第18話

 砂浜で船団を待ちながらアウーの看病を続けた。生命に別状はなかったが脂汗を滲ませうなり続けるアウーをタムリが勇気づける。そして次の日の昼には本隊が到着していた。船から降りてきたガネリやバナも言葉を交わす。タムリがこの砂浜に残っているのが全ての兵だと説明すると誰もが黙った。王は船上から私たちを見下ろすばかりだった。

 アウーは仲間たちによって船に連れて行かれた。イヌの何々は良いやつだったと言うサル、タウーを思って泣くトラ、押し黙り壁を見つめるサイ、多くの獣が多くの考えを張り巡らせるがネズミが押し入る隙はない。ネズミはネズミだけでヒヒヒと騒ぎポウポウの一部を美味そうに齧っている。


 多くの船が海に並んでいる。ポウポウの儀式を見るためにアトラム中の貴族が駆けつけてきたとバナは言う。その貴族は今も酒と果物を味わいながら壁を見ていることだろう。地べたに這いつくばる死体には目もくれず。

 戦争はいつだってそうだ。誰も何も見ない。ベトナムで何が起こっているのか知らないアメリカ人も多くいる。それと同じだ。


 船から下りてきたイヌがポウポウの残党を狩りに行く。ポウポウの香りも戦闘力も全て伝わっている。あちらこちらに隠れているだろうポウポウは全て死ぬだろう。彼らに狩られないとしてもアトラムのポウポウが浄化する。あの白い光がこのヌーエに、死体の上に落ち、全てを消し去るだろう。


 船団の上陸地点には多くのテントが張られている。生き残ったイヌは30頭ほど。無傷な者が多く、誰もが笑顔でタムリや私に話しかけてくる。

 話を聞くとジャングルの中にあったポウポウの村で戦ったり、木の実を拾っているポウポウと遭遇していたそうだ。誰もが壁に近づこうとしていたが、兵が足りずに断念していたという。そんな中で煙を見つけ、タムリの声を聞き、望みを繋いで壁に向かったらしい。用意された果実酒を木製の杯に入れる。皆で言葉もなく杯を掲げる。喉、胃、脳、心、薄い酒精が駆け巡り、生きていることをやっと実感できた。そこからは戦場で良くある手柄の話だ。やれポウポウを10頭まとめて殺した、ポウポウの村を2つ潰したなど枚挙に暇がない。タムリは軍を率いていた存在としてあちこちで労をねぎらっている。1人で酒精を摂取していると、妙なことに気が付いた。テントの数が少ない。ネズミは当初5万頭近くいた。ならば多少ジャングルを開拓でもしないとテントを張れない。そしてネズミがいない。やはりアトリラムで区切られた明確な区分があるのか。そんなネズミに思いを馳せていると酒が少しまずくなった。


 日も暮れてあちこちで明かりが灯され、あちらこちらで宴会が始まった。しばらくご無沙汰だった新鮮な果物や肉もある。皆、死んだ仲間の話もしているが基本的に明るい。彼らは死ぬことも仕事の一つなのだ。ただ一つ悲しいのは一緒に戦ったネズミがここにいないことだ。

「どうした?嬉しくないのか?」

 宴会から離れて座っていた私の隣にガネリが腰を下ろす。

「色々と考えてしまって……」

「タウーは……良い奴だった。ちょっと頭が足りんが……優秀な兵士だったよ」

 そして沈黙。沈黙はどんな言葉より雄弁だ。溢れた言葉が顔を出す。

「まさかイヌが死んでトラが泣くなんてな」

 そう言ってぐびりと酒を飲み干した。

「ネズミたちはどこですか?」

「……どこかにいるさ」

「彼らも戦いましたよ。労ってあげたらどうですか?」

「労う?あいつらはネズミじゃないか。お前は相変わらず面白いことを言うな」

 差別や蔑視が込められていない。心からそう思っている。アトラムにいた頃は「そういうものだ」と感じられていたが今は感じられない。現金なものだ。たった数日過ごしただけだ。名前なんて付けてしまったからなのか。

「ネズミたちも呼んであげましょうよ」

「俺たちがネズミと一緒に?」

「私たちはネズミと一緒に戦いましたよ」

「ミチアキ、またネズミの話ですか?」

 気がつくと上半身裸のタムリが近くに立っていた。酒を飲まされたのかほのかに顔が赤い。いつもならタムリを立てて何も言わないが、この時はなぜか一歩も退けなかった。私の生命を、綱渡りの生命を支えてくれたのは紛れもなくネズミだ。そんな彼らと勝利を祝いたかった。

「ネズミたちはどこにいるんだい?」

「知らないですね。ガネリは知ってますよね?」

「いや……知らん」

「嘘を吐いていますね?わかりやすいですよ」

「タムリ、お前もなんなんだ?そんなに聞きたければ教えてやる。今頃どこかに埋められているさ。アトラムから俺やイヌが来たのにはそう言う理由もある」

 背筋が凍りつく。言葉を理解する前に体が震え出す。もはやこの震えは本能に近い。

「なるほど。どうして殺すのですか?」

「さあな。王の決定さ。船に余計な荷物を乗せたく無いんじゃないか?あとはベージにそそのかされたネズミへの当てつけだろう」

 その後は『ネズミはヌーエで裏切り、イヌやオオカミを追い詰めた。罰としてよりキビシイ出産管理などを行う』などなどのネズミへの弾圧予定を聞かされた。吐き気が体の中を巡る。反故にするのは聞いていた。ここまでやるか?

「ミチアキ、困らせないでくださいよ。言いたいことはわかります」

「ネズミを助けたい」

「助けたいって……おい、タムリ。なんでお前も俺をそんな目で見るんだよ」

「どうしましょうかね……」

「なあミチアキ。俺は本当にわからんのだ。なぜあんな汚いネズミにそこまで肩入れできるんだ? そりゃ、お前らの話を聞いたらネズミがいなけりゃマズいことになってたのはわかる。しかしそれは『武器がないとマズい』と同じ話だろ?」

 ガネリは皮肉でもなんでもなく本気でそう言う。もう何度もアトラムでこれを感じてきた。文化、宗教、種族、世界、全てが違うから諦めてきた。もしどこかで諦めていなかったら。もし王に進言していればこの事態は避けられたのか?

「タムリ」

「ミチアキ、良いから座って飲め。祝いの席だ」

「タムリ」

「王が決めたんだぞ?」

「タムリ」

「びっくりするようなことを言いましょうか?」

「もうわかったぞ。やめてくれよ。お前は英雄だ。部隊を率いて壁を取り返した。物語としては最高だ。それにお前という仲間を失いたくない」

「ミチアキの言う通りネズミも頑張りましたしね」

「タムリ! ネズミだぞ!? お前は匙や鍋や靴に愛情を抱くのか?」

「王と話します」

「やめろ。種族を第一に考えろ」

「ガネリや他の仲間には迷惑をかけませんよ。ミチアキ、行きましょうか」

「俺も行くぞ」

「ありがたい」

「ふざけるな。反対するために行くんだ」


 王は急ごしらえにしては大きく美しい小屋の中にいた。門番たちはガネリとタムリが来たならば道を開けざるを得ない。1頭のイヌが中に入り王にお伺いを立てる。

「入れ。失礼の無いように」

 入るときらびやかな寝間着に着替えた王がどっかりと座り、王を挟むようにサイが2頭立っている。私は王に食いつくように、縋るように話した。ネズミを殺さないでくれ。どんな言葉を紡ごうが、結局そこに帰結する。王は「こいつ何を言っているんだ?」と眠そうな目を鼻で擦るばかりだった。

「話は終わりだな。却下」

「彼らと戦ったからこそ聖壁を取り戻せました」

「そりゃ道具は活用しなきゃならんだろう。ミチアキ、君ね、別にネズミを助けても何も成らないよ? 結局は数を抑えないとネズミはアトラムを喰らい尽くす。国が国としての体裁を保つためには管理が必要なのはわかるだろ?」

「一緒に戦った仲間なのです」

「わからん……ポウポウとネズミがなぜこんなに仲が良いのだ?」

 王は呆れ果てている。もうネズミの運命は決まったも同然だ。しかし、タムリがその流れを変えた。

「王よ、この度の戦い、数頭のネズミは私の命令を忠実にこなしました」

「お前も? 全く……何を言ってるのかちょっと疑問だな」

「民衆が求めるのは物語です。だからこそカーシミッドもヌーエに送り込みました。ネズミに物語を作るのはどうでしょうか?」

「……?」

「ネズミは裏切った。しかし……裏切らなかったネズミもいた。その数頭のネズミをネズミの神として、アトラムに連れ帰るのです。そんなネズミがいればより効率よく動きます。今後……ゲッカニアとの戦いに向けて準備も必要でしょうし」

「馬鹿馬鹿しいが中々に良いじゃないか。どうせ増えるから効率などあまり考えなかったが悪くない」

「では、生かして良いでしょうか?」

「あまり多くてもしょうがない。5頭だ」

「そんな……少なすぎま……」

 タムリが手で私を制した。皆殺しは止められる。それだけでも状況はかなり変わったかもしれない。しかし、あんなに前向きに、道具として、武器として、そして私の守護者として働いたネズミがなぜここまで蔑まれなければならないのか。叫び出したい衝動を抑え王の小屋を出た。

「ミチアキ、もう十分でしょう」

「感謝はしている。しかし……」

「ここはアトラムです。ベトナムではないのです」

「だからといって…」

「ミチアキ。あなたはアトラムに住みますか?」

 まっすぐな目で私を見つめるタムリ。どの国に行っても現地の人間は旅行者には優しい。その場で終わるからだ。しかし住むとなれば話は別になる。政治的な部分も生まれるだろうし、文化の違いから衝突も生まれるだろう。私はアトラムに住むつもりはない。帰りたいのだ。

 至極当たり前のことを思い出すと同時に膝の力が抜けた。無力感が包み込む。タムリに引き起こされ、ネズミが殺される場所に行く。アウーにもことのあらまし伝えると「俺も連れて行け!」と吠えたのでタムリが背負って連れていく。


 森の中を歩く。もう敵は存在しないのだろうか。あちらこちらに赤く光る石が置かれ、木々が怪しく照らされている。タムリは鼻をヒク付かせて歩く。

「近いですね。そうだ、決めておいてくださいね?」

「何を?」

「どれを助けるか」

 命の選別をしなければならない。子供のように無邪気で強く勇敢なネズミ。できることなら1頭も殺したくない。

「気に入らねえよ」

「どうしました?ミチアキに影響されましたか?」

「ちがいますよ…ネズミはネズミだけど……殺すことはねえだろって思って…戦争の後に剣を捨てるかって話ですよ」

「うまいこと言いますね」

 軽口を叩きながら急ぐ。ヌーエで初めて森に入った時とは違う。今の私には目的がある。苦しくても倒れる訳にはいかない。かなり森の奥に入り込んだ。到着すると私は選択しなければならない。選ばれたネズミは幸せに生きられるのだろうか。彼らはアトラムに帰り、ネズミに名前も権利も与えられないとわかるとどんな顔をするのだろうか。考えるな。まず助けないとだめだ。走る。まずは走る。

「ちくしょうめ!」

 アウーの声が聞こえた。息も絶え絶え追いついたが何も見えない。

「こんなことあるのかよ!ちくしょうめ!」

 アウーが暴れてタムリの背中から落ちる。体を引き摺り、一本の木にすがりついて体を震わせている。

「どうしたんだ!? 早く行かないと!」

「ミチアキ……残念ですが……」

「何が残念だ!?」

「手遅れです」

「なぜだ? まだ見てないだろう?」

「血の匂いがします」

「まだわからないだろう! 私は行く! どこだ!?」

「ここを真っ直ぐですがオススメはしませんね」

「ミチアキ、俺を背負ってくれ。俺も行く」

 アウーを背負い走る。振り返るとタムリはゆっくりと歩いてくる。

「大丈夫、まだ大丈夫だ」

「……あいつら、俺を助けたんだ」

「タウーとも一緒に戦ってたよ。私も助けられた」

 しばらく走り続けていると開けた場所があった。光る石が周りに置かれ、闇夜にぼんやりと浮かび上がった景色は多くのイヌが夥しいネズミの死体を囲んで一杯やってる姿だった。

「お前ら!」

 アウーが吠えるとイヌたちは驚きながら整列をする。

「ネズミはこれで全部か?」

「はい! 1頭も逃しておりません!」

「全部殺したのか?」

「そのつもりですが……ああ、まだ少し残ってますね」

 1頭のイヌが指差す場所にはズダ袋のように汚れた何かが転がっていた。アウーは私の背中から飛び降りネズミに向かう。

「お前! 生きてるか?」

「あ……あああ……ああああうあ……ミチアキ……?」

「アキ……? おい! アキか?アキなのか??」

 左前足、右後ろ脚、尻尾はちぎれている。片目はだらしなく垂れ下がり、医者ではない私が見ても危ない状態なのが分かる。

「お前ら、何をした?」

「はい! 王から全てのネズミを殺すように命令があり、その通りにしました!」

「これは違うだろうが」

「これ…? ああ、いや、どうもただネズミを処分するのも退屈で……」

 良く見るとあちこちに同じようなネズミが転がっている。体が冷たくなる。どこまでも温度が下がる。怒りが湧いているのかもわからない。地面に這いつくばったアウーが唸り声をあげ、整列しているイヌは戸惑っている。アウーは今と同じように這いつくばり、逃げ、隠れ、脱出し、体を引き摺りながら多くを考えたのだろう。長く染み付いた風習が消え去る程に考えたのだろう。思い、考え、行動した。私ができなかったことをいとも簡単に行なっている。

「お前ら、海岸に戻れ」

「え……でも……」

「良いから戻れ」

 イヌたちはざわめきながら森の中に消える。赤く照らされた血の海に、芋虫のように蠢くアキがいる。

「あああ…あうあうあう……」

「アキ、大丈夫か?」

「ああ、あああ、どどど、どどうして」

「喋るな。今、連れて帰る」

「どどど、ど、どうして、うそ、うううそをついたんだ?」

 更に体が冷たくなる。重くなる。ガクガクと震えながら必死で話すアキに何も言えない。アキは必死で言葉を紡ぐ

「ななな、名前。か、かかか家族。どどどうして」

 その時、アキの首にナイフが刺さった。柄を握りしめる毛むくじゃらの手は震えている。私は震えていなかった。こんな時には震えるニンゲンだと思っていたのに。

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