川崎
川崎に立派な野球場を!
京浜工業地帯の一角を占める川崎市内には多くの企業が経営や製造の拠点を置いていた。そのため、川崎という街は戦前から社会人野球が盛んな土地であったのだ。
そうした環境の中で川崎市と日本鋼管、東芝、味の素、日本コロムビア、昭和電工、いすゞ自動などの主要企業が共同出資をして産声を上げたのが「川崎球場」であった。
1952年3月には内野スタンドが設置されて、初めてプロ野球公式試合てして東急フライヤーズ対大映スターズ戦が開催された。また、 1954年からは同年発足した高橋ユニオンズがプロ野球で初めて川崎球場をフランチャイズとした。
ちなみに当時はセ・パ計5球団が後楽園球場を本拠地としていたことから、高橋ユニオンズだけでなく、読売ジャイアンツ、国鉄スワローズ、毎日オリオンズ、東急フライヤーズ、大映スターズなどの球団がこの川崎球場で主催試合を開催していた。これは川崎球場が首都圏でのプロ野球の日程の過密化を解消するためでもあった。
古来より川崎の地は東海道の中継地点として栄えてきた。また、明治期になると一気に工業化が進み、遠方からの労働者や他国からの朝鮮人などが川崎にやってくるようになった。
そんな多様多彩な人間模様すらも受容する寛容さがこの川崎の地にはあったのだ。
それはプロ野球も然り。
川崎球場はどんな球団も、どんなファンすらも拒まない雰囲気があった。
そして、その川崎球場に1955年。
下関、大阪と本拠地を転々として来た迷いクジラがやって来た。
この川崎は果たしてクジラ達の安息の地となり得るのか。
続く
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