魔法が解けた日

「いったい誰のおかげで日本一になれたと思っているんだ!」


藤の花が香る心地よい初夏の陽気には、似つかわしくない張り詰めた空気が名古屋球場ベンチ内にあった。1960年、奇跡の初優勝を遂げた大洋ホエールズは意気揚々と1961年シーズンを迎えた。しかし、昨年の反動なのか、チームの調子も今ひとつ上がらず、連敗に次ぐ連敗で最下位に沈んでいる。そこでたまりかねた三原は試合前に選手を集めて叱咤した際に、その「禁句」を発してしまった。


このことを土井淳はこのように述懐する。


「我々だって、三原さんのおかげで日本一になれたことくらい、百も承知だったんです。それが本人の口から飛び出したことで一気にシラケてしまった。優勝した時みたいな一体感が無くなってしまった。勝つという意識が薄れ、まず自分の成績を優先するような空気が生まれてしまった。」


笛吹けど踊らぬ選手たちに苛立つあまり飛び出た「禁句」。魔術師とまで言われた大監督の思わぬ失言に、選手たちは「監督は俺たちをそういう目で見ていたんだな」という反発心を芽生えさせてしまったのである。ひとたび生じたほころびは容易に修復する訳もなく、チームは前年の日本一が嘘のように最下位に沈んだ。


1962年には巨人、阪神、大洋の三つ巴の首位争いを繰り広げ、“あと1勝で優勝”というところまで持ち込んだ。しかし、巨人に3連敗を喫し、逆に阪神は3連勝して逆王手をかけられてしまう。そして、10月3日、甲子園で小山正明が完封勝利をあげて藤本定義監督の身体が宙を舞う。この年に“もし”優勝していたら、東映フライヤーズ水原茂監督との衣を違えての「巌流島の決闘」が再現されたのである・・・。

また、1964年は前半戦、首位を独走。重松省三、近藤和彦、クレス、桑田武、長田幸雄、森徹を擁しての“メガトン打線”はセ・リーグの投手たちを震え上がらせた。投手陣も秋山登、稲川誠の両輪に高橋重行が加わってペナントレースを快調に勝ち進んでいった。

ところが、後半戦が始まるといきなりの7連敗、さらに6連敗。阪神にゲーム差を詰められてしまう。8月9日には首位を明け渡してしまうが、そこから大洋も奮闘して首位の座を奪還。9月20日の対阪神、22日の対巨人、24日の対阪神のダブルヘッダーに3勝3敗すれば優勝するところまで持っていった。そして、巨人に連勝して“あと一勝で優勝”というところまでこぎつけた。しかし、その時に選手たちの心の中には“あの言葉”がシコリとなっていつまでも残ってしまっていて、一抹の不安が頭をよぎっていた。

 その悪い予感は的中した。24日、第一試合に阪神はバッキーの完封負けを喫し、第2試合は稲川の暴投で逆転負けをする。全日程を終えた大洋は、残3試合の阪神が1勝2敗で終わってくれることを祈りながら、ラジオの野球中継を固唾を飲んで聞いていた。しかし、猛虎軍団の勢いはとどまることを知らなかった。残り3試合をなんと全勝して奇跡のだ逆転優勝してしまうのであった。


「1960年のような一体感があれば・・・」


三原はあの失言を何度も悔やんだ。あの一言が無ければもしかしたら結果は違ったっものになったかもしれない。大磐石の組織を作り上げるには長い年月を要するが、それを壊すきっかけは、ほんの一瞬の些細な言葉や行動なのである。それを身に染みて理解していた三原だったからこそ、あの失言の重さを誰よりも痛切に感じていたのかもしれない。


クジラたちは二度と魔法にかかることはなかった。そして、1967年シーズン終了後、クジラたちを海底から救い出した偉大な魔術師は静かに大洋ホエールズのユニフォームを脱いだ。

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