第17話

「皆殺しです。増援は来るものとしましょう。来なくても皆殺しです。出来る限り身軽にして腹が減ったらポウポウでも食べてください。あなた、あなた、あなた。足は速いですか?」

 一夜明け、今日は城に攻め込む。指されたネズミたちはニヤニヤしながらその場で飛び上がる。ネズミの周りには昨夜作った短い槍が転がっている。アトラムで見た物と同じく先は尖っているが石突にあたる部分は少し大きい。

「結構です。それでは私の遠吠えが聞こえたら火を点けること。そうしたら煙が上がります。当初の計画ではもう煙を上げているはずです。アトラムも異変には気が付いているでしょう。船団が煙を見つけ次第全力で来るので時間との勝負です。敵と遭遇して逃げられないとわかったらその場で火を点けなさい。途中まで3頭で行動するのですよ?」

 作戦なんて言えない作戦を説明をするとタムリはカバンから取り出した肉を齧る。ナイフで切り分けアウーにも食わせる。ネズミたちはポウポウの腕や足を取り出し齧る。どうにも野性的なモーニングだ。

「あなたとあなたはアウーを海岸まで連れて行ってください。罠の作り方はわかりますね? 休む時は罠を必ず仕掛けること。まだ私たちの匂いが残っているでしょうから迷わずに海岸まで辿り着けます」

「俺も戦いますよ。どうせ死ぬなら戦って死ぬつもりです」

「気持ちは嬉しいですが難しいでしょう?あなたを守りながら戦うのも難しいですし諦めてください」

 そう言いながらアウーの腰からナイフを取り出す。

「このナイフで敵を殺します。タウーの武器でも殺します。一緒に戦うのは変わりません。それではまた後で」

 アウーは何も言わなかった。抵抗もせずに私が乗せられていたソリにくくり付けられている。ネズミたちも食事が終わり、槍を数本背負い立ち上がる。煙を上げる3頭はリュックを背負い一足早く洞窟を出た。アウーはそのネズミたちを何とも言えない顔で見送った。

「気を付けて」

「うるせえよ。俺は何もできねえよ」

「アトラムに戻ったらまた飲もう」

 2頭のネズミがアウーを引っ張る。アウーには生きて欲しい。そう願いながら私はカバンから手榴弾を取り出し、アウーに渡した。なぜそんな事をしたのかはわからない。戦いたくても戦えない兵士を慰めようとしたのか。それとも自分では上手く使えないからなのかもしれない。

「これは大切な物じゃないのか?」

「良いんだ。これは気に入らない奴を吹き飛ばす。握ったままここを引き抜くんだ。そして投げる。遠くに投げるんだ。多くの敵や気に入らない奴らを倒せるんだ。危険だから本当に気を付けて」

「ミチアキ……ありがとう。死ぬなよ。お前はイヌやオオカミみたいに強くないんだからな」

「わかってるよ」

「あと……これを」

 渡されたのはサバイバルナイフに近い刃物だった。刃は鉄に近いが青みがかかっている。

「使えるか?」

「木の実は剥ける」

「十分だ」

 アウーを乗せたソリが動く。手を振っているとすぐに森の中に消えた。


 岩に座りバッシャを巻く。最初は変な匂いだと感じていたが、よくよく思い返してみると戦場で嗅いだ記憶がある。大きな手をした米兵がちまちまと巻いていたアレだ。バッシャに酩酊する感覚は無いが刺激の少ない煙が肺を満たしてくれる。不思議と恐怖は無くなっていた。自暴自棄になった訳でもない。

 私は死んでいた。ベトナムではなくもっと前から。世界を斜に構えて見はじめた時から死んでいた。死んだ自分を満たすだけの死を感じた。誰かが死んでいてもネタでしかないと思っていた。ベトナム人、アメリカ人、ラテン系アメリカ人、アフリカ系アメリカ人、同じニンゲンが死んでいるのにだ。

 それを満たしたのが喋り歩き生活する獣。一番のチクショウはやはり私なのだ。しかし、今こそ「俺はニンゲンだぞ!」と宣言することができる気がする。物事が平坦に見えてきた。平坦は悪いことじゃない。これまではドラマチックに見てしまっていた。死ぬ時は死ぬ。彼らは死ぬことを深く考えていない。種族が生き残るからだ。一杯の酒と一塊の肉、妻の温もりと子供の笑顔。それだけで戦う。洞窟の中には戦いに備える獣、外には鬱蒼と広がるジャングル。どちらも同じくらいに美しい。

「ネコよりも吸いますね」

 ネコ臭いと顔をしかめながらタムリが言う。準備は万端といったところだ。残ったネズミたちも整列している。タムリは洞窟を出て城を見上げる。

「ミチアキはここにいますか? 付いてくるよりは安全ですよ?」

 ベトナムに落としてきたのは人間性だった。それをアトラムで再び拾い、人間として、ニンゲンではなく人間としてこの無意味な戦争を掘り起こし、そして伝えたいと考えた。

「付いていって良いか?」

「止めはしませんが守りきれないかもしれないですよ?」

「何かあればこれで腹を切るさ」

「それがそちらの文化ですか? やはり変わってますね」

 アトラムに来た時のようにタムリが手を差し出す。その手を掴み、勢いを付けて立ち上がる。

「突撃の準備が整ったら私が吠えます。それが作戦開始の合図です」

 子供のように純粋なポウポウを純粋な暴力で皆殺しにする。全ては自分の種族の繁栄を願って殺す。ポウポウがどう考えているか、何を思っているか。それは関係ない。ただ獣として戦う。


 城はアトラムの王宮と似ていた。東南アジアで良く見る遺跡と雰囲気は近い。その雰囲気で西洋の城と同じく大きく威厳ある姿を誇示している。タムリがネズミや私を止め正門から様子を伺う。しばらくするとスタスタと中に入っていった。ネズミたちは槍をしっかりと握り直す。何かあればすぐに飛びかかれる体勢だ。私も使えないナイフを手に取り形だけ構えてみる。獣は少年少女の形をしたポウポウに一切の容赦なく槍を突き刺し命を奪うだろう。私だけが命を奪う行動に慣れていない。

 柄に巻きつけられた皮に汗が染みる程の時間が過ぎた時にタムリが戻ってきた。恐る恐る広場を覗くと威厳ある城の姿からは想像できない粗末な小屋が無数にある。

「いるのか?」

「います。まだ寝ているのが多いですね。ネズミたち、良いですか?今から作戦を開始します。まずは私が吠えます。そしたら攻め込むつもりでしたが……念には念を入れますか」

「どうするつもりだ?」

「見てください。あの粗末な小屋。良く乾いていました。雨は数日降っていませんよ」

「燃やすのか?」

 弾ける笑顔が正解を示していた。戦場を焼き尽くすガソリンの匂いが鼻腔に蘇る。どんな場所でも存在を消し去る炎は強い。原始的な手段を根源的な殺意で実行する。焼け焦げた死体を思い出し止めようとしたが声は出なかった。言葉の無力は身に沁みている。頷きもせずに立ち尽くすだけが精一杯だった。タムリはネズミたちに作戦を説明している。耳に入ってこないが何を言っているのかは分かる。


 今日は沢山の生命が消える。特別な感情もなく言葉だけが湧き上がってくる。タムリの遠吠えが響いた。数度吠えると赤い煙が3本見える。タムリは私を連れて手頃な木に昇る。ネズミが広場の小屋に火を点けた。火を点けた槍を持つネズミが粗末な小屋を次々燃やす。数頭のネズミが城の入り口にまで走り、枯れ木などをセットして燃やす。これで城には逃げられない。燃える物はそこら中にある。灰色の突風が赤を描く。ネズミは戦いの道具として最大限に使われていることに歓喜している。

 炎と煙の中からポウポウが出てくる。1頭のネズミが飛び上がり全身のバネを使って槍を投げた。槍は体を貫き、石突に当たる部分がポウポウの体を押し、地面に突き刺さる。ポウポウは両手を伸ばし、愛する人を求めるように両手を前に出す。

 アチラコチラから炎と煙が上がる。逃げ出すポウポウは少なく、100もいない程度だろうか?しかし20頭程の戦力からすると大群だ。ネズミは逃げながらも槍を投げつけタムリと私が居るジャングルに走り込んでくる。その後ろに火が巻かれたポウポウ、槍が刺さったポウポウ、泣きじゃくるポウポウ、幽鬼か餓鬼の行進だ。ネズミたちは手頃な木に昇る。ポウポウは次々にジャングルに、地獄に足を踏み込んでいく。『ビンッ』と罠が作動する音とほぼ同時に肉に打ち付けられる木板。「ギイ」と声をあげて静寂が一瞬。煙から逃げるポウポウはまだまだいる。次々と罠にかかり倒れる。運良く罠を避けて歩くポウポウには頭上から槍が降ってくる。一方的な虐殺。一方的な蹂躙。森に入らないポウポウはネズミが追いかけ殺す。ネズミたちはポウポウに慣れてきている。

 死体が溜まってきているがテンジャロはこない。立ち上る黒煙が私たちを隠しているからか?。野蛮な炎、狡猾な煙、容赦ない獣。全てが撚り合わされ一本の紐となる。

 タムリの遠吠えが空気を震わせる。それをきっかけにネズミがタムリと一緒に木から降りる。まごまごしているとアキが降りるのを手伝ってくれた。身を屈めて煙を避ける。周りには焼け焦げたポウポウ、内臓が飛び出した状態で死んでいるポウポウ、腕、足、頭、脳、殺戮の嵐が吹き荒れたことがはっきりと分かる足跡がある。

「俺らだって強えんだな」

 返り血で真っ赤になった名も無きネズミが呟いた。落ちていた葉で顔の血を拭いながら耳を動かしている。私には多くの小屋がパチパチと音を立てて燃える音しか聞こえない。

「ポウポウは知らないんでしょうね」

「何を?」

「戦いをです。周りのポウポウが死んでもびっくりした顔をするばかりですよ。こんな島で何もせずにいたらそりゃそうなるでしょうが」

「………」

「平和は獣を堕落させますね。我々も肝に銘じるべきです」

 まだピクピクと動いていたポウポウにナイフを投げ、息の根を止めて歩きだす。城に絡みつく苔や蔦の様子から察するに長い間このままだったのだろう。歴史に思いを馳せていると遠くから遠吠えが聞こえた。生きている仲間がいる。タムリは私を見て頷き、高らかに遠吠えを一つ。アキは私の腰辺りをパンパンと叩きイヒヒと笑う。血みどろの獣と純粋可憐絶対無垢なニンゲンが肩を並べて城に入る。


 広い部屋、そして大きく長い階段が目の前に広がる。タムリやネズミは歩みを止めない。耳を見ると周りを気にはしている様子はある。もうポウポウはいないのだろうか?先を進むタムリが一つ目の踊り場で目もくれず左にナイフを投げる。ギィ!と声がした。私も階段を登り声の聞こえた場所を見るとポウポウが血を流して死んでいた。広い外ならまだしもここは城、気密性は高いとは言えないが建物の中だ。物音一つひとつが跳ね返る。どんな小さな物音でも聞き逃さない彼らにとっては獲物を探すのは造作ない。虐殺は狩りに姿を変えた。それは殺すべき対象が格下になったことを意味する。


 3つめの踊り場。階段はここで終わり左右に道が広がっている。タムリは迷うことなく右に向かう。声を掛けようとしたら鼻を指差しその後に進行方向を指差す。ネズミが凶暴な顔で走る。そして圧倒的な力で跋扈する。次の階段に通じる小部屋には数頭のポウポウの死体。ネズミが槍を突き立て貪欲な食欲を満たす。


 階段を上っていると外を見渡せる窓があった。タムリは顔を出しまた遠吠えをする。幾つかの遠吠えが返ってくる。やはり仲間は生き残っていた。あちらこちらで小規模な戦闘を繰り返していたのだろう。あとはこの城の中を掃除するだけだ。ポウポウは見つけ次第始末して進む。幼いポウポウが多い。流石に10歳程度のポウポウが無残に一生を終えるのを見るのが辛くなってきた。この思いが獣とニンゲンの差なのだろうか。ベトナムで少年兵が無残に殺される所や新聞配達の少年がゲリラと言われ処刑される現場は見てきた。あの時にこの感情はあったのだろうか。ベトナムの私は獣だったのではないのか。ネズミは多くの死を通して戦士として成長している。私は多くの死を通してニンゲンとしての何かを取り戻している。結局は死の上でしか広げることができない、血で汚された世界地図を広げている。


 階段が終わった。30平米ほどの部屋。城の周りを見渡せる窓がいくつかある。その内の一つから顔を出すと私たちが辿り着いた海岸も見える。ジャングル、砂浜、海、残骸。広場を見下ろすと幾つかの陰が見える。ポウポウじゃない。イヌやネズミが集まり、残骸をひっくり返したりしている。タムリが1頭のネズミに指示し、下に状況を伝えに走らせた。

「追い詰めましたね」

 タムリが天井を指差す。一枚の板が外され空が見える。穴までの高さは2m半といった所か。ハシゴがない所を見ると回収して上に逃げたらしい。ネズミが数頭トーテムポールのように肩車を繰り返す。ネズミ、タムリがそれを昇り屋上に進む。幾つかの悲鳴。もう聞き慣れてしまった。動きたくない思いが強くなるがトーテムポールネズミに促されて上に進む。屋上には3歳程度のポウポウの死体が3つ15歳程度のポウポウの死体が2つ転がっていた。そして1頭のメスポウポウが赤子のポウポウを抱きしめ震えている。

「これで最後でしょうね」

 その言葉の意味がわかっているのか、小さなポウポウを強く抱きしめる。

「タムリ……」

「どうしました? ミチアキがやりますか?」

「そうじゃない。殺さなきゃダメか?」

「もちろん」

「あんなに怯えている」

「私たちは怯えるヒマもなく殺されましたよ」

「まだ子供じゃないか」

「アトラムに戻れば私にも子供がいますよ」

「ポウポウと話したい」

 タムリは無駄だと言いながらも後ろを向き背伸びをはじめた。獣には殺さない理由がない。そして私が人道的な判断をしてどうなるのか?結局ここにはアトラムからの獣がくる。結局は殺されるだけだ。それはわかっているが、なぜか私はこの2人には死んでほしくなかった。

「君、言葉は……わかるかい?」

 ポウポウに話しかける。彼女は私、タムリ、ネズミを見比べている。私だけが毛に覆われていない。それは理解しているようだ。私を恐れを抱いた目で見ている。恐れを抱いているのはまだ生きたいからだ。処刑が決まったニンゲンは目の光が消える。まだ生きたいと思っているこの2人に手を掛けたくない。例え数時間生命が伸びるだけであっても。この、この憐憫がニンゲンである証だ。

「ミチアキだけが変わっているのです。どのポウポウも話しません」

「私はニンゲンだ」

 小さなポウポウが目に涙を浮かべている。どんな言葉を掛けようかと思いあぐねていると、彼女が抱きしめている幼子の顔前に光が生まれる。この世界に広がっている光が渦を巻き幼子の顔前に集まる。体が動かない。テンジャロ。あの攻撃だ。幼子は私を見ていない。その視線の先にいるのはタムリだ。光はいつの間にか野球ボール程度の大きさになった。この子が?この子が仲間を、タウーを殺したのか?タムリに声を掛けないと。間に合うのか?光が大きくなる。幼子が両手で光を挟む。光の収束が早くなる。タムリ、気付け。ネズミたちは何をしている。ナイフを握る力が強くなる。タムリが振り返り小さな声を出す。幼子の目が強く光る。


「ミチアキ……ありがとう……」

「………」

「油断していました。あの光……自分の力では上手く歩くこともできない獣が……これで片付きました。さあ、下りましょう」

 私は蘇った人間性を捨ててしまったのかもしれない。もしかしたら赤く光ってなんかいなかったかもしれない。全ては『かもしれない』の連続だ。足元を見ると一本の血が流れている。私と同じ赤い血が。


 城から出て広場に出ると多くのネズミと10頭程度の犬がいた。皆、タムリに駆け寄り涙を流しながら話している。城を攻めたネズミは他のネズミに多くを語っている。私は城と広場の間にある段差に座りそれを眺めている。結局、私は異物でしかなかった。ニンゲンとしての矜持を示すこともできず、獣になりきる事もできなかった。2人のポウポウを私の手で殺し、仲間を救った。アトラムの立場ならそれは英雄的行為だろう、しかしニンゲンとしてはどうだ?幼子だけで良かったかもしれない。なぜもう1人、いや、もう1頭の首にも刃を突き立てたのか。


 目の前ではネズミ、イヌ、オオカミが語らい、火を囲み労を労っている。彼らは彼らの正しいことをした。殺された仲間の敵も討った。まだ考えてしまっている。私は何をしたのか。答えが出ない問いを続けるのは完成度の高い逃避だ。獣は飛翔し、ニンゲンは地を這い続ける。

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