第12話

 テンが海に沈む頃、ネズミは粗末な槍を持ち、イヌは大きな中華包丁や鉄の穂先が付いた槍を担ぐ。タウーは指先が鉄で出来た籠手を嵌める。これが一番馴染むと言い、カチャカチャと具合を確かめている。何がいるのか分からない。ネズミをジャングル側に並ばせ。海を背にしたタウーが指令を下そうとした。その時、全ての獣の目が動く。全ての視線は鬱蒼と広がるジャングルに向かっている。

「どうした?」

「何かいる」

「タムリや他のネズミ達か?」

「足音が違う。ミチアキの足音に近い」

 タウーが小さくワンと吠えるとネズミがバネ仕掛けの人形みたいに槍を構える。後はその脚力で走り出せば兵器となる構えだ。

「匂いはしないのか?」

「しない」

 茂みの音が私の耳にも届いてきた。何かいる。それも大量に。ガサガサとジャングルの笑い声が響く。私たちを飲み込もうとしている。私は無意識にタウーの後ろに回った。私から20m程離れた場所。真正面。ガサガサと音は近付いてくる。白く輝く何かが飛び出してきた。誰も動けない。武装集団は全く動けない。


 飛び出してきたのはニンゲンだった。昔なじみに会うような、とびきりの笑顔が弾ける少女だ。


 この世界にニンゲンはいない。ならば彼女はポウポウなのか。衣類を身に付けず、白い髪に赤く光る瞳。うっすらと白く輝く体は神秘的にも見える。タウーも、ワンケルも、ドルーも動けない。鼻をピク付かせることもなく、阿呆のように口を開けて立っている。聴覚が遮断されていた。視覚に全てを持っていかれていたからだ。気が付くと白く輝くポウポウはネズミのすぐ前に立っていた。それも数百。

 ポウポウがゆっくりとネズミに近づく。笑顔が興味に変わる。小雨降る小道、カタツムリを見つけた少女の笑顔。前屈みになり、両膝に手を当ててネズミを見る。ネズミもぼんやりとポウポウを見上げている。均整の取れた体、少し膨らんだ乳房、輝く皮膚。宇宙はこんな場所から生まれたのではないかと思える調和。

 両手をゆっくりネズミの頬に伸ばす。10本の白魚がネズミの頬に触れた瞬間、ネズミの頭が膨れ上がり赤黒い血肉を撒き散らし倒れた。血液は砂浜に吸い込まれ、おとぎ話の最後のページをめくったみたいにあっけなく生命は途絶えた。ポウポウは少し笑顔のまま口をすぼめ、頭が吹き飛んだネズミを興味深く覗き込んでいる。ゆっくりと顔を上げると、おもちゃ屋に並んだ新商品を見つめる目で私たちを眺めた。砂を蹴る音が響く。それが数百。


 ポウポウの群れはネズミの隊列に飛び込んだ、あちこちで『ボチュ』『バン』と景気の悪い花火の炸裂音が響き渡り鉄の匂いが撒き散らされる。血の匂いは本能を揺さぶる。本能は恐怖を思い出させる。そして獣の本能は恐怖を餌に研ぎ澄まされる。タウーが低く鋭い鳴き声を一つ。その声で多くのイヌが意識を取り戻す。タウーに続いて低く鋭い鳴き声。それをきっかけにネズミが叫び、槍を構えてポウポウの群れに突進していく。ネズミの突進を踊るように避けるポウポウ。

 私は踊りに造詣が深い訳ではないが、一度取材に行ったバレエ団でジゼルという演目を見たことがある。揺らめくポウポウを見ているとなぜかそれを思い出した。もちろんポウポウの中には槍で刺された物もいる。踊るポウポウ。刺されるポウポウ。殺すポウポウ。全てに共通しているのは笑顔だ。吠えるイヌ。飛びかかるネズミ。食らいつくイヌ。全てに共通するのは憤怒だ。

 相反する感情が交錯するこの戦場で、私はヘリからベトナムのジャングルを見た時のことを思い出していた。美しい。飲み込まれそうな緑。多くの生命が生命を奪い合う場所に立ち、私は自分が何者であるのかを忘れてしまっていた。


 多くの獣が戦う場で立ち尽くしていると、1頭のポウポウが私の目の前に来た。股についているモノを見る限りこのポウポウはオスだ。年の頃なら10歳程か?そのポウポウは不思議そうに私を見ている。「なぜそんな格好を?」と言わんばかりの表情。無慈悲にも両手は私の顔に近付いてくる。私はまだ動けない。

 突風が通り過ぎた。反射的に目を閉じる。顔に熱い汁がかかる。目を開くと顔の下半分が引きちぎられたポウポウが白目をむいて痙攣している。荒い息が聞こえ、目線をやるとタウーがコレでもかと牙を見せけるように歯を食いしばっている。その右手は血でまみれ、目の前にいるポウポウの生命を刈り取ったことを証明していた。腰が抜けてへたり込む私にタウーは左手を差し出し起こす。

「こんなことがあるなんて。あってくれるなんてね」

「これは……」

「ミチアキ、僕の後ろにいて。はぐれたら見つけられないかもしれない」

「ポウポウが……」

「関係ない。殺す。そのための僕らさ」

 タウーが吠える。混乱してた多くのネズミが踵を返し、ポウポウに向かっていく。ポウポウに触れられた獣は次々に膨らみ破裂していく。ネズミに刺されたポウポウは笑顔のまま白目を剥き血を吐いて倒れていく。数的にポウポウが圧倒的に不利だ。しかしポウポウは一歩も引かない。ネズミやイヌも一歩も引かない。ベトナムでは劣勢になると兵士は逃げた。死にたくないからだ。誰しも家族がいるからだ。この世界での戦争は非常にプリミティブで純粋だ。目の前で多くの生命が散る。私はそれを見て感動している。

 道徳の欠落。生命の放棄。肉体が肉に変わっていくのを見て胸が高鳴っている。新聞、テレビ、ラジオ。人の記憶に残るのはいつだって生命が燃え尽き、世界から消えてしまう瞬間だ。誰かが生まれた、こんな素晴らしい事があった。そんな美しいニュースも沢山ある。しかし、それらは悲惨な事故の臨時ニュースにより中断される。ひどいニュースが幸せなニュースで中断された事があるか?生命が消え去る瞬間。誰もがそこに力を感じる。アトラムでもカーシミッドが多くを伝える。ほとんどは戦争の歌だ。そこには英雄を讃える歌もあるが、ほとんどが戦場で誰が死んだかの歌だ。

 私は非日常を求めていた。非日常は日常を吹き飛ばす最高の出来事だからだ。ベトナムに行ったのは「そこで何が起きているのか?」を知りたかったからだ。しかし、本当はどうだったんだ?非日常に憧れていただけじゃないのか?自分自身の退屈な毎日を他人の死で満たそうとしている。アトラム。獣が生きる全てが非日常の世界に来ても戦争の最中にいる。目の前でネズミが破裂し、イヌが大きな包丁でポウポウをバラバラにしている様を見て興奮してしまっている。

 ネズミやイヌを破裂させることを楽しんでいたポウポウたちが私を見る。全てのポウポウが私に近付いてくる。ネズミが、イヌが破裂していく。殺される。そう思った私は反射的に駆け出してしまった。タウーの後ろにいれば多少は安全なのは分かっていた。しかし、本能がそれをさせなかった。

 砂浜を全力で走り、大回りでジャングルに逃げ込む。あの時と同じく、命が惜しくて逃げたのだ。

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