そして獣は天を仰ぐ
ポンチャックマスター後藤
第1話
まずアトラムを紹介しよう。
アトラムは動物だけの国だ。ゾウの王、アトラム・パルーが治めている王国だ。良い具合の未発達加減。街には労働者が溢れ、兜町にいるような虚業家はいない。夜になれば盛り場で度数の低い酒を飲み、店の奥のアヤシイ小道には着飾ったウサギがアラチョットオニーサン!なんて声を掛けてくる。
アトラムは頂点にいるゾウをはじめ、サイ、トラ、クマ、オオカミ、ウシなどの獣が国を作っている。種族によってある程度の縄張りがあるが、肌の色で区別をする我々と大差ない。
食料はどうしているのかと考えるが、我々の世界と同じく豊富に美味いものがある。ただ味は薄い。例を挙げると石臼を使って穀物をすりつぶして『アモ』と言うパンの一種を作る。味はメキシコのトルティーヤに似ている。潰しきれなかった穀物がプチプチとアクセントになり、香ばしい匂いはニンゲンの食欲もそそる。そこにトリ肉、ブタ肉、ギュウ肉を挟む。最初は街ですれ違うブタやウシを食うのかと驚きを覚えたが、食われる層と食われない層が分かれていると聞いた。ヒンドゥー教のように細かく身分がわけられ、獣は納得して生きている。食べるだけでなく獣は革から作られた作業着や鎧を身に着け、仕事終わりの一杯を楽しむために働いている。
変わった世界に来たのは確かだが生活様式は代わり映えしない。アトラムは活力にあふれ子供たちも元気だ。先程まで子供のウシやクマに相撲を教えていた。子供と言えど非力なニンゲンが敵うものではないのだが。
街を歩けば「毛のないおサルさん!」と声を掛けられ、好奇心あふれる動物はクンクンと鼻を鳴らし付いてくる。数百年前に作られた城壁に昇りジャングルを眺めていると、そこは私が最後にいたベトナムそのものだった。ベトナムと同じく多くの動物があるがままの生活を繰り広げている。一つ一つの文化が鮮烈に脳に焼き付き、初めてポルノ写真を見たあの感動が蘇る。35サイ、セイシュンマッサカリ!ここはいつ迫撃砲が打ち込まれるか、ライフルで撃たれるか、いつ敵と鉢合わせするかわからない地獄のジャングルじゃない。ただ、奇妙が渦巻いている。
ジャングルの奥地で頭を撃ち抜かれた私はアトラムにいた。そして戦争に同行し文章をまとめた。元の世界でも従軍し、写真や文章を出版社に売っていた。今思えば戦場に郷愁を感じたのかもしれない。
私の名前は飯沼道明。1929年10月3日、徳島県の阿南の生まれ。そして聖壁奪還戦争に同行した唯一のニンゲンだ。子供の時の記憶と言えば釣りや農作業、空襲など。その時代に生まれたニンゲンにとっては当たり前の日常で彩られていた。そんな純朴な子供が大人になりベトナムに踏み込んだ。豊かな現代、戦争がどのように映るのか、戦争とは何なのかを求めて戦場に行った。
周りにはベトコン。姿が見えない幽霊と戦っている錯覚とニンゲンのおかしみが交錯するジャングルの中で飯を食べている。先程襲撃があった。ベトコンの補給基地を見つけ、写真を撮っていたら襲撃された。命からがら逃げ延びると200名いた仲間は20名足らずになっていた。
米兵もベトナム兵も泥に塗れ、「しょっつる」に似た調味料「ニョクマム」を米に掛けて口に運ぶ。左太ももを撃たれたベトナム兵も仲間に食わせてもらっている。その顔は苦痛に歪む事もなく、口の前の米を機械的に食べている。以前、取材に行った老人ホームで見た痴呆が進んだ老人のような目で食事を取っていた。
人間は最終的に死ぬ。老人ホーム、病院の個室、豪邸の一室、そして蛇・蟻・ムカデに悩まされるジャングルの片隅。私は「こんなジャングルでは死にたくはないな」とカメラマンの秋野に話しかけた。秋野は木版画のように彫りの深い顔をこれでもかと歪め「でも、誰かはこんな所で死んじまうんだ。俺も飯沼さんもわかんねえぞ」と呟いた。その時、またピュンピュン、チュンチュンと銃撃音が鳴り響き私は泥に体を横たえ目を閉じる。結婚もせずに死んでたまるかと心に誓い、腰に付けたポーチをまさぐった。
出発前に私が教えたオイチョカブでスッテンテンになった米兵から現金代わりに渡された手榴弾に手を伸ばす。「これを使った所でどうなるのか?」そう思った時に頭から『カシュ』とピーナツを噛み砕くような音がして体が軽くなった。
目を開くと太陽が5つ見えていた。ショックで目がダメになったのかと思い目を擦る。一流ホテルのシャンデリアのように計算された光が見える。私は恐怖の木に殺意が実るジャングルにいたはずだ。周りを見渡すと一緒にいた秋野も隊を率いていた米兵や、頼りないがユーモアあふれるベトナム兵もいなかった。そして私を突き刺す殺意はもう感じなかった。
「お目覚めですか?」
声を掛けられ横になったまま目を向けると長い槍を持ったイヌが二本足で立っている。やはり夢だと思いもう一度目を閉じる。足音が近付いてきて私の顔に水を掛けた。その冷たさは子供の頃よく泳いだ徳島の那賀川を思い出させる清涼感だった。
目を開けると『のらくろ』が立っている。その目はイヌには似ているが何か違う。布と革らしき材質の服を纏い、腰のベルトにはナイフが数本。パラシュート部隊のような太いズボンを履いている。
「誰だ……?」
「タムリ。サシュ・ロボ・タムリ。あなたは……サル……ですよね?」
「サル……?」
サルと言った。イヌに話しかけられている。子供の時にはよくイヌに話しかけた。私が飼っていたのは黄土色の毛に大きなたれ耳の犬。そしてそれから30年近く過ぎ、私の目の前には喋る犬が立っている。左手を腰にあて、右手で頭全体を揉むように掻きながら困ったように私を見ている。
人間は造形が何であれ、言葉が通じてしまえばそれを同族とみなす。話ができたからタムリに恐怖を抱かなかったのかもしれない。
「飯沼……飯沼道明」
「イヌ? イヌマ・イヌマ・ミチアキ?」
「飯沼道明」
名前を聞き考える犬を見上げている。骨格は人間に近い。手の指は短いが多少物を掴める形になっている。腰のあたりには袋をいくつもぶら下げ、革で出来たリュックを背負っている。
「どれが族名で、村名で、素名ですか?」
「え…ゾクメイ…ソンメイ…ソメイ…?」
「イイヌマ・イイヌマ・ミチアキ?ですよね?」
「はい……」
「どこから来ましたか?」
「………サイゴン……ベトナムのサイゴン。そこから北に数十キロ…」
「聞かない街だな。村なのか?ちょっと待って」
リュックから一枚の汚れた革を出す。博物館とかで見たことが有る、薄い茶色に黒いインクで絵が描かれている。
「ベトナム……サイゴン? それはどこですか?」
聞かれた質問に答えようとしても頭の中で拒絶反応が起こる。目の前に、私と目線を合わせるため屈んだ獣を見ていると疑問が次々と湧き起こる。
「なんで……イヌが喋ってる」
「失礼な。オオカミです。そりゃ喋りますよ。トカゲやカメとは違うのですから」
そう言って地図はそのままに立ち上がりクスクスと笑っている。ますます訳が分からない。
「ここはどこだ? 太陽が5つもある」
「タイヨー? テンですか? あなたの村ではそんな言い方をするのですか。アトラムの民では無いのですね」
「アトラム?」
「一体どこの蛮族ですか?その割には多少の余裕と気品がある。着ている物なんて私たちよりしっかりしている。訳が分からないのはこっちですよ」
肩をすくめる姿はベトナムで多く見てきたアメリカ人その物だ。よく見ると、武装、佇まいは兵隊その物だ。人間同士が何もわからぬまま生命を奪い合う戦場からは脱したが、どうやらどこの世界にも戦争はあるらしい。戦争を追いかけ記事を仕上げる私は世界が違えど廃業する事はない。
「あなたは兵士なのか?」
「はい。見た所あなたもですか?」
「私は戦わない」
「ではなぜそんな格好を? 泥と少しの血の匂い、それに嗅いだことがない匂いがしますよ。怪しいどころか全く見当もつかない。一緒に来ていただけますか? 悪いようにはしません。あと、サルで良いんですよね?」
「ニンゲン……だと思う……」
タムリは手を差し出し私を起こす。その手を握ると柔らかな毛の感触と温かい肉の感触が私と同化した。生きている事を実感した私は、安心に包まれ世界を閉ざした。
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