第16話
道に岩が増えてきた。天にそびえる壁が近い。夜が来る前に手頃な岩の隙間に身を隠す。勿論周りには無数の罠を張り巡らせている。誰も死ぬこともなく行軍を続けたタムリは満足そうに横になる。私も横になると岩の隙間から星空が広がっていた。
「明日には着くでしょうね」
「勝てるのか?」
「ポウポウ自体は弱いですね。触れられたらダメなのは怖いですが、触れられないでしょう」
「獣は強いな」
「弱い獣もいますよ。それでバランス良く国が作られています」
「アトラムは大きくなるだろうな。兵士の強さが違う」
「ベトナムやニホンではどうだったのですか?」
「昔は強かったよ。私なんて一番弱い存在さ」
「ミチアキも強いですよ」
タムリはあくびを交えながら「全くわからない世界で死なずに立ち回ることの困難さ」みたいなことを語った。獣が私のいた世界に来たらどうなるか?言葉が通じれば研究機関に連れて行かれ、通じなければ害獣駆除だ。
彼らは国を大きくしてどうするのだろうか。彼らは何を思って戦うのだろう?夢はあるのか?そんな小さな疑問をタムリに向けてみた。タムリは眠気混じりの顔をしかめウンウンとうなり思案に暮れる。
「夢ってなんですか?」
「願いと似ているな。例えば君は子供がもっと欲しくて戦っている。夢はその先の事だな。遠い未来どうなりたいかとかさ。ベージがアトラムで色々と動いているのは自由を夢見ているからだろ?」
「家族が増えて国が栄える。それだけじゃダメなのですか?」
「それ以外にもやりたいことはあるだろう?」
「そうですか? ミチアキにはあるのですか?」
「そうだな……本を出したいな。うん。本を書きたい」
「ミチアキは凄いですね」
「何がだい?」
「ミチアキを否定する訳じゃないですよ?それは先に言います」
「大丈夫だよ。どういうことか教えてくれよ」
「生きるためにやらなくて良いことをやるって凄いですよ」
人はパンだけで生きるものではないとの思いで生きているつもりだ。その理由は人生の空虚に耐えられないからだ。空虚に耐えられなくなってベトナムにまで行った。結局はそこだ。自分の空虚を埋めるために死を詰め込む。なんと不健全なことか。
「どうしたのですか?急に震えて。寒いですか?」
「いや、大丈夫。大丈夫だ」
私がアトラムに来たことで数万の生命が消し飛んだ。その全ての生命に家族や生活があった。それを自分の生命を守るために忘れてしまっていた。そして今も仲間の生命が危険にさらされている。無関係なポウポウが大量に殺されている。そんな大量の死で人生の充実を図る。私はまるで死神だ。1頭のネズミが飛び起きて走る。タムリが眠そうな目を開き「罠にかかったのでしょう。血の匂いがします」とだけ言って目を閉じた。
起きると近くにほとんどの肉を削がれたポウポウが転がっていた。タムリは準備を整えて干し肉を齧っている。ネズミはぼんやり起きている者もいればまだ寝息を立てている者もいる。早起きした休日。ポウポウの死体を除けばそんな雰囲気が流れている。
「少し前にチートの声が聞こえました。今日は仲間と合流する所まで進みましょう」
また昨日と同じ行軍が繰り広げられる。ポウポウの死体は置いていく。少年少女の姿をした死骸が私の器を満たしていく。死は存在するだけで物語を作る。いくつもの物語を背負い生きている。
森の中を歩き続ける。最初は遠くに感じた聖壁も頭を上げればすぐ近くに見える。シーギリアロック、エアーズロック、もっともっと巨大だ。あまりに巨大すぎて現実感が無い。頭の中を空っぽにしながらソリの上に座っている。ネズミは一言の嫌味も言わずに私を運んでくれる。またタムリが手を上げる。ポウポウだろうか?何か音が聞こえた場合はネズミもタムリと同じタイミングで気が付くが今回は様子が違った。タムリはかがみ込んで地面を見ている。
「ど、どど、どうしやした?」
タムリは動かない。地面に顔を近づけているが何をしているのかはっきりとはわからない。
「な、なな何か、あるのですかい?」
「アキ。こっちへ」
「へへへへへ! 名前って良いな! へい! な、なななんでしょうか!?」
「この血、ポウポウの匂いじゃないですね?」
どうやら地面に残っていた血の匂いを嗅いでいたようだ。草むらにはポウポウの死体が数体とネズミの死体。アキもタムリと同じく地面に鼻を近づけ匂いを嗅いでいる。
「こ、これ、これだけは違いますね。俺、ポウポウ食ってるからわわわかる」
「何の匂いがしますか?」
「そそ、そうですね、い、イヌ? かなあ? ネ、ネコやトラじゃない匂いです。クククマかオオカミかも」
「ネコやクマは上陸していない。ってことはですよ……」
タムリはイヌが這っていたであろう跡を見つける。また匂いを嗅ぎ、毛が残っているのを確認してイヌだと断定した。この跡を追っていけば自然と仲間に出会えるはずだ。少し進むとポウポウの死体がまた転がっていた。右耳の上から傷が入って、喉に食い込んだまま刃が残っている。イヌたちが持っている剣に形が似ている。タムリは握る部分に鼻を近づけ匂いを嗅ぐ。ニンゲンには分析不可能な情報を収集している。
テンが天高く上がり輝いている。光が木々により遮断され、割れガラスのような景色を作っている。何度か休憩をはさみ、壁に近付く。今から野営し夕方を待つ。私にはチートがどこにいるのかはわからないが、鳴けば場所が特定できるまで近付いているとタムリが話す。船上の地獄から戦場の地獄へ移り変わった。「反撃の狼煙が上がっている」そう言えば聞こえは良いが他人が平和に暮らしていた場所を荒らしに来ただけだ。そんな矛盾を変えるのは生命への執着。私は死なないように、獣たちはより多くが生きるために。文字通り命を賭け生命を刈り取る。ヌーエで使える唯一の通貨が生命だ。通貨は奪い合いが起こることで価値が生まれる。だからこそネズミに価値が生まれている。彼らの価値はヌーエで戦っている時にだけ生まれる。
タムリが寝息を立てている。しかし耳はぴくぴくと動き警戒に余念がない。ネズミは順番で見張りを行い、罠の配置も完璧だ。城が近いこともあり襲撃を危惧していたが平和に時間が過ぎていく。そして夕暮れ、タムリは大きなあくびをして起きる。話してみるとやはり疲れが溜まっているという。海上での攻撃から今まで気が張り詰めているだろう。隊を指揮し、戦い、今度は私やネズミを率いて進む。その体力、精神構造のタフさに驚かされる。生きることしか考えていない。私は不純だ。生きること以外の事を考えすぎている。『生きて帰ってこの出来事を本にしたい』など考えている。誰が信じるものか。できの悪いフィクションだ。アトラムに帰り王や国民に伝える物もフィクションだ。ここには兵士が泥や血に塗れ、死を積み重ね生存を指折り数える現実がだけがある。
あちこちから聞こえる雑多な鳥の鳴き声を聞きタムリと数頭のネズミが先に向かう。私にはわからないがチートの合図も含まれているのだろう。アキをはじめ残ったネズミは罠を回収してから向かう。私もアキと同じ後続部隊として進む。はぐれてしまいやしないかと不安になったが、ネズミもやはり獣だ。匂いを嗅ぎ分け、小さな薄い足跡も見逃さない。ゆっくりと周りを警戒しながら進む。念のためと槍を一本渡されたが使い方もわからない。壁が近付き木々がまばらになると城がよく見えた。無骨な石垣にも見える質実剛健な城。石には苔が茂っているのか所々緑色が映えている。あの中にポウポウがいるのだろうか。
見上げれば壁。そこに針で開けた小さな穴が一つ。中からネズミが顔を出し手招きする。ゆっくりと入ると光る石で照らされた空間が広がる。20帖程の広さか。座ったタムリの肩にチートが留まり、その傍らに何かが横になっている。その何かには左足がなかった。
「ミチアキも生きています。元気を出して。大丈夫です」
タムリは横になっている獣に声をかけている。目を凝らして見ると長い舌を出して荒い呼吸を繰り返しているアウーだった。這い回ったからか腹は毛が無くなり血みどろになっている。左足は太ももの真ん中からなくなっている。そこに布を巻き付け傷を覆っている。
「生きてたか……」
「君も……無事だったか」
「どこが無事だよ。一本なくなっちまった」
「本当に……良かった……」
「だから良くねえよ」
ハアハアと荒い呼吸をしながらアウーは言う。左足の切断部分には木の葉と蔓が巻かれ、鼻を突く匂いがする。タムリがチートに渡した薬草などで応急処置は済んでいるようだ。
「何があったんだ?」
「最初……船が沈んだ。必死で泳いで数匹のネズミとヌーエに着いた……そこから壁を目指す途中で襲われた。最初に先頭を歩いていた俺がやられた……その後はネズミが……くそ……俺が訓練したネズミだ。あいつらが逃げてくださいって言ってよ。頭の悪いネズミのくせに……」
「落ち着きなさい。何はともあれ生きていて良かったですよ。問題はここから先ですね」
タムリは虚空を見つめ戦略を練る。
「他にも仲間がいると思いますか?」
「わかりません……」
「全員死んだとは考えられない。私たちが生きていると分かれば……」
タムリはカバンから木と樹脂が固まった塊を出した。この塊に火を付けると赤い煙があがる。
「それを燃やすのかい?」
「ええ。仲間がいれば集まってくれるでしょう」
「仲間が来なかったら?」
「私たちでやるだけですよ」
アウーが痛みに顔をひきつらせながら笑っている。肯定の笑いだ。ついに敵の本丸に乗り込む。タムリの作戦は、予定通り3箇所で煙を上げる。遠吠えをあげる。本丸に突撃する。生きている仲間が集まり掃討戦を開始する。勝つ。
全てがこちらの都合だけで成り立っている。こんなものは戦略だなんて呼べない。敵がどれだけいるのかもわからない。どれだけの攻撃がやってくるかわからない。しかしアトラムの船団がやってくるまでにケリを付けないといけない。あの海には多くの死体が眠っている。城から船団が発見されるとあの攻撃が待っている。それが届く前に叩く。いや、皆殺しにする。
タムリとアウーが戦略を考えている。チートが飛び回って調べた結果、海を見下ろせる場所はあの城しか見つからなかった。石垣を越えると広場があり、木や葉で作られた簡素な建物が建っている。ポウポウもいたとのことだ。
他のネズミや犬は心折れずに戦っているだろうか?そもそも生き残っているのだろうか。ベトナムと同じだ。誰がどこでどう存在しているのかわからない。敵がどこにどれだけどんな兵装でいるのかわからない。憶測、希望、疑念、恐怖。それらが蔓延しておかしくなりそうだ。それを抱えているのは私だけだ。タムリはもちろん大怪我をしたアウーやネズミですら自信で満ち溢れている。我が国、日本も大戦末期はこんな雰囲気だったのだろうか?
彼らは信じている。勝利を確信している。獣としての強さを信じている。本当に強いからこそ信じている。そして時や場所によって変わる名誉なんて求めていない。ネズミが名前を求めているのも種族を増やすためだ。
いまやネズミは戦う機械だ。その純粋な美しさ。生命の燃やし方を見ていると胸に憧れが生まれてしまった。彼らはどこまで進むのか。どこまでやれるのか。私は生命の心配以上にその答えを求めていた。
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