第7話

「大切なのは目的さ」

 訓練の帰り道、市場に寄って飯を食う。今日は酒ではなくアトラムで多く飲まれているズーキという汁を飲む。野菜ジュースに近く、独特の苦味がある。オオカミやイヌ、トラ、クマが好んで飲んでいる。足りない栄養を補っているのだろうか。アウーはズーキが入ったコップを口の横に当てて飲み込む。イヌの長い口からこぼさないように飲む工夫だ。そんな日常の中でアウーは今日の出来事を楽しそうに話している。

「ネズミは目的が無いんだ」

「どういうことだ?」

「焦るなよ。ポウポウもサルに似てるな。結論を急ぎたがる。良いか? 結局俺たちは種族の繁栄のために戦うんだ。だけどネズミはそんな事考えない。今少し食えたらそれで良い。根本の目的が無いのさ」

「あんなことをしてわかったのはそれだけか?」

「だから最後まで聞けって。俺はそんなネズミに目的をくれてやったんだよ。昼は『憎いやつを殺せ』だっただけさ。俺たちも喧嘩でやりあうことはあっても殺すまではやらないよ。でもネズミは違うな。殺すんだな」

 『すげえよな』ともう一度噛み締めながらウサギのテテト、煮込み料理にアララという粉を掛ける。水で溶くと固まり粥に近い食感になる。

「私は君らの方がすごいと思うよ」

「だろ?ネズミはここまで考えないからな。王が言ってた名前をやるってのはいいな。あいつらは動くし訓練もやりやすくなる」

 アララで固まったスープを匙で掬って綺麗に食べつくす。器を置いたアウーは一仕事終えた爽やかな顔をしている。

「これからどうするんだ?」

「しばらくはネズミの訓練だな。俺はヌーエに着いたら早い段階で上陸する。だから何かあった時のためにネズミを鍛えるしかない。多分何もなく終わるだろうけど……暇だしな」

「タムリがそういう役割じゃないのか?」

「タムリ様はあんたに付くだろうな。オオカミは見張りもやる」

「子守上手ってことか?」

「裏切ったら殺すのさ」

 立場を実感できる簡潔な答えだ。だが、変な気を起こさなければ殺されることもない。銃弾が飛んでくることもない。ここはベトナムより良い場所だ。きっとそうに決まってる。


 アウーは明日は休みらしく、自宅でゆっくり寝ると言い残し去っていった。市場から帰る時、王宮に続く道ではなく脇道に入る。木造家屋、石造家屋が並んでいる。開け放たれた窓や扉から光が漏れ、幸せを甘受している声が聞こえる。あと3つ家を超えたら右に曲がろう。そうしたら大通りに着く。そう考えながら歩みを早めると、大通りと逆の路地から音楽が小さく聞こえる。目を向けると独特なピンク光がこぼれる建物が幾つか。どこの世界でも一緒だ。いわゆるピンク街、オスの自尊心とメスの猜疑心が戦いを繰り広げるロマン通りだ。

 吸い寄せられるように向かうとあっちこっちでメスと思われる獣が店の中にチョコンと座り、年齢を重ねた同種の獣が呼び込みをしている。なるほど、飛田と同じシステムだ。ウシやブタ、イタチやウサギ、多くの獣が歩き、建物を覗いては口々に何か言い合いっている。そんな獣も私と目が合うとギョっとした顔をするが、そこは紳士の思いやり、ニヤリと笑って去っていく。

「あら? 噂のポウポウね? ポウポウはどんなアソコしてるのかしらね?」

 鈴がなるような声の方を向くと必要以上に目が大きく見えるウサギがバッシャを吸いながら座っている。

「サルに似てるからアッチも同じくらいなのかしら? どう?」

「ここは……オスとメスが……イタすところかい?」

「あなたの村にもあるの? ここじゃ誰もが平等よ。アルラさえ出せばね」

「あいにく持ち合わせがないんだ。働いてないからね」

「面白い獣ねえ! 獣? ポウポウだから違うのかしら? ふふふ……アウーにプッカが待ってるって伝えといて!」

 アウーの秘密を握り吹き出してしまう。あっちこっちを覗いていると男の声に呼び止められた。振り返るとイヌが3頭。イヌは見慣れているが、体中が薬草で緑に染まった包帯に巻かれたイヌは初めて見た。更には手にナイフを握っている。

「私たちと来てください。乱暴はしません」

 真っ直ぐな言い方に殺意がないことを察する。

「その声……」

「バレましたか……あのオオカミにやられたベージですよ。あなたが1頭になるのを待ってました。少しだけお時間いただけますか?まずはこれを着てください」

 イヌの匂いが染み付いた毛皮を体に巻きつけるように促される。そして2頭のイヌが先導し、包帯を巻いたのイヌがナイフを背中に押し当て売春宿に案内してくれる。中は狭く、窮屈な階段を上がると4畳半程度の部屋。

「窮屈で申し訳ないです。しかしポウポウが本当に……」

イヌたちが被り物を取る。緑色の包帯の下は無残な傷が走っている。

「本題に入りましょう。ベージのことは知ってますか?」

「王宮で少し聞きました。全ての獣を平等に、誰もが自由に過ごせるように行動していると。私のいた所にも似た考えの若者はいましたから想像はできます」

「なるほど、自分の意思を押し通すためならなんでもやる無法者と聞いた訳ですね」

「そんなことは……でも、どうして私をここに連れてきたのですか?」

「今日の昼、私も川の近くにいました」

「見ていたのですか?」

「はい。全て」

 私を真っ直ぐに見つめ沈黙。この沈黙には彼のロマンが込められていた。アトラムや全ての獣を思っているロマンを。彼も異物だ。全ての獣がネズミを獣として見ていない。そんな中で彼はネズミを獣として見ているのか?考えている事も私と近いのかもしれない。

「私たちベージは壊滅寸前ですよ」

「王宮に火まで点けたのに」

「暴力では何も生まれないですが仕方ありません。ミチアキさん……で良かったですよね? ミチアキさんの国もアトラムと同じですか?」

 私の名前まで知っている。どう答えたら良いのかわからない。しかし、彼は私に全てをぶつけようとしている。

「国によってアトラリムに似たものはありますが、私の国では誰もが自由に生きることを国が定めています」

「国が?」

「人の自由を侵害すると、国からの制裁があります」

「素晴らしいですね。アトラムを見てどう思いました? 窮屈な国でしょう?」

「私が住んでいた国の方がよっぽど窮屈ですよ」

「どうして?」

 少し迷ったが、ベトナムの惨状や国家の威信を賭けた戦争などの話をする。ベージの若者は真面目な顔をして聞く。そして別世界にも楽園がないことがわかったのか、若者は目を伏せた。

「日本……いや、世界は自由に縛られている。自由でいなきゃいけない事に縛られている。そしてアトラムは…まだ理解できていないですが、アトラムである事に縛られていると感じます」

「我々は……どうすべきでしょうか?」

「正直な所わからない。私がアトラムに来る前にいた所では……坊さん……アトラムで言うならサイの神官が体に火を点けて抗議をしましたが何も変わらなかった」

「なるほど」

「危険なことは止めた方が良い。対話です。対話を……」

「答えは出てない訳ですね。あと1つ良いですか?アトラムは何をしようとしているのですか?」

「それは知っているんじゃないですか?」

「もちろん。しかしどんな戦争をしようとしているのかはわかりません。軍に入り込んでいる仲間は下っ端ですので。それに民はアルラを稼げると分かってベージの集会に興味も持たなくなった。孤軍奮闘ですよ」

 言う事で何か変わるかもしれない。彼らが蜂起し、何かが変わるかもしれない。その結果生まれるのは彼らにとって都合の良いことだ。それがアトラム全体にとって都合の良いことではないのは分かる。どこの世界も何も変わらなかった。だが変わってしまうかも知れない。少しでも良い世界に。誰にとって良い世界だ?ベージ?アトラム?それとも私?私はこの世界を変えたいのか?私は元の世界に帰りたい。テレビを見て冷たいビールを飲み、月曜の出社に向けて悶々としながら万年床に寝転がりたい。

「食うため以外に戦おうとしている気がするのです。あなたの国がそうなのですか?」

 悲しみに満ちた目で私を見る。イヌはその表情で感情が分かる。この世界に私が持ち込んだ問題はペンでもカメラでも手帳でも銃でも病原菌でも手榴弾でもなかった。私自体が問題なのだ。私が生きてきた世界が問題だった。私はこの世界にとって変革を起こす存在なのかと考えたりもした。それと同時に取るに足らない石ころみたいな存在だと感じていた。恐ろしいことにその両方が正解だった。生きてきた35年分の邪悪な歴史を引き連れてきたことを実感していた。

「何をしろと言うんだ」

「力を貸してほしいのです。アトラムは固まってしまっている。王を頂点とした世界が出来上がってしまっている。あとは崩れ落ちるだけです。だから私たちベージが生まれたと言っても過言じゃない。異物であるあなたなら仲間になってくれるかと」

「私は自分の世界に帰りたいだけだ」

「多くの生命が無駄に死にますよ」

「戦闘が起きると決まった訳じゃない。それにネズミだって名前が貰えるし身分ができれば子供だって自由に作れるさ」

「それが全て履行されればの話ですがね」

「どうしろと言うんだ? 私にできる事なんて限られている。それに私だって王の気分次第で殺される身だ」

「それならお願いです。一つだけ」

「なんですか」

「何かあったら……私のことを歌にしてください。以上です。時間を取らせて申し訳ない」

「こちらこそ力に成れなくてすまない」

「あなたの世界にもベージみたいなのはいたと言いましたよね」

「ああ」

「彼らはどうなりました?」

「何もできなかった。だけど止まらないだろう」

「どうして?」

「動いてしまったからだと思う」

「……ありがとうございます。そうだ。私の名前はエペク。本名じゃないですがそう呼ばれています。機会があれば、また」

「こちらこそ」

 扉を閉めて外に出ると満天の星と3つの三日月。彼ら若者はどうなるのだろうか。私は何ができるのだろうか。私は何かをしたいと考えているのだろうか。とりあえずは帰ろう。そして見守ろう。この国は少し変わるかもしれない。少しの変化が亀裂となり、水が流れ川となる。ただ、そこに流れるのは血液かもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る