第8話

 あの日から監視が付くようなり5日過ぎた。イヌ臭い毛皮を被っていたにも関わらずタムリは騙せなかった。やはりオオカミの鼻は良いのだろうか。タムリが言うには「そんな訓練を特別にやらされていたからですよ」とのことだ。幸い王や幹部たちには黙っていてくれるとは言ってくれたが、万引きが見つかった子供のように怒られた。


 監視役はアウーの弟、タウー。弟と言っても生まれた日は同日で胎内から出たのが遅いだけだ。体はアウーより大きく、性格はのんびりとしている。だが、鍛えられた兵士として任務は忠実にこなす。人懐っこく、すぐに好みのメスのタイプを教えてくれるまでにはなったが、信用以上信頼未満の距離を保ち続けている。

 思えばどこでもそうだった。日本、会社、ベトナム。どこでも私はある種の異物であり、居心地の悪さを感じ続けていた。しかし社会に適応している感はある。日本では周りが平和や安保を叫んでもいまいちピンと来ず、会社では出世を目指す同僚が理解できず、ベトナムでは戦争の理由が理解できなかった。流されるままに生きているだけにすぎないのに世界は私を上手く流してくれない。それとも私が世界を乗りこなせないのか。揺れ動く気持ちが私の冷静さを保っている。

「ミチアキ! 会議だよ!」

「私が行く必要はあるのかな」

「みんながいる所にはいなきゃダメだよ! 行くよ!」

 私の前を歩くタウーの尻尾がジープのワイパーと同じ動きをする。戦うのが仕事と位置づけられたアトラリムの獣は全て嬉しそうだ。いつもは憮然とした顔をしている部屋の門番ですら「調子はどうだ?」と聞いてきた。ボチボチデンナと軽く伝え広間に行くとすでに始まっていた。王やサイの姿は見えない。戦いに特化した獣が集まり、アウーがネズミ兵への思いと可能性を語っていた。大切な会議でオペラ歌手然とした声と身振り。弟として誇らしいのだろう。笑顔と尻尾の振り幅が大きくなる。イヌ、オオカミ両種の尻尾はブンブン揺れてトラは尻尾を立てている。感情が良くわからないクマがアウーの相手をしている。

「しかし目的か。ネズミにも目的があったんだな」

「ガネリ様! あったのです! それを見つけられたのが一番の収穫です。訓練は私たちイヌに任せてください。おお、タウー! それにミチアキ! 待っていたぞ!」

 普段の口ぶりとは全く違う。待っていたと言っても匂いでだいたいどこにいるのかもわかるのに大仰なことだ。腹を壊して夜中に何度も運呼をした時は腹具合を心配されるほどの鼻だ。

「ミチアキ! お前も見たよな? ネズミは目的さえ与えれば戦力に成る! 槍を持たせりゃ敵に突っ込んでいく! 勇敢な兵士の出来上がりだ! ミチアキもあの日の事を話してやれ!」

「そうですね。兵としては……使えるでしょう」

「歯切れが悪いな?」

 ガネリの顔から笑顔が消えるとアウーはマズいと顔を歪める。

「ただ……良いのでしょうか? 生命を道具みたいに使って」

 キョトンと音が聞こえた。そのくらいに静まり返る。その後に爆笑。そしてお決まりの「ネズミはそんなの気にしない」「だってネズミだぜ?」などの純粋な言葉の銃弾が降り注ぐ。大きなテーブルの一番端、余った椅子に座り会議を眺めているとバナが近付いてきた。

「お前さん、時間あるか?」

「いくらでもありますよ」

「そりゃ良かった。今のうちにそのヒマを味わっとけ。あと、そのヒマを少しくれ」

 促されるままに立ち上がり、今まで通ったことがない廊下を歩く。バナが言うには文献や実験器具が置いてある研究所に連れて行ってくれるらしい。兵器開発でもやらされるのだろうか?戦場の事は多少知っていても弾や爆弾の製造方法は知らない。

 連れてこられたのは大量の巻物が置かれている書庫だった。アトラムが建国されてから全ての書物がここにあると言う。

「やっぱり元の世界に戻るにはポウポウの力が必要みたいだ。これを見ろ」

「全く読めません」

「当たり前だ。読めるのは俺を含めて数頭だけさ。お前なんぞに読まれてたまるか」

 バナは白い歯を見せて笑う。バナといると元の世界を思い出す事が多い。やはり同じ霊長類だからか。もっとも私の世界のサルは話をしたり歴史を学んだりはしない。それはニンゲンも同じだが。

「これはいつ書かれたか分かってないし全貌も分からねえ。時代ごとに新しく書かれた巻物をつなぎ合わせて清書した物だ。アトラムの歴史、テンの物語、そして少しだけだがポウポウについて書かれている」

「なんて書かれていたのですか?」

「テンから遣わされたポウポウは自らの力でテンに還る」

「どういう意味ですか?」

「そこまではわからねえよ。でもよ、やっぱりポウポウはアトラム……いや、この世界の獣じゃねえみたいだ」

 他の書物、ポウポウに付いて書かれている書物もいくつかあるらしい。そしてその全てに共通するのが先程バナが話した部分だ「テンに還る」。そして新しいポウポウがアトラムの獣から生まれる。ポウポウはどこに消えるのか?もしかしたらまた別の違う世界なのかも知れない。もしかしたら死ぬだけじゃないのか?『力』とはなんだ?わからないことが多すぎる。

「ポウポウが力を使う時に一緒にいれば良いのですか?」

「どうだろうな。ポウポウが力を使った所は地面がえぐれて草木も生えねえ。街から出てしばらく行けばそんな遺跡が幾つかある」

「今度の戦争ではポウポウを使うのですか?」

「タムリやお前さんが制圧した後に行く手筈だ。そこで神聖な儀式をやる。お前にも見てもらうぞ。カーシミッドとしてきちんと覚えて歌ってくれよ」

「その時にポウポウの力は……」

「どうだろうな」

 ポウポウが力を使うにはいくつかの条件が必要らしい。前に話に聞いた「軍が劣勢の時に」というのもその一つだ。もう少し噛み砕いて言うと、多くの贄が必要らしい。

 ポウポウの力は強く辺り一帯を消し飛ばす。だから優勢の時は使う必要が無い。今度の戦争でもポウポウが力を使うことは無いだろう。それがバナの考えだ。まだ帰れそうには無いが希望は捨てずにいられる。ポウポウは自分の意志を持っていない。獣としても扱われていない。だが、ネズミのように蔑まれている訳ではない。ベトナムやタイの高僧、インドのクマリ。ある種の神として扱われている。それが戦場に向かう。


 歪な戦争が近づいている。生きるには領土が必要だ。領土を拡大するのが戦争だ。この世界は私の世界と全く違うのは理解しているが、責任や不安がまとわり付く。今は何も考えない方が良いのだろうか。どうせ去る世界だ。去った後どうなる?哀しい話だが知ったことじゃない。ベトナムで貧しい農民と話もした、ベトコンに家族を撃たれた人とも話した。多くを語ってくれる。多くを語り悲しみを私と共有しようとした時、目の色が変わる。『どうせここに住んでいる訳じゃない』私は歪な平和に彩られた国に帰り異物としてコソコソと生き続ける。窮状を伝える事で彼らの思いを届けられるかもしれないが、そこに住み、現状を共有してやることなんてできない。それはこのアトラムでも同じだ。

 妙に酒が欲しくなってきた。バナに礼を言い立ち去る。書庫を出るとタウーが尻尾を振って出迎える。

「何かわかったの?」

「何かって?」

「ミチアキが国に帰れる方法だよ!」

「ああ……そうだね。少しだけどわかったよ」

「良かったね! でもミチアキが帰るのは寂しいな。帰ってもまたアトラムに来てくれるよね?」

「そうだな。うん。たまには遊びにくるよ」

 タウーはプロレスラーなみに大きい体を揺らせて歩く。獣1頭1頭では悪い奴らじゃない。いや、全ての獣が悪い獣じゃない。誰もがニンゲンと同じく家族や仲間と共に暮らし、ある程度の不自由がある自由の中で別種族とも仲良くやっている。その点では我々ニンゲンの方が遅れを取っている。だからこその違和感だ。ネズミに感情移入している訳じゃない。ただ疑問だ。なぜネズミだけがこれ程までの虐げられているのか?多くの獣に聞いたが「そういうものだ」と返ってくる。


 タウーや他の獣と兵士の詰め所でメシを食う。もう私を不思議がる獣はいない。ポウポウの交尾に付いて質問してくる獣がいたり、好きなメスの話をしている獣もいる。ヌーエでの戦争が不安かを聞くと全員が笑い飛ばした。王宮にいる兵士は多かれ少なかれゲッカニアと戦っている。トカゲと戦った話を楽しそうに語る若いイヌ、大蛇を食ったと嘯くクマ、カメの大群から陣地を守ったと笑うトラ。そんな彼らに売春宿の話をすると全員がニヤニヤして「あそこのウサギは部屋に上がったら愛想が無くなる」「どこどこのイタチはシッポのさわり心地が抜群」などの猥談で盛り上がる。

 アトラムは種族を問わずモノのサイズが合えば男女がイタすことができるらしい。若さ猛る兵にも聞いたので間違いない。種族により独自の閨房術を持っており、そのあたりはオスの性的趣向によって好みは変わる。同種間でしか子は生まれないので避妊も特にしない。多くの戦場で兵士を悩ます性病は存在しないらしい。

「お前ら、いつまで休んでるんだ? くだらねえ話をしてねえで持ち場に戻れ!」

 アウーが現れ一喝する。獣達は三々五々部屋から出ていく。

「なんて話してんだよ。ミチアキも発情期か?」

「発情期はあるのか?」

「大昔は発情期しか子を作らなかったらしいが、今はそこまでじゃねえな。ちょっとムラムラくるだけさ」

「プッカがよろしくって言ってたよ」

「なんで知ってるんだよ!」

 慌てるアウーを尻目にタウーと部屋を出る。誰もかもが魅力的だ。驚くことや嫌悪感を抱くことも多いが、アトラムに魅力を感じているのは間違いない。


 部屋で休んでいるとチートが窓から入ってきた。部屋で木の実を食べながら話をする。船造りや各種武器の手配をはじめ、戦争への準備は急ピッチで進んでいる。ネズミが自分が乗る船を作り、自分が使う槍を作る。余りにも数が多いので槍は金属を使わず、適当な木を削る程度の粗末な物になるらしい。それにどうせ戦闘は起きないとの考えありきで計画が進んでいるらしく、他に武器などは持ち込まない。槍ですらほとんどは現地調達だ。

 ネズミには名を与える・子を自由に作って良いと伝えた事がかなり効果的らしく、普段の数倍のスピードで仕事をしている。ネズミの中で流行しているのは自分と今後生まれてくる家族の名前を考えることらしい。彼らの望みが叶わないことを知っている身としてはただただ気が滅入る。

 そんな思いで毎日を過ごし「訓練を見る」との口実で橋の下に行くとイヌが槍の扱い方や兵士としての心構えなどを教え、ネズミを鍛え上げていた。あちらこちらをぶらぶらしていたが、タウーの監視があるためかエペクやベージからの接触も無かった。忙しく働く獣達や造船所・食料加工工場を見物しながらタウーの説明を聞いている。

 タウーは愛国者と名乗るに相応しい獣でアトラムの多くを紹介してくれる。大きな体に優しさ、そんなタウーの中にも獣としての本能や兵士としての冷酷さがあるのだろうか。

 最近ではアトラム近郊に粗末な小屋が立ち並び、ネズミが今か今かと集まってきている。アトラムはネズミに包囲されている。もちろんベージが余計なことをしないようにアチラコチラにイヌが配備され目を光らせている。

 戦争がはじまる街は火の香りがする。木が焼かれ多くの食料や道具が作られる。国は一つの体として、街は一つの臓器として、多くの獣は駆け巡る血液として世界に新しい肉体が生まれる。そうして戦いに向けて形が作られていく。

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