第11話

 朝、タウーに起こされて寝床を出る。沈痛な面持ちのタウーを見て全てを察した。海には大量の船の残骸と獣の死体。浮かんでいる船は50隻程だろうか。

「タムリは大丈夫なのか」

「わからない。まさかここまでなんて……」

「行くのか?」

「当たり前さ」

「どう上陸するんだ?」

「さっき考えていた。みんなバラバラの場所に上陸する。遠吠えで知らせるよ」

「また攻撃されたら?」

「今はヌーエからも僕らが見えているはず。それで攻撃してこないのだから大丈夫だと信じてやるしかないよ」

「どうして攻撃されたかとか考えないのか?」

「そんなの考えなくても分かるさ。僕らはあいつらを食う。あいつらは食われたくない。それだけだよ」

 ワンケルとドルーが遠吠えの体勢に入った。何度も長い呼吸を繰り返し状態を作っていく。

「もう行くのか?」

「もちろん。タムリ様やアウーが心配だしね」

「生きてるかな……」

「死んでてもやるよ」

 優しさ故に頼りなく感じるタウーが誰よりも逞しく見える。これが兵士としての顔、イヌとしての顔なのだろう。人懐っこい面、そしてイヌとして戦う面。兵士としての落ち着き。ニンゲンの兵隊にはない美しさがある。絶望的な状態だが、この無謀な作戦に沈黙で同意していた。私は思い出していた。地獄のジャングルにヘリに乗って向かっていた時の事を。あの時、確かに私は生きていた。生きたいと願っていた。生きたいと願っている時は真に生きている。日本で仕事や雑務に追われている時は毎日『死にたい』と考えながら生きていた。戦場が私を救った訳ではないが、人生の可能性が広がったのは事実だ。他人の生死を俯瞰で見る。それで自分を救うだなんて鬼畜外道の所業でしかない。だからこそ私は最後まで見たいと考えたのかもしれない。最後の最後まで見るのが最後の礼儀だと言い聞かせながら。


 遠吠えが響いた。残った船の甲板にイヌが出て来るのが見える。イヌは次々に遠吠えを伝達する。タウー達は耳を動かしながら注意深く聞いている。タウーの顔がどんどん険しくなり、泣きそうな顔になる。その耳にアウーの鳴き声は聞こえなかったのだろう。強く目を瞑り、再び目を開いた時にはアウーを超える目の鋭さになっていた。

 タウーは餌穴を開けてネズミに指示を出す。

「全力で進め! 帰ったら家族が増えるぞ! 僕も同じだ! 殺して食って土産を作れ!」

 船全体に震える声、ネズミの声が響き渡る。餌穴を閉じ、甲板の一番前に立ち腕を組む。どう声を掛けて良いのか分からなくてまごまごしているとドルーが横に立ち、にこやかに声をかけてくれた。

「よくあることですよ」

 兵士としては当たり前の日常に心を動かされている。船が風を切り、木片と死骸だらけの海を切り開いていく。タウーの胸が膨らむ。何を吸っているのか。それは空気だけではない。両腕を下ろし、それは見事な遠吠えを一つ。


 残存兵力は、43隻。イヌは100頭ほど、オウムが10羽ほど、ネズミ8500頭ほど。オオカミは分からない。全てのオオカミは第一陣で出航していた。生き残った船のほとんどはイヌたちの乗っている船だ。アウーはタムリと共に第一陣で出航した。ヌーエにはどんな敵が潜んでいるのか分からない。テンジャロを使った攻撃がまた来るかもしれない。戦いは避けられない。その時、島の遠くが光った。もう一度来る。


 タウー、ワンケル、ドルーが吠えると一直線に島に向かっていた船がバラバラに進む。昨夜は見とれている内に攻撃された。今はネズミが種の繁栄のために全力で船を漕ぐ。タウーたちは全力で吠える。あちらこちらで遠吠えが響く。波音、船のきしみ、遠吠え、爆発音、船は動き続けることで光を避け、永く獣を受け付けなかった地に近づく。ヌーエに上陸できない理由は簡単だった。攻撃されるからだ。古文書や神話は物事をハッキリ書かないのが通説だが、私はカーシミッドとしてあるがままを書こうと痛感した。多くの死はハッキリしていないといけない。ぼやかすことで罪の意識や真意が見えなくなる。それを食い止めるためにペンを走らせる。


 ネズミへの命令が上手く行っていない船が2隻止まってしまった。2隻に光が直撃し、大きく船体が抉られた。全滅かと思いきや、船から大量のネズミが海に飛び込む。長いオールや波間を漂う木々にしがみつき、足をばたつかせヌーエに向かって泳ぐ。誰もがハッキリした理由に向かって力を振り絞っている。ベトナムで見ることが出来なかった光景がこの世界には広がっていた。戦場に足りないのは殺意だ。本当に敵を殺そうと思っている兵隊はそこまで多くない。殺されるから殺す。簡単な理由がある。そして殺し合わないなら殺さない。戦争は話し合いがこじれた結果であり、利害が反したから起こる殴り合いだ。

 この戦争は作られた戦争だ。その中にある戦争の意味が目を覚ました。この船は殺意だ。敵を殺して食って生き延びる。交尾し残してまた増やす。そのためだけの戦争だ。私の文化が彼らを侵略したなんて思い上がりに過ぎなかった。そんな不純を濾過する入り組んだ純粋さが堆積していた。これが獣なのだと感じ、拳を強く握りしめた。


 陽光、テンジャロ、両極端な光に包まれながらヌーエが近付いてくる。壁はジャングルの奥にあるはずなのに巨大すぎて距離感が掴めない。もう数分でヌーエに上陸だ。しかし、海岸に打ち上げられた船の残骸や多くの死体が邪魔で接岸できない。幾つかの船が残骸に足を取られ動けなくなり、テンジャロに粉砕された。船から脱出したイヌとネズミが必死に泳ぎヌーエに向かう。イヌは泳ぐのが得意に見えるが、ネズミは次々におぼれていく。ワンケルが機転を利かせ、ロープを数本船からぶら下げる。何とかしがみつくことができたネズミが船に乗り込んでくる。

「まさか私がネズミを助けることになるとは」

「貴重な戦力さ。よくやった」

 タウーがワンケルをねぎらう。ネズミはアウアウチューチュー感謝の言葉を言いながら甲板に寝そべる。

 瓦礫の先の砂浜を見ると生きているネズミやイヌが手を振っている。上陸さえすれば攻撃されないのか?それを一番に感じたのはドルーだった。

「突っ込みましょうか。あそこがいい。一番瓦礫が多い」

「動けなくなったら的になるぞ」

「会議での雰囲気で戦いの場を知らないとは思いましたがこれ程とは。分からないことには口を挟まない方が良いですよ。タウー様、あそこに突っ込みましょう」

 指差す場所には船の残骸が何隻も固まっている。

「なるほどね。ミチアキ、説明するね。あそこに思い切り突っ込む。わかった?」

「どういうことだ?」

「上を走るんだよ。僕らと同じくらい動ける?」

「ちょっと待ってくれ」

「まあ良いや。僕が担いでいくよ。ドルーはネズミに伝えて。ワンケルは最初に行って」

 意味はわかっているが頭の中が理解しようとしない。そうだ、彼らは獣だ。身体能力も獣のそれだ。よく虫や獣が人間と同じ脳を持っていたらと比較されるがまさにそれだ。私はこの世界では庇護される弱い生物なのだ。牙も爪もなく考える頭でも負けている。気が付いていたことをまざまざと思い知らされる。しかし、こんな状況ではこれ以上に頼もしい事は無い。

「僕から離れちゃダメだよ。ミチアキは絶対に殺されちゃダメって言われたからさ。僕が守るから信じてね」

 3頭と1人、あちこちにひしめくネズミ。ついに戦争がはじまる。

「どんな敵がいるのだろうか……」

「私たちよりは弱いでしょうね」

 首の下を掻きながらドルーが答える。

「どうしてそう思う? だいぶやられてしまったじゃないか」

「真正面からやりあえるなら海岸に勢力を集結させてますよ」

「ゲッカニアの残党もそんな感じでしたね。ほら、タウー様が活躍なさった時の」

「戦場はヤガハマだったっけ?ああ、似てるね。あそこも砂浜だったな」

「ドルーはあの時もタウー様と一緒だったか?」

 3頭が楽しそうに話している。船は速度を増す。衝撃。立っていられない。

「ミチアキ! 行くよ!」

 タウーに背負われ残骸の上を進む。振り返ると餌穴から大量のネズミが出てきている。短い貧相な槍を口に咥え、目の前に広がる残骸の上をひょいひょいと飛び回り砂浜に上陸する。砂浜に着くとワンケルがネズミを次々に並べ、数頭に1つの割合で残骸から見つけた比較的大きな木材を盾のように持たせている。

 次から次に船が残骸に突撃し、同じようにネズミが砂浜を埋め尽くす。白い砂浜を黒いネズミが覆い尽くしていく。

「どれだけいる!?」

 タウーが咆えるとイヌ達が遠吠えで応える。

「8000ほどか。悪くないね。5万いたネズミが8000になったんだから悪いんだけどさ」

「作戦は?」

「どうしよっか。オオカミがいれば考えてくれるんだけどな」

「攻撃の気配はありませんね。目の前には密林。後ろは大海原。進みましょうか」

 ドルーは浜辺に流れ着いたネズミの死骸を切り開き、小さな骨を取り出しながら言う。尻尾を振りながらその光景を見ていたワンケルに骨を投げ渡し、自分が齧る骨も確保した。

「いりますか?」

「いや…結構だ…」

 ポケットからタバコを取り出す。あと1本、最後の1本は無事アトラムに戻れた時に吸おう。

「それ、臭いですね。バッシャの方がよっぽどマシですよ」

「タムリにも言われたよ」

 イヌがジャングルの前に集まり鼻をスンスンいわせ何かを探している。しばらくその状態でいると、1頭のイヌが何かを見つけたようだ。タウーや他の犬も集まり座り込んで話している。

「どうしたんだろう」

「足跡を見つけたと言ってますね。ポウポウは耳も悪いのですか?」

「サルと似たようなモノだと思ってくれよ」

「不便ですね。目の前の林に足跡が続いているのがわかりましたが、匂いでは追えないですね。木や実や草の匂いが強すぎます」

「誰か生きてたって事か?」

「足跡からオオカミだと話していますね」

「タムリか?」

「そうであって欲しいです。さあ、まずは作戦会議ですね。あなたにも手伝って貰いましょう」

「私にできることならなんでも」

「身を守るための場所を幾つか作らねばなりません。船の残骸を運ぶのを手伝ってください」

 作戦に加わるかと思ったらこれだ。しかしタムリが生きているかも知れない。その希望は生まれた。それだけで私の体と心は軽くなる。しかしネズミは良く働く。小さな体だが、持ち前のスピードを活かして次々に木材を運び込む。あっという間に砂浜には粗末だが堅牢な小屋が並んだ。残骸の中にあった大量の食料も運び込む。食えなくなった食料もあるが、残った戦力に行き渡る量は十分ある。ネズミは砂浜を掘り返し、貝や蟹を見つけては美味そうに口に運んでいる。

 ワンケルに呼ばれ小屋に入るとタウーをはじめ生き残ったイヌが10頭程いた。他のイヌは違う場所に上陸しているはずだ。オウムは上空を飛び回り情報収集に余念がない。

「こんな所に小屋を作って大丈夫なのか?」

「攻撃してくるならもうしているよ。これがヌーエの地図。聖壁までは歩いて3日って所かな。森の中を通りながら、仲間が生き残っていたら合流していく」

「全員で行くのか?」

「またばらばらに行くよ。全滅は避けたいからさ。それに敵がいるのは確定しているんだし」

「戦闘になったらどうする?」

「そのための僕らだろ?」

「まあ飯にでもしましょうか。動くのは夜です」

 ドルーに促されて小屋を出るとあちこちでネズミが木の実をかじっている。イヌは数カ所に集まり、何かの肉を口に運んでいる。森からは何の気配もしない。イヌやネズミが落ち着いて食事をとっているのを見ると本当に安全そうだ。数頭のイヌが見張っているのも心強い。これからまた戦闘がはじまる。かなりの数の船が沈められたにも関わらず戦闘は始まったばかりだ。やっと上陸した。これからジャングルに突入する。作戦の終了は壁の周りを制圧し、赤い煙が上がる木片に火を点ける。1箇所だったら間違いの可能性もあるからと3箇所に火を点ける。それを合図にクマ、トラ、サイ、そして王とポウポウがやってくる手筈だ。こんな状態になったのだから先に知らせないのかと問うと、こんな状況は誰も考えていなかったとのことだ。適当に煙を上げて増援を要請しよう言えば「失敗すれば作って良い子供の数を減らされる」「その間に攻撃されたら全滅だ」などと言い返される。私はとことんアトラムと戦いのシロウトらしい。

 やることは決まり決行を待っている。圧倒的不利。誰もヌーエの事は知らない。敵は我々の事を知っているのだろうか?少なくとも船団を壊滅させる方法は知っている。

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