第20話

 久しぶりにアトラムの大地を踏みしめた時には夕方になっていた。まずは王、そして貴族、サイ、トラ、クマ、オオカミ、サル、イヌ。タムリが降りる時には私とバナ、それにチートも一緒に降りた。

 アトラムだけでなく周辺の国や村からも集まった獣が歓声をあげる。聖壁奪還の立役者だったタムリへの歓声が大きい。船上の一件後、タムリはいつもの調子に戻っていた。それが不気味だったが、あまりに自然に振る舞うのでそのまま受け入れてしまった。


 声援を送る獣、タムリはのんびりと右手を上げて応える。バナはニヤニヤしながら顎を掻き、チートはくるくると飛び回った。そんな時、警備のイヌと共に毛の長いオオカミが現れた。腹が膨らんでいる所を見ると子を宿したメスだと分かる。タムリはそのメスを見ると駆け出し、長く長く抱きしめた。

「ありゃタムリの嫁さんだ。うらやましいぜ」

 バナがキキキと笑い、その後は聞いてもいないのに「俺には4頭の妻がいた」などと話しはじめた。聞き流しているとタムリが妻を連れて私の所に来る。

「まだ会ったことがなかったですよね? 妻です」

「ソゴル・トゥンパ・クナだ。お前がイイヌマ・イイヌマ・ミチアキか?」

 クナと名乗るオオカミは全身に赤い入れ墨が入っている。アチラコチラでくるくると巻かれる模様が美しい。だが目には明らかな敵意が見える。

「はじめまして……」

「弱そうな獣だ。よく生きて帰ってこられたな」

「クナ、よしなさい。ミチアキはアトラムの民ではないのですから」

「タムリを危険な目に遭わせていないだろうな?」

「大丈夫ですよ。ほら、ちゃんと戻ってきたでしょう?お腹の子も……みんな育てられますよ」

「お前が来てからタムリは大変なんだ。自覚しろ」

「ミチアキ! ごめんなさい! ちょっと先に行っといてください。クナ……大丈夫です。ずっと側にいます」

「何が戦闘は起こらないだ……私の友達も……帰ってこなかった……何があったんだ? サイが言うにはポウポウが……」

「大丈夫です。もう大丈夫です。クナのお陰ですよ。さ、家に帰りましょう。すぐに戻るから一緒に食事をしましょう」

 クナは怒りに震えながら言葉を紡ぐ。私はただの弱いニンゲンだ。私がいるから多くの命を危険にさらしてしまった。タウー、ワンケル、ドルーをはじめ多くの獣が帰ってくることができなかった。ネズミたちもだ。タムリは泣いているクナを抱きしめている。バナが私の肩を叩いた。獣達の間を通り抜け馬車に乗る。宝石で埋め尽くされた馬車だ。戦争に勝つといつもこの馬車にのり王宮まで帰るとバナが言う。獣たちの声が耳に入らない。ただぼんやりと夕日で赤くなった街を眺めると、なんとなくポウポウが潜んでいた古城を思い出した。


 気が付いた時にはベッドで横になっていた。王宮に入ると倒れてそのまま失神してしまったらしい。窓を開けるとテンが高い位置で輝いている。覚醒しない頭で部屋を出るといつもと同じイヌの兵士が立っていた。心なしか表情が柔らかい。

「この度の勝利、心より祝おう」

「生きて帰って来られたよ。どれくらい眠っていた?」

「丸2日だ。最初はそのまま死ぬかと思ったが、バナがそのままにしとけと。数度起きて水を飲んだりしていたぞ。覚えてないか?」

「覚えてないな……」

「それだけ疲れていたんだろう」

「皆は?」

「広間で凱旋の準備だ。だが、お前は参加するのは難しいな……起きてくるか分からなかったから馬車の準備もできてないんだ」

 シャツのボタンを留めながら広間に向かうと着飾った獣たち。バナがきらびやかな服を見せつけるように両手を広げて歩いてくる。

「やっと目を覚ましたか! こっちはもう出発だ! 残念だが後で会おう。貴族が見物する席を用意しといた。良く見える特等席だ」

「アウーはどこにいますか?」

「あいつは英雄として最後にポウポウと同じ馬車に乗って出る。城の奥にある礼拝堂で出発前の祈りを捧げている所だ」

 もしかしたら王の気が変わってアウーを殺していたらどうしようかと考えていた。タムリと戦った傷は浅いとは聞いていたが大丈夫なのだろうか。

「タムリは?」

「あいつは参加しねえよ。嫁さんが産気づいて今日には生まれるらしいぜ」

 なんともタムリらしい。タムリはいつも柔和な表情をしている。しかしその奥には野生が。獣が隠れている。戦いを続ける獣の本性が。私はそれをヌーエで、船上で目の当たりにした。アトラムに帰り着いた時、タムリが本当に守ろうとしている存在を見た。彼が持つ鉄の意志は愛すべきアトラムに、愛すべき家族の元へ帰るためのルールなのだ。アトラムと家族を守るためにはなんでもやる。私を殺すことも厭わない。タムリは守った。獣としてあらゆる手段、力、信念を使って守りきった。私はアウーを守ったつもりではある。そのために共感に近い気持ちを抱いていたベージをアトラムに売ってしまった。彼らの思いは潰え、革命が成就することはないだろう。しかし私は守ったと思い込むことにした。

 アウーは何を守れたのだろうか。命は守れた。しかしネズミは守れなかった。ネズミのことを世界に伝える。ネズミが自分を助けたことを伝える。それを続けることでアウーはネズミを守るだろう。殺すことと守ることは似ている。どちらも自己を燃料に他者に寄り添う。それが武力か思いかの違いだけだ。


 青みを帯びた金属でできている扉の前に来た。扉から威厳を感じ、ここから先は別の世界と告げている。鳥居と同じだ。扉を開けると中には緑色のローブを着たアウー、白いローブを着たポウポウ、青いローブを着たサイが5頭。1頭のサイが私を見つけ、扉のすぐ横にあった椅子を指差す。荘厳な雰囲気に気圧されながらも椅子に座り儀式を見つめる。日本語、ベトナム語、英語とも全く違う言葉を5頭のサイが輪唱していく。ポウポウはゆっくりと両手を上げ、そして静かに胸の位置まで下ろす。艶かしい10本の指が空間を手繰り寄せる。それは比喩的な言葉ではない。実際に空間が歪み、その手に空間と光が集められていく。ヌーエで見たあの景色だ。

 ポウポウは踊るように両手を上下する。引き寄せた空間を慈しむように指を動かす。ポウポウが見ている祭壇にあるのは大きな牙だ。百科事典で見たことがある。象かマンモスの牙だ。そしてアトラムで良く見る包丁に似ている剣。儀式を見ていると体は金縛りのように動かない。そして空間は解き放たれ、白い光とともに牙と剣を飲み込んだ。サイが何かを唱えると儀式は終わった。4頭がポウポウを檻に入れて外に連れ出す。1頭のサイが近づいてくる。王の近くに座っていたサイだ。サイは私に会釈し、静かに部屋を出ていった。

「大丈夫だったか?」

「……」

 アウーは力の無い笑顔で私を見つめる。いつもの元気、悪態が嘘のようだ。室内に脂が燃える香りが立ち込めている。ろうそくだと思っていた物は脂を固めた物だった。小さな炎に照らされる室内は、私がいた世界では見たことがない模様や獣の像で飾られている。先程の牙などが置かれていた祭壇には小さな炎と少しの果物が残るばかりで目につく物は何もなかった。アウーを改めて見るとローブが似合っていて英雄としての威厳も感じる。この英雄は私の嘘とわがままが作り出した。

「私はアウーが死ぬのが嫌だった。それだけは……避けることができた」

「……」

「ネズミのことは私も無念に思っている」

「……」

「どうした? 緊張でもしているのか?」

 声を掛けるとアウーがゆっくりとローブを開け、上半身を見せる。兵士として均整の取れた体だ。目線を上げていくと一つの傷が目に入った。喉元に大きな傷が残っている。タムリと戦った時の傷だろうか?これが原因で今は喋るのキツいのか。スピーチが得意なはずが無い。むしろこれで良かったのかもしれない。

「無理に喋らなくて良い。これからはアウーの思うように生きられる。それが嬉しいよ」

 アウーから表情が消えた。ガラス玉が2つ私を見ている。自由に生きる。兵士として生きてきたアウーにはその実感が沸かないのだろう。アウーと見つめ合っているとサイが戻ってきた。私はアウーの手を取り肩を貸す。しばらく歩くと正門に出る。目の前には豪華絢爛な馬車。車を引くのは20頭の馬だ。どの馬も大役を仰せつかった誇りに満ちている。

 アウーはアトラムに上陸した時と同じ装備に身を包み馬車に乗せられる。席の真後ろには檻に入ったポウポウが中空を見つめている。音楽が鳴り響く。打楽器の音にあらゆる獣の鳴き声が重なり、正月に聞く雅楽のようなハーモニーを奏でている。

「君は自由だ。体は不自由だろうけど、足を失った兵士はベトナムで山ほど見た。誰もが戦うのを辞めて自由に暮らしている。今から君は思ったことを思った通りにできるんだ。気に入らないことがあれば兵士の立場じゃない状態で気に入らないって叫ぶことができるんだ」

 アウーは笑顔で頷く。ポウポウは私達を無表情で見ている。

「さあ、そろそろ出発だ。最後に清めの儀式があるから離れてくれ」

 サイにどかされ儀式を見守る。色の付いた粉を天に投げ、何かを唱える。そして集まったサイが一斉に飛び上がり着地する。少し離れた私の所にもその衝撃が伝わる。それと同時に大きな門が開き、アトラムの民が沿道に並ぶ広い道を馬車が進んでいく。肩の荷が降りた顔のサイが近づいてくる。

「お前には良い席を取ってある。酒でも飲みながらゆっくり見ると良い」

「ありがとうございます。しかし、アウーは英雄として何か話したかったんじゃないですかね」

「うん?」

「私の世界では英雄は話すんですよ。自分が思っていることや感じたことを」

 サイが首を傾げる。所変われば文化は違う。生きるために戦う彼らにはそんな虚飾すら不要なのか。

「アウーは喋れんぞ」

「悪態は良く吐きますよ」

「いや、そうではない。もう喋れないぞ」

「……タムリとの戦いで?」

「違う。お前が指示したのではないのか?喉を開いて声を出せなくしたと聞いたが」

 私の中に船上で王が話した言葉が巡る。


「余計なことを言わなければ良いがな……」


 立っていられなくなり膝を付く。馬車は進む。沿道からは色とりどりの花びらが撒かれ、その中を馬車が行く。私はただ、動けなかった。


 なぜここまで空は晴れわたり爽やかなのだろうか。今はそれすら疎ましい。多くの馬車が目の前を通り過ぎ、広場に集まってくる。ぜんまい仕掛けのおもちゃのように一定の間隔で動いている。私は大きく、柔らかく、花があしらわれた貴族用の椅子に座っている。数頭の貴族、サイやネコが「あなたもアトラムの英雄の1人よ。ただ、尻尾が無いのが可愛そうね」なんて言葉を掛けてくる。


 聖壁奪還戦争に一切参加しなかったサイやクマやトラが次々に入ってくる。彼らはヌーエに数時間上陸した程度だろう。そんな彼らが大きく手を振り獣達の歓声に応える様を見ている。椅子に体を沈める。このまま地中深くまで潜り、冷たい土の中でただただ目を閉じていたい。沿道から1段高い櫓の上、阿波踊り会場に作られた席を思い出す。

 その時、視界の隅で動く物が見えた。私がいる側とは逆の沿道。ウシ、ウマ、イタチ、サルたちに紛れて、その足元でチョロチョロと動いている。獣たちが落とした食べ物を目ざとく見つけ、他の獣に踏まれないよう口に運ぶネズミだ。ネズミはまだ自分たちの運命を知らないのだろうか?知ったうえでおこぼれを探しに来ているのか。彼らはいつも通りに不条理を耐え必死に生きる。ヌーエに行ったネズミは皆死んでしまった。ヌーエで己の強さ、命を奪う愉悦を感じたネズミは死んだ。


 ネズミは不当に殺され続けるのだろうか?もしかすると、ここから彼らの立場が少しでも向上するようにできるのではないか?私はアトラムにあとどれだけいるのかわからない。だが、この変わった世界にいることができる限り、私はアウーの口となり、多くを語り続けるのが勤めだと考えた。

 私はカーシミッドだ。カーシミッドとしてヌーエに渡り、多くを見てきた。元いた世界ではたちの悪い空想として片付けられる物語だとしても、アトラムでは全てを変える潮流となりえる物語だ。

 世界を動かすのはいつだって物語だ。物語があれば全ての命は絶望しない。この世界を紡ぎ出すのは物語なのだ。そう思いながら木の実を齧るネズミを見ている。まだ諦めてはいけない。この世界でできることはまだまだある。この世界で知りたい物語はまだまだある。ゲッカニアはどんな国なのか?他にポウポウはいないのか?なぜヌーエに多くのポウポウいたのか?考えれば考えるほど物語は広がりを見せ、凝り固まった頭の中に新鮮な炎を走らせる。


 一段と大きな歓声が響く。ヌーエで生き残ったイヌが入ってきた。普段はトカゲたちと殺し合いをしたり、王宮の近くでメシを食い、売春宿でメスを買っている彼らが大きな歓声を受けている。誰もが誇らしげに胸を張る。ボロボロのレザーアーマーがヌーエで生き抜いた証拠だ。あるイヌは剣を上げ、あるイヌは槍を上げる。彼らもまた物語となった。

 イヌたちは私に気が付いたのか、何かを叫びながら武器を振る。それをかき消す歓声が彼らの成し遂げたことの価値を表している。意味の無い戦い。国を引き締めるための戦い。ベトナムの再現だ。愚かな戦いだ。しかし彼らの笑顔を見ていると、それだけではない気がする。

 多くの馬車が通り過ぎ、凱旋も最高潮を迎えようとしている。曲の雰囲気が変わり、荘厳な鳴き声が響き渡る。誰もが息を飲み、1台の馬車を待つ。馬車が来る方向を見ると獣達が膝を付きはじめる。ポウポウだ。一緒にいるのはこの戦いの英雄とされるアウーだ。アウーは何を考えているのだろうか。この凱旋が終わったら私の気持ちを包み隠さず伝えるつもりだ。

 馬車が近付くと共に演奏が大きくなる。歓声は聞こえないが感嘆の声があちこちから聞こえる。まだ遠いが、ポウポウが檻の中に立ち、その前にアウーがいる。表情が分かるくらいにまで馬車が近づいてきた。ポウポウは真っ直ぐ遠くを見つめている。口が動いているようにも見える。何を話しているのだろうか?アウーは1段下に座り、ポウポウと同じく真っ直ぐを見つめている。背筋を正し、私の前を通りかかるのを待つ。ふいに沿道が騒がしくなった。ネズミが20頭ほど出てくる。異変を感じた警備のイヌがネズミを止めに来た。食べ物でも拾いに集まったのか?何か様子が変だ。イヌがネズミを数頭蹴散らして沿道に戻す。その時、見物の獣の中から影がイヌに飛びかかり、背中に腕を振り下ろす。包帯や布で顔を隠した獣が崩れ落ちるイヌを蹴り飛ばした。

「エペク……」

 イヌを刺した獣は腕を振り、刃に付いた血を飛ばす。獣は10頭。ゆっくりと馬車に近づいていく。アウーはただ獣を見つめるばかりだった。その時、この出来事を催し物だと思ったのか、1頭の子ネズミが獣に近づいていく。黒い布を顔に巻いた獣のズボンを引っ張り、話しかけている。するとその獣は障害物を払うように武器を横一閃に走らせた。倒れるネズミ。流れる血。ネズミは助けを求めるように馬車に向かって這い寄る。そしてゆっくりと動きを止めた。

 状況を切り裂いたのはアウーだった。声にならない声、鋭く切り裂く息に思いを乗せて絶叫していた。転がるように馬車を降り、ネズミに駆け寄る。アウーを囲む獣。アウーは立ち上がり、馬車に背中を預けて腰に巻き付けたカバンに手を入れた。獣は剣をゆっくりと上げる。5つのテンが獣の武器に光を当て、艶かしく輝かせた。静かなこの空間は一枚の絵画のようにも見えた。


 ピン


 乾いた音と同時に一本の手が上がった。何か握られている。それはアウーの手からこぼれ落ち、小さな祈りを大きな力に変えた。

「最後の1頭です! 頑張って!」

「ウウウウウウ!」

「もうすぐです! 全ての子を育てられますから!」

「ああああああああああ!!!」

「生まれました! ……これは……毛が……」


  そして、獣は天を仰いだ。


~そして獣は天を仰ぐ 完~

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る