第14話

 森に入る。足音がうるさいと少し進むごとに怒られる。ネズミ達は器用に足音を殺して歩いている。獣からしたらそんな歩き方は当たり前なのだろう。上手く歩けずドスドス進んでいるとタムリは諦めたように笑う。ポウポウが私と同じ程度の聴力と読んでいるのだろう。そして容易く殺せる相手と読んでいる。総勢25頭のネズミと1人のニンゲン。群れを統率するのはオオカミだ。種族の繁栄をかけた戦い。しかし、ネズミはどうか?彼らは結局何も変わらない。顔に2つのガラス玉をぶら下げた汚い獣。ガラス玉の奥には怪しい光が見える。今まで多くの獣に好き勝手に狩られてきた。その目が狩る側の目になっている。

 戦争の先にある幸せは非常に局地的だ。そのいびつな未来が私の判断を狂わせていく。「勝つ、負けるは別にして凌げるのではないか」そんな思いが大きくなってきた。周りを気にしながら歩くと速度は出ない。しかしそのスローな速度が我々の自信を呼び起こす。


 日が暮れて来た。それ以前に体が限界だ。考えたらヌーエに上陸してから少しも落ち着いていない。殺される情景が体にまとわりついている。あくせく動き、罠を仕掛けるネズミを見ていると幾層にも重なった恐怖が一枚ずつ外されていく。タムリはネズミに指示を出し、私は大きな葉を集めて作ったベッドに横になりながらそれを眺めている。

 森のあちこちに罠が仕掛けられた。鼻が効かない私は御叱呼に行くこともできない。どうせ周りは獣だと立ちションをするとタムリやネズミが笑いだした。

「ミチアキ、なんですかそれ!?」

「ポ、ポウポウは、そ、そんなションベンするのか! ガハ! ガハハ!」

「座ってしないのですか!? 間抜けな格好ですね!」

「お、おもしれえ! おもしれえな! に、に、にいちゃガハハハ!」

 いつ殺されるか分からない密林の中でアトラム式排泄術を今更ながら学ぶ。御叱呼も雲古も同じ体勢だ。オー、なんたることか。男が座って撒き散らすなんて。例え世界が移り変わり時の権力者が変わっても排泄法は変わらない。笑いたければ笑えば良い。

「それに砂をかけるのも下手ですね。だからミチアキの部屋はいつも臭かったのですか」

「そんなに匂いがしたか?」

「昨日何を食べたのかもわかりますよ」

「まさか」

「それは冗談です」

 私もついついガハハと笑う。こんなに楽しい気持ちで話すのは初めて市場に行った時以来だ。そしてベージを見つけ、ネズミと出会った。あの時はこんなことになるなんて思っていなかった。少しこっちでゆっくりしたら帰れると思っていた。今では相変わらず密林の中であがいている。獣もニンゲンも同じだ。自分の生命を守るため、そして種族のために戦う。兵隊をイヌと呼ぶ蔑称があるが、それは実際にそうなのだ。このアトラムではイヌやオオカミが上の命令をワンと答えて実行する。

 地面を這い回る8本足の虫を見ながらそんな事を考える。タムリに話しかけようと目を上げるとタムリは遠くの音を聞いていた。全てのネズミが同じ方向を向いている。足音を立てぬようにタムリに近付く。横顔を見るとオオカミの肉食性がむき出しになった笑顔。長い夜は、はじまったばかりなのだ。


 静寂、静寂、静寂。闇の向こうにいる何かは私たちに気が付いているのだろうか。能力の低い耳を澄ますと微かに足音がする。足音とタムリの笑顔が繋がっている。足音が近付くたびにタムリの笑顔が深くなる。その笑顔はネズミにも伝播し、歯をむき出しにした獣が罠にかかるのを心待ちにしている。

 ガサガサと鳴る音が闇に響いた。駆け出そうとするネズミをタムリが制する。足音が増える。そしてその足音もガサガサと鳴る音に変わる。待つ。待つ。待つ。密林が生命を飲み干すまで待つ。「ギュー!」と甲高い声がした。音はない。密林は空腹を満たしたのだろう。タムリはネズミを制していた手を下げ進む。吃音のネズミが振り返り口を開いた。

「あ、ああ、あんた鼻が弱いんだろ? お、おお、俺のあとにつ、付いてきな」

 自由に生きることができないネズミの案内に従う。そうでもしないとベトナムと同じようになる。私がベトナムで同行した隊に似ている。あの時も皮肉屋が多い米兵と、妙にのんびりした南ベトナム兵の組み合わせだった。戦場での立場まで元の世界と同じだ。

「君は頼りになるな」

「へ、へへへ。嬉しいな。本当にさ」

 ネズミが槍で示す所を良く見ると罠が仕掛けられている。完全に隠しきれてはいないが、こんな罠を見たことがないポウポウはひとたまりも無いだろう。タムリが光る石を周りに置くと赤い光が密林に咲く。血の香りがする。吃音のネズミが駆け出した。私に気付いたタムリは手を上げる。表情はいつも通りの優しい笑顔だ。その下ではネズミ達がポウポウを食っている。ポウポウの腹からは臓物が溢れ、他のポウポウは頭を割られ脳や目玉が食われている。

「食ってるのか?」

「ミチアキも食べるのですか?同種だから食わないとは思っていましたが……」

「そうじゃなくて……殺した後に食うのか?」

「補給も絶たれていますしね。私も食えなくはないですがミチアキは良い気分じゃないでしょう?」

「いや……良い。しょうがない」

 腹を空かせたネズミがポウポウを貪る。そこには恨みなどはない。食欲だけがある。

「私たちも食事にしましょうか。船からいくつか見繕っています」

「この肉は?」

「ウマですよ。安心してください」

 タムリから肉を受け取る。干された肉は大阪で食べた「さいぼし」と同じ味だ。タムリは木々の隙間から星空を見上げ、ネズミたちは一心不乱にポウポウを喰らう。吃音のネズミが血でべとべとになりながら近付いてくる。

「そ、それ、固くなってるだろ?こ、こ、この肉と、交換してもいいよ。あ、あんたは良い獣だ」

「遠慮するよ……私もポウポウと似てるから……」

「あ、あ、アトラムの教えか。知ってるぞ。で、でも、ネズミは関係無いんだ」

「君にも……名前は無いんだろ? 仲間にはなんて呼ばれてる?」

「そうだな。あ、あ、あんた!とか、おい!とかだな。で、でも」

「でも?」

「この戦争が終わったら。な、名前を付けられる。ななんて名前に……し、しようかな。そそそうだ。くれよ。あ、あんたの」

「何をだい?」

「名前さ」

 アトラムに帰っても彼らに名前は与えられない。しかしそれを今言うとどうなるのか?戦いを放棄するかもしれない。そして怒り狂い私たちを殺そうとするかもしれない。そんな彼らに一時の幸福を与えたいと思った。

「分かった。私の名前はイイヌマ・ミチアキ。どういう風に欲しいんだい?」

「あ、あ、アキってどうかな。へ、へへへ。アキ。アキって呼んでくれよ」

「アキ」

「へへへへ! 良いな! 嬉しいな! アキ!! う、ううう嬉しいな!」

 無邪気に喜ぶネズミを見ていると、もしかして幸せな物語の結末が有るのではないかと考えてしまう。それが勘違いとしても信じたくなる。

「な、ななななあ。そのカバン。何がはは入ってる?」

 カバンを開いて見せてやる。王宮で何度も行ってきた行為。ペンや手帳などを説明するとアキは楽しそうに聞き入る。

「こ、こここれは?」

 手榴弾を指差す。これは信仰に関わる大切な物だと説明をすると他の獣と同じように納得してくれる。

「ど、どうどう使うんだ?」

「もうダメだと思ったら使うんだよ。そうすると強い力が……敵に食らいついて守ってくれる」

「へ、へへへ。良いな。かっこいいな。ダメだと思った時、つつ強い力が食らいつくか。お、おおお俺たちも。同じの。あるな」

「どんなのが?」

「ゆ、勇気さ」

 私には無い物を持っている。ポウポウがやってきた時、最初に手榴弾を使っていたらここまで被害は大きくなっていなかったのではないか?手榴弾たった一つ。威力はたかが知れている。しかし、一瞬でもポウポウを足止めする事ができれば勇敢で強い獣達が一気に片を付ける事ができたのではないか?この状態を招いてしまったのは私に勇気が無かったのが原因ではないか?

 ベトナムへ行く時は好奇心が勝ったと自分の中で言い聞かせていたが、本当はどん詰まりの人生を何とかできればと考えていた。あの時と同じく断ることができないままに流されネズミに名前を与えている。

「さ、ささささ、最後にはさ。俺は、か、噛み付くよ」

 槍の穂先を石にこすりつけながらアキが言う。その牙が私に向かない事だけを願う。

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