第6話

 ドアをバンバン叩く音がする。寝ぼけながら扉を開けるとアウーが勢い良く尻尾を振りながら立っていた。

「昨日言っただろ? 早く行こうぜ」

 少年のような目をして尻尾を振りながら椅子に座る。部屋の中を興味深そうに眺め、私のカバンに目を留めた。

「ちょっと見ても良いか?」

「良いですけど、丸いのには触らないでくださいね。それだけは本当に大切な物なんです」

「これか? アトラムでは見た事ないな…これがお前のテンなのか?」

「言ってるそばから触らないでくださいよ。そうです。私の信じる物です」

「これはなんだ?テンの絵か?」

 そう言ってアウーが日本国の国旗を広げる。それが神であり、拠り所というのは正解だ。私と世界をつなぐ数少ない物であり、自分がどこの誰なのかを思い出せる。

「タムリは来ないのですか?」

「タムリ様は忙しいよ。今日は船職人の所に行ってる。その後はネズミを使って船を作らせるってさ」

「ネズミはこの国にとってどういう物ですか?」

 アウーは不思議そうな顔で私を見る。そして口を半開きにして少し目線を上げた。

「そうだなあ……安い労働力、たまに食料、あとは俺らがやらないゴミ処理とかをやったり……あとは訓練用の道具かな」

「訓練用?」

「お前も子供の時にやったろ? 狩りの練習だよ」

「ネズミもそんな風に生きていたくはないだろうに」

「昔からそういう物じゃないか? まあ、それだけだったら良かったが、ベージが変な知恵を付けやがって」

「私の世界……国にはね……人権というのがあるんですよ」

「ジンケンってなんだよ?」

 アウーがカメラをいじる手を止めた。

「誰もが自由に生きて良いし、誰にもその自由を侵害されないと国に保証されている」

 人権、今まできちんと考えた事が無かったが、アトラムにきてその大切さがわかった。ネズミは自由に生きることすらできない。ネズミだけではなく、アトラリム下位の獣は自由に子供を作れない。幾つかの子供は食用、または一生働くだけの道具として扱われる。私がここで人権を論じた所で何も変わらない。しかし、ここまでひどいと少しはボヤきたくなる。

「自由に生きるってことも国が決めてるのか。お前、すごい所から来たんだな」

「どういうことですか?」

「自由とか考えた事なかったな。仕事はあるけど好き勝手に生きて良い訳だしな。自由に生きる事を国が決めるのか、すげえ怖い国だな」

「いや、ネズミは自由に生きられないじゃないですか」

「ネズミに自由は関係ないだろ?」

「ネズミだってアウーやタムリ、バナやチート、それに王と同じ獣じゃないですか」

「誰が聞いてるか分からないんだから王の事は悪く言うなよ。それに王はゾウだしネズミはネズミだろ?」

「ネズミは獣じゃないのですか?」

「考えたこともないな……」

 やはり話は通じない。異物が異世界の論理を説くのは意味がないと思い知らされる。


 市場を抜けるとベージが演説をしているが誰も足を止めていない。アウーが言うには「もう戦争の事を国民に伝えたからそれどころじゃないぜ」とのことだ。新聞などではなく、チートをはじめオウムがカーシミッドとして街中で歌い聞かせることで伝える。考えればよく出来ている。新聞なんぞ誰も読まない。ベトナムでの戦いはアメリカではほとんどのニンゲンが興味を持っていない。日本でもヨーロッパでも同じだ。しかし歌なら強制力を持ち耳に直接流れ込んでくる。耳から入る情報は目から入る情報と同じくらいに色鮮やかだ。街の喧騒やオウムの歌声を聞きながら街を抜ける。橋の下に近づくと嗅ぎ慣れた匂いが顔をだす。

「この匂いはイヌには大変そうだな」

「どんな獣だってキツいぜ。ポウポウは鼻が悪いのか?」

 橋の下はいつもの景色。子ネズミが駆け回り、大人ネズミは怯えで満たされた眼を私達に向ける。

「気品も勇気も強さも何もない。戦闘がはじまったら本当に戦えるのかよ……おい! そこのネズミ! お前じゃない! そこの大きいのだ」

 幾度となく仲間が殺されるのを見てきたのだろう。ショボくれたネズミが震えながら近付いてくる。何が起こっても不思議じゃない場所で生きながらえたネズミだ。

「槍は使えるか?」

「あ……あう……こ、殺さないで」

「イタチじゃねえんだ。お前らを殺すかよ。むしろ逆だ、生かしに来た。これ持ってみろ」

 そう言って槍を渡す。木の棒を尖らせた槍。一般的に想像する槍よりも短く、ニンゲンの縮尺で言うと傘程度の長さだ。石突の部分が大きいのは殴るためだろうか。ネズミは恐る恐る槍を持つ。アウーが少し離れた所に生えている木を指差した。「刺してみろ」と指示をだすと槍を曖昧になでていたネズミがツンと突く。もちろんうまく刺さらない。その様子を見たアウーは大げさに顔を手で覆う。

「全然ダメだな。くそ、お前が一番嫌いなネズミはどれだ?」

「え……?あ、あああれ……」

 指差す先にはネズミにしてはまるまると太ったネズミがいる。

「なんで嫌いだ?」

「お、俺のメシを……くく食った。俺が! 流れてきた肉拾ったのに! あああ! あいつが!」

 アウーは『あいつ』に近付いていった。何か話しているみたいだが聞こえない。槍を持ったネズミの所に2頭で歩いてくる。『あいつ』とアウーが先程の木の前に並んだ。その時、あのイヌ独特の呼気が聞こえた。『あいつ』の首に噛みつき、強く振ると同時に『ゴグッ』とビールをうまそうに飲む音が聞こえた。

 アウーが血が混じった唾を吐き戻ってくる。『あいつ』は体を引きつらせ酸欠の金魚みたいに口をパクつかせる。

「おい。復讐の機会をやるよ。その槍で思い切り刺せ」

「え……い、いい良いの?」

 私が状況を理解できていないうちに槍を持ったネズミは大きな叫び声をあげ駆け出した。驚くほど早く、槍の切っ先は無感情に動けぬネズミの腹に沈み込む。何度も何度も性急に差し込まれる様は十代の性交渉のように滑稽だ。その滑稽さが私を現実に引きずり戻す。

 腹から臓物が溢れる段階に入った時、ネズミは攻撃を止めた。

「うん。まあまあだな」

 息を切らし、口の隅には唾が泡になり溜まっている。肩どころではなく、全身を使って息をしているネズミは少し笑っていた。その様子をアウーが「逆上がりができた小学生を褒める先生」の眼差しで見つめ、ネズミの肩に手をそっと置いた。ネズミは慌てて槍を返し怯えた目に戻る。

「何か感じただろ。その気持ちを仲間にどんどん伝えろ」

 アウーは背負っていたリュックから肉を取り出してネズミに渡す。私は呆然とその場に立ち尽くしていた。陽光、ネズミ、死体。

 アウーは適当な石の上に座り、骨を齧りながら革に報告か何かを書いている。日常的なその行動は残虐な非日常の積み重ねの上に成り立っている。


 川近くで遊ぶ子ネズミやのろのろと動くネズミをアウーと眺める。先程の行為の真意を聞こうとしたが止めてしまった。通じるはずがないのだ。ニンゲン世界のルールを持ったまま獣の世界に来てしまった。この世界では何一つ間違えていないのだ。だからこの世界では私だけが間違っている。間違っているのは私だ。だから私は何も間違えていない。間違っていないのだ。

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