傷した眼球の影響からバッティングでは才能を発揮できなかったが、守備と走塁では才能を買われ、代走と代守で活躍した。

今では当たり前となった「分業制」を三原は果敢に取り入れて、選手の持てる才能を最大限に生かす起用した。三原は自著で戦争体験を振り返りながらこう述べている。


ーー人間の哲学には、勝者と敗者のそれがあるように思われる。それは積極果敢と優柔不断の哲学であるかもしれない。人の生き方を説明するのに、どちらか一方だけなら、充分とは言えまい。ーー


積極果敢と優柔不断の融合。その瞬間に誰も気付かぬような天才的なひらめきが三原の額から閃光のように輝く。自身がビルマ戦線で死線をくぐり抜けた際に感じた感覚を彼は野球にもいかんなく発揮したのだ。

そして、それは野手の起用に止まらない。特徴的なのは秋山のフル回転。ワンポイントで秋山を三塁に回し、権藤を投入してまたすぐに戻すという綱渡り戦法が冴えた。


7月3日に首位に立ち、また混戦ではあったが8月にトップに立つ。チーム打率は.230、ホームランもわずか60本とリーグ最低の数字だが防御率は2.33という投手陣がモノを言った。

このように、スケールは小さいがピンチを巧みにかわして、チャンスをモノにして接戦を勝ち抜き、混戦のペナントレースの間隙をついていく、これが大洋の土台となったのだ、

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栄光は思わぬところでやってきた。

9月27日の巨人戦に勝ち、マジックを1にして秒読み体制に入っていたが、目の前で胴上げ阻止に一丸となった巨人に惜敗し、さらに翌日の広島戦も完封負けを喫してしまう。


そして、10月2日、大洋は甲子園球場での阪神戦に臨んだ。一方、広島とのダブルヘッダーが組まれた巨人は、後楽園球場で一足早く試合開始。広島が2-1とリードして最終回に突入する東京の試合経過ラジオに一喜一憂しながら、大洋も14時にプレーボールを迎えた。


1回表、大洋の攻撃。その途中、甲子園のスタンドからは、突如、時ならぬ歓声が湧き上がった。大洋ベンチは、と見れば、選手たちが満面の笑みで、誰かれとなく握手を交わしている。後楽園のゲームがそのまま終わり、自動的に大洋の初優勝が決まったからだ。三塁コーチボックスの三原も、気配でそれを察知。そして、攻撃が終わってベンチに戻る際、スタンドに向かって軽く手を振り、笑顔でファンの祝福に応えた。

取り立てて歓喜するわけでも、この時を予知していたかのような悠揚迫らぬポーズ。試合は1-6と敗れたが、ゲームセットと同時に、知将の身体はナインの手によって甲子園の宙を舞った。


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いったい誰がこの優勝を予想したであろうか。他球団に実力で勝負できるのは秋山ー土井のバッテリー、打者では桑田武、近藤和彦くらい。

土井は初優勝をこう述懐する。


「ときたま、わけのわからん作戦の時もありました。いま思えば、三原さんが間違っていたのかもしれません。でも、そんな時でもみんなが三原さんを信じることができた。そこが大事なんです。選手はもともとアマチュアでも第一線でやってきた人間です。実力は持っている。三原監督が選手の中に眠っていた真の力を呼び起こして、みんなが結束したからこそ優勝したのでしょう」


暗闇の海底をさまよっていた頼りないクジラ達は、一致団結して闘うことにより、ついに日の目を浴びる日がやってきた。


プロ野球史上初、最下位からの”下克上”。


そして、セ界制覇を成し遂げたクジラ達は、パリーグを制した大毎オリオンズと対峙する。


夜空にきらめく勇者オリオンに向かってクジラ達は勝鬨の咆哮を天に向かってあげるのであった。


続く。

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