第9話

 また数日が過ぎ、進捗の報告のために広間に集められた。今日は王も含めて全員が揃っている。船、食料、武器、徴兵、全てが想定していたスピード以上で進んでいる。その報告を聞く王は嬉しそうに果物を食べている。

 しばらく姿を見なかったタムリは、ヌーエが見える距離まで船で行っていた。上陸地点などの目星を点けていたらしい。王はその報告も上機嫌で聞いていた。

 そんな王を険しい顔で見つめているのが1頭、アウーだった。王から兵の状況を尋ねられ、ゆっくりと立ち上がる。ネズミ達がやる気になっている事を伝えると王はますます嬉しそうな顔をする。

 その後は作戦内容を確認し、20日後を目標に出発と決まった。皆が出発に向けて最後の詰めを話し合うなかで、アウーだけが椅子に座り憮然とした顔をしている。

「どうしたんだ?」

「どうもこうもあるかよ。王から仕事を貰えたと思って必死にやった。だけどこんなの形だけじゃねえか」

「アウーは良くやってるよ」

「救われるぜ。タウーとはどうだ?」

「良くして貰ってるよ。彼はアトラムが大好きなんだな」

「あいつは良い弟だ。俺よりデキが良いよ」

「もう1頭兄弟がいるって聞いたよ。マウーだっけ?」

「ああ。マウーはアトラム中を駆け回ってネズミを集めてるよ」

 アウーの表情が和らぎ、アトラムに集まったネズミへの訓練があると去っていった。


 私は会議が終わるまであっちこっちで分かった顔をして頷いたり、ウウムと声を出したりする事で忙しかった。もちろん意見は求められない。その後は部屋に戻り色々とメモを取り横になる。一体どんな戦いになるのだろうか。そしてこの物語をまとめたとして誰に伝える事ができるのか?私のメモはアトラムの文字で書かれていないので彼らには読めない。ならばこれは私の物語だ。私の仕事なのだと言い聞かせて望郷の念を押さえ込む。


 いつの間にか眠ってしまった。窓から入り込む光、市場から漂う香り。この国はのどかで良い。戦時中は大変だった。島国だった我が国のあちこちに爆撃機がやってくる。戦闘機の機銃掃射で同級生が死んだりもした。子供ながら毎日を必死で生きた。空襲警報がはじまると日常が非日常に切り替わる。頭巾をかぶり防空壕に逃げる。

 ベトナムはもっとひどい。死が近い。死が近くにいると人は壊れるか強くなるかのどちらかだ。私は壊れる方向に向かっていたに違いない。一刻も早く日本に帰りたいと思っていた。それなのに気がつけば志願して米軍のヘリでジャングルに向かっていた。

 残り3本になったマルボロに手を伸ばす。紫煙は緩やかな自殺を連想する混濁を与えてくれる。ゆっくり、ゆっくりと煙を味わう。私と世界を繋いでくれている数少ない物を消費している。戻れるかわからない世界を肺一杯に感じてアトラムに強く吐き出した


 あの日から酒を飲んだり市場に行ったりして過ごしていた。今日の昼はネズミの様子を見てきた。ネズミは王宮の裏にある港付近に大移動をしている。もちろん全てのネズミは収容できないので少しずつだ。海を見ると埋め立てでも行われたように船が並んでいる。木で出来た船は思いの外しっかりしていた。250頭のネズミが雑魚寝するスペースと数頭のイヌが過ごす船室があるらしい。推進力はネズミの体力。

 アトラムは目的に向けて進む。古代遺跡の解放。ヌーエの奪還。決められた勝利を知る我々はダラダラと、勝利を夢見る国民はキビキビと。万事は快調だ。

「準備は整ってますか? もう明日の夜には出発ですよ」

「大丈夫。大丈夫さ」

「本当ですか? ああそうだ。報告です。上陸の際ですが、ミチアキはタウーと一緒に行動してください。私は近くにいません」

「どうして?」

「思った以上にネズミが頼りなくて困ってますよ。だから私が先頭に立つことになりました」

「一番槍は名誉なことさ」

「なんですかそれは? まあタウーに迷惑かけないでくださいよ」

「大丈夫。周りは海だ」

 タムリは声を出して笑って椅子に座る。この所忙しそうだったので意外な行動だった。何を言う訳でもなく部屋を見回し、取り出した骨をゴリゴリとかじる。

「だいぶ馴染みましたね」

「私が? 何に?」

「アトラムにですよ」

「よしてくれよ。私はまだ異物だろ?」

「そうは思えなくなってきました」

 バッシャを巻く私を静かな目で私を見つめる。獣には嘘を吐けない。飼い犬や飼い猫に何故か嘘を吐けないのと同じだ。ついつい本音を話してしまう。

「実際、アトラムの生活は驚くほど性に合っているよ。元の世界に帰りたいのは間違いないけどね」

「こっちで子供でも作ったらどうです?ポウポウはメスらしいですよ」

「子供にゃ興味ないよ」

「あれなら大丈夫でしょう?10年以上も生きている」

 意地悪そうに笑うタムリを見るのも久しぶりだ。私は馴染んでいる。もう市場や適当な飯屋だったら戸惑わずに注文できる。ウシを食べている横にウシが通りかかっても何も思わない。今でも顔は見られるが特に何もない。周りの獣が私には何もないと気付いたのだろう。結局は何も無かった。変わった世界に入り込んだ一つの染みだ。それは海に落ちても影響は無い。圧倒的な他者が私を塗りつぶしていく。

「君は家族といなくて平気なのかい?」

「大丈夫ですよ。最近はずっと家に帰ってましたからね。そろそろ面倒だと思われているはずです」

「どの世界でも変わらないんだな。一杯飲ろうか」

 部屋にぶら下げている大きなウシの胃袋の中身を匙で掬う。中はミルクで出来た酒が詰まっている。素焼きのぐい呑に注ぎタムリに渡す。

「子供はいるのかい?」

「居ますよ。4頭」

「もっといるかと思った。オオカミは多産だろ?」

「オオカミは1回の出産で4頭までなんですよ」

 マズイことを聞いてしまったと感じたがタムリは気にする様子もなく酒を飲む。タムリは子供について話しはじめた。一番上の子供は6歳であと少ししたら独り立ち。タムリは15歳。そこから察するに人間で考えると子供は10歳位なのだろうか。元服まであと少しの年齢なのだろう。妻は14歳で狩人の娘。妻とその父親が狩ったオオトカゲを王に献上しにきた時に出会い結婚をしたという。

「妻は私よりずっと強いですよ」

 そう言って、もう一杯酒を注ぐ。

「ネズミにだって家族はいるんだろうな」

「面白いことを言いますね。考えたことがなかった」

「流石にひどくないかい? 木材や石ころとは違うんだ」

「連中は動きますし臭いですもんね」

 冗談なのか本気なのか分からず、曖昧に表情を変えることしかできない。

「戦いは起こるのか?」

 無理に話題を変えたことを表情も変えずに察するタムリ。獣は感じる力が強い。

「さあ、どうでしょうね」

「教えてくれよ」

「起きないでしょうね……戦いは起きませんが多くの仕事は動きました。街をふらつく獣にも仕事が与えられベージも減った。これで良かったのかもしれないですね。でも本当に凄い」

「なにがだい?」

「ミチアキの国ではこんな戦争をよくやっているのですか? 凄いと思いますよ。争いで平和を作り出すなんて。感動しましたね。王も驚いていましたよ。素晴らしい発想です」

 危険なのは病原体や武器じゃない。世界を歪にしてしまうのはたった少しの文化だ。真っ直ぐで純な戦いが美しい曲線を描く日本刀に形を変える。角度や重心を得た刀は今まで以上に切れるのだ。それを自らの力と勘違いしてしまうまではすぐだろう。

 色々な思いを「帰りたい」の気持ちで押し潰していく。忘れるためにも話をする。タムリとは子供や家族の話、アトラムの笑い話や語り継がれる英雄譚などの酒場話を続けた。

「ではそろそろ行きます。大丈夫とは思いますが、戦場では何が起きるかわかりません。お気を付けて」

「君も気を付けて」

「この戦争で活躍すると育てられる子供の数が増えるんですよ」

 そう言ってタムリは部屋を出た。次に会う時はヌーエだ。このベッドで寝るのはこれで最後かもしれない。ベッドで眠る時は「今日は生きられた」と実感できる。どの世界でも同じだ。

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